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「その女は目をそらした」文体論

こんばんは!試行錯誤中のLaLaLaです。

今、私は「たった一行の沈黙」が、どれほど多様な色彩を帯びるのかという実験の中にいます。「その女は目をそらした」——たったこの一文を入り口にして、私は村上春樹から太宰治まで、自分の中にある言葉のレンズを次々と入れ替えながら、物語の可能性を模索する試行錯誤の真っ最中です。

同じ沈黙でも、ある時はジャズのように乾き、ある時は泥のように熱く、またある時は滑稽に転がる。その文体ごとの「出口」を探して迷い込んでいる今の時間は、私にとって最も贅沢な苦悩のひとときです。

以下に、その試行錯誤のプロセスをまとめました。どのレンズを通して物語を見るのが一番しっくりくるのか、私自身もまだ答えを出せずにいます。

文体別・物語の比較と考察

  • 村上春樹的文体

    • 孤独をあえて「冷めたコーヒー」という記号で塗りつぶすことで、読者に心地よい喪失感を与えます。

    • 世界を「観測」する視点は、私たちが日常でふと感じる「他者との絶望的な断絶」を、驚くほど美しく整頓してくれます。

  • 宮島未奈的文体

    • キャラクターの突飛な行動を、関西弁のテンポと「ツッコミ」という構造で日常に引きずり下ろす技術が秀逸です。

    • 「比叡山の観覧車」のような荒唐無稽な嘘を、笑いと共感で強引に成立させていく力強さには、毎日を泥臭く生きる人間への深い愛情を感じます。

  • 西加奈子的文体

    • 感情の爆発を「熟したイチジク」や「熱い息」といった肉体的な言葉で肯定する手法は、私の書く物語に最も血を通わせてくれます。

    • 完璧ではない人間のみっともなさを、そのまま「愛」として描く力は、私が一番大切にしたい温度感です。

  • 伊坂幸太郎的文体

    • 会話の中に理屈とユーモアを混ぜ込み、小さな伏線を張り巡らせて「物語の先」へのワクワク感を醸成します。

    • 日常を風変わりなパズルのように組み替えていく手法は、書いていて最も知的な刺激に満ちていました。

  • 太宰治的文体

    • 自意識をどこまでも深く掘り下げ、羞恥心を芸術にまで昇華させる圧倒的な耽美性があります。

    • 「お道化」という仮面を被らなければ生きられない人間の悲しみを、これほどまでに甘美に描く文体は、他には存在しません。

LaLaLaとしての告白

私自身が、今の試行錯誤の中で最も深く潜り込んでいるのは、西加奈子さんの文体です。

どれだけ論理的に言葉を整えても、最後にどうしても「割り切れないもの」が残る——そのドロ臭い残滓こそが人間そのものであり、私が物語で描きたい「真実」だからです。他の文体で美しく整えられた世界も大好きですが、西さんの文体で書くときは、自分が自分自身を最も剥き出しにできているような感覚があります。

皆さんは、この五つの文体の中で、どれが一番「今の自分」の呼吸に近いと感じられましたか?



村上春樹の文体
文体の主な特徴心地よいリズム感:同じ語尾をくり返したり、一文を短く切ることで、まるでジャズ音楽のようなテンポを生み出しています。
ユニークな比喩表現:普通では思いつかないような、具体的でちょっとユーモラスな例え話をよく使います。
やれやれという態度:主人公は世の中の出来事に深く入り込まず、どこか冷めた一歩引いた視線を持っています。
カタカナ言葉の多用:パスタ、ウイスキー、ジャズなど、欧米の洗練されたカルチャーを感じさせる言葉がたくさん登場します。

「その女は目をそらした」①

その女は静かに目をそらした。
まるで、引き出しの奥で見つけた古い絵葉書の裏文字を、これ以上読んではいけないと突然思い出したかのように。
彼女の視線は、僕の肩を通り抜け、壁に掛かった色あせた古いジャズのポスターへと向かった。
「やれやれ」と僕は心の中でつぶやいた。
世界には、触れない方がうまくいく沈黙というものが確かに存在するのだ。
僕は冷めたコーヒーを一口すすり、次の言葉を探すのをやめた。


彼女は長い指先で、テーブルの上のマドラーを意味もなく小さく回した。
カチ、と微かなプラスチックの音がして、それからまた深い沈黙が戻ってきた。
彼女が何を考えているのか、僕には当てることができなかった。
たぶん、僕たちがまだお互いの靴のサイズさえ知らなかった頃の、ずっと遠い昔の記憶をたどっているのだろう。

