WAIS-IV(ウェイス・フォー)の結果報告と感想。日記や短歌など…
結月です。
前回は6月に受けたMSPA(エムスパ)という発達特性を調べる心理検査について書きました。
今回は7月に受けたWAIS‐IV(ウェイス・フォー)という知能検査の結果と感想を書きます。
他にも検査結果を聞きに行った日の日記、個人的な考え、とある会に参加して考えたこと、7月に1つだけ詠めた短歌など盛りだくさんになってしまいましたが、どうかお付き合いいただけたら嬉しいです。
前回の記事はこちら。MSPA(エムスパ)は、発達特性を調べる心理検査です。↓
WAIS‐IVとは?
WAIS‐IVは、得意・不得意の全体的なバランスを4つの指標で数値化する知能検査です。生きづらさや困りごとの原因を知りたい方や発達障がいの疑いがある方などが受けるケースが多いそうです。心理士さんと一対一で行います。時間は1時間半くらいだったと思います。
検査の具体的な内容については、これから受ける方の検査に影響してしまう可能性もあるため、ここでは詳しく書かないことにします。
4つの指標と平均値について
全検査IQ(FSIQ)
4つの指標を総合した能力
言語理解(VCI)
言葉の知識や理解力、言葉を使って考えたり説明したりする力
知覚推理(PRI)
視覚的な情報から物事の関係性をとらえ、論理的に考える力
ワーキングメモリー(WMI)
耳で聞いた情報などを一時的に覚え、頭の中で処理する力
処理速度(PSI)
視覚的な情報を正確かつ素早く処理する力
IQは平均が100になるように設定されているそうです。
大まかな目安としては、こんな感じです。
130以上 すごく高い
120〜129 高い
110〜119 平均より高い
90〜109 平均
80〜89 平均より低めらしい
70〜79 低めらしい
69以下 すごく低めらしい
検査直後の予想
私の予想はこうでした。
全検査IQ 75〜80
言語理解 70〜75
知覚推理 80〜85
ワーキングメモリー 75〜80
処理速度 70くらい
言語理解はわからない問題が多く、「なんとなく」「イメージで」などふわっとしたことばかりつぶやきながら答えました。これはだめだと思います。全く自信なし。
知覚推理は割とできていた気がします。でも平均以下な気がします。この中では一番手応えがあったような…。
ワーキングメモリーは自信ないですね。できているような、できていないような…。まあまあですかね。
処理速度は一番自信なしです。答えるのも遅いですしあまりできていない気がします。
全体的に平均以下と予想。
WAIS‐IVの検査結果
実際の検査結果はこちらでした。
全検査IQ 107(平均)
言語理解 110(平均より高い)
知覚推理 103(平均)
ワーキングメモリー 109(平均)
処理速度 93(平均)
平均。ほぼ平均でした。予想は大きく外れました。
平均値なのに生きにくいのはなぜ?
でも、処理速度が一番低いのは納得です。ただ言語理解はわからない問題ばかりだったのになぜこの数値なのか…謎ですね。
心理士さんは、一番高い数値と低い数値が7以上離れていると、もどかしさを感じることがある、と説明されていました。
…なるほど。私の場合は言語理解と処理速度が17離れています。
前回の検査では、緊張する場面になると頭が真っ白になり、自分が何を話しているのかわからなくなったり、相手の話が頭に入らなくなったりする特性があることがわかりました。
心理士さんは、もしかすると、うまく話せないことや、複数のことを同時に処理したり考えをまとめたりすることの苦手さが、仕事や「話さなければいけない」場面で困ってきたことにつながっていたのかもしれませんね…とおっしゃっていました。
もう少し詳しく知りたい方向けの検査結果
ここで、さらに知りたい方向けに、パーセンタイルと信頼区間を追加した数値を記しておこうと思います。
全検査IQ107→パーセンタイル68(上から約32%)、信頼区間103-111
言語理解110→パーセンタイル75(上から約25%)、信頼区間104-115
知覚推理103→パーセンタイル58(上から約42%)、信頼区間97-109
ワーメモ109→パーセンタイル73(上から約27%)、信頼区間102-114
処理速度93→パーセンタイル32(上から約68%)、信頼区間87-101
パーセンタイル
検査で出た数値が、同年代の基準の集団の中でどのくらいの位置なのかを示すもの。ここではわかりやすいように、「上から約何%くらい」の位置と表記してみました。
信頼区間
検査を受ける体調や環境などの要因で多少の誤差が出たとしても、本来の数値はこの範囲くらいだろうと考えられる数値。
