大麻は、いつ「悪魔の植物」になったのか(後編)― 日本に持ち込まれた「ダメ。ゼッタイ。」
世の中おかしい Vol.18
神社のしめ縄に使われ、赤ん坊の名前にも刻まれていた植物が、いつの間にか「絶対悪」になった。
変わったのは植物ではなく、太平洋を渡ってきた一つの物語だった。
大麻は、悪いから禁止されたのか。禁止されたから、悪いものになったのか。時系列でひもといてみたい。
後編の前に、まずは前編からお読みください。
日本の麻に引かれた線
1948年、日本で大麻取締法が制定された。
それは、米政府が主張する大麻規制の根拠に異議を唱えた、ラガーディア報告(LaGuardia Committee Report, 1944)が発表されてから、わずか4年後のことだった。
敗戦後、日本を占領していたGHQは、大麻草を麻薬原料として規制の対象に加えるよう求めた。
なぜGHQは、大麻を規制しようとしたのか。
そこには、日本で大麻使用が社会問題になっていたから、という事情は見当たらない。
むしろ理由は、アメリカ側にあった。
その時期は、ハリー・アンスリンガーが権力の座にいた期間とも重なる。
前編で書いたように、アメリカではすでに、大麻はマリファナという名前で、危険な薬物として扱われていた。アンスリンガーによってつくられた恐怖の物語の背景には、メキシコ系移民や黒人への差別があった。
GHQは、日本で大麻がどのように使われてきたかを顧みることなく、そのまま、規制だけを持ち込んだ。アヘンやヘロイン、コカインなどと大麻を、同じ規制の対象として扱った。
メキシコ系移民や黒人への差別の中で形づくられた規制の論理が、占領という力を借りて、アジアの敗戦国・日本の暮らしと文化を塗り替えていく。
しかし、アメリカで「マリファナ」と呼ばれていたものと、日本で縄や布、神事に使われてきた「麻」は、社会の中での位置づけがまるで違っていた。
GHQにとっては、危険な薬物の原料となる植物だった。
日本人にとっては、生活と信仰を支えてきた作物だった。
このずれが、大麻取締法の出発点から存在していた。
ひとつの法律に残された矛盾
当時の日本には多数の麻農家がいた。
衣服や縄の原料として、麻はまだ産業の一部だった。
日本政府はGHQと交渉し、許可を受けた農家だけが栽培できる制度を残した。占領国アメリカが持ち込んだ規制と、日本に古くから存在した麻産業を、ひとつの法律の中で折り合わせたのだ。
そのため、法律には不思議な線引きが残った。
2024年に法律が改正されるまで、所持や栽培は禁じられていたが、使用そのものを処罰する「使用罪」はなかった。
花や葉は規制するが、成熟した茎や種は規制しない。
神社のしめ縄や横綱の綱には、伝統的に麻が使われる。
七味唐辛子には、麻の種が入っている。
植物全体が絶対的に危険だったのなら、なぜごく最近まで使用を規制してなかったのか、茎と種だけは許されたのか。
そこには、科学だけでなく、産業と政治の事情があった。
そしてそれは、日本社会の中から自然に生まれた規制ではなかった。
「吸う大麻」がやってきた
法律ができても、大麻で逮捕される日本人が出たわけではない。
生活用・神事用としての『麻』と、嗜好品としての『マリファナ(吸う大麻)』は、日本人にとって完全に別物だった。
それまでの日本には、大麻を嗜好品として吸う文化はなかった。
それが日本に入ってくるのは、1960年代以降だった。
警察庁によれば、日本で大麻吸煙が始まったのは昭和30年代後半、外国人の吸煙を模倣したことがきっかけだったという。
それは、アメリカのヒッピー文化や反戦運動、ロック音楽が流れ込んできた時代と重なる。
大麻を「なぜ」と問えた時代
それでも、一般社会に広く浸透していたわけではない。
佛教大学の山本奈生准教授が当時の雑誌を調べたところ、1960年代の日本で、マリファナはまだ表立って語られる対象ではなかった。
最初に大きく取り上げたのは、1970年の『平凡パンチ』だった。
『これがマリワナの幻想世界だ』(2月16日号)を皮切りに、
『マリワナ・パーティ体験ルポ これがトリップなのだ 幻想世界なのだ』(8月24日号)、