「もう行かなくちゃ」
彼女は腕時計を見ることもなく、静かに言った。

彼女は席を立ち、ベージュのスプリングコートを羽織った。
その一連の動作は、まるで何度も練習した劇のワンシーンのように滑らかだった。
彼女は僕の顔を見ないまま、ドアに向かって歩き出した。
ドアに取り付けられた真鍮のベルが、乾いた音を立てて彼女の退場を告げた。

残された僕は、もうすっかり冷え切ってしまったコーヒーを最後の一滴まで飲み干した。
ポケットの中の古いコインが、なぜだかいつもより少しだけ重く感じられた。
窓の外では、行き場をなくした午後の光が、アスファルトの上で静かにすり減っていくだけだった。

店を出た僕は、あてもなく夜の街を歩き、地下へと続く細い階段を降りた。
ドアを開けると、そこは古いジャズが静かに流れる小さなバーだった。
カウンターの奥では、人生の半分以上の時間をそこで過ごしてきたような老バーテンダーが、黙々とグラスを磨いている。

僕は止まり木に腰掛け、スコッチのロックを注文した。

グラスの中で氷がカランと音を立てる。
その音を聴きながら、僕はさっきの彼女の、あの静かに目をそらした横顔を思い出していた。
結局のところ、僕たちは誰もが、自分だけの暗い部屋で一人きりで暮らしているようなものなのだ。
ドアを叩くことはできても、その中を完全に覗き見ることは誰にもできない。

「良い夜だね」と、隣の席に座っていた見知らぬ男が、不意に僕に声をかけてきた。
男は緑色の奇妙なネクタイを締め、まるでギリシャ悲劇の登場人物のような深い溜め息をついた。

「かもしれないですね」と僕は答え、スコッチを喉に流し込んだ。
独りきりの夜はまだ始まったばかりで、世界の不条理さは、氷の溶けた水の中に静かに沈み込んでいった。

「君は羊の夢をよく見るかい?」
男はグラスの中の琥珀色の液体を見つめたまま、唐突にそう訊ねてきた。

「いいえ、滅多に見ません」と僕は正直に答えた。「最後に羊の夢を見たのがいつだったか、思い出すこともできないくらいです」

男は深くうなずき、それからポケットから銀色のライターを取り出して、一本のタバコに火をつけた。
「それはとても正しいことだ。羊というのはね、一度夢の中に入り込むと、なかなか出口を見つけられない生き物なんだ。彼らはいつだって、世界の端っこにある静かな図書館を探している」

「図書館ですか」

「そう、古い記憶がすべて擦り切れたレコードみたいに保管されている場所さ。そこで羊たちは、失われた言葉を数えながら夜を過ごす。君がさっき失くしてしまった、いくつかの言葉のようにな」

男は煙を天井に向けてゆっくりと吹き出した。その煙の形は、まるでどこか遠い街の地図のように見えた。

「どうして僕が言葉を失くしたとわかるんです?」
僕はスコッチのグラスを少しだけ揺らしながら訊いた。

男は薄い唇の端を少しだけ上げて、僕の方をまっすぐに見つめた。彼の瞳は、底のまるで見えない深い井戸のようだった。
「簡単なことさ。君の肩のまわりには、まださっきの沈黙の匂いがこびりついている。とても上質で、それだけに少し切ない沈黙の匂いだ」
男はタバコを灰皿に押し付け、声を一段と低くした。
「そこで提案があるんだ。君、これから僕と一緒に『存在しない駅』を探しに行かないか?」

「存在しない駅ですか」と僕は訊き返した。
「そうだ」と男は言った。「時刻表には載っていないし、どの路線図にも書かれていない。だけど、確実にある種の切なさを抱えた人間の前にだけ、ふっと姿を現すプラットフォームがある。そこに行けば、君がさっき失くした言葉の続きが見つかるかもしれない」

男は上着のポケットから、厚手の古びた切符を一枚取り出し、カウンターの上に滑らせた。
そこには見たこともない奇妙な文字が、かすれた銀色のインクで印刷されていた。

「行くか行かないかは、もちろん君の自由だ。夜はまだたっぷりと深いし、スコッチの氷がすっかり溶けてしまう前には決めてほしい」

僕はカウンターの上の切符と、自分の手元にある冷えかけたグラスを交互に見つめた。
やれやれ、と僕は心の中でつぶやいた。
僕はただ静かにコーヒーを飲み、静かにスコッチを味わいたかっただけなのに、世界はいつも僕の都合を無視して、思いがけない奇妙な扉を開きにかかるのだ。


