人はなぜ動かないのか。Substackを使って見えたSNS発信の限界
どうも、久我レイジです。
人って、本当に動かないなと思うことがあります。
いきなり少し冷たい言い方に聞こえるかもしれませんが、これは誰かを責めたいわけではありません。最近Substackを触りながら、ふと昔のclusterのことまで思い出してしまったんですよね。
今までXでどれだけ告知しても、ドラマへの流入が3%以上に上がることはほとんどありませんでした。
それが、Substackからは12.9%あった。
この数字を見た時、僕は少し驚きました。もちろん、これだけで何かを断定するつもりはありません。タイミングもあるでしょうし、投稿内容や、その時に見てくれた人の濃さも関係していると思います。
ただ、まだSubstackを始めて1か月も経っていない段階でこの数字が出たことは、僕の中ではかなり大きかったんです。
「読まれている」というより、そこからちゃんと動いてくれている感覚がある。
ここは、今のSNS発信を考えるうえで、無視できない部分なのではないかと思っています。
今、僕はSubstackにかなり力を入れています。
理由はわりとシンプルで、そこに「読まれている感覚」があるからです。
もちろん、まだ日本で大きく広がっているサービスではないと思います。Xやnoteに比べれば、使っている人も限られているでしょうし、UIも少し分かりにくいところがあります。「フォロー」と「購読」の違いで戸惑う人もいると思いますし、最初に触った時点で少し面倒に感じる人がいても、それはかなり自然なことだと思います。
それでも、実際に使ってみると分かるんです。
流れて消えていくSNSとは、少し違う。
ちゃんと届いた感じがある。
この感覚が、昔clusterに初めて触れた時と、どこか重なったんですよね。
SNSは見られているようで、読まれていない

今のSNSって、みんなスルースキルがものすごく高くなっていますよね。
情報が多すぎるし、告知も多い。誰かの意見や怒りや宣伝が、毎日のように流れてくる。そうなると、人は自然に見なくなります。
目には入っているけれど、読んではいない。
これは僕も同じです。タイムラインに流れてきたものを全部ちゃんと読むなんて、もう現実的には無理があります。
だから今のSNSは、どうしても反応が限定的になりやすい。いつも見てくれる人には届くし、近い距離の人とはつながれる。でも、その外側に広がっていく力は、昔より弱くなっているように感じます。
良くも悪くも、身内感が強くなるんですよね。
もちろん、それが全部悪いとは思っていません。
近くで見てくれる人がいることは、創作を続けるうえでかなり大きいです。僕も何度も助けられてきました。反応をくれる人がいるから、もう少し続けようと思えることもある。
ただ、作品を広げたいとか、メタバースドラマをもっと知ってもらいたいとか、Project Aliveの活動を外側に届けたいと考えた時に、近い場所だけで温まっている状態には、やっぱり限界があります。
だから僕は、Substackを触っています。
でも、この話をしても、人はなかなか動かない。
「Substackいいですよ」「読まれ方が違いますよ」「Xだけに頼るのは、今後ちょっと危ないかもしれませんよ」と言っても、反応はかなり薄いです。
別にそれが悪いと言いたいわけではありません。ただ、この感じを、僕は前にも経験しているんです。
clusterに初めて来た頃です。
Substackを見ながら、昔のclusterを思い出している

僕がclusterに来た時、かなり早い段階で思いました。
ここ、何かあるかもしれない。
ただ人が集まるだけの場所ではなくて、イベントができる。演劇のようなこともできる。映像も撮れる。アバターを使って、物語を作る場所にもなる。
今でこそ僕は、メタバースドラマ『クロスロード』を作っていますが、最初から周りにその可能性が伝わっていたわけではありません。
むしろ、ほとんど伝わっていなかったと思います。
「面白そうですね」「そのうち見に行きます」「なんかすごいですね」と、言葉としては返ってくるんです。
でも、実際に来る人は少ない。ましてや、そこで何かを作ろうとか、出演してみようとか、イベントに関わってみようという人は、最初は本当に少なかった。
当時の多くの人にとって、clusterは「よく分からない3D空間」だったんだと思います。
アプリを入れる必要がある。操作を覚える必要がある。アバターという文化もある。どこに行けばいいのか、何をすればいいのかも、外から見たら分かりにくい。
僕には可能性に見えていたものが、他の人には面倒な場所に見えていた。
たぶん、そういうことなんだと思います。
そしてこれは、今のSubstackにもかなり近いです。
僕はもう、読まれる感覚や、SNSとは違う届き方を体感している。だから「これは使った方がいい」と思っている。
でも、まだ触っていない人にとっては、ただの新しいサービスなんですよね。
またアカウントを作って、投稿する場所を増やすのか。本当に読まれるのか、日本人はいるのか。そもそもnoteでよくないか、Xで十分じゃないか。
そう感じる人がいても、かなり自然だと思います。
僕だって、全部の新しいサービスに飛び込めるわけではありません。面倒なものは面倒ですし、よく分からないものは後回しにします。自分が興味を持てない場所には、なかなか足が向かない。
だから、人が動かないこと自体は自然なんです。
ただ、先に何かを感じてしまった側からすると、どうしてももどかしい。
ここ、見えているんだけどな。
そう思ってしまうんですよね。
「いいよ」と言われても、人は動かない

