沖縄だけが、日本に犠牲にされたのだろうか(後編)──「基地70%」という物語をほどいてみる
世の中おかしい Vol.20
前編では、沖縄戦や歴史を「日本に一方的に虐げられた物語」へ単純化することへの疑問を書いた。
後編では、現代の基地問題を見る。
「70%」「差別」という強い言葉の向こうに、何があるのか。
そこをひもといてみたい。
切り取られた数字
戦後沖縄を語る際、最も象徴的に使われるのが「日本の基地の70%が沖縄に集中している」という言葉だ。
「何の70%なのか」が省略されている。
防衛省によれば、「2026年1月1日現在、全国の在日米軍専用施設・区域の面積の70.27%が沖縄県にある。」という。
日本にあるすべての軍事基地の70%ではない。
“米側が管理する在日米軍施設・区域(専用施設)の面積の70%”だ。

日本には自衛隊基地と米軍基地があり、自衛隊と米軍が共同使用する施設もある。この違いをすべて取り払って「沖縄には日本の基地の70%がある」と言えば、聞いた側には、日本中の軍事施設の大半が沖縄に押し込められているような印象が残る。
在日米軍の「専用施設」は、日本全体の自衛隊施設を含めた防衛施設面積の一部にすぎない。重複を避けて整理すると、米側が管理する施設・区域は日本全体の約19%になる。そのうち約70%が沖縄に集中している。
『70%』は間違っていないが、分母を隠せば実態とズレたイメージを与える。
しかし、沖縄の基地負担が重いことも事実である。
防衛省は、国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、在日米軍専用施設・区域の約70%が集中しており、県面積の約8%、沖縄本島の約14%を占めているとして、基地負担の軽減を政策課題にしている。
沖縄の基地負担は大きい。
しかし、「70%」という数字の使われ方には注意が必要だ。
この二つは、矛盾しない。
地政学のリアリティ
ここで、もう一つ考えなければならない。
米軍基地が沖縄に集中している理由は、本当に「沖縄だから押しつけてもいい」という差別だけで説明できるのだろうか。
沖縄は東シナ海に位置し、台湾に近い。朝鮮半島にも比較的近く、南西諸島のほぼ中央にある。日本の主要なシーレーンにも近い。
防衛省も、沖縄について、朝鮮半島や台湾海峡など潜在的な紛争地域に近い一方で一定の距離があり、南西諸島の中央に位置するという地理的特性から、安全保障上きわめて重要な場所だと説明している。
基地は、人口や面積に応じて47都道府県へ均等に割り振るような施設ではない。軍事施設である以上、どこに置けば機能するのかという地政学的な条件を無視することはできないからだ。
北海道に自衛隊基地が多い背景には、ロシアとの位置関係がある。
沖縄に米軍基地が多い背景にも、中国、台湾、朝鮮半島との位置関係がある。
つまり、沖縄への基地集中を考えるとき、負担の大きさだけでなく、なぜそこに置かれているのかという地理的・軍事的な理由も見なければならない。
「差別」という一言では説明できない80年の歴史
「日本政府は沖縄に基地を押しつけ、差別してきた」という話を聞くとき、もう一つ確認しておきたいのが、政府の沖縄振興政策だ。
沖縄は昭和47年(1972年)まで27年間、米国の施政権下に置かれていた。
本土復帰時には、道路、港湾、上下水道、医療、教育など多くの社会基盤で本土との格差があった。
そのため日本政府は、復帰後、沖縄独自の振興政策を続けてきた。これは最初から「基地の見返り金」として始まったわけではなく、本土との格差を是正することが大きな目的だった。
こうした歴史的経緯や、多くの離島を抱える地理的条件から、沖縄には他県にはない振興制度が設けられている。
では、沖縄は、国から受け取る金額でも全国で突出しているのだろうか。
1人当たりの国からの財政支援