宮島未奈(みやじま みな)の文体
個性的すぎるキャラクター:普通なら気まずくなる「目をそらす」という行動も、主人公の強烈なキャラクター性と堂々とした態度によって、クスッと笑えるコミカルなシーンに変わります。
テンポのいいツッコミと日常感:主人公の奇行に対して、親友や周囲の人間が心の中やセリフでテンポよくツッコミを入れることで、読んでいて抜群に心地よいリズムが生まれます。
具体的なご当地・日常ワード:「西武大津店」や「びわ湖」など、実在する具体的な場所やアイテムを自然に混ぜ込むことで、お話の世界がぐっと身近に感じられるようになります


「その女は目をそらした」②


その女――いや、同級生の成瀬あかりは、私の言葉を聞いた瞬間、きっぱりと前を向いたまま、ふいと斜め上へと目をそらした。いや、あれは目をそらしたというより、誰もいないびわ湖の対岸を見つめているだけかもしれない。「島崎、私は嘘をつくとき、目をそらさないことにしている」成瀬は西武大津店の紙袋をクラッチバッグみたいに小脇に抱え、大真面目な顔で言った。「いや、今めちゃくちゃ思いっきり目をそらしたじゃん」私は思わずツッコミを入れた。彼女の突飛な行動にはもう慣れっこだったけれど、今日の成瀬は、なぜだかいつもより少しだけ楽しそうに見えた。


「島崎、目をそらすのには理由がある」
成瀬はびわ湖の対岸を見つめたまま、一歩も動かずに言った。
「どんな理由よ」
「私は今、比叡山のてっぺんに巨大な観覧車を建てる計画について考えている。視線を上に向けることで、脳内の設計図がより鮮明になるのだ」
「比叡山に観覧車って、お寺の人に怒られるよ」
私はため息をついた。成瀬の頭の中は、いつも私たちの日常をはるか遠くに追い越していく。

成瀬は小脇に抱えていた西武大津店の紙袋を両手で持ち直すと、ガサゴソと中を探り始めた。
出てきたのは、一本の真っ赤なマジックペンと、スケッチブックだった。
「安心しろ。景観を損ねないよう、ゴンドラはすべて信楽焼のタヌキの形にする予定だ。これがそのデッサンだ」
成瀬が自信満々に広げたページには、お世辞にも上手とは言えない、だけど妙に味のあるタヌキの絵がびっしりと並んでいた。

「成瀬、それ本当に嘘じゃないよね?」
「私は天下を取りに行く男だ。嘘をついてどうする」
成瀬はマジックペンのキャップを小気味よい音を立てて閉め、私を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、夕暮れのびわ湖の光がキラキラと反射して、眩しいくらいに輝いていた。
「島崎、まずは明日、比叡山にロケハンに行くぞ。朝六時に膳所駅集合だ」
「ちょっと、明日は日曜日だよ!」
私は文句を言いつつも、心の中ではもう、明日のスニーカーを選び始めていた。

翌朝、眠い目をこすりながら膳所駅の改札へ向かうと、そこにはすでに成瀬が立っていた。
集合時間の十分前だというのに、彼女は背筋をピンと伸ばし、完全な戦闘態勢に入っている。
そしてその格好は、私の想像をはるか斜め上に飛び越えていた。

成瀬は、頭に真っ赤なハチマキを巻き、背中には大きな虫取り網を背負っていた。
さらに足元は、白いハイソックスに、なぜかピカピカに磨かれたローファーだ。

「成瀬、ちょっと待って」
私は足を止め、じっと彼女を見つめた。
「今日の目的は比叡山のロケハンだよね? なんで虫取り網を持ってるの? あと、そのハチマキは何?」
「島崎、形から入ることは重要だ」
成瀬は大真面目な顔で、背中の虫取り網の柄をトントンと叩いた。
「比叡山には未知の生態系が存在する可能性がある。観覧車を建てる前に、まずは現地の環境調査を行うのが筋というものだ。このハチマキは、気合いを入れるためのものだ」
「ローファーで山に登る気合いは間違ってると思うよ」

周りの通勤客や学生たちが、チラチラと成瀬の姿を見ながら通り過ぎていく。
だけど成瀬は、そんな視線を一ミリも気にする様子がない。

「島崎、電車が来るぞ。私たちの伝説は、ここ京阪膳所駅から始まるのだ」
成瀬は虫取り網をバズーカのように小脇に抱え、改札へと堂々と進んでいった。
朝の爽やかな光を浴びた成瀬の背中は、やっぱりどうしようもないくらいに変で、そして最高に格好よかった。

