【小説】B面のふたり #3 (文学フリマ大阪)
あらすじ:鷹木津とたまきは、会社の中の”日陰の仕事”を担当するB面案件を担当することになった。B面案件を通じてたまきの居場所をつくって、一緒に大丈夫になろう。あの夜に、二人はそう計画をしていた。
最初から読みたい方はこちらから
#3
「――もう時間か。わたし、車回してくるね。二時にロビーで待ち合わせしよう」
鷹木津は段ボール箱から視線を外さず声をかけた。
「はい。わたし、もうちょっとやります」
「うん。また後で」
エレベーターが鈍い音を立てて閉まる。
ひとりになると、やたらと静かだ。心なしか、部屋の温度さえ下がったように感じる。
箱を引き寄せる。
ふたを開ける。
中を見て、閉じる。
その掠れるような音だけが、人気のない空間にやけに大きく響いた。
「痛っ」
段ボールの先端で指を切った。人差し指から血が滲む。
あわてて指先を口に含むと、血の味がじんわりと広がった。
「……絆創膏、あるよ」
しゃがれ声に振り向くと、そこにはいつの間にか老人が立っていた。
黙って絆創膏を一枚、差し出している。
「あ、ありがとうございまふ」
「探しものかい?」
絆創膏を不器用に巻きながら、老人を見上げる。
白髪に、しわの刻まれた顔。糊の効いた作業服に、モップを抱えていた。
「最初の放送のカセットテープを探してるんです。今夜の放送で使うから……」
「第一回のテープかい……」
老人がたまきの背後にある段ボール箱を見上げた。
「無理なんじゃないか、ここから探すのは……」
呆れ顔で「人間、諦め時が肝心だよ」と、肩をすくめる。
「……でも、ちょっとだけ、楽しいですよ」
爪でカリカリとガムテープを剥がしながら、たまきは小さく笑った。
「開けるたびに、何が出てくるかわからないんです」
箱から出てきたのは、番組で使ったらしい野菜や魚の食品サンプルだった。
ナイトルーペの光に照らされ、鮭の切り身のシルエットが浮かぶ。
「みんな大事に取ってあって。……宝物、なのかなって」
老人は困ったように、少しだけ目を細めた。
「ところで、その顔につけてる奴」
「これですか?」
「ナイトルーペ、だぁい好き! ……です」
「また古いネタを……。なんで知ってるんだい」
「えっ……女性社員は必修って聞いて……」
「そりゃガセだ。……でも、ありがたいがね」
たまきが次の箱に手を伸ばした瞬間、スマホがブルブルと震えた。取ると鷹木津だった。もう移動する時間らしい。
「もう行かないと。わたし、また戻ってきますね」
背中に視線を感じたまま、たまきはぱたぱたとエレベーターに駆け込んでいった。
*
会社の正面玄関前に、一台の白い社用車が停まっていた。
運転席で、ジャケットを着た鷹木津がハンドルを握っている。
たまきが助手席に乗り込むと、するりと車が走り出した。
長崎駅前に出る。
大通りはのたのた走る市電とまばらな歩行者だけが行き交い、どことなく長閑だ。地下倉庫と違って明るく暖かで、たまきは呼吸が楽になった気がした。
「B面案件、まさかこんなにバタバタするなんて。たまきは大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「お昼、コンビニで買っておいた。行きながら食べよう」
そう言いながら、鷹木津がサンドイッチにかぶりついた。たまきも、袋からからあげを取り出す。
通り沿いに出島方向へ進むと、左手に丘を削ったトンネルが現れた。
ウインカーを点けながらハンドルを切り、トンネルに入っていく。
車のフロントガラスの上を、オレンジ色の灯りがいくつも流れていった。
「今から、『のんのこ』案件の会合に行きます」
『のんのこ』。
正式には「のんのこ諫早祭り」。
毎年九月に長崎市の隣、諫早でやるお祭りで、小さなお皿をカチカチ鳴らす踊りが名物だ。
