③『世界史のリテラシー 仏教は、いかにして多様化したか 部派仏教の成立 (教養・文化シリーズ)』佐々木閑(2025・NHK出版)
ブッダの悟りとは何か
①苦しみのモトとは何か
②それを消せるか
③(消せるとしたら)どうやって消すか
④消したらどうなったか
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これを全て完了した状態が悟りなのだそうです。おおっ。
①苦しみのモトとは何か
苦しみの原因は自分を土台とした世界観、「自分という不変の存在がある」、あるいは「自分に都合よく世の中は動いているはずだ」というふうに、自分というものを世界観の真ん中に置く、この見方
本文より
これ、どうして自分を真ん中に置いちゃダメなんだろう。
例えばmbtiの世界観では、人間にはざっくり、「自分軸」と「他人軸」の2種類の人間がいるってふうに考えられてて、そのどちらにも同じように人権が与えられてる。私はこういう考え方がけっこー好きでして!
で、そもそもんトコの疑問なのですが、「自分に軸足を置いて世界を眺める」ということと、「世界が自分の思い通りにならないことに不満を持つ」ということはイコールなんでしょうか?
後者のような態度心情のことを、加藤諦三先生は「退行欲求」って説明しておられました(←先月読んだ本に書いてあった)。私は退行欲求の問題と己の軸足をドコにおくかとゆう選択は別カテゴリのモノだと思ってます。なので佐々木先生が解説されてる「苦しみの原因」には半分だけ共感させて頂こうかナと思います。
②それ(=ずれ)を消せるか
ずれをなくすためには私たち自身を外界の在り方と正しくフィットさせねばならない、外界と同じ立場で自分自身が存在しなければこの苦しみは消えない
ずれを消す方法。
①世界を自分に寄せるか
②自分が世界に寄ってくか
世界を自分に寄せることはできないから、自分を世界に寄せてくほうを選ぶってことなんだろうか?
③どうやって消すか
④消したらどうなったか
一般に言うところの幸福感というのは、より善いものが手に入るとか、今よりも善い世界で暮らすことができることを幸福の基準にするのですが、仏教の場合には今よりももっと幸福感を味わいたいと願う心そのものが苦しみのもとなので、今よりももっと幸福に暮らしたいという思いを消して、完全に静まり返った状態になったときが、実は真の幸福なのだ、というように、幸福感を逆転させる形でものの見方を語ります。
なるほど、チョットわかったかもしれません! お釈迦さまのゆうてらっしゃることが嫌いじゃないのにイマイチ共感しないのはなぜなのか!
→「私の思う幸福」と「仏教の想定してらっしゃる“一般に思うところの幸福”」とが違うから。
なるほど納得。そらそうなるよネ。
お釈迦さまは世界を仏教一色に染め上げて「地球上の全てのメンツを仏教に改宗させたいッ!!」などとはお考えにならなかったのだそう(※一神教との大きな違い)。
仏教徒という生き方だけが唯一絶対の正義・真理・正解ってわけじゃなくて、仏教は「数ある生き方の中の“ひとつ”」ってことなのかもしれません。とすれば悟りの方法だってひとつきりじゃなくていいよね。人の数だけ悟りのバリエーション、味つけがあってよし。
素人なのでアレコレと間違ったことを書いてるかもしれませんが、(私の中でだけは)ほんの少し整理がついてきました。
仏教って面白いな。
同じ道は歩めませんが、やっぱり宗教の中では仏教が格段に面白いなと思いました。
