見出し画像

闇 378(横浜マイフェイバリットフレンド編)

闇 378(横浜マイフェイバリットフレンド編)

2025/10/15 wed
前回の章


二千十六年十一月九日、水曜日先勝。

今月に入ってたった一日だけの仕事しか与えなかった旭総建工業の戸田。
昼間ゴロゴロと寝ていると、着信があった。
戸田だから、出なくていいか……。

携帯電話を放置したまま、マゲ一家の餌と水を交換する。

戸田のこれまでしでかした行為を思い出す。

今週始まって月火水と三日間連続仕事無し。
もう川越に帰って仕切り直すからいいが、常識的に考えてあり得ないだろ。

睦町のマンションをレオパレスから強制退去させられた時点で、俺は辞めて川越へ帰ろうとした。
それを一時間半に渡って電話を延々と引き伸ばし、辞めさせなかった。

あんなどうしょうもない坂道だらけのアパートを借り、それでいて仕事を寄越さない。

人道的に稀に見る屑。

二時間ほど経ってから、また鳴る携帯電話。
画面を見ると、戸田。
馬鹿だな、コイツ。
もう声すら聞きたくねえって……。

無視をしたまま寝転がる。

坊主さん夫婦が千葉の家に来て住めと言ってくれた温かい言葉。
いくら何でもそこまで甘える訳にはいかない。
裕子さんが泣き叫びながら俺を心配して言ってくれた言葉。
それだけで俺は今後挫けずに生きていける。

再度横浜へ戻って一年ちょっと。
この短い期間で俺は様々な地獄を体験した。
まるで地獄めぐりをしてきたような感覚。

イワカミ工業設立時に関わったどうしょうもないおかしな二人。
青野のせいでイワカミ工業は崩壊し、戸田によって命を捨て掛けたところだ。
あんな戸田のようなどうしょうもない奴のせいで、俺の命を投げ出すなんて馬鹿臭い。

鶴田師匠、前言撤回します。
レスラーはやっぱ壊れちゃいけないすよね。

四時間ぐらい経ち、一件のショートメールが届く。
旭総建工業の社長様から。

『子供じゃないんだから、連絡もらえますか? 戸田』

2016/11/09 旭総建工業 戸田

子供じゃない?
馬鹿じゃないの、コイツ。

俺は四十五歳の独身男性だ。
どこをどう見たら、子供に見えるのだろうか?

十五日になれば引っ越し屋が来て、この腐れ二俣川ともおさらば。

社会的に俺の行動が、常識はない事をしているのは自覚している。
ただ、相手が異常だから同じような行為を返しているだけに過ぎない。

まあ鏡みたいなもんだ。
鏡…、つまりミラーマン。

幼少の頃放映していた特撮ヒーローもの。
俺って変なところだけ記憶力いいよな……。

今頃電話にあえて出ない俺に対し、地団駄を踏んでいるのだろう。
想像するとおかしくなってくる。

何故かロフトを睨み付けた。
一度も利用していないのにサビた鉄柵が妙に癇に障るのだ。

一言俺からあの馬鹿へ送る言葉がある。

「ザマーミロ!」
わざと声に出して言う。

「キュピピ」
マゲも続いて呼応する。

一人で腹を抱えて笑った。

そうだよな、俺だけじゃない。
この子たちだって、俺が虐げられているのを共に怒っている。

仕事とか社会とか無関係だったら、この右の拳で思い切りぶん殴ってやるのに残念だ。
時代に救われたな、コイツ。

平成というどんどん不安定になっていく日本の社会の仕組みによって、弱者からの窃取で辛うじて生きているようなカス会社。
昭和だったら、きっと許されないだろう。

九月最後の方から働き出した旭総建工業。
五日間出て、このクソアパートの家賃三万五千円引いて、口座に振り込まれた額一万五千円だけ。
十月なんて十万を切る日数分の仕事数。