その女――いつもは男勝りに部下を怒鳴りつけている仕事の鬼が、ふいと斜め下に目をそらした。
彼女の白い耳の端が、夕暮れの光のせいだけとは思えない鮮やかな赤色に染まっていく。
「……別に、あんたのために作ったわけじゃないから。作りすぎただけ」
ぶっきらぼうに差し出されたタッパーを、僕は呆れ半分、愛おしさ半分で受け取った。
「そっか。じゃあ、ありがたくいただくわ」
僕がわざと顔を覗き込むと、彼女はさらに顔を背け、今度は僕の肩口を拳で小突いてきた。
「からかうな! さっさと食べろ!」
照れ隠しの怒声はちっとも怖くなくて、僕は口元がにやけるのを必死でこらえなければならなかった。

カラスの鳴き声が遠ざかると、世界にはまた少しだけ不穏な静けさが戻ってきた。
「それで、」彼女はハンドバッグの底をさぐるように指を動かしながら、僕の奇妙なネクタイへと視線を戻した。「ネクタイの柄の分析はもう終わり? 私はこれから、人生で最大級の嘘をつかなきゃいけないの。練習の邪魔をしないでほしいんだけど」
「最大級の嘘?」
「ええ、例えば、自分がこの世界に最初から存在していなかったと周囲に信じ込ませるような、そういう大がかりなやつ」

彼女がバッグから取り出したのは、ミントのタブレット菓子だった。彼女はそれを一粒口に放り込み、僕にもケースを差し出してきた。僕はありがたく二粒もらった。
「それは難易度が高いね」僕はミントを噛み砕きながら言った。「人間が一人消えるには、書類を燃やすだけじゃ足りない。他人の記憶という、厄介で消えにくいデータをすべて書き換えなきゃいけないからだ」
「だから困ってるのよ。ねえ、さっきのカラス、なんて鳴いたか分かる?」

「世界の終わり、じゃないのかい?」
「違うわよ」彼女は僕の顔をまっすぐに見つめ、いたずらっぽく微笑んだ。「『後ろの車に気をつけろ』って鳴いたのよ」

彼女が言い終わるのと同時に、僕たちのすぐ真後ろで、キィィィッと激しいブレーキ音が響き渡った。
振り返ると、真っ黒なセダンが歩道すれすれで急停止し、中から仕立ての良すぎるスーツを着た二人組の男が、明らかに僕たちを目がけて降りてくるところだった。

「走るよ」と彼女は言った。その声には焦りの色なんてひとかけらもなくて、まるで「天気がいいから散歩でもしよう」と誘うみたいに軽やかだった。
「どっちへ?」僕は奇妙なネクタイを風になびかせながら、全速力で走り出した。後ろからは、高級そうな革靴がアスファルトを激しく叩く音が追いかけてくる。
「あそこの角を曲がったところに、青い自転車が二台並んで止まっているわ」
「まさかそれを盗むのかい? 僕は泥棒の才能だけは持ち合わせていないよ」
「盗まないわ。三日前に私が、あそこの持ち主の少年に、宿題を教えてあげる代わりに『金曜のこの時間に自転車を鍵を開けて置いておいて』って契約を結んでおいたの」
「用意周到だね」
「未来を予測する最善の方法は、それを自分で作ることよ。誰か偉い人が言っていたわ」

僕たちは角を猛スピードで曲がり、彼女の言葉通りに置いてあった青い自転車にそれぞれ飛び乗った。
後ろの黒スーツの男たちが、角から息を切らせて現れる。彼らはさすがに、全力でママチャリを漕ぎ出す僕たちのスピードには追いつけそうになかった。

「ねえ!」僕はペダルを必死に漕ぎながら、隣を走る彼女に叫んだ。「さっきの契約、もし少年が宿題をサボって自転車を置いていなかったら、僕たちは今頃どうなっていたんだい?」
彼女は立ち漕ぎをしながら、楽しそうに髪をなびかせた。
「その時は、さっきのカラスに僕たちを乗せて空を飛んでもらうよう、今から頼みに行くところだったわよ!」
僕はあきれ、それから笑った。
坂道を下る僕たちの自転車のベルが、夕暮れの街にチリンチリンと間抜けな音を響かせていた。


「島崎、目をそらすのには理由がある」
成瀬はびわ湖の対岸を見つめたまま、一歩も動かずに言った。
「どんな理由よ」
「私は今、比叡山のてっぺんに巨大な観覧車を建てる計画について考えている。視線を上に向けることで、脳内の設計図がより鮮明になるのだ」
「比叡山に観覧車って、お寺の人に怒られるよ」
私はため息をついた。成瀬の頭の中は、いつも私たちの日常をはるか遠くに追い越していく。

