誰も反対しない会議がいちばん怖い
こんにちは、白石と申します。
新規事業の立ち上げを、キャリアのほとんどの時間で続けてきました。
働くなかで気づいたことはいくつもありますが、自分の行動を変えたものを一つ挙げるなら、これになります。
「会議で反対されなかった案ほど、そのあと動かない」
若い頃の私は、これに何度もやられました。最初は気のせいだと思っていました。ただ、同じことが繰り返されるので、ある時から意識して数えるようになりました。すると、はっきり傾向が出ました。紛糾した案は前に進み、静かに通った案は止まっています。
何故そうなるのかを考えていて、一つの結論に行き着きました。
会議で聞こえてくる賛成の言葉と、無関心の言葉は、全く同じ形をしています。だから私たちは、その二つを区別できないまま次に進んでいます。
今はこの構造がわかっているので、会議に持っていく前の段階で手を打てるようになりました。何に気づいて、どこを変えたのかを書きます。
反対された案のその後は不思議と進む
新規事業の案を会議に持っていくと、反応はだいたい三つに分かれます。
①強く反対される。
②細かい条件を詰められる。
③「良いと思います」と言われる。
このうち、持っていった側がいちばん安心するのは三つ目です。通ったということですから、その日は気分良く帰れます。若い頃の私が何度も味わったのは、その後でした。
続きません
決裁は下りているのに、関係する部署に話を持っていくと、誰に当たれば良いのかがはっきりしない。数週間後にもう一度議題に載せると「前回どういう話でしたっけ」という所から始まります。
もう一つ、後から振り返って兆候だったと思うものがあります。
質問が一つも出なかった会議です。
説明が完璧だったから質問が出ない、ということは、まずありません。説明が良ければ、むしろ細かいところを聞きたくなるはずです。質問がゼロだった会議は大抵、誰もその案を自分の事として聞いていません。質問は、関心の一番小さな単位だと思っています。それすら出てこなかった、ということです。
一方で、強く反対された案のほうは、何故か動きます。
反対した人が、その後も口を出してくるからです。ここの数字が甘い、この前提が違う、と言ってきます。うるさいのですが、そのたびに案は具体的になります。そして反論に答えるために、こちらも多くの準備や事前の連携などを行うようになります。
気がつくと、反対されたはずの案のほうが前に進んでいます。
これを何度か経験してから、私は会議での反応の受け取り方を入れ替えました。反対は歓迎すべきもので、賛成は疑うべきもの、という順序にしたのです。
ただ、何故そうなるのかは、しばらくわかりませんでした。
反対の手間と賛成の手軽さ
答えは、反対という行為にかかる手間のほうにありました。会議で反対するのは、面倒です。
まず、資料を読んでいないとできません。読んだうえで、何処がおかしいのかを言葉にして、その場で全員の前に出す必要があります。反対した以上、あとから問われる可能性もあります。的外れであれば、自分が恥をかきます。
これだけの手間を、人はどういう時に払うのか。
自分に関係がある時だけです。
その案が通ったら自分の仕事が増える。自分の部署の予算が削られる。自分が責任を負うことになる。そういう見通しがあるから、面倒を承知で口を開きます。つまり反対は、その人が当事者であることの証明です。そして反対には、表に出にくい費用がもう一つかかります。
人間関係です。
会議で反対するというのは、提案した人の目の前で、その人の考えを否定することです。どれだけ言い方を工夫しても、多少は角が立ちます。相手が年上であれば、尚更言いにくい。厄介なことに、この費用は相手と親しいほど高くなります。よく知っている人の案に、みんなの前で異を唱えるのは気が重い。次に会う時のことを考えてしまいます。
だから、親しい人ほど、内心では引っかかっていても黙ります。あとで個別に伝えればいい、と思ったまま、結局伝えないこともあります。親しさが、無関心と同じ見た目になってしまう。ここは私自身、若い頃に何度も経験しました。
立場の問題もあります。その場で一番経験の浅い人は、反対しにくい立場にいます。反対して的を外したときに失うものが、他の人より大きいからです。だから黙ります。
すると、関心はあるのに黙っている人と、関心がなくて黙っている人が、同じ沈黙に見えます。そして新規事業の現場で一番実務を知っているのは、大抵席次が下の方にいる人です。
ここまでは、反対したい気持ちが少しでもある人の話です。