正真正銘のキチガイ。
普通の人間なら生活できず死ぬぞ、本当に。
まあ俺もその一歩手前まで来たので偉そうに言えないが……。

おまえのような奴が人間を飼うなんて、百万年早いんだよ。

俺は戸田から送られてきたショートメールのスクリーンショットを撮る。

全然小説を書かなくなってしまったが、きっといつか俺はまた書き出すだろう。
それがいつになるかは自分でも分からないが……。

その時、このスクリーンショットは絶対に何かの役に立つはず。

本当人間を舐めるなよ、旭総建工業の戸田。
ここまで受けた仕打ちは、絶対に忘れやしない。

2016/11/09 二俣川アパート ロフト

俺はロフトを睨みながら固く心へ誓った。
一度も上に上った事すらないが、サビた鉄柵を見ているだけでムカついてくる。

夜の十二時ちょうどに戸田へ電話をした。
どうせ寝ている時間帯だろうと思い、あえてワンコールだけ鳴らして切る。

大人だから夜中に電話してやらないとね。

折り返し連絡が無いので、あの馬鹿寝ているのだろう。


二千十六年十一月十日、木曜日友引。

朝目覚めると、クソ戸田からショートメールが入っていた。

『連絡もらえますか? 戸田』

子供じゃないんだからが無くなっているぞ?
少し弱気になってんじゃねえのか、コイツ。

2016/11/10 旭総建工業 戸田

「バーカ……」

携帯電話を布団の上へ放り投げ、また寝転ぶ。
全部自分の思い通りに人が動くと思ってんじゃねえよ、ボケ。
月に百万円の給料をくれているのなら分かるが、このしみったれは人間界の中でも最下位層の部類。

朝は眠らないとお肌に悪いんだよ。
もうひと眠りするとしますか。

あ、マゲ一家の世話をしなきゃ……。

引っ越しまであと五日後か。
早く時間経たないかなー。

石川雅之がこっち来て食事って、明日だったよな?

こっちへ来てくれると言っていたが、二俣川での食事は四割方飯が不味くなりそうだ。
会ったら向こうのほうで食事して、そのまま川越へ顔を出しに行ってもいいな。

暇だったので石川へメッセンジャーで連絡してみる。

『石川さん、明日で良かったんですよね? 岩上智一郎』

『ええ、明日です。岩上さんの都合は大丈夫でしょうか? 石川雅之』

『もうどうせ辞めるから問題ないです。昨日戸田に連絡したけど、また返事がない。 岩上智一郎』

夜中にしたから返事が無いだけだが、このぐらい割合してもいいだろう。

『まだ引き止めてるんですか? 石川雅之』

『うん。辞めるって言っても聞かない。こっちも限界だよ。 岩上智一郎』

『とりあえずこっち戻ってきたら落ち着きましょう。 石川雅之』

『ありがとう。そろそろ二俣川も限界。レオパレスの請求と合わせて頭おかしくなりそうだ。 岩上智一郎』

『無理しないで下さいよ。こっち戻ってきたらちゃんと迎えますから。 石川雅之』

本当に石川は優しいな。
友達になれて良かったと思う。
迎えに来てくれるのは有難いが、食事は二俣川以外でしようと提案する。
彼もすぐに察してくれ、了承してくれる。

昼になって戸田から電話があった。

「……」

仕方ない。
岩上智一郎様が貴重な時間を使って出てやるとするかいな。

「はい」
「岩上さん! 何やってんですか!」

出た、いきなり怒鳴り声。
コイツ、いつまで調子乗ってんだろ?
どこからその自信が来るのだ?