私の得意なことと苦手なこと
検査結果からわかった得意なことと苦手なことをまとめます。
得意なことはあまりピンときませんが、苦手なことはやっぱりそうだろうなと納得です。
得意なこと
・言葉の意味を理解すること。
・知識をもとにして考えること。
・聞いた内容をそのまま覚えておくこと。
・図や形を見て考えること。
・問題の規則性を見つけること。
苦手なこと
・要点を簡潔に話すこと
・情報を整理すること
・必要な情報のみを素早く選ぶこと
・優先順位をつけること
・複数の事柄を同時にすすめること
具体的な日常での対策
こちらが日常生活での対策だそうです。
・緊張する場面では一番伝えたいことを先に話してから理由や具体例を話すことを意識する。
・一つのことを終わらせてから次のことに取り組む。
・メモやチェックリストを利用する。
・書類の確認などは重要な箇所に印を付ける、不要な部分を隠して見る範囲を限定する。
・時間に追われないように余裕を持って取り組む。
見る範囲を限定するのは、なるほど!と思いました。付箋を貼ったり、本に直接書き込むと理解度や読む速度が上がる気がしていたので。リーディングトラッカーを手作りして、どれくらい読みやすくなるか試してみたいですね。話すことは常に意識していますが、うまく話せるかどうかは本当に運次第。意識するだけでは難しい気がします。
仕事を探す場合の最高の条件と過去の仕事
MSPAとWAIS-IVの結果をまとめたうえで、私が仕事を探す場合の最高の条件はこうだそうです。
・プレッシャーがかからない安心できる環境
・ノルマや結果を求められない環境
・時間制限があまりなく、自由が利く環境
・一度にたくさんではなく、ひとつひとつ物事をこなしていける環境
・電話対応等がない(またはゆるい)環境
・決まったことをコツコツできる環境
心理士さんは慎重に言葉を選びながら優しく説明してくださいました。
「見つけるのは難しいかもしれない。でも相談員さんやハローワークでこの結果を持っていってこの条件に合う仕事を相談することもできるかも」…と。
速さや正確さ、マルチタスクやコミュニケーション能力が大きく求められる仕事は難しく、しかも緊張しない安心できる職場で自由度が高いものとなると…。
どれか一つならまだしも、効率化を求められる現代でこれらの条件はかなり厳しそうですね。
これまでを振り返ってみる
そういえば、今までやってきた仕事は時間に追われるものが多かった気がします。
どれか一つのことで手一杯になって、思うように動けない。メモをとってもメモの内容が意味不明。わからないことを聞いても緊張状態ではなかなか覚えられず、日が経つにつれて焦るため、さらにわからなくなる…。
すぐ「仕事ができない人」認定されてもおかしくない状況ですし、実際にできていませんでした。
前代未聞と言われたり、真面目にしないならはやく辞めればと直接言われたことも何度もあるほど。
(もちろん常に真面目です)
焦れば焦るほどできない。私のミスを周りの方々がカバーすることになる。毎日申し訳なくて、迷惑をかけたくなくて家に帰ってからもずっと頭の中で仕事内容を反芻する。教えていただいたことは覚えている。でもできない。できないと不安で寝不足にもなる。しかも、元々の虐待やいじめの記憶のフラッシュバックも酷くなる。怒られた時に思い出して固まってさらに動けなくなってしまう…悪循環でした。
でも、逆にうまくいったこともありました。
全く仕事に慣れなくて悩んでいたときや、さらに難しい仕事内容の部署に移動することになったとき。
話を聞いてくださってアドバイスをいただいたり、安心できる言葉や視線、温かさを感じて嬉しくなったりした途端、今までの物覚えの悪さがまるで全て嘘だったかのように一気に覚えられたことも数多くありました。素敵な方々のおかげで長く働けました。感謝しています。
プライベートでも似たような感じです。
話さないといけない空気を感じると苦しくて焦って話せなくなります。焦るとフラッシュバックが襲ってきて怖くて余計話せなくなります。でも落ち着いた環境なら軽く会話ができることもあります。安心を積み重ねて慣れていけば、少しずつ話したいことが話せるようになります。
普通に話せるようになるまでに基本的に数カ月から数年くらいかかることのほうが多いため、すぐ仲良くなれずにいつの間にか距離を取られることもよくあります。
「話すつもりがない人、話したくない人」だと思われてしまうみたいです。
悲しいですが、緊張のあまりそう見えても仕方がない振る舞いをしてしまう自分が悪いのですから嫌われても仕方がありません。
検査を受けてみて
今回の検査では、数値は平均値なはずなのに生きづらい。
その原因や特性をほんのり理解することができました。