成瀬は小脇に抱えていた西武大津店の紙袋を両手で持ち直すと、ガサゴソと中を探り始めた。
出てきたのは、一本の真っ赤なマジックペンと、スケッチブックだった。
「安心しろ。景観を損ねないよう、ゴンドラはすべて信楽焼のタヌキの形にする予定だ。これがそのデッサンだ」
成瀬が自信満々に広げたページには、お世辞にも上手とは言えない、だけど妙に味のあるタヌキの絵がびっしりと並んでいた。

「成瀬、それ本当に嘘じゃないよね?」
「私は天下を取りに行く男だ。嘘をついてどうする」
成瀬はマジックペンのキャップを小気味よい音を立てて閉め、私を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、夕暮れのびわ湖の光がキラキラと反射して、眩しいくらいに輝いていた。
「島崎、まずは明日、比叡山にロケハンに行くぞ。朝六時に膳所駅集合だ」
「ちょっと、明日は日曜日だよ!」
私は文句を言いつつも、心の中ではもう、明日のスニーカーを選び始めていた。

翌朝、眠い目をこすりながら膳所駅の改札へ向かうと、そこにはすでに成瀬が立っていた。
集合時間の十分前だというのに、彼女は背筋をピンと伸ばし、完全な戦闘態勢に入っている。
そしてその格好は、私の想像をはるか斜め上に飛び越えていた。

成瀬は、頭に真っ赤なハチマキを巻き、背中には大きな虫取り網を背負っていた。
さらに足元は、白いハイソックスに、なぜかピカピカに磨かれたローファーだ。

「成瀬、ちょっと待って」
私は足を止め、じっと彼女を見つめた。
「今日の目的は比叡山のロケハンだよね? なんで虫取り網を持ってるの? あと、そのハチマキは何?」
「島崎、形から入ることは重要だ」
成瀬は大真面目な顔で、背中の虫取り網の柄をトントンと叩いた。
「比叡山には未知の生態系が存在する可能性がある。観覧車を建てる前に、まずは現地の環境調査を行うのが筋というものだ。このハチマキは、気合いを入れるためのものだ」
「ローファーで山に登る気合いは間違ってると思うよ」

周りの通勤客や学生たちが、チラチラと成瀬の姿を見ながら通り過ぎていく。
だけど成瀬は、そんな視線を一ミリも気にする様子がない。

「島崎、電車が来るぞ。私たちの伝説は、ここ京阪膳所駅から始まるのだ」
成瀬は虫取り網をバズーカのように小脇に抱え、改札へと堂々と進んでいった。
朝の爽やかな光を浴びた成瀬の背中は、やっぱりどうしようもないくらいに変で、そして最高に格好よかった。


西加奈子(にし かなえ)の文体
圧倒的な「生」の肯定:目をそらすという行動を、気まずいものではなく「愛おしい不器用さ」として描きます。完璧じゃない人間のみっともなさが魅力になります。
五感に響くドロ臭い比喩:おしゃれな表現ではなく、「熟しきったイチジク」「泥臭く存在していた」など、色や匂い、体温が伝わってくるような生き生きとした言葉を使います。
心の叫びと関西の空気感:セリフや独白に自然な関西のテンポが混ざり、登場人物の感情の爆発をストレートに読者の胸に届けます。

「その女は目をそらした」③


その女は、思いきり、だけどどこか愛嬌のある動きで、ふいと斜め下に目をそらした。
彼女の大きな瞳が、部屋の隅の、今にも壊れそうなパイプ椅子の脚へと逃げていく。
恥ずかしかったのだ。自分がさっき放った、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも不器用な本音の言葉が。
彼女の耳たぶが、まるで熟しきったイチジクみたいに真っ赤に染まっていくのを、私はただ黙って見つめていた。
「なんやの、そんなに見んといて」
彼女はぶっきらぼうに、だけど愛おしそうに小さく呟いた。
部屋の中には、彼女が吐き出した熱い息と、私の高鳴る心臓の音だけが、確かに、そして泥臭く存在していた。


「私はな、あんたみたいに器用に生きられへんのよ!」
彼女は突然、立ち上がって叫んだ。パイプ椅子がガタリと大きな音を立てる。
「みんな上手に笑って、上手に嘘ついて、大人のフリしてる。でも私にはそれができへん。いつも的外れで、ドジで、自分が情けなくて、恥ずかしくて死にそうになる。あんたに私の何がわかるんよ!」