「あ、体調不良で寝てましたねー」
「昨日電話したでしょ!」

「俺もしましたよ?」
「夜中じゃ寝てますよ! 常識あるんですか!」

「うん、ありますよ。あり過ぎるほうだと自負しております」
「何で今日仕事来ないんですか!」

「だって仕事あるなんて聞いてねえし」
「岩上さん!」

「戸田さん…、大声出すのやめてもらえません? 非常にこっちは不愉快なんすけど?」
「仕事する気あるんですか!」

「……」

本当ギャンギャン小うるさい野郎だ。
もっと優雅にゆとりを持てないものかね。

一旦携帯電話を耳から離し、ゆっくり深呼吸した。

「聞こえてんですか、岩上さん! やる気あるんですか!」
「ある訳ねえだろ、ボケッ!」

「……」

黙る戸田。
呆然としているのか、屑野郎でも。

思い切り俺も怒鳴りつけた。
うん、ちょこっとだけスッキリした。

「仕事があったりなかったり…、現場終わっても明日の朝になったら電話する? 三日無い時だってザラじゃねえか。そんなんでやる気あるかって? ある訳ねえだろ!」

「じゃあ、そこはうちの寮なんで、一刻も早く出てって下さい!」
「あいよ」

「それでそこを借りるのに掛かった費用で、先月分の給料はありませんから」

「ふーん…、人をここまで拘束しといて、一万五千円しか払っていないくせに随分偉そうな口利けるねー」

「早く出てって下さい!」
「当たり前だろ、このキチガイが!」

まだ何か言っていたが、知能遅れとこれ以上話していても時間の無駄だ。
俺は携帯電話の電源を切る。

今頃怒り狂っているのだろうな……。

想像すると、俺はまた一人で腹を抱えて笑い転げた。
この時脳裏に北斗の拳のアインの顔が思い浮かぶ。

「やるじゃない」

口に出してニコッとしてみる。
また腹を抱えて大笑いした。


二千十六年十一月十一日、木曜日先負。

石川雅之が車で二俣川のアパートまで迎えに来てくれるまで後一時間。
彼と食事したあと、そのまま川越へ一度帰り英気を養いたい。

それにしても昨日の電話は本当に痛快だった。

辞めると言った途端、すぐに出て行けと抜かす戸田。
セコいし、本当にしみったれた男だ。

まだ時間を潰す必要があるので、俺はフェイスブックの石川とのメッセンジャーの過去のやり取りを眺めてみた。

えーと、二千十六年十月十五日。
この辺からだよな、レオパレスの愚痴のやり取りは……。

『レオパレス、家賃二ヶ月滞納で、掃除代やら色々で二十五万九千円請求されました。 岩上智一郎』

悪徳業者レオパレス21、法律では家賃を払っていない俺が悪くなるのだろうけど……。

それにしてもこの程度の滞納で強制退去を命じるあの会社もおかしい。
俺の言い分を何一つ聞く耳すらもたなかったしな。
こうやって部屋を借りた人間から暴利を貪るからこそ、テレビCMなどの巨大な資金を作っているのだろう。
犠牲者は、きっと俺だけではないはず。

元々坂本に金を貸した俺がすべて馬鹿だったのだ。
娘の給食費が払えないから始まり家賃の滞納がなどと、借りる金額を土下座までしてどんどん増やしていったした坂本。

あの馬鹿が家賃を振り込んだという話を信じたからこそ、このような目に遭った。

『清掃代はいくらですか? 石川雅之』

『清掃代は二万後半ですが、カーペット代三万五千円や、クロス代五万五千円とか法外な値段です 岩上智一郎』

無茶苦茶な請求金額を下請け業者へやらせるレオパレス。
自分たちの服は汚さず、立場の弱い人間を顎で扱き使う組織。

『高いですね タバコ不可だったんですか? 石川雅之』

うん、誰がどう聞いたって高過ぎるよな……。

『まあすべて自分のせいではあるので、受け止めて、一から出直しますよ。タバコは特に言われていないですね。 岩上智一郎』

下請け業者の顔を立ててやったまでの話だ。
真に悪いのは命令を下し、自分らは高みの見物を気取るレオパレスだから。

『一回も更新してないですか? 石川雅之』

去年の九月末に新宿から引っ越してきたから……。

『ええ、一年ぐらいしか住んでないですし。経年劣化で減額は難しそうですね。 岩上智一郎』

『クロスはそんなに汚れたんですか? 石川雅之』

『鳥たちいるからそこは仕方ないかなと。 岩上智一郎』

本当コイツら、餌食うのに嘴で突くしかないから、辺りに飛び散るからなあ。
チラッとマゲ一家を見る。

『通常使用の汚れは免除なはずですが…。交渉したほうがいいかもです。 石川雅之』

そんな泣き言など、悪徳レオパレスには一切通じないのだよ。

『したけど話にならないですね。直に会ったのも委託業者なんで。まあ、真面目に頑張りますよ 岩上智一郎』

『なるほど……。 石川雅之』

『小説がまた世に出た際は、レオパレスの真実もそのまま書きますけどね。 岩上智一郎』

俺も数年間小説を執筆していないくせに、よくもまあこんな事を送ったもんだ。
でも戸田のメールといい、レオパレスの不当請求書にしても記録できるものは、後々の為にちゃんと撮っておこう。