この図表を見ると、2022年度の人口1人当たりの地方交付税と国庫支出金の合計は、沖縄県が全国平均を大きく上回っていることが分かる。
一方で、秋田、青森、鹿児島、岩手、北海道など、沖縄と同程度かそれ以上の水準にある道県もあり、財政移転全体で見れば、沖縄だけが突出した全国1位というわけではない。
ただし、中身を見ると沖縄には特徴がある。
地方交付税は全国22位にとどまるのに対し、国庫支出金は全国1位だ。
つまり沖縄は、一般的な地方交付税によって支えられているというより、沖縄振興予算や高率補助制度など、国の個別支援の比重が非常に高い県だということがわかる。
沖縄には基地負担がある。
同時に、国は復帰後半世紀以上にわたり、他県とは異なる振興制度を維持してきた。両者には関係する部分もあるが、同じものではない。
沖縄は、ずっと「本土に差別されてきた」のか
戦前の本土社会には、沖縄の言葉や生活文化を低く見る風潮があり、沖縄出身者が就職や結婚などで偏見を受けた例も指摘されている。
ただ、この時代の日本では、地方出身者そのものが都会で低く見られることも珍しくなかった。東北の訛りを笑う。鹿児島弁を田舎者の言葉として扱う。「田舎から出てきた人」と一段低く見る。
沖縄への偏見には沖縄固有の歴史もあるが、当時の沖縄に対する差別のすべてを、「本土日本人が沖縄人を別民族として差別していた」という一つの構図だけで説明するのも間違いだろう。
戦争が終わると、沖縄と本土の関係は大きく変わる。
沖縄は日本政府の統治下ではなくなり、27年間にわたって米国の施政権下に置かれた。
この時代、沖縄県民が向き合っていた相手は、日本政府だけではない。米軍による土地の接収、基地の拡大、軍人・軍属による事件や事故、米国統治機構との摩擦も続いた。
甲子園の土を持ち帰れなかった沖縄
沖縄が日本から切り離されていたことを象徴する出来事がある。
今では、甲子園で敗れた球児たちがグラウンドの土を持ち帰る姿は、夏の高校野球を象徴する光景になっている。
昭和33年(1958年)、沖縄代表として初めて夏の甲子園に出場した首里高校の選手たちも、初戦で敗れたあと、甲子園の土を持ち帰った。しかし、その土を沖縄へ持ち込むことは認められなかった。
米国の施政権下にあった沖縄は、植物防疫上、本土の土は持ち込めなかった。選手たちが持ち帰った甲子園の土は、那覇港で海に捨てられる。
同じ高校野球の大会に出場しながら、甲子園の土さえそのまま持ち帰ることができない。この出来事ほど、当時の沖縄が日本から切り離されていた現実を、わかりやすく伝えるものはない。
そしてこの話には、続きがある。甲子園の土を持ち帰れなかった首里高校の選手たちのことを知った日本航空の客室乗務員たちは、甲子園の小石を集め、沖縄へ届けた。
土は持ち込めなくても、石なら届けることができた。
その時に贈られた小石は今も、首里高校の「友愛の碑」に埋め込まれている。

海に捨てられた甲子園の土と、本土から届けられた甲子園の小石。
この二つの話を並べると、当時の沖縄と本土の関係は、「本土が沖縄を差別していた」という一言だけでは語れない。
そして、この時代の沖縄では、日本への復帰を求める運動も次第に大きくなっていった。