念のため、心理士さんに「私の生きづらさは過去の虐待やいじめが関係していますか」とお聞きましたが、心理士さんは上手にぼかしていました。
当たり前ですよね。それは主治医の先生がこれから考えていくこと。話しやすい方だったのでつい聞いてしまいました。
お世話になりました。
心理士さんの次は主治医の先生の診察です。
数値は平均値なのに、どうして生きづらいのでしょうか。
根本的な原因はなんなのでしょうか。
「うつ病以外の何か」がやっとわかるのでしょうか。
それとも今回はまだわからなくて、また次回から少しずつ何か紐解いていくのでしょうか。
もしくは、診断は難しいけれど、これからほかの原因を探っていくのでしょうか。
どれでもいいです。私は生きづらさの正体を知れればそれでいいので。
私でも役に立てそうな仕事が見つかる可能性は限りなく低そうな気がして少しショックを受けていますが。でも、ゆっくり見つけていきたいですね。まずは先生の話を聞いて、ちゃんと自分のことを知ってから考えることにします。
これまでの苦しみも
今の生きづらさも
なかったことにしないために。
未来を明るく生きるために。
ここまで読んでくださった方へ
では、ここからはこの日に書いた日記を載せることにします。
詰まっていてわかりづらかった箇所は文字をずらして表記しています。少しだけ重たい内容が混じっているため、苦手な方や検査結果だけ知りたいという方はどうかご無理なさらないようお願いします。
ここまで読んでいただきありがとうございました🙇
WAIS‐IVに興味をお持ちの方やこれから受けられる方のお役に立つことができていれば幸いです🍀
この先をお読みいただく前に、こちらの記事にも目を通していただければ内容がより伝わりやすいかなと思います。
検査を受けるきっかけになったお話。あるアンソロジーの企画に参加させていただきました。アンソロジーとnoteの固定記事は主治医の先生に読んでいただいています。大切に書いた詩と文章です。↓
日記 8月4日(火)
今日は〇〇病院へ。
心理士さんからはWAIS‐IVの数値の説明や対策を教えていただいた。結果はどれも平均。もっと低いと思っていた。
平均値なのに誰の役にも立てないのはどうしてだろう。
言語理解なんて、わからなくて無理やり答えたのに。何かの間違いじゃないかと思う。これらの数値が間違いでなかったとしても、人と話せなければ、役に立てなければ意味がない。
次は主治医の先生の診察。
先生とは数カ月前から特に話しやすくなったと感じている。
文章や詩を読んでもらったうえによく褒めていただけるからなのか。褒められなくても別にいいけれど、伝わっているということが自分が思っているより何倍も嬉しいのかもしれない。
特に固定記事は、先生に私のことを知ってもらいたくて書いた手紙みたいな文章と詩。手紙を書くのって好き。
いつものように診察が進む。
「最近どうですか?」
「良いことがありました。」
最近あった良いことを話す。
いつも通りに穏やかに進む診察。
先生は特に検査について何もお話されない。
若干違和感を感じたものの、自分から結果についての話を振る。
「検査結果、平均値ばかりで驚きました。私自身はもっと低いと思っていました。なぜでしょう。」
「まぁ、言い方はちょっとあれなんですけど…」
「?」
「自意識過剰になりすぎちゃう方もいるから…」
「…そうなんですね。…私、思っていたよりもできないことが多くて。周りから言われてきたんです。なので、自分だけが思っているというよりは、周りに言われて自覚していった感じなんで…。検査結果を見て、じゃあ今までのこと(生きづらさ)は何だったのか。上手く喋れないのとか。どういうことなんだろうって…ちょっと…ふわふわしてます。」
「なるほどね…。」
「はい…………。」
「…………。」
「そうなってくると、特性と言っていいのか…一応、心理士さんにはーーーーー。(心理士さんから受けた説明を簡単に話す)」
「傾向としてとらえながら、あんまりへこみすぎずにね。とりあえず、目の前の生活を楽しんでいくってことが大事なんじゃないかなと思います。」
「……………。」
「うんうん。……。」
「…何か診断名がつくという感じではないということですか。」
「そうですね。これまで通り生活していけたらいいのかなと思います。」
こうして、穏やかに診察が終了した。
先生の言葉、表情や声のトーンを正確に思い出す。
自意識過剰。
目の前の生活を楽しむ。
これまで通りの生活。
これで悩み事はなくなったね。
よかったねと言わんばかりの屈託のない笑顔。
脳内で会話を始める。
先生は気にかけて励ましてくださっている。
なぜ先生は検査の話を一言も持ち出さなかった?