『そうですね。あそこは叩いたほうがいいですね。 石川雅之』

叩いたところで、あそこまで人を食い物にして大きくなった不動産を潰すのは不可能に近いが……。
それでも蜜蜂の一刺しをいつかぶち込んでやりたい。

『ヤクザも裏稼業も全部叩いてやりますよ。 岩上智一郎』

『それは面白そう。 石川雅之』

裏稼業といっても矢田部はとうに福富町から消えてようだしな。
あの屈辱の数々の憂さはぶっちゃけ晴らしてはいる。
オーナーの谷口にしても、俺でなく矢田部を選んだあとで店を潰した訳だから、仕返しは済んでいた。

そしてヤクザも何て偉そうに書いてしまったが、正直三田に対してそんなムカつきって実はないんだよなあ……。

普通なら雅の乳首を触り、泣きながらそれを訴えられた時点で、あの人の立場ならもっと俺をどうにでもできたはず。
それを終始敬語のまま礼節を全うし、十万円までくれた三田。

待てよ…、これを小説に書く場合、三田のヤクザ者としての筋の通し方をそのまま書いたら、俺が雅の乳を触った事まで正直に書くようになるじゃねえか……。

まあ、まだ執筆すると決めた訳じゃないから何でもいいか。

携帯電話が鳴る。
どうやら石川が二俣川エリアに来たようだ。

2016/11/11 二俣川駅 アパートまでの地図

二俣川駅からアパートまでの道順を口頭で説明しながら、俺も外へ出る。

道なのかどうかさえ分からないような妙な歩道。
自動販売機すら近くにない辺鄙さ。
駅から基本は東へ一本道であるが、何にせよ坂が多い。
ましてや目印になるようなものさえ何もない。

今いるプチメゾンのアパートから通りまで出ないと絶対に辺鄙過ぎて分からない場所だ。
夕方でもこの辺の吹きつける冷たい風は、容赦なく人間の心を侵食していく。
通りへ出ると駅方向へ向かって歩く。

クラクションが鳴り振り向くと、石川が車内から手を振っていた。
先月後半に会ったばかりなのに、随分久しぶりの再会に感じた俺。
おそらくごく当たり前にする会話を、ほとんどする機会もなく孤独に過ごしてきたせいだろう。

「さて…、この近辺じゃ嫌なんですよね?」
「さすがに飯が不味くなってしまいますからね。保土ヶ谷バイパス付近なんて、近付くとあそこから身投げしたくなってしまいますから」

「またまた大袈裟な……」

声を大にして笑う石川。

自嘲気味に笑顔で話しているが、実は冗談でも何でもなく、数日前本当に飛び降り掛けたなど正直に言えるはずもない。
あの時あそこで飛び降りていたら、今のこの空間は無かったのだ。
そう振り返るとゾッと全身に鳥肌が立つ。

