『裏技くんがゆく ― ケンプリッチ大学特別講義 ―』
数字は追える。でも、信頼は待つしかない。
夕方の文芸サークル室。
エアコンの風が止まり、外の蝉の声が透けて聞こえる。
白いボードにはチョークの粉がまだ浮かんでいた。
そこに書かれた文字――「特別講師:Professor Irony」。
名前の響きだけで、頭が良さそうだった。
裏技くん:「ほんとに来るんですか? そんなすごい人が」
王道さん:「ああ。SNSではフォロワー30万、YouTube登録者20万。著書も10冊ある」
裏技くん:「(小声で)……俺、フォロワー19人、YouTube4人なんですけど……」
王道さん:「大丈夫だ。君には風鈴がある」
裏技くん:「……どういう意味ですか?」
ドアが静かに開いた。
黒いスーツにグレーのネクタイ、目尻にユーモアを宿した英国紳士が入ってくる。
Professor Irony――皮肉教授の登場だ。
「Good evening, everyone. Or should I say… happy engagement hour?」
教室が一瞬だけ静まり返り、
そして、誰かが吹き出した。
裏技くんは慌ててノートを開き、タイトル欄にこう書いた。
「講義テーマ:インプレッションと魂の乖離」
教授はホワイトボードに数字を書き出した。
100,000 views
10,000 likes
0 trust
「This, my dear students, is what we call modern tragedy.」
(これこそ現代の悲劇です)
裏技くん:「……信頼がゼロってことですか?」
教授:「Exactly. You can buy attention, but never affection.」
(そのとおり。注目は買えても、愛情は買えない。)
少し間を置いて、裏技くんが手を上げた。
「先生、いいですか?」
教授:「もちろん。Speak your honesty.」
裏技くんは息を整えて言った。
「どんな“スキ”でも、もらえるとやっぱり嬉しいんです。
本気のスキでも、相互のスキでも、スキ1000って見えると“すごいな”って思っちゃう。
フォロワーが増えると、少し誇らしくて。
“信頼じゃない”って分かってても……嬉しいんです。
それって、おかしいことですか?」
教室が静まった。
教授はゆっくり頷き、微笑んだ。
「Not at all, my boy. It means you’re still human.」
(おかしくなんかない。君がまだ“人間”だからだよ。)
王道さんが続けた。
「“スキ”は虚構かもしれない。でも、そこに“心の反応”があるなら、意味はある。
ただし、それを『信頼』と勘違いした瞬間、言葉は浅くなる。」
教授:「Likes are the surface, but trust—trust is a depth no number can reach.」
(スキは表面だ。信頼は、数字では測れない深さにある。)
外で、ひとつだけ風鈴の音が鳴った。澄んだその響きが、教室の空気を優しく揺らした。
裏技くんはペンを持ったまま、少し笑った。
「……なるほど。僕、まだ浅瀬でバシャバシャしてるんですね。」
王道さん:「それでいい。深みに潜るには、息を長くしないとね。」
教室に柔らかな笑いが広がった。
教授:「In Japan, you say shinrai?
Beautiful word. Like tea—it takes time to steep.」
(日本では“信頼”というのか。いい言葉だ。紅茶のように、ゆっくり時間をかけて染みていく。)
Professor Irony:「Before you chase followers, make sure you’re not losing yourself.
Because the only algorithm that never lies… is your conscience.」
王道さん:「……まったく、あの人は最後まで皮肉だな」
裏技くんは小さくうなずき、ノートに数式を書き足した。
0 trust + time × honesty = forever
王道さんがその式を見て微笑む。
「いいね。それが君の次のレポートタイトルだ」
教室の窓の外で、再び風鈴が鳴った。
その音はまるで、“数字では測れない信頼”のように、静かに、確かに響いていた。
英国の風が、日本の夏を一瞬だけ揺らした。
✳️ エピローグ
夜。
サークル室の灯りが落ちたあと、モニターの残光が机を照らしていた。
王道さんの置き忘れたノートが一冊、そこにあった。
表紙をめくると、黒インクでこう書かれていた。
「信頼とは、数字の外側で続いている時間のこと。」
その文字を見つめながら、裏技くんは小さく笑った。
画面を閉じ、深呼吸をした。
翌朝、彼はいつもの喫茶店で、
“売れる記事”ではなく、“残る言葉”を書き始めた。
タイトルは短く――『風鈴の鳴る場所で』。
朝の光がカップの縁を照らした。
風がカラン、とドアベルを鳴らした。
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