『マリワナ料理はいまや常識』(8月31日号)と立て続けに特集が組まれている。
いまなら問題になりそうな見出しだが、そこにあったのは一方的な断罪ではなかった。
本当にそれほど危険なのか。酒や覚醒剤と同じものなのか。法律の方がおかしいのではないか。少なくとも、問いは残されていた。
そして、1977年、井上陽水が大麻所持で逮捕される。
井上陽水のアルバム『氷の世界』は、1975年に日本初のミリオンセラーアルバムとなっている。大スターの逮捕は社会に衝撃を与えた。
大きなニュースになっていたことは、中学生だった私も覚えている。
懲役8か月、執行猶予2年の判決。一時的なレコード回収や放送自粛はあったものの、ほとぼりが冷めれば再販され、コンサート活動も復活している。
そして、この時はまだ、大麻について「なぜ」と問うことが許されていた。
当時の新聞や週刊誌では、「大麻は本当に悪なのか」という議論も行われていた。
井上陽水を逮捕した警視庁刑事のコメントも残っている。
「マリファナはひと握りの隠れた愛好家が吸っている程度で、覚せい剤犯と違って彼らは他の犯罪に走らず、社会に迷惑をかけてもおらず、暴力団の資金源にもなっていない……(中略)……大麻取締法は意外と重いと感じている。」
いまとは、かなり温度が違う。
「違法なのだから、議論する必要もない。」そんな空気ではなかった。
海を渡ってきた「正義」
空気が変わったのは、1980年代だった。
当時のアメリカは、コロンビアなどから流入するコカインの爆発的な蔓延によって社会が激しく揺らいでいた。
レーガン政権は、世界に向けて「麻薬との戦争」への協力を強く迫り始める。それは、事実上の「圧力」だった。

当時、ファーストレディーのナンシー・レーガンが掲げた言葉がある。
“Just Say No.” ただノーと言おう。

薬物ごとの危険性や、使用に至る背景を考えるより、すべてを拒絶する。
単純で、力強く、分かりやすい言葉だった。
建前と、街の空気
奇妙なのは、麻薬戦争を主導したアメリカ国内でも、大麻への対応は一枚岩ではなかったことだ。この時期のカリフォルニア州では、少量の大麻所持が事実上、非犯罪化されていた。1オンス以下の所持について禁錮刑はなく、最高100ドルの罰金に軽減されていた。
一方、連邦法上の分類では、大麻は長く「スケジュール1」に置かれてきた。建前としては、医学的価値がなく、乱用の危険性が高い薬物という扱いだ。法律上の建前と、街の空気は必ずしも一致していない。
この時代、長いあいだロサンゼルスに暮らしていた女性がいる。
女優でありシンガー、そして文豪ヘンリー・ミラーの最後の妻としても知られる、ホキ德田さんだ。

彼女が暮らしたのは、60年代から80年代のロサンゼルス。帰国後にやっていた六本木のピアノバーで当時の話をよく語ってくれた。

(六本木のピアノバー「北回帰線」にて)
※現在は閉店
「マリファナを吸って車を運転すると、どうしてもトロトロ運転になってしまう。交通の邪魔だからと警察に止められるけれど、警察はこちらが吸っていると気づいても『コーヒーでも飲んでから運転しろ!』と言うだけだった。」
これはホキさんだけの話ではない。1990年代から2010年代にかけて、アメリカやカナダへ留学していた複数の知人からも、似たような話を何度も聞いている。州や地域によっても扱いの差はあっただろうが、北米の街の空気は、日本でつくられた大麻のイメージとは大きく違っていた。
日本では、ひとつの箱へ
しかし、安全保障も経済もアメリカに依存する日本に、その外圧に抗う力はなかったのだろう。当時、日本国内に、大麻を覚醒剤やヘロインと同列に扱うほどの社会的な事情があったわけではない。
それでも日本は、アメリカが掲げる建前に、そのまま同調した。
1980年代後半に掲げられた「ダメ。ゼッタイ。」という標語は、その過剰な同調を象徴する言葉だった。

アメリカ国内でさえ、地域や時代によって扱いが分かれていたマリファナが、日本では、覚醒剤やヘロイン、コカインと同じ「薬物」の箱に入れられた。
性質も依存性もまったく異なるものが、海を渡ってきた「アメリカの正義」の物語に巻き込まれ、ひとつの「薬物」という箱にまとめて閉じ込められてしまう。
