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私が東京に出ようと決めた日

夏休み、子どもたちを連れて実家に帰っている。

庭ではプール。セミの抜け殻を探し、トンボを追いかける。家の中を走り回っても、誰にも怒られない。普段、都心のマンションで暮らしている5歳の双子たちにとって、ここはちょっとした楽園らしい。

そんな子どもたちを眺めていたら、ふと思った。
私は、この街を出るのに、ずいぶん時間がかかった。


最初に家を出たのは19歳

大学進学をきっかけに、初めて実家を離れることになった。
……と言っても、19歳になったからといって、すぐに一人暮らしをさせてもらえたわけではない。

親からは、「大学へは家から通いなさい」と言われた。大学は、実家から通えないほど遠いわけではなかった。
だから最初の1年間は、実家から大学へ通った。

でも、やっぱり一人暮らしがしたかった。
そこで、アルバイトを始めた。
1年間、せっせと働いてお金を貯めた。

そして翌年、大学のある地方都市へ引っ越した。
初めての一人暮らし。
自分で稼いだお金で、自分の生活を作る。
19歳の私にとっては、それだけでちょっとした冒険だった。

28歳まで、東京は遠かった

大学を卒業してからも、大学のある地方都市で就職した。東京で働くことは、まだ自分とは関係のない世界だった。

東京には、もっと優秀な人がいる。
自分の力が東京で通用するなんて、思ってもみなかった。だから、最初の就職先を選ぶときも、東京には行かなかった。

ところが、社会人になって5年ほど経った頃、少しずつ気持ちが変わってきた。

「あれ、私もやれるんじゃない?」

仕事は面白かった。
大きなプロジェクトのリーダーも、いくつか経験した。

特に、上京する前年に担当したプロジェクトは、自分の中で大きな転機になった。

最初は、一つの提案だった。
それが採用されると、あれよあれよという間に大きなプロジェクトになった。

社内の関係者は十数人。クライアントも複数社。
そして、東京の本社も巻き込むことになった。

想定外のことも起きた。トラブルもあった。
それでも、一つずつ問題を解決して、なんとかプロジェクトを大成功に終えることができた。

そのとき、一緒に仕事をしていた本社の部長が言った。
「これを君がまとめあげたのか。すごいな」

その言葉が、心に残った。

それまで私は、東京の本社で働く人たちは、自分よりずっと遠いところにいる人たちだと思っていた。
でも、一緒に仕事をしてみたら、普通に話ができる。一緒にプロジェクトを進められる。
そして、最後には「すごいな」と言ってもらえた。

そこで初めて思った。
「あれ。私、東京でもやっていけるんじゃない?」

もっと広い世界を見てみたい

そう思うようになると、今度は欲が出てきた。
5年間働いて、もともとやりたかった仕事は、だいたいやり尽くした感覚があった。大きなプロジェクトも経験した。
これ以上面白い仕事は、そうそう来ないんじゃないか。

だったら。
もっと広い世界を見てみたい。
もっと面白い世界を見てみたい。

そんなことを考えていたとき、東京にある本社で社内公募が出た。仕事内容を見て、私は思った。
「これ、私のためのポジションじゃない?」

学生時代に培った統計の知識。
社会人になって身につけたプロジェクトマネジメントのスキル。

それまで積み重ねてきたものが、ちょうど活かせそうな仕事だった。

チャレンジングなポジションだった。
でも、迷いはなかった。

手を挙げた。
そして、採用された。

母が東京の部屋を整えてくれた

東京へ引っ越す日。母が来てくれた。
近所の100円ショップに一緒に行って、生活に必要なものをいろいろ買いそろえた。

「これがあったほうがいいんじゃない?」
と言いながら、私が少しでも暮らしやすいように、家の中を整えてくれた。

私の東京行きを、「頑張りが認められたんだね」と応援してくれた。でも、どこか寂しそうだった。

19歳のときは、親に「大学には家から通いなさい」と言われた。
28歳になった私は、自分で行き先を決めて、自分で東京へ行こうとしている。

同じ「家を出る」でも、ずいぶん違う。

東京でも、やっていけるかもしれない

東京での初仕事。
先輩のサポートを受けながらではあったけれど、受注につなげることができた。

そのとき、また思った。
「私、東京でもやっていけるかもしれない」

大きなプロジェクトを任されて。
東京の本社の人たちと仕事をして。
その仕事を評価してもらって。
そして実際に東京に来て、最初の仕事でも成果を出せた。

少しずつ、少しずつ。
「できるかもしれない」が積み重なっていった。

28歳の私が、今の私を見たら

28歳の私は、将来のキャリアプランなんて、そんなに明確には考えていなかった。「東京で成功するぞ」と意気込んでいたわけでもない。

ただ、もっと面白い仕事がしたかった。
もっと広い世界を見てみたかった。
それだけだった。

だから、今の私を28歳の私に見せたら、きっと腰を抜かす。

東京に出て。転職して。誰もが知っている企業で管理職をしながら、双子を育てている。

「え、私が?」
たぶん、そう言うと思う。

出ていくことと、帰ってくること

19歳の私は、この街を出たかった。
28歳の私は、もっと遠くへ行きたかった。
そして41歳の私は、子どもたちを連れて、この街に帰ってきている。

今、子どもたちは庭を走り回っている。
そんな姿を見ながら、思う。

あの頃の私が見たかった「もっと広い世界」は、ちゃんと私の人生の中に広がっていった。
そして、広い世界を見に行ったからこそ、帰ってきたいと思える場所があることにも気づいた。

19歳のときも。28歳のときも。
私は、その先に何があるのかなんて知らなかった。
ただ、そのとき「面白そう」と思った方向に進んできた。

人生って、案外そんなものなのかもしれない。
出ていくことと、帰ってくること。
そのどちらも経験できたことを、今はちょっと嬉しく思っている。

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▼自分が実家を出るハードルが高かったからこそ、子どもたちには様々なチャンスを与えてあげたい


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