諫早に物流センターがある縁で、会社の有志が参加するのが毎年のならわしだった。
しかし、この数年で様子がおかしくなり、B面案件に回ってきたらしい。
「おかしくなった……ですか?」
からあげを口に放り込みながら、たまきが聞いた。
「東京から来た大企業の工場ができてから、どっちがより大人数を出すか、みたいな競争が始まっちゃって。今じゃ本社まで駆り出される大騒ぎ」
鷹木津は、片手で器用にサンドイッチを齧る。
「地元としては、東京に負けたくない気持ちもわかるけどね……」
トンネルの向こう、光を帯びた出口が近づいてきた。
「ところで、『のんのこ』って何かの名前ですか?」
「民謡の名前なんだよね。みんなで歌いながら踊るんだけど……聞きたい?」
鷹木津が、ちらっとこちらを見る。
こくこくと首を縦に振った。
鷹木津が困った顔をしながら「ま、すぐ歌う羽目になるか……」とぼやいた。
すぅ、と大きく息を吸う。
同時に、車はトンネルを抜けた。
――暖かな陽光が、車内に流れ込んできた。
♪ 芝になりたや 箱根の芝に
♪ 諸国諸大名の敷き芝に
♪ のんのこさいさい
♪ シテマタサイサイ コリャサイサイ
ハンドルを握ったまま、鷹木津は伸びのある声で歌う。
背筋を伸ばした姿勢。高く結ばれたポニーテールから覗く首すじ。
ハンドルを握る腕は、細いのに、妙にしっかりして見える。
ゆったりと歌う唇の色が、やけに鮮やかだ。
「……どう?」
鷹木津が、ちらりと目だけ寄越した。
たまきははっと我に返り、両手いっぱいに、ぱちぱちと拍手した。
「そんな見ないで。ほんと、音痴で恥ずかしいから……」
鷹木津の顔がほのかに赤く染まっていた。
*
諫早市役所前の広場。
のんのこ祭りの当日には、祭り櫓が組まれ、夜店で溢れる賑やかな場所になるらしい。今は、広い空の下、芝生と駐車場だけがあるがらんどうな場所だった。
車を停めた鷹木津は、助手席のたまきへ向き直った。
「今からの打合わせ、基本的な応対はわたしがするから、メモを頼める?」
「は、はい」
「今日のミッションは、誰も怒らせず、誰も困らせないこと……そのつもりでね」
たまきが力強く頷く。
けれど、鷹木津は浮かない顔で、柄にもなく大きなため息を吐いた。
「……って言って、去年は五十人も動員する羽目になって、社内で揉めに揉めたらしい……」
「……そんな揉めるんですか?」
「そりゃ半年間、参加者全員で毎週末みっちり練習だからね。……残業代もないし」
ハンドルにだらしなく顎を乗せた鷹木津が、苦い顔で呟いた。
「……大変なんですねぇ」
「――ちなみに、わたしたちB面係は、当然ぜんぶ参加必須だから」
――え。
思わず顔に出たのを見て、鷹木津がにやりと仄暗い笑顔を見せた。
「琴音! 結婚したかァ――――!」
車から降りるなり、野太いがなり声が降ってきた。
タバコを揉み消しながら、作業服の男が近づいてくる。
スキンヘッドに、ぎょろりとした目。
「物流センターの奴らでよけりゃ、いくらだって世話するからなッ! まぁお前みたいなのは無理か!」
坊主頭の男性が、つばを飛ばしながら、ぶはははと体を折って大笑いしていた。
鷹木津が、ははは、と乾いた笑いを返す。
困ったような目線で、こちらを見ていた。目が「ごめんね」と言っている。
「し、柴たまきです。よろしくお願いします」
「俺は諫早物流センター長、榎田だッ」
へにょっと会釈をしたたまきに、榎田は「おうッ」と、空中にチョップを叩き込み、無遠慮に鷹木津に詰め寄った。
「それにしても今年はお前が担当だとはな! ついに地元に帰る気になったか!」
にやけ顔を寄せてくる榎田から、「残念ですが」と鷹木津が顔を遠ざけた。
「……それはそうと、奴っこさん、もう来てやがるぜッ」
市役所の玄関を顎でしゃくって示した。
鷹木津は声を潜めて応えた。
