支援員として学校に入った私が、たった数日で立ち止まった理由(回顧録)
3,4年前にこのnoteに書いた内容を振り返ってみました。
当時は書くだけで精一杯で、今までそこにはあまり触れないようにしていました。たぶんトラウマになっていたのかもしれません。
ですが、あえて書いてみたいと思いました。
支援員として学校に入ったとき、
私は「子どもの力になりたい」と本気で思っていました。
でも、たった数日で、
その気持ちだけでは立っていられない現実にぶつかりました。
これは、
うまくいかなかった私の話であり、
それでも無駄ではなかった数日間の記録です。
「支援したい」という気持ちで現場に入った
学校に入る前、私は思っていました。
・困っている子に寄り添いたい
・少しでも安心できる時間を増やしたい
・大人の都合ではなく、子どもを見る支援をしたい
たぶん、間違ったことは考えていなかったと思います。
けれど、現場には
現場の論理と、守らなければならない秩序がありました。
「それは支援じゃない」と言われたとき
子どもへの声かけや関わり方について、
私は何度か注意を受けました。
「それは甘やかしになる」
「今はそこまで配慮しない」
頭では理解しようとしました。
でも、心の中は正直、こんがらがっていました。
__支援って、なんだろう。
__寄り添うことじゃなかったのかな。
ここまで読んで、
同じようにモヤっとしたことがある人は、
きっと少なくないと思います。
子どもたちの「怒られない動き」が気になった
現場で見た子どもたちは、
とても”よくできた行動”をしていました。
静かにする。
指示を待つ。
目立たないようにする。
でもそれが、
安心している姿なのか、怒られないための姿なのか
私にはわからなくなりました。
そして、ふと考えました。
__もしかして、私の方がズレているのかもしれない。
支援員として、私は未熟だった
最終的にたどり着いた答えは、
とてもシンプルでした。
私は、
支援員としてまだ未熟だった。
理想も、思いも、
現場を変えられるほどの力にはなっていませんでした。
それは悔しかったし、
正直、かなり落ち込みました。
でも同時に、
この数日がなかったら、
私はずっと「わかったつもり」でいたと思います。
それでも、この経験を書いて残した理由
この文章は、
誰かを批評するためのものではありません。
ただ、
「支援ってなんだろう」
「正しさって誰が決めるんだろう」
そう立ち止まった記録です。
もしこの文章が、
「自分だけじゃなかった」
「考えていいんだ」と思えるきっかけになっていたら、
スキを
「読んだよ」「わかるよ」の合図として、
そっと押してもらえたら嬉しいです。
今回書いた回顧録の元の記事です。
当時はnoteを始めたばかりで読みにくい部分もあるかもしれません。
もしよろしければご覧ください🍀
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