大麻が無害だというわけではない。依存や判断力の低下、若年からの頻回使用に伴う精神症状との関連、使用後の運転リスクなどはある。
しかし、危険だから大麻を禁止するというのなら、アルコールやタバコとの比較を避けることはできない。
依存、身体への害、使用者以外への影響、社会的な損失などを総合的に比較した研究では、アルコールは調査対象となった薬物の中で最も害が大きく、タバコも大麻を上回ると評価されている。
それでも社会は、アルコールやタバコを全面的に禁止してはいない。年齢制限や販売、使用場所などのルールを設け、規制しながら認めている。
一方、大麻は刑罰によって禁じられ、「絶対悪」として扱われてきた。
それなら、なぜアルコールやタバコは許され、大麻は禁じられているのか。
理由を問えなくなった
ダメなものは、ダメ。
理由を尋ねることさえ、どこか後ろめたい。
危険性を尋ねれば、使用を肯定していると思われる。
法律の妥当性を問えば、犯罪者を擁護していると思われる。
こうして大麻は、議論する対象ではなくなり、善悪の答えが、初めから決められた植物になった。
生きるために、法律を破った人
法律の矛盾は、生身の人間を追い詰めることがある。
2016年、ひとつの裁判が注目を集めた。
被告となった山本正光さんは、元フランス料理店のシェフだった。
肝臓がんを患い、やがて末期と診断された。
余命は半年から一年。使える治療法は限られていた。
山本さんは海外の情報を調べ、大麻ががんの改善に有効な可能性があると知った。そして、厚生労働省や農林水産省、法務省などに「大麻を医療目的で使うにはどうしたらよいか」と相談を繰り返す。
しかし、「日本では大麻自体や大麻由来の治療薬の使用は禁止されている」と断られた。製薬会社にも「私の体を医療用大麻の臨床試験に使ってほしい」と伝えたが、「日本国内での臨床試験は不可能だ」として断られた。
そこで山本さんは、自宅で大麻を栽培し、自ら使用した。
すると、痛みが和らいだほか、食欲が戻り抑鬱的だった気分も晴れた。
また、腫瘍マーカーの数値が20分の1に減り、改善の兆候が現れたという。それを示すカルテも残されている、
やがて、自宅で大麻を栽培していたことが発覚し、山本さんは大麻取締法違反で逮捕、起訴される。
法律を知らなかったわけではない。
違法だと分かったうえで、それでも生きるために選んだ。
裁判では、治療目的の大麻所持まで禁じる法律は、生存権を保障した憲法に反すると訴えた。
「育てた大麻は他人に販売も譲渡もしていない。現代医療に見放された中、自分の命を守るためにやむなく行った」
「生きたい。ほかに方法がなかった。あるなら教えてほしい」
それは、大麻を自由に吸わせてほしいという訴えではない。
生きるために試そうとした可能性を、法律によって奪わないでほしいという訴えだった。
その悲痛な声を残したまま、判決を待たずして山本さんは息を引き取った。
被告人の死亡によって裁判は打ち切られ、末期患者の治療まで禁じることの是非は、判断されないまま残された。
ほかに治療法がないと言われた人が、自分の命をつなぐ可能性を試すことまで、国家は犯罪として処罰すべきなのか。
法律は、社会と国民を守るためにある。
その法律が、生きようとする人間から最後の選択肢を奪うとき、それでも疑ってはいけないのだろうか。
開かれた扉と、新しく引かれた線
山本正光さんが亡くなってから8年。
2024年12月、日本でも大麻をめぐる法律が変わった。
承認された大麻由来医薬品の使用が可能になった一方、不正使用を処罰する「大麻使用罪」が新設された。医療には扉を開き、嗜好目的には新たな線を引く法改正だった。
その理由のひとつが、難治性てんかんの子どもたちだった。海外では、大麻草由来のCBDを使った「エピディオレックス」が、レノックス・ガストー症候群やドラベ症候群などの治療薬として承認されている。
ところが日本では、海外で医薬品として認められていても、「大麻草由来」というだけで患者に届けられなかった。