そしてあのタイミングで二度も電話をくれた岡部さんに対し、心の底から感謝をした。

「それにしても本当に酷い会社だったんですねえ」
「裏稼業で酷いならまだ分かるんですが、あれで大手の旭化成の傘下らしいですからね……」

「え、旭化成? 大手も大手、大大手ですよ!」
「だって戸田の会社名が旭総建工業ですよ?」

「なるほど…、いやー…、世の中腐ってきてますねー」
「せっかくだからその旭総建工業見ていきます?」

「ええ、是非見てみたいですね!」

俺は保土ヶ谷バイパスを潜り抜けた道順を教えながら進む。

「この辺ですと、二俣川と言うよりも左近山ですねー」
「あ、そうそう。その名前を戸田にしても、青野にしてもよく言っていましたね」

「えーと…、青野と言うのは?」
「俺が湾岸線の首都高でイワカミ工業をやっていた時期あったじゃないですか」

「あーはいはい。浜川崎の美星屋へ初めて行った時期ですね!」

「そのイワカミ工業を作るきっかけになったのが戸田と青野であり、仕事を失敗し責任逃れで現場逃亡したのも青野です」

「つまり…、岩上さんの会社を潰した張本人が青野と?」
「そうです。あのクソメガネが左近山に住んでいるとか抜かしていましたね」

あのクソメガネの面を思い出すと、横っ面を引っ叩きたくなってくる。

「どうしょうもない連中ですね、この辺の人たちは……」

暇な時間を利用し、青野とオロナミンCを組み合わせたアイコラ画像を探して、彼に見えた。

「石川さん、これ見て下さいよ」

「ん、何ですか、これ……。ぶはははは……」

石川は腹を抱えて吹き出す。

「これが飛んだ青野ですよ」

2016/11/11 コラ画像 青野とオロナミンC

「やめて下さいよ! 危なく電信柱へ突っ込むところだったじゃないですか」

「大村崑と青野の顔の部分だけ入れ替えたんですよ、ひひ」
「画像が歪んでいるじゃないですか。仕事が雑過ぎますよ」

「あ、過ぎちゃった…。ええとですね…、この通りより一本奥の平行した道沿いにあるんですよ」
「了解です。そこから入れそうかな?」

2016/11/11 二俣川 旭総建工業周辺

「石川さん、左手に掘っ立て小屋に近い建物あるじゃないですか」
「え? あ、はいはい!」

2016/11/11 二俣川 旭総建工業

「ここが横浜二大巨大悪徳組織の一つ旭総建工業ですよ」

「確かに旭って書いてますねー…。ところで二大巨大悪徳組織って、もう一つはどこなんです?」
「レオパレスに決まってんじゃないですか」

俺たちは顔を見合わせて大きな声で大笑いした。
何かこの光景どこかで見た事あるよな?

そうだ!
さだやす圭の漫画『おかしな2人』の室田と山倉が色々あってボロボロになったあと、二人で馬鹿笑いする感じに似ている。

何か好きだったなあ、あの漫画……。

高校生の頃、古本屋で全巻買ってよく読んだっけ。
おじいちゃんの部屋で……。

きっともう捨てられちゃっているよな。
今となっては…、部屋の主だったおじいちゃんはもういない。

川越の実家へ戻ったら、一度家探ししてみるか。

「……」

たった今俺は一つの教訓を得られた。
どんな地獄へいようとも、生きていればこうして笑える瞬間が一度は来る。

横浜市中区へ向かう一本道を走っているのだけは分かるが、土地勘がまるで無い俺は今がどの辺なのかまるで分からない。

「自分はですね…、生まれも育ちも生粋の横浜なんですよ」
「ええ、もちろん知ってますって」

「二俣川や左近山も横浜の一部なんですね」
「はい」

「自分は横浜を汚す人間って、大嫌いで許せないんですよね……」

しばらく黙ったまま、車の醸し出す音だけが聞こえる。

彼の内に秘めた静かな怒り。
横浜を少しでも良くしたいと思う地元愛。

うん、俺はいい友達を持てたものだ……。

大きな道路を運転しながら「あ、岩上さん、ここなんですが」と右折して駐車場へ入る。

「ヒコバンバンという焼肉食べ放題の店なんですが…。すみません、お金あまり無くてこんな店になってしまって……」

申し訳なさそうにもじもじする石川。

「何を言ってんですか! それにここは俺が出しますって」
「駄目です! 絶対にそれだけは駄目です! 今日は岩上さんがもう少しで川越に帰ってしまう送別会的な意味合いもあるんですから。ここぐらい自分に出させて下さいよ!」

心に染みるほど彼の優しい気遣いが嬉しかった。
金が無いくせに格好つけやがって……。

それなら素直に俺が出せば…、いやいや違う……。

今俺が持っている金は、岡部さんが現状を察知して渡してくれた命の金だ。
俺が格好をつける為に渡された訳ではない。

石川の気遣い、そして岡部さんの気遣い。
千葉へ来いと言ってくれた坊主さんと裕子さんの気遣い。
ヤバい……。

「石川さん、トイレ行ってきます!」

また個室へ駆け込み、静かに泣く。

何なんだよ、俺って。
随分と涙脆くなってしまったじゃねえか……。

さすがにこんなところだけは見られたくない。
落ち着くまでトイレへ籠もり、深呼吸をしてから立ち上がる。
隣りで凄いクソをしている奴の臭いを吸い込み、雰囲気が台無しになった。