案そのものに関係がない人は、そもそも反対しません。しても得がないからです。ではどうするかというと、賛成します。
賛成には、手間がかかりません。
うなずくだけで済みます。「良いと思います」と言うだけで済みます。資料を読んでいなくても言えますし、責任も発生しません。会議は早く終わりますし、場の空気も良くなります。
反対は高くつき、賛成はただです。この差が、会議で起きていることのほとんどを説明します。
以前、新規事業は応援されないと立ち上がらない、という話を書きました。今回の話は、その裏側にあたります。応援と賛成は違うものだ、という視点で読むと、二本が繋がると思います。
賛成と無関心の見分け
ここからが、本当に気づいたことです。
賛成の言葉と、無関心の言葉は、見分けがつきません。
心から良いと思って賛成している人も「良いと思います」と言います。中身を読んでおらず、早く終わってほしいと思っている人も「良いと思います」と言います。
出てくる音が、同じです。表情もあまり参考になりません。会議に慣れた人ほど、関心があるように見える顔を作れます。むしろ本気で考えている人のほうが、難しい顔で黙っていたりします。私はこれに気づくのが遅れました。
理由は単純で、賛成されると嬉しいからです。嬉しいものを疑うのは難しい。5人が賛成してくれた会議は、上手くいった会議に見えます。そのうえ、賛成の数は数えられます。5人のうち5人が賛成した、という事実は記録できます。一方で、そのうち何人が中身を読んでいたかは、記録できません。
数えられるものだけが残り、数えられないものは消えます。だから会議が終わったあと、手元には賛成が5という数字だけが残ります。その5がどういう5だったのかは、誰も知りません。
私が社外で新規事業の相談を受けるとき、最初のほうで聞くことの一つがこれです。
「その案に、社内で反対した人はいましたか」
「いません、みんな賛成でした」そう返ってくると、私は少し身構えます。
では、どうやって見分ければいいのか。
若い頃によくやってしまったのが、一人ずつ順番に意見を聞く、という方法です。これはあまり効きません。指名されて出てくる賛成も、自発的な賛成と同じ形をしているからです。その場を凌ぐための言葉が増えるだけになります。
今の私が使うのは"賛成では答えられない質問をする"という方法です。
この案でいちばん危ない所は何処だと思いますか。上手くいかないとしたら、原因は何になりそうですか。こう聞かれると「良いと思います」では答えになりません。中身を読んでいない人は、ここで詰まります。読んでいる人は、何かしら具体的な箇所を挙げます。
賛成か反対かを聞くのをやめて、中身を言わせる質問に変える。それだけで、見分けはかなりつくようになります。
自分の案への最初の反対者
ここまでは、聞く側をどう見るかという話です。
提案する側に回ると、同じ理屈が自分に跳ね返ってきます。反対が当事者であることの証明なのだとしたら、その案のいちばんの当事者は、持っていく本人です。だとすれば、その案に一番厳しい見方をしているのも本人でなければ、おかしい。
私がこれを学んでから変えたのは、資料を作り終えたあとの手順です。
書き上げた資料を、自分がこの案に反対する立場なら何処を突くか、という目でもう一度読みます。市場の見立てが甘いところ。前提が一つ崩れたら全部崩れるところ。誰がやるのかを曖昧にしたまま通そうとしているところ。
自分の案を、自分で俯瞰して、否定的に見る
やってみるとわかりますが、これが一番難しい作業です。自分の案は、自分が良いと思って作っているので、良く見えるようにできています。
それでも書き出します。そして会議では、その弱いところを先に自分から出します。隠しません。いちばん危ないのはここです、と言ってから説明に入ります。
こうすると、二つのことが同時に起きます。
一つは、案が良くなることです。突かれる前に自分で突いているので、質問が出たときには答えを持っています。もう一つが、本題です。
自分から柔らかいところを晒しているのに、それでも否定的な質問が一つも出てこない会議があります。私はこれがいちばん怖い。
弱点を先に置いたのですから、突こうと思えばいくらでも突けます。それでも誰も口を開かないというのは、案が強いからではありません。誰もその案を自分の事として聞いていないからです。
自分で弱点をさらすというのは、案を鍛えるためだけの作法ではありません。その会議の温度を測る方法として、いちばん確実なものでもあります。
議事録には残らないもの