「榎田センター長、今年はお手柔らかにお願いします」
「お手柔らかってなんだよ」
「去年は本当に大変だったんですから! 受注センターの女性社員をほぼ全員駆り出したんですよ!」
「あぁ、それか……もちろんわかってるッ」
鷹木津はほっと胸を撫で下ろした。
榎田が拳を固めた。
「……今年は、受注センターどころか会社全体で、東京野郎にぶちかますぜぇッ!」
「……ちょっと! ぶちかまさないでください!」
「中学校の先輩に口答えたァ偉くなったなッ!」
「半世紀前でしょう!」
「うるせェッ! 俺を止められるかよッ! 行くぜッ! 諫早組出動だッ!!」
「榎田さん!!」
ぶんぶんと拳を振り上げ、榎田が建物へ入っていく。
その後ろを追いかけながら、鷹木津がごめんね、と手を合わせた。
「実はわたし、ここ地元で……その、ちょっと……」
柄にもなく、か細い声だった。
たまきは涙目の鷹木津を、慌てて追いかけた。
会議室では、長机がコの字型に並び、すでに市の職員や各社の担当者が席についていた。
視線を巡らせていると、不意に上品な声色で呼び止められた。
「榎田センター長、お久しぶりです」
スーツ姿の男性が、にこやかな笑みで立ち上がり歩み寄る。
ぴっちり撫でつけた髪に極細フレームの眼鏡。いかにも都会の人間だ。
「おぅ……相変わらず、すかした格好だなッ」
「失礼いたしました。東京から直行でして、着替える時間がなく」
ただでさえぎょろ目の榎田が、静かに――というより、露骨に睨みつけていた。
スーツの男は、榎田の視線を受け流し、鷹木津に微笑んでいる。
「今年は鷹木津さんもご担当なのですね。地元出身の方がいらっしゃると心強いです」
「東堂さん、お世話になります」
「……俺だって諫早生まれ諫早育ちだッ」
「去年の五十名での街踊り、本当に素晴らしかったです」
「いえいえ、今年は小規模に行ければ、と」
「……前年越えは当然だッ! 大規模、いやド大規模だッ!」
「それはそれは。当社も、前年を超える革新的な提案をお持ちしました」
「……革新だとッ……! だったら俺は革命だッ……革命を起こすッ!」
榎田だけが物騒なことを呟いている。
「ところで、おそらく初めましてですよね」
東堂が颯爽とした所作で名刺を差し出した。
「ソニック・セミコンダクターズで、総務部長を務めております、東堂と申します」
「えっと、名刺無くて……。ジャパンショッピングの柴です」
名刺を受け取ったまま、深々と頭を下げる。
卒業証書授与のような、妙に仰々しい所作になってしまった。
「柴とわたしで、今年の『のんのこ』を担当します。よろしくお願いします」
鷹木津が合わせて頭を下げた。
すると、ちょうど会議の開始時刻が来たらしく、市の職員が会議室の扉を閉めた。
東堂は、柔和な笑みを浮かべて礼を返すと、奥まった席に戻っていった。
榎田はそんな東堂を睨みながら、真正面の席にどしんと座った。たまきと鷹木津も、慌てて榎田の横に腰を下ろした。
会議が始まった。
委員長の挨拶の後、市の職員が日程、会場配置、そして催し物のスケジュールを説明し始める。
配布資料を一言一句なぞるような長々しい説明に、ついつい眠りそうになる。
それでも、なんとなく分かってきた。
街のお祭りというものは、毎年同じようにやるものだと思っていた。でも実際には、そうではないらしい。
「去年より大きく」「他の祭りより大きく」そして「いずれ長崎最大の祭りに」
そんな掛け声が飛び交いながら、毎年いろんな趣向を凝らしていくものらしい。
けれど、いざ話が具体的になった途端、みんな視線を逸らして、互いにそれとなく押し付け合っているようにも見えた。ちょっとだけ、B面案件に似ている。
――お祭りも、会社も、あまり変わらないみたいだ。
(つづきは、こちら)
文学フリマ大阪14頒布作品のごあんない