席へ戻ると、石川が肉を盛った皿を数枚テーブルへ並べている。
本当に肉食大魔王だ。

俺も負けじと皿を持ちながら好きなものを盛っていく。
食べ放題は純粋に楽しい。

大人になっていい年した中年二人じゃ見栄え悪くて行けなくなってしまった遊園地の代わりだ。
あそこに並んでいるポテトサラダがメリーゴーランドなら、デザートコーナーにあるコーヒーゼリーはコーヒーカップかよ。

どこかのテーブルの家族連れの幼い子供たちが、楽しそうにブッフェ台の周りを走り回っている。
焼ける肉の匂いと、子供たちの笑い声が混ざり合い、まるで二年連続行けなかった川越祭りを思い出す。

うん、これでチャラだ。
あの地獄の日々も、戸田の怒鳴り声も、全部。

だって俺はこれから再起へ向けて生きるのだ。
何だか俺って凄い幸せだよな……。

「ねえ、石川さん。この辺って二俣川? それとも左近山?」
「岩上さんがその二つのワード大嫌いなの知ってますから、どんなエリアで食事なんてしませんよ。ちょっと外れた中山という場所ですね、この辺は」

「えっ! ひょっとして中山競馬場の近くですか?」
「何で中山競馬場が神奈川にあるんですか。それは千葉でしょ」

また俺たちは顔を見合わせて笑う。

「ほんと俺って遠くへ行かないから全然知らないんですよね」
「まあ今は肉を焼きましょう。制限時間あるから目一杯食べますよ」

当たり前だ。
本当に二俣川に来てから、さもしい飯しか食っていないのだ。
親の仇とばかり食いまくってやる。
いや…、そもそも仲良かった記憶すらねえだろ……。

どちらにしたって、これからこのまま川越へ戻るんだ。
エネルギーをマックスまでヒコバンバンで補充するつもり。

それにしても変わった店名だよな。
ヒコバンバ……、確かそんな歌手いたろ?
いや、違う。
小学生の頃テレビで観た「ザ・ベストテン」のばんばひろふみだ。
彼の唄うもので記憶に残っているのが『SACHIKO』。