彼女の目から、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。それはまるできれいな宝石なんかじゃなくて、彼女の体の中で煮詰まった、熱くてドロドロした感情の塊そのものだった。

私は、真っ直ぐに彼女を見上げた。
「わかるわけないやろ。あんたじゃないんやから」
私は声を絞り出す。胸の奥が、焼けるように熱かった。
「でもな、私はその、的外れでドジなあんたが愛おしいって言うてるんや。上手に生きんでええ。みっともなくてええやん。私は、あんたのその、剥き出しの命がたまらなく好きなんや!」

部屋の空気が、私たちの熱い息で一気に膨らむ。
彼女はハッとしたように息を呑み、それから、思いきり、だけどどこか愛嬌のある動きで、ふいと斜め下に目をそらした。
恥ずかしかったのだ。自分がさっき放った、あまりにも真っ直ぐで、あまりにも不器用な本音の言葉が。

彼女は斜め下を向いたまま、自分のスニーカーのつま先をじっと見つめていた。
部屋の中に、気まずくて、だけどなんだか無性にあったかい沈黙が流れる。
「……アホ」
ぽつりと、彼女が呟いた。蚊の鳴くような、だけど私の鼓肉(こにく)に直接響くような声だった。
「そんなん、正面から言われたら、どうしていいか分からんようになるやんか」

彼女は真っ赤な顔のまま、のっそりと顔を上げた。
そして、私のシャツの袖を、まるで迷子の子猫がすがるみたいに、ぎゅっと不器用につかんだ。
彼女の手は、驚くほど熱くて、少しだけ震えていた。

「私はな、あんたのそういう、おせっかいで真っ直ぐなところが、ずっと、たまらなく嫌いで、……たまらなく、好きやったんよ」

降参や、というみたいに、彼女はへにゃりと情けない顔で笑った。
その笑顔を見た瞬間、私の胸の奥で、何かがものすごい音を立てて爆発した。

私たちはスマートな恋なんてできへん。
これからもたくさん間違えるし、傷つけ合うし、みっともなく泣きわめく。
だけど、私たちは今、お互いの不完全な命をしっかりと抱きしめ合っていた。
窓の外では、街の騒がしい音が、私たちの新しい始まりを祝福するように、ただ力強く鳴り響いていた。

「ちょっと! また靴下裏返しで洗濯機放り込んだやろ!」
狭いアパートの脱衣所から、彼女のどデかい声が飛んでくる。
「ええやんか、裏返しのまま洗った方が内側の汚れが落ちるってテレビで言うてたで!」
居間の座椅子でのんびりテレビを見ていた私は、負けじと声を張り上げる。

ガラッと激しく襖が開いて、彼女が仁王立ちで現れた。
手には、見事にひっくり返った私の黒い靴下が握られている。
数年経っても、彼女の怒った顔は相変わらず不器用で、だけどやっぱり、たまらなく愛おしい。

「屁理屈言うな! 干すときに表に戻す私の身にもなり!」
彼女はそう言って怒ったフリをしながら、私の隣にドサリと座り込んだ。
そして、私の肩に自分の頭をぽんと預けてくる。
彼女の髪から、いつも使っている安っぽいシャンプーの甘い匂いが、部屋の湿った空気に優しく混ざり合っていく。

私たちは相変わらず、毎日小さなことでケンカをしている。
相変わらずスマートには生きられないし、世間の「普通」からは少しはみ出したままだ。

「なあ、今日の晩ごはん、何にする?」
彼女が私のシャツの袖を、あの日のようにぎゅっと不器用につかみながら、上目遣いで聞いてくる。
「あんたの好きな、ちょっと焦げたハンバーグやな」
私が笑うと、彼女は嬉しそうに、へにゃりと情けない顔で笑った。

完璧な毎日じゃなくていい。
私たちはこれからも、お互いの格好悪さを愛しながら、泥臭く、生きていくのだ。


伊坂幸太郎の文体
ユーモアのあるおしゃべり:シリアスな場面でも、登場人物たちがクスッと笑えるような、ちょっと理屈っぽい会話を繰り広げます。
少し変わった比喩と観察:「看板を掲げるみたいに」「不器用そうなカラス」など、日常の風景を少し風変わりな視点で切り取ります。
伏線の予感:一見すると関係のない「嘘のつき方」や「カラスの鳴き声」が、この後の大逆転劇につながるようなワクワク感を持たせます。


