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トイレの落書きとバ〇クシー、著作権的な「差」はどこにある? 犯罪と芸術が同居する法のバグ

テレビのニュースとか見ながら、思ったこと、在りませんか?

「トイレや壁の落書きと、バ〇クシーの著作権的な違いはなんだろう?」って。

どちらもこの記事に触れた著作権要件はみたしていますよね? 
問題があるとすれば「公共の利益を無視した落書き」であるというだけ。
でも二つともに条件は同じ。
なのに、扱いがずいぶん違う感じ、しませんか?

実は、著作権の発生条件はまったく同じです

まずびっくりする話をすると、著作権法って過程で問われるのは「人間が関与した創造性の結果」だけで、それ以外は基本問わないんです。
つまり、どんなにくだらない、それこそ公序良俗に反するようなものであっても、人間に描かれた瞬間に著作権は発生する、というものらしいです。
バ〇クシーが建物の壁に無断で描いた行為は「器物損壊」という立派な犯罪ですが、その作品自体には著作権が生まれます。

法律はなかなかドライな判断をするものですね。

問題は「権利を行使できるか」のほうです

ここからが本題です。
著作権が「あるかどうか」ではなく、「使えるかどうか」のところで、大きな違いが出てきます。
抱き合わせじゃないんですよ、これ。

たとえばトイレの落書き。
施設のオーナーが「邪魔だな」と思って壁を塗りつぶしても、描いた人はほぼ文句を言えません。
著作権よりも、建物オーナーの「所有権」が優先されるのが一般的だからです。

ここでも触れましたが著作権は一部例外をのぞき「関係する権利の問題も含め両方の権利を同時にクリア(両立)しなければセーフ(適法)にならない」というルールがあるので、一個でも著作権のほかで問題視される権利がはだかると、著作権の主張だけ通すというのは難しくなります。厳しい!

バ〇クシーの場合だって、本来であれば同じ話のはずです。
壁のオーナーが「消したい」と思えば消せる。
でも現実には、作品に「数億円の価値」がついてしまっているため、オーナーが「消すどころか壁ごと売ろう」となってしまうわけです。

さてここで、法的なおもしろい矛盾が生まれます。
「壁のオーナーが、バ〇クシーの絵を勝手に売っていいのか?」という問題です。
著作権はバ〇クシーにあるのに、物理的なモノを売る権利は壁のオーナーにある。
法律が「そんな状況、想定してなかったよ」と言いたくなるような、なかなかの混乱です。

バ〇クシーにはさらに深刻な悩みがあります

話はもう一段ややこしくなります。
著作権を主張して誰かを訴えるには、「私がその著作権者です」と名乗り出る必要があります。つまり結果的に犯罪を自白する責任を負わねばいけないわけです。
でもバ〇クシーは正体を明かしていない。
誰かが無断でバ〇クシーの絵をTシャツにして売り始めても、「バレるのが嫌だから」訴えられないというジレンマがあるわけです。

過去には、バ〇クシーの代理人企業が「著作権」ではなく「商標権」を使って、彼の作品が勝手に二次的な商品の利用をされないように争おうとしたことがありました。
ところが欧州連合知的財産庁から「正体を隠したまま権利だけ独占しようとするのは不誠実だ」という趣旨の判断を下されてしまいます。
なかなか手厳しい判断ですよね。
匿名を守りながら権利だけ主張しようとすると、そういう壁にもぶつかるわけです。

結局、身も蓋もない話

トイレの落書きとバ〇クシー、著作権の「発生」という意味では本質的な違いはありません。どちらも描いた瞬間に権利は生まれています。
ただ、トイレの落書きは「ゴミ扱い」で処理されるのに対して、バ〇クシーは「莫大な資産価値」を持ってしまったために、「この価値を誰がコントロールするのか」という、法律が予想していなかったバグを引き起こしているという話。
「犯罪」と「芸術」が同居しているという意味では、実は二つとも同じ土俵に立っているのに。身も蓋もない話ではありますが、便所の落書きとバ〇クシーの大きな違いは「市場価値」に他ならない、ということなんですね。

そう考えると、ニュースでバ〇クシーの作品が取り上げられるたびに、ちょっと違う、冷静な感じの見方ができるようになるかもしれません。面白い点です。

※本記事は知的財産検定3級の学習記録をもとに、著作権法の条文と各社の調査報告書を参照してまとめたものです。
法的な判断・アドバイスを提供するものではありません。

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