人が動かない理由って、良い情報を知らないからではないと思います。
むしろ今は、情報だけなら多すぎるくらいあります。
新しいSNSがある。新しい発信方法がある。AIを使えば効率化できる。メタバースでイベントができる。動画生成AIで作品表現が広がる。
探せば、いくらでも出てきます。
でも、情報があることと、人が実際に動くことは別です。
たぶん人って、未来に得られるかもしれないものよりも、今ちょっと面倒なことの方を大きく見てしまうんですよね。
新しい場所を覚えるのが面倒だったり、今のやり方を変えるのが怖かったり、誰もいなかったら嫌だと思ったり、反応がなかったら恥ずかしいと感じたりする。
続かなかったら意味がないと考えてしまう人もいるでしょう。
こういう小さな抵抗が、実はかなり強い。
しかも創作や発信の場合、ゼロから始める感じがきついんです。
Xである程度つながりがある人ほど、新しい場所に行くのは怖いと思います。今まで積み上げたものがあるからこそ、「また最初から?」という感覚になる。
これはSubstackに限った話ではありません。
noteを始める時もそうだし、YouTubeを始める時もそうだし、clusterに来る時もそうだったと思います。
「いいよ」と言われても、自分の中で必要性が育っていないと、人は動けない。
頭では分かっていても、身体が動かない。
たぶん、そういうものなんですよね。
だから僕は最近、「伝えれば動いてくれる」という考えを少し疑っています。
伝えるだけでは足りないし、正しさを説明するだけでも足りない。
相手の中で、「今のままでは少しまずいかもしれない」とか、「自分もそこに行ってみたい」と思える何かが生まれないと、人はなかなか一歩を踏み出さない。
ここを忘れると、先に動いた人はただイライラしてしまう。
僕も気をつけないと、そうなります。
先に見えた人は、景色を見せるしかない

少し残酷な話ですが、人は正しさだけではあまり動きません。
どれだけ理屈として正しくても、どれだけ将来性がありそうでも、自分以外の人が動いていない場所には入りにくいものです。
逆に、何人かが動き始めると、急に空気が変わります。
「あ、行っても大丈夫そうだな」「もう誰かやってるんだ」「自分だけじゃないなら試してみようかな」と感じた瞬間に、未知の場所が少しだけ安心できる場所に変わっていく。
これは情報を理解したというより、安心できる材料が増えたということだと思います。
人は、未知の場所そのものよりも、「そこに自分がひとりで立つこと」を怖がるのかもしれません。
最初のひとりは怖い。
でも、誰かが先に歩いている道なら、少し安心する。
clusterもそうでした。
最初は人が少なかった。よく分からない場所だった。そこで「メタバースドラマを作る」と言っても、たぶん多くの人にはかなり遠い話に聞こえていたと思います。
でも、イベントをやり、撮影を続け、映像を出し、出演してくれる人が少しずつ増えてくると、見え方が変わっていった。
「そういう使い方があるんだ」「自分も参加できるかもしれない」「なんか楽しそうだな」と思ってくれる人が、少しずつ出てきた。
最初から理解されたわけではないんです。
形が見えてきたから、やっと伝わり始めた。
ここはかなり大きいと思っています。
先行者が孤独になるのは、まだ形になる前の景色を見ているからです。見えている本人には、もう少し先の未来がぼんやり見えている。でも周りから見ると、まだ何もない場所で何かを叫んでいる人に見える。
それが先走りなのか、先行者なのかは、その時点では分かりません。
後にならないと分からないんです。
だから少し怖い。
自分の見立てが外れることもあるし、ただの思い込みで終わることもある。そう考えると、僕も全部に自信があるわけではありません。
それでも、どうしても気になる場所がある。
見えてしまうものがある。
そういう時は、やっぱり動いてしまうんですよね。
ただ、最近思っているのは、先に動いた人がやるべきことは、正しさを強く語ることではないのかもしれない、ということです。
「これからはSubstackです」「Xだけではダメです」「今すぐやった方がいいです」と言い切るのは簡単です。
でも、それで動く人はたぶん少ない。
言い方によっては押しつけにも見えますし、自分が見えている景色を相手にそのまま渡そうとしても、まだそこに立っていない人には受け取りづらい。
だったら、説明よりも景色を見せた方がいい。
Substackを使ってみたら、実際にどれくらい読まれたのか。Xからの流入と比べて、どう違ったのか。読者との距離感はどうだったのか。noteやYouTubeやProject Aliveの活動に、どんな導線が生まれたのか。
そういう実感を、自分の言葉で残していく。
12.9%という数字も、僕にとってはその足跡のひとつです。
Xで告知しても3%を超えることがほとんどなかったものが、Substackでは違う動きをした。
この数字だけを大げさに扱うつもりはありません。でも、少なくとも「読んで終わり」ではなく、その先の作品まで見に来てくれる人がいるという感覚はありました。
これは、クリエイターにとってかなり大きいです。
作品って、作っただけでは届かないんですよね。告知しても、読まれなければ届かない。読まれても、その先に動いてもらえなければ、作品までは辿り着かない。
だから、Substackの「読まれる」「届く」「そこから動いてもらえるかもしれない」という感覚は、今の僕にはかなり気になるんです。
これは宣伝というより、記録に近いです。
自分が先に歩いた場所の足跡を、見えるところに置いておく感じ。
それを見てすぐに来る人もいるかもしれないし、半年後に思い出す人もいるかもしれない。もっと後になって、「あの時、そんなこと言ってたな」となる人もいると思います。
clusterも、結局そうでした。
可能性を言葉で説明しても、すぐには伝わらなかった。でも、実際にイベントをやり、ドラマを作り、撮影の様子を出し、作品として残していくうちに、少しずつ届く人が出てきた。
人は未来の説明だけでは動きにくい。
でも、未来っぽいものが目の前に置かれると、少し感じ方が変わる。
だから先に動いた人は、証明し続けるしかないのかもしれません。
ただ、その証明って、派手な成功だけではないと思うんです。
うまくいった数字を出すことも大事ですが、思ったより読まれなかったことや、使いにくいところ、迷っていることも残していく。
きれいな答えだけではなく、触っている人間の体温ごと見せていく。
その方が、たぶん人は信じやすい。
創作を届けるには、作品までの道も作らないといけない