わからないけど元気づけようとしてくださっている。
私が話を振らなければ検査の話さえなかったような雰囲気だった。
先生は優しいし魅力的な人。
その後の話も何もないのに?
アンソロジーに掲載された私の文章も褒めてくださったし。
でも具体的に褒めていただいたことはなかった。褒められなくても別にいい。ただ伝わればいい。でも伝わっていない。
先生に知ってもらいたくて書いた固定記事の文章や詩も「読んだ」っていってくださってた。
固定記事では、わからないことをわからないままにする。なかったことにすることは、「死ね」と言われていることと同じとまで書いたのに?たった今、なかったことにされたけど?
もしかしたら私の文章がわかりにくかったのかもしれない。今日だって褒めてくれた。
わかってもいないのにわかったふりして文章を褒めたのなら相当酷い。
自意識過剰な方がいるっていうのも一般論を言っただけかもしれない。
目の前の患者さんを診なければいけないときに、一般論を持ち出すのはなぜ?人の心は一般論やデータだけではわからない。
わざとじゃないと思う。
私なら文章を書いているとかそういうの関係なく。たとえ拷問されたとしても、今も苦しい、知りたいとやっとの思いで話してくれた人に「自意識過剰」なんて言葉を使わない。
私のことを忘れているのかもしれない。
これまでのことも?過去のことも話してるよ。仮に忘れたとしてもパソコンのカルテを見ればいいし。何年も通ってるよ私。
絶対悪気はないと思う。
でも、患者とか先生とかそういうのは関係なく。虐待、いじめ、不登校など長年苦しんできて今もなお、つらいと訴えている人を目の前にして「これまで通りの生活を」なんて私は言えない。
わからなくても仕方ないよ。
全部理解してほしいなんて思っていない。どうして私は平均値なのに生きづらいのか。どうして私はどこへ行っても役に立たないのか。緊張しないためには?フラッシュバックを起こさないためにはどうしたらいいのか。つらい記憶を思い出さないためには?どうしたら家族以外の人と心の底から安心して話せるようになるのか。どうして私が生まれたのか。生まれた意味は何なのか知りたくて。
そんなこと誰にもわからないよ。
そうかも。期待した私が馬鹿なだけだった。
もしかしたら、もう打つ手がなくて何も言わなかったのかも。
じゃあ、ここの病院では限界だって伝えてくださったらいいはず。ほかの病院を紹介するとか。ここではこれ以上調べることは難しいって。どうしてその説明がないのかがわからない。
心理士さんが伝えたから自分から言わなくても大丈夫って思ったんじゃない?
心理士さんは数値と具体的な生活での対策は教えてくださったけど、数値には出ない心の苦しさを診て診断することは先生にしかできないのに?
そもそも案外幸せそうに見えているのかも。
幸せに見えそうな笑顔の練習はかなりしているから。悩みなんてなさそうに振る舞っているだけ。幸せな瞬間が来てもフラッシュバックが邪魔をする。それを悟られないようにするために笑っているだけ。苦しさが無くなるわけじゃない。
嫌なことを忘れるくらい目の前の生活を楽しめばいいって意味だよきっと。
忘れられるようなことなら悩んでいない。何度も忘れようとしても忘れられなくて。どうしようもなく苦しくて。やっとの思いで検査を受けたのに。これから楽しく生きるために自分を知ろうとしたのに。
大丈夫。今回だけでは診断とかつかないかもって私も予想してたし。次に話すかも。
これからも永遠にわからないままな気がする。「これまで通りの生活を」ってついさっきはっきり言われたのをもう忘れた?
もう一度話したら理解してもらえるかも。諦めなければ。
何度話しても自意識過剰だと思われるだけ。命がけで書いた文章でさえ自意識過剰だと思いながら読んでいた可能性あるけど…どうする?
………。
どうする?