「その女は目をそらした」④

その女は、まるで「私は今から目をそらします」という看板を掲げるみたいに、あからさまに視線を右斜め下に外した。
「ねえ、人間が嘘をつくとき、視線はどっちに動くと思う?」と僕は言った。
「左上よ。過去の記憶を思い出すから」
彼女はそらした視線の先のまま、すぐにそう答えた。
「それは右脳と左脳の一般的な説だ。でも君は右利きで、今さっき右下を見た。つまり、それは嘘の準備じゃなくて、ただ僕のネクタイの柄が奇妙だったからだ。違うかい?」
「あなたのネクタイの柄はいつも奇妙よ」
彼女はそう言って小さく笑った。
僕たちの頭上を、一羽の不器用そうなカラスが、まるで世界の終わりを告げるような大げさな声で鳴きながら通り過ぎていった。


カラスの鳴き声が遠ざかると、世界にはまた少しだけ不穏な静けさが戻ってきた。
「それで、」彼女はハンドバッグの底をさぐるように指を動かしながら、僕の奇妙なネクタイへと視線を戻した。「ネクタイの柄の分析はもう終わり? 私はこれから、人生で最大級の嘘をつかなきゃいけないの。練習の邪魔をしないでほしいんだけど」
「最大級の嘘?」
「ええ、例えば、自分がこの世界に最初から存在していなかったと周囲に信じ込ませるような、そういう大がかりなやつ」

彼女がバッグから取り出したのは、ミントのタブレット菓子だった。彼女はそれを一粒口に放り込み、僕にもケースを差し出してきた。僕はありがたく二粒もらった。
「それは難易度が高いね」僕はミントを噛み砕きながら言った。「人間が一人消えるには、書類を燃やすだけじゃ足りない。他人の記憶という、厄介で消えにくいデータをすべて書き換えなきゃいけないからだ」
「だから困ってるのよ。ねえ、さっきのカラス、なんて鳴いたか分かる?」

「世界の終わり、じゃないのかい?」
「違うわよ」彼女は僕の顔をまっすぐに見つめ、いたずらっぽく微笑んだ。「『後ろの車に気をつけろ』って鳴いたのよ」

彼女が言い終わるのと同時に、僕たちのすぐ真後ろで、キィィィッと激しいブレーキ音が響き渡った。
振り返ると、真っ黒なセダンが歩道すれすれで急停止し、中から仕立ての良すぎるスーツを着た二人組の男が、明らかに僕たちを目がけて降りてくるところだった。

「走るよ」と彼女は言った。その声には焦りの色なんてひとかけらもなくて、まるで「天気がいいから散歩でもしよう」と誘うみたいに軽やかだった。
「どっちへ?」僕は奇妙なネクタイを風になびかせながら、全速力で走り出した。後ろからは、高級そうな革靴がアスファルトを激しく叩く音が追いかけてくる。
「あそこの角を曲がったところに、青い自転車が二台並んで止まっているわ」
「まさかそれを盗むのかい? 僕は泥棒の才能だけは持ち合わせていないよ」
「盗まないわ。三日前に私が、あそこの持ち主の少年に、宿題を教えてあげる代わりに『金曜のこの時間に自転車を鍵を開けて置いておいて』って契約を結んでおいたの」
「用意周到だね」
「未来を予測する最善の方法は、それを自分で作ることよ。誰か偉い人が言っていたわ」

僕たちは角を猛スピードで曲がり、彼女の言葉通りに置いてあった青い自転車にそれぞれ飛び乗った。
後ろの黒スーツの男たちが、角から息を切らせて現れる。彼らはさすがに、全力でママチャリを漕ぎ出す僕たちのスピードには追いつけそうになかった。

「ねえ!」僕はペダルを必死に漕ぎながら、隣を走る彼女に叫んだ。「さっきの契約、もし少年が宿題をサボって自転車を置いていなかったら、僕たちは今頃どうなっていたんだい?」
彼女は立ち漕ぎをしながら、楽しそうに髪をなびかせた。
「その時は、さっきのカラスに僕たちを乗せて空を飛んでもらうよう、今から頼みに行くところだったわよ!」
僕はあきれ、それから笑った。
坂道を下る僕たちの自転車のベルが、夕暮れの街にチリンチリンと間抜けな音を響かせていた。