正直に言うと、僕ももどかしくなることはあります。
なんで動かないんだろうとか、ここはかなり面白いと思うんだけどなとか、今やった方が絶対に有利なのに、と感じることはあります。
でも、そこで相手を責めても、たぶん何も変わらないんですよね。
人には人のタイミングがあります。仕事や家庭があって、今の発信だけで精一杯の人もいる。新しい場所に行くより、まず目の前を整える方が大事な時期だってある。
それに、僕だって誰かから「これ絶対いいよ」と言われたものを、全部すぐに試しているわけではありません。
だから、動かない人が悪いとは思わない。
ただ、創作や発信で何かを広げたい人は、「人はすぐには動かない」という前提を持っていた方がいい気がします。
一度言ったくらいでは伝わらないし、一回投稿したくらいでは届かない。良いものだから自然に広がる、というほど今の情報環境は素直ではありません。
だから、何度も角度を変えて見せる必要があるんだと思います。
数字で見せる時もあるし、体験で語る時もある。失敗を混ぜた方が伝わることもありますし、自分の迷いを出したことで、ようやく誰かの中に引っかかることもある。
派手なバズとは違うし、すぐに結果が見えるわけでもありません。でも、創作を届けるって、たぶんそういう地味な作業の積み重ねなんですよね。
作品を作って公開しただけでは、今はなかなか届かない。
そこに辿り着くための道まで考えないといけないし、その道作りも、こちらの想像通りにはなかなか進まない。
この前提を持っておくと、少しだけ焦り方が変わる気がします。
Substackを使いながら、僕は今、また少し早い場所に立っているのかもしれないと思っています。
もちろん、絶対に伸びるとか、必ず日本でも広がるとか、そこまで言い切るつもりはありません。未来なんて普通に外れますし、僕が今見ているものも、もしかしたらただの勘違いかもしれない。
でも、今のSNSの流れ方や、読まれにくさや、アルゴリズムに左右される発信環境を考えると、ひとつの場所だけに頼るのはかなり危うい気がしています。
noteは検索で残りやすいし、Xにはその時の温度を出せる速さがあります。YouTubeには作品そのものを置ける強さがあって、clusterには同じ空間に集まる体験がある。
その中でSubstackは、読者にもう少し直接届く場所なのかもしれません。
どこかひとつが正解というより、作品に出会ってもらうための道を、いくつか持っておく感覚に近いです。
だから僕は、今Substackを触っています。
読まれる場所を探しているし、作品に辿り着く道を増やしたい。
メタバースドラマを作っている以上、作品そのものだけではなく、作品に出会ってもらうための導線まで作らないといけない。
そこまで含めて、今の創作なんだと思います。
だから、いきなり本気で移住しなくてもいいと思います。
まずはアカウントを作って、ひとつだけ文章を置いてみる。それだけでも、自分の発信がどこで読まれるのかを確かめる小さな実験にはなるはずです。
合わなければ戻ればいいし、思ったより読まれなければ、その記録もまた次の判断材料になります。
たぶん、最初から正解の場所にたどり着く人なんて、ほとんどいません。
触って、違和感を持って、少し直して、また試す。
そうやって、自分の作品に合う道を探していくしかないんだと思います。
人はなかなか動かない。
だからこそ、先に動いた人の足跡には、あとから少しだけ意味が宿ることがある。
僕はclusterでも、メタバースドラマでも、そういう少し早すぎる場所に何度か立ってきた気がします。
そして今は、Substackを見ながら、また同じようなことを考えています。
今はまだ、そこに目を向けている人が少ないだけなのかもしれません。
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