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「ドクター・ドリトル」(1998年版)を観たかめちゃん 〜助けて、心を通わせる物語〜 【感想】

どうも、かめちゃんと申します🐢

ノー残業デーと聞いていたのに、いざ蓋を開けたら普通に残業してたって話。
おかげで、ずっと痛いままの肩について、病院に行って診てもらうこともできず。

トホホ、帰って自宅のドアを開けます。
せめて、今日はこっちのお医者さんに診てもらいましょう。

ドクター・ドリトル

今夜はお医者さんが登場する映画の感想です。
それでは、よろしくお願いします🙇

▼過去の感想noteはこちら▼


概要

幼い頃は動物と会話ができたが、そのことを忘れて大人になったサンフランシスコの医師。ある日、ひょんなことからその能力が復活。すると悩める動物たちが助けを求めて次々とやってきて...。

Netflix あらすじより引用

本作は1998年に公開された映画です。
原作は「ドリトル先生」という児童書ですが、本作では名前と"動物と会話が出来る医師"という設定を引き継いだオリジナルストーリーとのこと。

エディ・マーフィーが主演。彼の日本語吹き替えといえば山寺宏一さんが代表的ですが、Netflixで配信されている劇場公開版では江原正士さんが担当されています。


感想

助ける、物語

本作は、86分という短めの尺の中で、ファンタジー的設定。ギャグテイストのセリフも多く、コメディとして観やすい作品です。
しかし、全体的な印象としては、子ども向け作品というよりは、子どもも観れる映画という形で構成されたものという印象でした。

本作の表面的なテーマとしては「助ける」物語というのがあります。

それは、ドリトルが医師であるという土台があり、もともと人を助ける仕事をしているということがあります。

ここでの、「助ける」ということは狭義には治療するというニュアンスです。ただし、そこに心は介在しません。つまり、作業的に症状を取り除くことを指していると言えます。

しかし、ドリトルは動物を助けるようになったことで、原初の動機に立ち返ることができました。
相手に向き合い、親身になって約束し、それを果たそうとする。作業ではない、心が通い合ってこそ「助ける」ことができるということなのです。

そして、それはドリトルにとって非常に達成感があるものでした。医師としての本質や情熱を取り戻すことができたのです。
つまり本作は、「助ける」ということを通して、ドリトル自身が1人の人間として成長し、「助かる」物語とも言えます。

心を通わせる、物語

そして、この「助ける/助かる」ための大きな役割を果たしたのが"言語"でした。

ドリトルは動物とコミュニケーションを図るための言語を手に入れました。
彼だけの特別な力です。

しかし、本作における"動物と会話が出来る"というのは、あくまで象徴でしかありません。
動物、という部分については、自分と違う他者という存在を代入しても成り立つし、むしろ本作が訴えているのはそこなのだろうと思うのです。

人と人とがコミュニケーションを取るためには、"言語"が非常に大きな役割を果たします。
外国に行って不安になるのは、言語が通じないからであり、大きな壁になるのです。
実際、僕は一度、香港に旅行に行きましたが、言葉が伝わらないという経験から当分海外は行きたくないやと思っていたりもします。

しかし、これは必ずしも言語だけの話でもありません。
例えば「コーダ あいのうた」で表現されていたような障害の有無や、「グリーンブック」ど描かれた人種の違いなど。
自分と違うという存在は、共通点が少なければ少ないほど、コミュニケーションの壁が立ちはだかるのです。

ドリトルが「助かる」ことができたのは、"動物と会話が出来た"からではありません。動物のことをわかろうとしたからです。
娘に対しても同じです。彼女のことをわかろうとしました。

わかろうとするということは、わかった気になることとは違います。
相手の目線に合わせるということ。自分の目線に相手を連れて行くのではないのです。

しかし、これは意外と難しいということを大人であればご存知かもしれません。
得体の知れない相手と目線を合わせるということは、自分の懐に相手も近づいてくるということだからです。傷つくリスクも跳ね上がります。それは物理的かも知れないし、精神的にかもしれませんが、リスクはあるのです。

そのリスクを承知で相手の目線に合わせるということ、これは相手を"信頼すること"に他なりません。
逆に言えば、たとえ言語が同じであっても、これがなければ目線を合わせて心を通わせることはできませんね。
職場で呼吸が合わない同僚とのコミュニケーションを思い返し、少しハッとする僕自身も居たとか居なかったとか...笑

本作では、まさにドリトルが動物と話せるということを誰も信用しませんでした。皆がドリトルを精神疾患であると決めつけ、彼自身の言葉に耳を傾けなかったのです。
これは、彼に対して誰も目線を合わせなかった結果とも言えるでしょう。

しかし、最終盤の手術シーンになると状況が変わります。ドリトルの妻が虎の手を取ったのです。
彼女は虎と心を通わせたのではありません。この行動によって、彼女はドリトルの信じている世界を信じ、それによって目線を合わせてることができたのだと言えます。


さいごに

遅い時間に見始めても86分だと、その日のうちにnoteが書き上がるなんていい感じです。

今回は新たに何かの知見を得たというよりは、過去の別作品で考えたことを思い返したという映画になったように思います。
コメディを見ようと思ったら、意外と人生と接続できるのは映画の凄いところですね。

しかし、映画の難点も伝えておかなければなりません。それは、同じ姿勢を続けると身体に負担がかかる場合があるということ。
寝転がって映画を観ていたばかりに、観終わった後に動こうとすると、肩が痛み始めたので、適度に体勢は調整しながら観るのが良いでしょう。笑
流石に、ドリトル先生は動物患者で手一杯で、こっちの世界に来れるほど暇じゃないでしょうからね。

週末に別の作品見る時のセルフケアを考えておこうと思います。
次はきっとその作品の感想で、肩のことを書いていることでしょう...
また次のnoteでお会いしましょう。それでは!

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