この問題が厄介なのは、組織が自分の無関心に気づけない事です。
議事録を思い出してみてください。
反対意見は書かれます。誰がどういう懸念を示して、それに対してどう答えたか。議論があった部分は、記録として残ります。あとから読み返せます。
無関心は、書かれません
書きようがないからです。何も言わなかった人について、議事録に残す方法がありません。せいぜい、異論なし、という一行があるだけです。
そしてこの異論なしという言葉は、全員が納得したという意味にも、誰も関心を持たなかったという意味にも読めます。数か月後にその議事録を開いた人には、どちらだったのか判別できません。
つまり組織は、自分がどれだけ無関心だったかを、あとから知る手段を持っていません。これは記録の不備というより、記録という仕組みそのものの限界だと思います。発言は残せますが、沈黙は残せません。
最近は会議を録画することも増えました。文字起こしも自動で作れます。ただ、それで解決するかというと、しません。
残る情報が増えても、残るのは発言だけだからです。むしろ量が増えるぶん、何も言わなかった人の存在は、以前より埋もれやすくなっている気がします。沈黙は、記録の技術では拾えません。会議のやり方のほうを変えないと出てきません。
そして進まなかったプロジェクトの原因を探すときには、たいてい別のところを見ます。市場が悪かった。タイミングが早かった。担当者の力量が足りなかった。"最初の会議で誰も関心を持っていなかった"という可能性は、記録に残っていないので候補にすら上がりません。
決断と判断は違う、という話を以前に書いたことがあります。会議で起きているのは判断ですらなく、判断をしたことにする作業なのかもしれません。
引き受け手のいない全会一致
では、どうすればいいのか。
私が今やっているのは、会議の記録の書き方を変えることです。
賛成と反対を書くのを、やめます。代わりに、誰が何を引き受けたかだけを書きます。
ここで一つ、気をつけていることがあります。
引き受けるものの中身は、その部屋に誰が座っているかで変わります。
次の会議の前に、どの役員へ話を通しておくのか。それを誰がやるのか。隣の部門の責任者から、人なのか予算なのか、どの条件を引き出しておくのか。いつまでにどのくらい引き出すのか。
動かせる立場の人が、その人にしか動かせないものを引き受ける。上の会議で残す価値があるのは、これだけです。
書くのは、名前と、やることと、期日。この三つに絞ります。
書き方に一つコツがあります。
全員で、とか、チームで、と書かないことです。全員でというのは、誰も引き受けていないのと同じです。書くのなら個人の名前にします。名前が出てこないのであれば、その時点で引き受け手はいません。
これをやると、その会議の質がその場でわかります。
全員が賛成したのに、引き受け手が一人もいない。そういう会議が、実際にあります。そのとき記録に残るのは、賛成が5という数字ではなく、引き受け手が0という空白です。この空白は、言い訳ができません。全会一致に見えていたものが、全会無関心だったと、その場で見えてしまいます。
では、引き受け手がゼロだった時はどうするか。
案を捨てる必要はありません。私がやっているのは、その場で、これは今日決めない、と決めることです。
決めないと決めるのは、先送りとは違います。先送りは、決めたつもりのまま何も起きない状態です。決めないと決めれば、いま関心を持っている人がいない、という事実の方が残ります。次に持っていくときには、誰か一人に先に話を通してから出します。
引き受け手を一人作ってから会議に持ち込む。順番を入れ替えるだけで、会議の景色は変わります。
引き受け手が一人でもいれば、その案は動きます。逆に、どれだけ賛成されても、引き受け手がゼロなら動きません。賛成の数は、その案が進むかどうかを予測しません。引き受け手の数だけが予測します。
これは新規事業に限った話ではないと思っています。会議という形式を使っている組織であれば、何処でも同じことが起きているはずです。
私も、賛成されれば嬉しくはなります。そこは変わりません。ただ、嬉しいと思う前に引き受け手の数を数える。会議に入る前に、自分の案への一番厳しい反対意見を自分で用意しておく。この二つを手順にしてからは、静かに通った案に足を掬われることは、殆どなくなりました。
新規事業の現場で考えてきたことは、こちらにまとめています。
いかがだったでしょうか。
貴方の中に少しでも気づきを与えられていたら嬉しいです。
それでは。
