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【エッセイ】所有しない安心感

削ぎ落とされた先にある静けさ

世の中には、生まれつき「何かを所有したい」という欲求が、驚くほど希薄な人がいる。

決してケチなわけでも、生活を切り詰めて我慢しているわけでもない。ただ単に、「あれが欲しい」「これが欲しい」と心が波立つことがないのだ。だから、安心を買うために身の回りをモノで固めたり、未来の不安を埋めるためにお金を使ったりするという発想そのものが、その人の人生の辞書には最初から存在しない。

かつて、そうした人が時代の勢いに乗り、たまたま「所有」を美徳とするような華やかな業界に身を置き、豊かな果実を手にするような時期があったとしても、それは本質的な変化にはならない。一時の喧騒が通り過ぎれば、また元の、水のように澄んだ平熱の日常へと戻っていく。

そんな淡々とした歩みの中で、もしも人生を揺るがすような「一番大切な存在との別れ」を経験したとしたら、人の心はどうなるのだろうか。

外側から見れば、それは大きな喪失であり、深い傷に見えるかもしれない。しかしその痛みを経た心は、やがて人間の営みにおける一つの「境地」へとたどり着く。

本当に大切なものは、どれだけ強固に所有しようとしても、いつかは手の中からいなくなってしまう。その絶対的な事実を骨の髄まで知ったとき、人は、外側にある有象無象のモノで心を埋めようとする情熱を、完全に手放すことになる。形あるものをいくら集めたところで、失ったものの身代わりにはなり得ないと、痛烈に理解するからだ。

それは諦めという名の絶望ではない。むしろ、残っていた最後の執着さえもが綺麗に削ぎ落とされた、究極の身軽さの始まりである。

「持たないこと」が、そのまま「安心」に直結する。 その安心感の正体は、「もう失うものがない」という強さであり、「外側の何ものにも、自分の心の平穏を脅かされない」という絶対的な自由だ。家や車、高級な調度品。それらを守り、維持し、失うことを恐れるノイズから一切解放された世界には、ただ静かで、何にも縛られない空間が広がっている。

世間は今日も、新しい何かを所有することで幸福や安心を手に入れようと躍進している。 けれど、その賑やかさから遠く離れたところで、ただ必要十分なものだけを携え、静かに微笑んでいる生き方がある。





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