以前新宿クレッシェンドを世界で一番泣きたい小説へ薦めてくれたちゃちと川越でデートした時、本名を幸子と聞きすぐこの歌を思い出した。

彼女にその歌を言うと、自分の名前を使われた曲なのに知らなく驚いていたっけ。

2007/01/18 川越モナコプリント俱楽部 ちゃち

当時俺はその曲をパソコンから聴かせてみる。

「へえ、何だかいい曲なんだね。何か嬉しいなあ……」

あまりにもちゃちのはにかんだ表情が可愛過ぎて、俺は彼女へキスをしていた。

「もう…、どさくさに紛れてー…。智さんはどうしょうもない男だ」

あー、思い出したら、何だかちゃちと猛烈に会いたくなってきたな……。

「岩上さん、肉焦げてますって! ちゃんと食べないと追加料金取られるんで勘弁して下さいよ!」

金銭に余裕の無い石川の悲鳴に近い叫びで現実へ戻る。
俺は炭のように黒焦げの肉を口へ放り込み、ご飯を掻き込んだ。

四十五号線と表示された道路をひたすら走る。

「岩上さん、このまま関内駅まで行きます? それとも横浜駅まで行きましょうか? 一旦このまま川越帰るんですよね?」

「く……」
「え?」

「食い過ぎで苦しい……」
「食べ過ぎですよ、あれは」

一旦車を停め、小休止を挟む石川。

外へ出てセブンスターへ火をつける。
焼肉のあとの一服は最高だ。
夜風が頬を優しく撫でる。

「お陰様で、一週間以上食いだめしました」

「岩上さん…、人間の胃袋急にそんな大きくなりませんから……」

二本目のタバコに火をつけた。
幾分落ち着く胃袋。

「じゃあ石川さん、申し訳ないけど横浜駅までいいですか?」
「もちろん! そろそろ出発しますか」

「今日は本当にありがとうございました! そしてご馳走様です。本当に美味しかったです」

「あんな店で申し訳なかったです」
「何言ってんですか。その心意気が十倍になって旨さが増したの気付いていないんですか」

「ははは、やっぱり岩上さんは早く小説を書いたほうがいい」

「まだ無理ですよ…。時期が来ていない……」

見覚えのある風景が見えてくる。
日ノ出町駅周辺。

このまま真っ直ぐ行けば桜木町駅。
この辺になれば、俺の庭みたいなもんだ。

広い横浜市での一部分。
庭と言っても俺のはまるで箱庭だな……。

「あーっ!」

桜木町駅へ差し掛かる手前で、大事な事を思い出す。

「どうしました、岩上さん?」

「いや…、何でもないです……」
「いやいや気になるじゃないですか。ちゃんと言って下さいよ」

「……」

俺はポケットからタバコを取り出し口へ加える。

「あー! 岩上さん、禁煙禁煙!」

慌ててライターの火を消す。
日頃の習慣というものは本当に恐ろしい。

「すみません、ついうっかりしてしまい……」

「どうしたんですか?」

箱へセブンスターを戻し、ポケットへしまう。

「あのですね…。今から二俣川へ戻れって言ったら、怒ります?」
「え、何故?」

「いや、あの…、ほら…、うち小鳥たちいるじゃないですか…。川越このまま行ったら、数日は帰らないと思うんです。あいつらの餌を多めに置いていくの、すっかり忘れてしまって……」

「……」

石川は無言のまま口を開かない。
さすがに気分悪くなるよな……。

「すみません、石川さん……、うわっ!」
彼はUターンできそうな広めの駐車場へ突然入り、車を反転させる。

「そりゃあ戻んなきゃ駄目でしょ」

「……。すみません…、石川さん……」

「水臭い事言わんで下さいよ」
「今日ぐらいは向こうで一緒にいます。川越に顔出すのは明日からでもいいし」

「まあ何でもいいですよ。ちょっと飛ばしますからね」

石川はアクセルをベタ踏みした。
因縁の二俣川へ再び舞い戻る俺。

途中で車を停めてもらい、缶コーヒーを買って渡す。

「温かいので良かったでしたか?」
「お気遣いありがとうございます」

クソアパートへ続く細道の手前まで来て、車は停車する。

「石川さん…、今日は本当にありがとうございました。そしてご馳走様でした」
「こちらこそご馳走様です。せっかく今日ぐらい全部奢りたかったのに、最後でイタチッペ食らいましたよ」

自然とお互い手を差し出し、ガッチリと握手を交わす。
俺たちは顔を見合わせて、大笑いして別れた。

またいつかゆっくり酒を一緒に飲みたいな。
ジョーンコルトレインのマイフェイバリットシングスが静かに掛かったシックなジャズバーで……。

その時は死ぬほどグレンリベットをご馳走しよう。
車が消えるまで俺は寒い夜空の中立ったまま見送る。

さて、我が愛しのカワイ子ちゃんたちの顔を見に戻るとするか。
今日はこの余韻を感じながら、マゲたちと一緒に寝よう。

マゲ一家の餌と水を二日分大目に置く。

石川雅之…、彼の存在は俺にとってまさしく横浜の良心そのものである。

時刻を見ると十一時十一分だった。
十一月十一日のすべてがゾロ目の瞬間。

これは何歳になっても永遠に忘れられない日となってしまったものだ。

ロフトのサビた鉄柵を眺める。

不思議なものだ。
あれほど嫌悪感を覚えたロフトも、今となってはどうでもよくなっていた。


闇 379(二俣川最後の日編)




ここから先は

0字

メンバーシップ ¥ 100 /月

闇シリーズを守る為。内容やアイデアだけパクられるのを防ぐ為。

闇シリーズ(メンバーシップ)

募集終了

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?