日の丸を掲げ、日本国憲法の下に戻ることを求め、本土復帰を願った沖縄の人々がいた。沖縄県民全員が同じ考えだったわけではないだろうが、本土復帰そのものが、沖縄側からも強く求められていたことは重要だ。
もし戦後の沖縄と日本の関係を、最初から最後まで「日本が沖縄を差別し、沖縄はそこから逃れようとしていた」という関係だけで描けば、この復帰運動を説明できない。
戦前には、沖縄に対する偏見があった。戦後は米国統治下に置かれ、沖縄県民は米軍や米国政府との摩擦を抱えた。その一方で、日本への本土復帰を求める運動が広がり、昭和47年の復帰後には、基地負担を残しながらも、日本政府による沖縄振興政策が続けられてきた。
「沖縄は今も日本に犠牲にされ続けている」と一直線につなげてしまうと、この80年間に何度も変化してきた沖縄と本土の関係が見えなくなる。
独立論と東アジアの安全保障
基地問題の議論を追っていると、「日本が沖縄を差別するのなら、沖縄は独立すればいい」という主張まで出てくる。
私はこの言葉が一番簡単に使われすぎているように感じる。
独立とは、中央政府に文句を言わなくて済むという話ではない。外交、防衛、国境警備、通貨、社会保障まで、一つの国家として自前で支えるということだ。
しかも、独立したからといって、沖縄が東アジアの厳しい安全保障環境から抜け出せるわけではない。
日本から離れたとしても、中国との地理的距離は変わらない。
領海を誰が守るのか。周辺国と誰が向き合うのか。現在、日本政府が担っている安全保障を、独立した沖縄は自ら引き受けなければならない。
リアリティを欠いた独立論は、問題を解決するどころか沖縄をより大きな危機へと追いやることになる。
基地反対運動は誰のためのものなのか
さらに、基地反対運動の現場では、簡体字やハングルで書かれたプラカードを見かける。米軍基地への抗議を海外へ発信することが目的なら、英語が使われるのは理解できる。
ではなぜ、日本国内の沖縄米軍基地問題をめぐる運動で、簡体字やハングルのメッセージが掲げられているのか。
その運動は誰のためのものなのだろう。
沖縄県民自身の意思なのか。日本国内の政治運動なのか。それとも、国境を越えた政治運動ともつながっているのか。
その実態は、もっと冷静に見るべきだろう。
尖閣をどう考えるのか
その現実を最も具体的に示しているのが、尖閣諸島だ。
沖縄県は、尖閣諸島を日本固有の領土とする政府と同じ立場を取っている。玉城デニー知事も、その認識自体は否定していない。
ただ、中国公船による領海侵入が続く中でも、玉城知事は中国との対立より交流や対話を重視してきた。2023年の訪中でも、尖閣問題について中国側に直接抗議しなかったことが県議会で問われている。
米軍基地には強く負担軽減を求める一方、尖閣周辺で中国公船の活動が続いても、中国政府には同じ強さで向き合っていない。沖縄の安全保障を語るのであれば、米軍基地だけではなく、中国との関係も同じように考えなければならないはずだ。
なぜ「沖縄だけが犠牲になった」という物語になったのか
ここまで見てくると、最初の疑問に戻る。
沖縄が大きな犠牲を払ったことは事実だ。
沖縄戦で多くの民間人が亡くなり、戦後27年間は米国の施政権下に置かれた。現在も米軍基地の負担は大きい。
しかし、日本の戦争被害は沖縄だけにあったわけではない。
そして沖縄戦でも、沖縄県民だけが戦ったわけではない。
戦争による犠牲の形は、地域によって違っていた。
それでも沖縄だけは、
「日本が沖縄を捨て石にした」
「本土が沖縄だけに基地を押しつけている」
「沖縄は今も日本に差別されている」
という一つの物語として語るひとがいる。
なぜ、沖縄ではこれらの出来事が一本の線につながり、「日本に犠牲にされ続けてきた」という物語になるのだろう。
基地反対運動をめぐる対立の中で、現実に人命まで失われている。
だからこそ、この物語を一度検証する必要があると思う。
誰かを「正義」、誰かを「悪」と決めてしまえば、話は簡単になる。
けれど歴史は、そんなに簡単ではない。
納沙布岬から見えたもの

私は高校生の時、納沙布岬から、海の向こうの北方領土を見たことがある。海の向こうには、いまも日本人が戻ることのできない島がある。
かつて、そこには日本人の暮らしがあった。
北海道で育った私にとって、それもまた戦争の記憶である。
私の大叔父は、沖縄戦で亡くなっている。会ったこともない人だが、祖父の家には軍服を着た遺影が飾られていた。
沖縄の悲劇だけを、日本のすべての悲劇を代表する物語にしてしまいたくないだけだ。
「県民の4人に1人が犠牲になった」という事実と、「沖縄だけが犠牲にされた」という物語は違う。
「在日米軍専用施設の70%が沖縄にある」という事実と、「日本の基地の70%が沖縄にある」というイメージも違う。
大事なのは、どちらの側に立つかを先に決めることではない。
政治的な正義や物語に流されるのではなく、事実と物語を一つひとつ分けることではないか。
沖縄の未来を決めるのは誰なのか
基地に賛成する人もいる。反対する人もいる。辺野古移設を受け入れる人もいれば、絶対に認められないという人もいる。
どちらが沖縄県民の本当の声なのかを、本土に住む私が決めることではない。それを決めることができるのは、沖縄県民自身だ。
ただ、その意思を示すための選挙を見ると、少し気になる数字がある。
沖縄県知事選挙の投票率は、2014年が64.13%、2018年が63.24%、そして2022年には57.92%まで下がった。前回は、有権者の4割以上が投票していない。
今回の沖縄県知事選挙は、2026年8月27日告示、9月13日投票で行われる。
基地問題は、沖縄だけの問題ではない。日本全体の安全保障にも関わっている。
ただ、私は沖縄県知事選に投票する権利を持っていない。
沖縄の基地負担をどう考えるのか。辺野古移設をどうするのか。そして、これからどんな沖縄をつくるのか。その意思を、まず選挙で示すことができるのは沖縄県民自身だ。
私は、「基地に賛成してほしい」とも「反対してほしい」とも言わない。
ただ、選挙には行ってほしいと思う。
日本全体に関わる安全保障の問題だからこそ、沖縄に暮らす人たち自身が、自分たちの未来について意思を示してほしい。
自分たちの未来を決める権利を、手放してはならない。
「世の中おかしい」シリーズ
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