自意識過剰。そっか。私の今までの人生は全て自意識過剰だったのか。言葉を話せないことも、5歳から殴られたり蹴られたり包丁を向けられたことも、人格を否定され続けたことも、いじめられたことも、助けを求めても信じてもらえなかったことも、守りたいものを守れなかったことも、恐喝されたことも、仲間はずれにされたことも、いじめられ続けて不登校になったことも、撮られたくない箇所を動画に撮られたことも、死のうとして何度も失敗したことも。どれもこれも全部大したことがなくて自意識過剰だったってことだったんだ。死んだらわかるかな。わからないまま話し合うこともしないんなら死ねって言われてるのと同じ。
死んでもわからないと思う。自分は悪くない。やるだけのことはやった。患者が狂っただけ。相性が悪かっただけ。そう処理されるだけ。本人も自分が殺した自覚なんてなくて次の日には忘れているだろうね。
苦しくても死ねない。家族がいるから。
家族をつくった。心が不安定なのに。あたたかさを求めてしまった。その罪と責任から逃れようとしてはいけない。今生きることから逃げれば、目の前の相手と向き合うこともなく、自分たちの都合や評価のために生きてきた両親や教師、虐めてきたあの子と同じ人間になってしまう。
それだけは嫌。同じになるなら死んだほうがまし。
でも死ねない。家族がいるから。
楽しく生きようとしても、つらくて苦しみながら生きようとしてもフラッシュバックは消えない。記憶が蘇る。どうしてかな。
どちらにせよ一生苦しむことになる。呪いをかけられた。一生消えることのない呪い。
手遅れかもしれない感覚。当たってたみたい。
そう。そうかもしれない。
今日、証明されてしまったのかな。1年間の読書まとめ記事で書いたこと。
「どうせ誰の役にも立たないんだから少しくらい親孝行しろ。」
そう言われて嘘を書いた卒業文集。役に立たない。私に合う仕事も見つからないかもしれない。産まなければよかったっていつも母が言っていたことは正解だったのかな。
…………………そうかもしれない。
私は生まれてこなければ良かった?
私はそうだけど息子は生まれてきて良かったよ。今日も元気に遊びに行ってる。誰からも愛されない苦しみを味合わせたくない。だからたくさん大好きを伝えて育ててきたけど、私がいなくてもこの子はどこへ行っても愛される子だと思う。
旦那は?
変わり者だし、私を選ぶような悪趣味な人間だけど、結婚してよかったと思ってる。
じゃあ、今日のつらかったことは旦那に話せばいい?
旦那のことはものすごく大好きだし、話してもいいけど、励ましてくれたとしても私の本当の気持ちはきっと彼にもわからない。「そういう捉え方もあるのか」とか「なんでもかんでも拾いすぎ」ってよく言ってるし。
他の人の言葉なんてそもそも気にしなければいい。
知らない人の言葉を気にする人もいるらしいけど、私はそうじゃない。気にするのは大切な人や信じてみたいと思った人の言葉だけ。
友達に会って話せばいい。
友達に話すには重すぎるし、友達をカウンセラーにしたくない。
リアルで話せる居場所は?
こんなこと誰にも話せない。そんな居場所はない。誰にも背負わせたくない。自分の機嫌は自分で取らないといけない。
家に帰るまでに何時間もかかった。
途中、図書館で予約していた本を借りた。発達検査についての本も借りるつもりで来たけれど、とてもそんな気分にはなれなくてやめた。
ほかにもスーパーやコンビニ、お気に入りの場所など、あちこち寄り道をした気がする。でも、頭の中は自分との対話でいっぱいなので、ぼんやりとしか覚えていない。
やっと家に着く。
誰もいない。
私は本棚に目を向けた。今まで購入した本や図書館で借りた本を取り出してはパラパラめくる。本を棚に戻して、また次の本を取り出して…を繰り返す。
本をめくったあとはスマホにも触れる。購入した電子本も指をスライドさせてページをめくっていく。自分で書いた1年間の読書記録や作品の感想をまとめた記事、Xやnoteのフォロワーさんの投稿をただぼーっと眺める。
この方なら、同じ状況でどうするのか。
こう言いそうな気がする。
こう行動しそうな気がする。
読んでいくうちに、落ち込んでいる場合じゃない。落ち込んだところで何も変わらない…と、正気を取り戻せた気がした。
怖い。こんなふうに少しの言葉で、違和感のある空気感で人を信じられなくなる自分が怖い。
でも疑問に思ったこと、知らないことを知ろうとするということを諦めたくない。
主治医の先生に気持ちを理解してもらう…というのは難しいのかもしれない。この日記を次の診察で見せようか。
実は前回の診察の日、こんなことを考えて傷ついていたと知ったらどんな顔をするだろう。幻滅するだろうな。
でも、見てもらうのもいいのかもしれない。本当にどうにもできなくなったら、そのときまた考えればいい。
そういえば、心理士さんはまた何か聞きたいことがあったらいつでも電話してきてと言ってくださっていたことを急に思い出した。