太宰治(だざい おさむ)の文体
過剰なまでの自虐と羞恥心
:目をそらされた理由をすべて「自分の情けなさのせい」だと解釈し、心の中でひたすら自分を責め立てます。
「お道化(どうけ)」と「道化(どうけ)」:本心を隠すためにわざと不器用におどけてしまう、太宰の主人公ならではの悲しい性質(自意識の壁)を描いています。
美しい絶望の言葉遣い:「いたわしそうに」「耐えかね」「幻影」など、文学的でロマンチック、かつ少し大げさな悲劇の言葉を重ねて、独特の耽美なムードを作ります。

「その女は目をそらした」⑤


その女は、かすかに身震いをし、それから、いたわしそうに静かに目をそらした。
それは、私の心の中の見すぼらしい道化(どうけ)の正体を、とうに見破って、言葉に詰まったかのような、あまりにも優しい諦めの視線であった。
私は、自分の恥ずべき正体が露わになったことに耐えかね、手元の冷え切った珈琲の、その黒い水面をただじっと凝視するしかなかった。
ああ、私はまたしても失敗したのだ。
誰も傷つけまいと、おどけて、お道化(どけ)て、そうしていつも、一番愛されたい人に愛想を尽かされてしまう。
「やれやれ」と、心の中で呟くことさえ、今の私にはおこがましい、身の程知らずの贅沢のように思われた。
私は、テーブルの下で自分の頼りない指先をぎゅっと握りしめ、二度と戻らないあの幸福な日々の幻影を、ただ静かに呪っていた。


私はたまらなくなって、いくばくかの小銭をテーブルに叩きつけるように置き、逃げるようにその店を飛び出した。
外は、いつの間にか冷たい夜の霧が立ち込めていた。
私は外套の襟を立て、あてもなく、ただただ暗い夜の街を彷徨(さまよ)い歩いた。
街灯の鈍い光が、濡れたアスファルトに反射して、まるで私の薄汚れた内面を嘲笑(あざわら)っているかのように見えた。

気がつけば、私はいつもの薄暗い酒場の暖簾(のれん)をくぐっていた。
ここには、私のような、現世(うつしよ)の営みからはみ出してしまった落伍者(らくごしゃ)たちが集う、ぬるい泥沼のような安らぎがある。

「おい、いつもの強いやつをくれ」
私は、馴染みの、どこか投げやりな目をしたバーテンダーに声をかけた。
差し出された琥珀(こはく)色の強い酒を、私は息を止めて一気に喉の奥へと流し込む。
焼けるような熱さが食道を通り抜け、私の冷え切った内臓を容赦なく刺激した。

「ああ、これだ、これしかないのだ」
私は心の中で、狂ったように快哉(かいさい)を叫んだ。
お酒というものは、じつに有り難い、神の道への唯一の抜け道のようにも思われる。
アルコールが脳に回り、私の過剰な自意識が少しずつ、心地よく麻痺していくのを感じる。
彼女のあの悲しげな、美しい視線も、今だけは、遠い異国の古いおとぎ話のように、ぼんやりと霞(かす)んでいくのだった。
しかし、私は知っている。明日、目が覚めたときには、さらに恐ろしい地獄のような羞恥心が、私を待ち受けているということを。
目が覚めたとき、私は自分が生きているということそれ自体に、激しい嫌悪を覚えた。

窓から差し込む容赦のない朝の光が、私のちっぽけな網膜を突き刺す。
頭の芯は、まるで錆びついた大きな鉄の塊で容赦なく殴られ続けているかのようにズキズキと痛み、口の中は砂漠のように乾ききって、ひどい泥の味がした。

「ああ、死んでしまいたい」

私は万年床の、薄汚れた布団の中に頭まで潜り込み、情けなく身を縮めた。
アルコールの魔法がすっかり切れた脳裏に、昨夜の出来事が、恐ろしい鮮やかさをもって蘇ってくる。
彼女のあの、いたわしそうな、すべてを見透かしたような、静かな視線。
そして、そこから逃げ出して酒場へと走り、醜く酔っ払ってくだを巻いた私自身の、あの見すぼらしい道化の姿。

恥ずかしい。生きていくのが、たまらなく恥ずかしいのだ。

私は布団の中で、自分の髪をかきむしり、声を殺して身悶えした。
昨夜、お酒の力を借りて一時しのぎの幸福に浸ったツケが、今、何十倍もの重さの絶望となって私の胸にのしかかっている。
誰もが爽やかに目覚め、それぞれの正しい営みへと出かけていくこの美しい朝に、私だけがこうして、暗い部屋の片隅で、自分の吐き出した自己嫌悪の毒に溺れかかっているのだ。
私はただ、再び夜の闇が訪れ、私という存在を世間の目から隠してくれることだけを、神に祈るようにじっと待つしかなかった。





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