今回の改正は、その壁を一部取り払った。単純な緩和ではない。それでも、かつて大麻由来医薬品の使用を認めなかった法律が、その使用に道を少しだけ開き始めた。
禁止から、管理へ
前編の冒頭で述べたように、かつて日本に規制を求めたアメリカも、連邦法上の扱いを変え始めた。2026年現在、アメリカでは50州のうち24州が嗜好用大麻を合法化し、41州が本格的な医療用大麻制度を設けている。
その動きは、アメリカだけではない。ウルグアイとカナダは、国として嗜好用大麻を合法化した。ドイツとマルタでも、成人による所持や自家栽培が一定の範囲で認められている。
制度の形は国によって異なる。それでも、禁止し続けるのではなく、ルールを設けて管理する方向へ動いている。もし大麻が、ただ人を壊す「悪魔の植物」でしかないのなら、なぜこれらの国々は、禁止ではなく管理を選んだのだろうか。
しかし、アメリカの都合を導入した日本は、まだ本気で向き合っていない。
植物は、何も答えない
私たちは「麻薬」という文字を見ると、つい「麻(あさ)の薬」と読んでしまう。だから大麻と麻薬が、字面の上でも強く結びついて見える。
しかし、もともとの意味は少し違っていた。
「麻薬」の「麻」は、植物の麻ではない。しびれを意味する「麻」だ。
かつては、その意味を明確にするため、「痲薬」と書かれることもあった。
「痲薬」。
つまり、感覚を麻痺させる薬、しびれさせる薬という意味の言葉だった。
戦後、「痲」が当用漢字から外れ、表記は現在の「麻薬」に一本化される。
言葉の力は強い。いったん「麻薬」という枠組みで括られると、覚醒剤も、ヘロインも、コカインも、大麻も、すべて同じ暗い色を帯び始める。性質も、依存性も、身体への影響も異なるものが、たった一つの言葉の中でまとめて裁かれてしまう。
「麻薬」という文字そのものが、すでに小さな物語になっている。
名前が変えたもの
大麻は、何千年も前から地上に生えていた。
人間が縄をつくっていた時代にも。
神に捧げていた時代にも。
薬として使った時代にも。
犯罪として取り締まった時代になっても。
植物は、何も変わっていない。
変わったのは、それを見る人間の側だ。
麻と呼ぶか。
マリファナと呼ぶか。
薬と呼ぶか。
麻薬と呼ぶか。
文化と呼ぶか。
犯罪と呼ぶか。
私たちは、物の性質を見て判断しているつもりでいる。しかし実際には、先に貼られた「名前」を見て判断しているのではないだろうか。
単に「悪魔の植物」と切り捨てるのではなく、リスクと可能性の両方を並べたうえで、もう一度問い直す時期に来ているのではないか。
神社のしめ縄に使われ、赤ん坊の名前にも刻まれていた植物は、悪いから禁止されたのか。禁止されたから、悪いものになったのか。
少なくとも、その「順番」だけは、確かめておきたいと思う。
参考文献
○ヨハン・ハリ『麻薬と人間――100年の物語 薬物への認識を変える衝撃の真実』福井昌子訳
○佐久間裕美子『真面目にマリファナの話をしよう』
○弁護士ドットコムニュース「医療大麻裁判の山本正光さん死去、意識失うまで執針貫いた『礼儀正しき紳士』」2016年7月26日
○カリフォルニア州の1975年の非犯罪化:California Legislative Information
○アメリカの合法化州数:National Conference of State Legislatures
○日本の2024年改正:厚生労働省
○SCAPIN-130 “Control of Narcotic Products and Records in Japan”(1945年10月12日)
○『Drug harms in the UK: a multicriteria decision analysis』(2010)
○The Marihuana Problem in the City of New York
(LaGuardia Committee Report, 1944)https://rodneybarnett.net/PDF/Laguardia%20Report%201944.pdf
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