心が落ち着くと縮こまっていた視野が広がる。
やれることがたくさんある気がしてきた。
でも、そう思えたのは、Xやnoteのフォロワーさんや本のおかげ。
言葉ってすごい。
創作ってすごい。
本と出会えてよかった。
一般論やデータでは人の心はわからない。だから目の前の患者さんと向き合ってほしかった。
…なんて脳内の自分と話しておきながら、私自身も誰にも頼る当てがなくて本やSNSに縋っている。
もし日記をnoteに公開したら読者様はきっと「滑稽な人だな」と私のことを笑うだろう。絶対に載せないようにしよう。
でも、私は文字だけを見ているわけではない。
文字の向こう側を見ている。向こう側にいる人を視るようにしている。
作者様と同じものが、ちゃんと視えているかはわからない。
けれど、あくまで私が受け取った「作者様が見ているかもしれない景色や想い」には事あるごとに助けられてきた。
その感謝の気持ちを込めて、本や作品を読んだ感想を書いている。作者様宛てに手紙を書いている。届くか届かないかも分からない、迷惑になるかもしれない手紙を懲りずにこれからも書き続けていきたい。
人の苦しみを和らげるのは、きっと人でしかない。
絶対に諦めない。もう一度、先生と話してみよう。
今度こそ、私の手紙が届きますように。
今の私の気持ちと原因・対策
それにしても、MSPAもWAIS-IVも、すごいですね。
人の価値は数値では決まりませんが、でもかなり正確に私の特性を数値化できているような気がします。
例えば、たくさんの情報の中から選んでまとめるのが苦手とか。
今だって診断の結果と感想だけ記録しておけばいい記事を長々と書いていますしね。
今回のことですが、先生は間違いなく悪気はないですし、むしろ励ましてくださっていると頭ではわかっているのに、この日は心が追いつきませんでした。
数値が平均だとしてもそうでなかったとしても、この生きづらさはなんなのか、どうしたら苦しみはなくなるのか、これからゆっくり話し合っていければいいな…。
そう考えていただけあって、かなりショックを受けてしまいました。
他にも、誰がその言葉を使うか…というのも関係しているのかもしれません。
どんなに落ち込んでいても、知らない人やあまり交流のない方から「自意識過剰」「明日を楽しく生きろ」と言われて落ち込むことはまずないですし。
きっと、信頼していたから、人として見てくれているような気がしたから、過去や今の苦しみを書いた文章を読んでいただいていたから、だからショックを受けた…ということだと思います。
先生の場合はこの日だけですし、ご本人に私の「嫌」が伝わっていない可能性も考えられます。関わるのも診察の間だけなので1日〜数週間、軽く落ち込むだけで済みました。
これがもっと好きな人からの発言だったり、何度も嫌と伝えても繰り返されていたとしたら、心へのダメージはさらに大きかったでしょう。
私は人を好きになりすぎないように気をつけなければいけないのかもしれません。男女世代問わずですが、人を信じないくせに信じてみたいと思った人のことをものすごく好きになってしまって心を開きそうになってしまう癖がありまして。
わかってもらえるかもなどと期待してはいけない。同じような環境で育った人のほうが限りなく少ないのだから理解できる人などまずいないと自覚したうえで、心を開きすぎないように程よく会話をすることが大切なのかもしれません。
でも、そればかりだと苦しいのでSNSでは思ったことをそのまま書かせてください。自由にさせてください。最大限配慮しますが、不快なことがありましたらすぐに対応します。それでも嫌だなと思ったら、そのときはそっと距離を置いていただけたらと思います。(SNSのいいところは受け取る情報を自分で選べるところだと考えています。)
誰にも背負わせないために。誰かを傷つけないために。
私自身が傷つくのも最小限に抑えるために。
そんな距離感を目指したいです。
でも、こんなことを書いておきながら、目の前に苦しんでいる人がいたら距離感や境界線など飛び越えて、踏み込みすぎて何かしらやらかしてきたのが私なので…今度こそ上手くいくことを願っています。
渡す言葉と受け取る言葉
正直、日記を載せるか載せないかずっと迷っていました。
私の日記はnoteを書いているかのように読者様を意識しているものが多いですが、この文章は先生を悪い人にしていないか、告発文みたいになっていないか、患者さんの苦しみを聞かず曖昧な対応をして自分の病院に通わせ続けようとする怖い精神科医のような書き方になっていないか何度も確認しました。
文章力がないため、また伝わらないかもしれないのが怖いですが。
傷つけられ続ける人生を歩んできた人とそうでない人では、何気ない励ましの言葉やプラスになるような言葉でも、考え方や受け取り方にここまで差がでるということを伝えたかったのです。
