『さよならの向こう側』第15回 光の向こうに・前編 #創作大賞2025 #恋愛小説部門
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静かな朝だった。
細く開けた窓から、風にのって鶯の声が届いてきた。
エスプレッソマシンの音を聞きながら、わたしは送られてきた大きく厚い封筒の中身をテーブルに広げていた。
彼の側だけ埋まった婚姻届、過去の夫婦名義での財産資料。
「……今さら送りつけてくるなんて」
思わず声に出して言うと、ため息がでた。
彼の財産半分。
現実感のない金額。
元妻への未練だけで、簡単に渡せる金額じゃないことは理解できる。
毎朝眠い目をこすりながら起きて、時間に追われてあくせく働く毎日から解放されるんだろう――なんの不自由もなく、以前望んだ暮らしができるだろう。
熱気にあてられて、正常な判断ができなくなる人だって、いるだろう。
ただ、妄想はそこまでだ。
わたしの心が欲しいものは、もうこれじゃない。
気づけばカップから立ちのぼる湯気も止まっていた。
以前、孝輔が彼に会ったときに何を言われたか、だいたい想像がつく。えげつないことも突き付けられたんだろう。
由紀夫はそういう人間だ。
孝輔はそれをわたしに気取られないように、守ってくれようとしたんだ、きっと――
ばか。
わたしに誤解されても言い訳ひとつもしないで、ごめん⋯なんて言って俯いて。
でも、そういうひた向きさが、一番わたしの心に響くことも、彼はきっと知ってのうえでだろう。
それでもいい。
忘れたくても、過去はすぐ隣にある。
時には、書類の山となってわたしに立ちはだかる。
ずっと見ないふりをしていたのは、私のほうかもしれない。
昼下がり、近所の商店街。
「ほら、急がないと。お父さん待ってるよ」
「わかってるよ……別にそんな、会いたくないし」
晴美はぶっきらぼうに言った。だが、その手には大切そうに書類が挟まれていた。
「それ、封筒に入れてくれてありがとう」
「……別に。誰かに見られたらやだし」
明日香は少しだけ口元を緩める。返す言葉を探していると、晴美がふいに立ち止まった。
「……あのさ、あれ、なんで返さなかったの」
「え?」
「封筒。パパに返せばよかったじゃん」
明日香は少し黙ってから答えた。
「…ちゃんと…伝えたかったのよ、あなたに」
それが、今の自分の精一杯だった。
翌朝、オフィスで。
クライアント社内で、わたしたちの英語プレゼンが選考を通過したとのメールが届いた。
「……通った……?」
思わず声が漏れる。隣でコーヒーを淹れていた岸田が、マグカップを手に目を見開いた。
「え、リァリー? おめでとうございます!」
明日香は少しだけ照れながら、
「そこはCongrasじゃなくて?」と答えた。
岸田は相変わらずの軽口で言う。
「ほらね、最初に僕が言ったとおりでしょ。伸びしろモンスターですよ」
冗談交じりの言葉に、思わず笑ってしまう。
少しずつ、何かが変わっている。たとえ昨日の過去に縛られていても、今日の自分はまた違う景色を見ている。
スマホの画面が震える。
『大野由紀夫』——
彼の名前が、そこにあった。
(つづく)
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※このお話はフィクションです。登場するお店のメニュー、営業時間などは事実と異なる場合があります。
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