悪気なく説明を省くことで、ここまで不信感を抱き、不安定になる人がいるということを知っていただきたかった。
どちらの考えが良くてどちらの考えが悪いとかでもない。
そういうことが書きたかったのです。
誰しもが人を傷つけ、傷つけられながら生きています。
私だって知らないうちに誰かを傷つけているかもしれません。
ほとんどの方は、対話をしたり、あえて対話をしなかったり、仲直りしたり、なかったことにしたりしても、その後の楽しい思い出や記憶があるから「まぁいっか」「忘れて明日を生きよう」と割り切ることができる。
でも、傷つけられ続けて生きてきた人たちには、その後の楽しい記憶や思い出がない。または少ない状態。
むしろ傷ついた時につらかった記憶ばかりが繰り返されてしまう。どうにもならなかった良くないことばかりが頭を巡っている状態で「まぁいっか」「忘れて生きよう」で終わらせろというのは難しい気がします。
つらい環境でも忘れて明るく明日を生きている方もいるかもしれませんし、人によりけりだと思うので断定はしませんが、少なくとも私はそう考えています。
似ている気がする
少し話は変わりますが、先日、とある場所で行われた不登校について話をする会に勇気を出して参加しました。話したい人だけが話せばいい会でしたので、私は、ほんの少しだけ発言して、あとは皆さんの会話を横で聞いていました。
そこで、ある方からこんな言葉が出ました。
「不登校の子は、他の子ならまあいっかで済ませるようなことをまぁいっかで済ませられないような繊細な子やこだわりが強い子が多い気がする。」
詳細は伏せますが、話をしていた方々は、不登校の子の心に寄り添うためにはどうしたらいいか懸命に考えている優しい方ばかりでした。
そうなのかもしれない。でも、だとしたらなぜなんだろう…でもわかる気がする…と元不登校児の私も色々と考えていました。
大多数の人から見ればどちらでもいいことだったとしても、その子にとって大切なことなのかもしれない。
守りたいものなのかもしれない。
やらなければいけない気がすることかもしれない。
やりたくなくてもやってしまうことかもしれない。
本人も苦しんでいることかもしれない。
助けてほしいと求めているのかもしれない。
でも、もしそれが学校やある集団の中での「普通」とは少し違う主張や行動だったとしたら。
ほとんどの人が「まぁいっか」で終わらせるようなことだったとしたら。
我慢して「静かに言うことを聞く」が正解の場所だったとしたら。
あの子は変わっているとか、こだわりが強いから面倒だとか、巻き込まれたら嫌だから関わらないでおこうとか、みんなの前で注意して他の子が真似をしないようにしなきゃとか…
既存のルールに縛られて遵守しなければならないような場所や協調性を重んじる場所では、まるでトラブルメーカーかのように処理されてしまいがちな気がします。
その子にとって大切なものがあるかもしれない。どうしようもない事情があるかもしれない。見落としてはいけない何かが隠れているかもしれない。
でも、みんなと違っているからといって話も聞かずに変わった子として扱われてしまう。
社会でも同じような気がします。
区別するみたいでものすごく、ものすごく、本当に嫌いな言葉ですが、ここではあえて多数派と少数派という言葉を使います。
多数派の、一般的な考えを持ち、なおかつそれを主張できる方々は社会に溶け込むことができます。でも、そうでない方々は弾かれてしまうことが多い。
表向きは多様性だとか、認め合うだとか、優しそうなスローガンを掲げていても、現実では少数派の混ざれないものは忌み嫌われ、孤立していきます。
どれだけ泣いても親に放置され続ける赤ちゃんが泣くのをやめてしまうのと同じように、孤立した少数派は考えや思いを伝えることをやめてしまいます。
我慢して自分を無理やり消して社会に馴染むか、社会に馴染むこと自体を諦めてしまいます。
少数派でも立ち上がり、自ら行動を起こす方もいらっしゃいますが、それができる方はそう多くないと思います。
だから、多数派の意見しか残らない世界では、少数派は生きづらい。
しかも、少数派の声がなくなればなくなるほど、多数派は余計に少数派の考えが分からなくなって関わるのをやめてしまう。
少数派と関わるために話し合ってどうにかしようとする多数派も現れるかもしれませんが、多数派または多数派のふりをしている方しか集まらない場所で話し合っても、そこでは多数派寄りの意見しか出ない。
じゃあ、少数派だけが集まって過ごせばいいじゃないかと思いますが、本当にそれでいいんでしょうか。
区別する。安全な気もしますが。でも、どこか違和感があります。
あの人は多数派だから。あの人は少数派だからといって完全に分けてしまう。生きている間、永遠にそれができるならそれでもいいのかもしれませんが。
多数派と少数派が一緒に過ごす、そんな「多様性」な未来はどんどん遠くなる気がします。
多様性ってなんなんでしょう。
互いの良さを認め合い、寄り添いあって力を合わせて生きていく。相違があれば対話をして、お互いが納得するまで話し合う。
これが、私が思う多様性のイメージです。
…うーん。難しい。考えれば考えるほど正解が分からなくなります。
多数派の意見は大切。でも少数派の意見も大切。
どっちも大切にする場所。どちらかを蔑ろにしない場所。
そういう場所があれば全員が生きやすいのかもな…とか。
でもこんなの所詮綺麗事かもな…とか。
こんなことを考えながら静かに話を聞いていた私はきっと
少数派のようで多数派のふりをした少数派な人間なのでしょうね。
世の中には営利目的や自らの自尊心の向上のためだけに少数派を利用しようとする多数派もいます。
正直そういう人ばかりなんだろうなと思っていましたし、そういう経験ばかりで誰も信用していませんでした。
でも、今回の会では、不登校支援に携わる方、不登校の子の保護者の方、素性は明かさずにお話を聞きに来た方など様々な方が集まっていました。
私が参加した時間帯は不登校の子の保護者の方が多かった印象ですが、率直な感想としては、保護者の方ってこんなにも子どもたちのことを考える人ばかりなのかと驚きました。
私の母は、自らが虐待をしていたにもかかわらず、「子どもがなんで不登校になってしまったのかわからなくて悩んでいて。大切に育ててきたのに。」と平気で嘘をつき、あちこちの支援活動を行っている場所に無理やり私を連れ出しては「子どものためを思って行動する可哀想だけれど一生懸命な不登校の親」を演じていた人でした。
だから、学校に行けず、好きなことができなくなった子どもの姿を見るのがつらい…と、本当に苦しそうに話す保護者の方のお話を目の前で聞いて、私は「こんなにも愛してくれるお母さんがいるのっていいな」と感じました。
あとは、私、その保護者の方に大変失礼なことしてしまいました。とても真剣に話されているのに。
直視すると、大きな悲しみが伝わってきて。
釣られて泣いてしまいそうになるのを誤魔化すため、その方がいる方向とは真逆に視線をそらしながら話を聞いてしまいました。
また参加する機会がありましたら、今度はちゃんと目を見てお話を聞けるように頑張ります。申し訳ございませんでした。
そして、この会では、相手も自分も守りながら意見を言う。これがどれだけ難しいことか、どれだけ貴重で必要なことなのかを身をもって知りました。
私にはできないことも、それができる多数派の方々がこれから多くの人を救う可能性を秘めていることも。この目で見てきました。
文字での言葉も大切ですが、やはり対話はすごいと思います。声、視線、表情、動き、得られるものが多かったです。たくさん学ばせていただきました。
別の方がおっしゃっていた言葉もとっても気になりました。
もしかしたらそれはこういうことかもしれない…違うかもしれないけどわかる気がする…でも…と意見を言うのをやめましたが。
思い切って参加してみて良かったなと思います。
生きづらさを抱える私にできること
まずはもう一度伝えてみること。
好きな本や良かった作品の感想を書くこと。
いいと思うものを肯定すること。
短歌や詩の創作ができなくなっても、noteで自分の本当の想いを伝えるのをやめないということ。
そして、対話を諦めないということ。
これからもゆっくり続けていこうと思います。
数値がどうとか、多数派や少数派がどうとか、あまり好きではない言葉をたくさん使ってしまったうえに、個人的な意見ばかりで決めつけているような文章になっていないか心配ですが、思い切って色々と書いてみました。
最後まで読んでくださってありがとうございました🙇
おまけ 海岸の短歌
7月に1つだけ詠めた短歌を載せます。
「海岸」
海は広いな大きいな行ってみたいなとか歌ってみたかったなとか

そんな子どもばかりではないことを知ってもらいたくて。
私は海岸で呟く大人視点のつもりで詠みましたが
他の解釈もできそうな短歌になっている気がします。
海は広いな大きいな行ってみたいなとか歌ってみたかったなとか / 結月#短歌 #tanka https://t.co/aiRrz5RjNI pic.twitter.com/PGz6uDulIr
— 結月(ゆづき) (@sd15047602) August 1, 2026
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聞きたいことがあるけどどうしよう…。
という方はこちらから匿名で質問することができますので、ぜひ遠慮なくご意見をお寄せいただけたらと思います。
ご期待に添える回答ができるかは分かりかねますが、真剣にお答えします😊
1年間の記事をまとめました。
主治医の先生とのその後のことも最後の方に書きました。
こちらも読んでいただけたら嬉しいです。
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