パパになって初めてわかったこと。#9|写真は残っているのに、その日の会話を思い出せなかった。
夜、なんとなくスマホの写真フォルダを開いていました。
目的があったわけではありません。
最近撮った写真から、少しずつ上へ。家族で出かけた日。子どもの寝顔。何を撮りたかったのか分からない一枚。スクリーンショット。
指を動かしながら、ぼんやり眺めていました。
そして、ある写真で止まりました。
長男がまだ2歳くらいの頃、ショッピングカートに乗って
抱っこして欲しく両手を広げて笑顔でこっちを見ている写真。
今より顔が丸くて、手も小さい。
しばらく、その写真を見ていました。
そして思いました。
こんなに小さかったっけ。
毎日見ていたはずのものほど、見えなくなる
もちろん、子どもが小さかったことは覚えています。
抱っこもしました。ご飯も食べさせました。お風呂にも入れました。毎日、同じ家で過ごしていました。
それなのに、写真の中の息子を見たとき、少し驚きました。
こんな顔だった。こんな服を着ていた。こんなに小さな手だった。
毎日見ていたはずなのに、かなりの部分を忘れていました。
仕事でも、似たようなことがあります。
倉庫で着物を検品していると、一日に何十枚、何百枚と見ます。すると不思議なもので、見ている枚数が増えるほど、一枚一枚の違いが分からなくなる瞬間があるんです。
だから意識して、手を止めます。止めて、あらためて見る。
止めないと、見ているのに見ていない状態になる。
たぶん、家でも同じことが起きていました。
あの頃の僕は、何をしていたんだろう
写真を見ながら、当時の自分のことを考えました。
仕事から帰って、疲れている。子どもから「パパ、遊ぼう」と言われる。
「ちょっと待って」
「あとでね」
たぶん、何度も言っていました。
もちろん、毎回断っていたわけではありません。一緒に遊んだ日もたくさんあります。公園にも行きました。抱っこもしました。
何もしてこなかったわけではない。
それでも写真を見ていると、なぜか「もっと遊んであげればよかったな」と思いました。
あのときは、「また明日」があると思っていた
子育ての最中は、今日と明日がずっと続いていくような感覚があります。
今日も「パパ、遊ぼう」。明日も「パパ、遊ぼう」。明後日も、きっと同じ。
だから、疲れている日は「今日はいいか」と思える。
実際、次の日も子どもはいました。だから、間違ってはいません。
でも、今日の子どもは、今日しかいませんでした。
そのことに、当時の僕は気づいていませんでした。
ただ、「もっと遊べばよかった」は少し違う気もする
ここで一つ、考えました。
本当に、もっと遊べばよかったのか。
仕事で疲れていた自分も、あの頃の自分です。一人になりたい夜もあった。何もしたくない日もあった。
第7話で書いたように、父親にも自分の時間は必要です。
だから、過去の自分に「もっと子どもを優先しろ」と言いたいわけではありません。
今の僕が結果を知っているから、そう思えるだけです。当時の僕は、当時なりに毎日を回すことで精いっぱいでした。
そして考えているうちに、後悔の中身が、少しずれていることに気づきました。
足りなかったのは、時間の長さじゃなかった
僕が後悔しているのは、遊んだ時間の長さではないのかもしれません。
子どもの隣に座りながら、スマホを見ていた。テレビを見ながら「うん、うん」と返事をしていた。一緒に公園へ行っても、「そろそろ帰ろう」ばかり考えていた。
同じ場所にはいました。
でも、ちゃんと向き合っていたかと聞かれると、自信がない時間もあります。
一緒にいた時間と、一緒に過ごした時間は、少し違う。
その証拠が、写真フォルダにありました。
誕生日。旅行。公園。七五三。何でもない休日。
写真はたくさんあるのに、その日の会話を思い出せないものが、かなりあります。
そのとき子どもが何を言っていたのか。何に笑っていたのか。僕が何を返したのか。
ほとんど覚えていない。
写真は、その瞬間の顔を残してくれます。でも、そのとき自分が何を感じていたかまでは、代わりに残してくれませんでした。
写真を一枚撮ったら、スマホを下ろす
それから、少し意識するようになったことがあります。
子どもが何か面白いことをしていると、すぐスマホを向けたくなります。「これ、残しておこう」と思う。
でも、撮ることに夢中になって、目の前の子どもを見ていないことがある。
だから最近は、一枚撮ったら、スマホを下ろします。
そして、そのまま見る。笑っていたら一緒に笑う。話しかけてきたら、ちゃんと聞く。
それだけです。
もう一つ、「あとでね」の使い方も変えました。
僕は今でも「あとでね」と言います。仕事中も、家事中も、疲れているときも、どうしても無理なときはあります。父親だからといって、全部のお願いを聞くことはできません。
そこはゼロにしなくていいと思っています。
変えたのは、そのあとです。
「あとでね」と言ったことを、忘れない。手が空いたら、こちらから戻る。
「さっき、何したかったの?」
トランスフォーマーのおもちゃを車に変形して欲しかったそうです。
あとで聞くと2つ変形させて私とレースがしたかったそうで笑顔で伝えてくれました。
そのあと、思いっきり2人でレースを楽しみました!
子どもからすれば、時間の長さより、パパが戻ってきたことのほうが大きいのかもしれません。
終わりがいつなのかは、誰も教えてくれない
第6話で、「パパと遊ぶより、友達と遊びたい」と言われた話を書きました。
親から離れていくことも成長なんだと、そのときは考えました。
だから、余計に思います。
子どもと一緒に遊べる時間には、終わりがあります。抱っこできる時間にも、「パパ、見て」と言われる時間にも、終わりがある。
でも、それがいつなのかは、誰も教えてくれません。
「今日が最後です」という通知は来ない。気づいたら、終わっています。
かといって、今日を全部子どもに使おうとは思っていません。仕事も家事もあるし、副業も続けたい。妻との時間もあります。それでは、たぶん続かない。
僕がやりたいのは、もっと小さなことです。
話しかけてきたとき、一度スマホから顔を上げる。「見て」と言われたら、ちゃんと見る。「あとで」と言ったら、できるだけ戻る。
一緒にいる10分を、ちゃんと一緒に過ごす。
それくらいなら、今の僕にもできそうです。
パパになって初めてわかったこと。
子育てには、たぶん後悔がつきものです。
もっと優しくすればよかった。もっと話を聞けばよかった。もっと遊べばよかった。逆に、スマホばかり見なければよかった。
何をしても、あとから思うことはある。
だから僕は、後悔しない父親を目指すのを、やめようと思います。
そんなの、たぶん無理だから。
その代わり、後悔したときに、今日を少し変えられる父親でいたい。
昨日「あとでね」と言ってしまったなら、今日は10分遊ぶ。昨日スマホを見ながら話を聞いていたなら、今日は顔を見る。
それくらいでいい。
完璧にはできません。でも、気づいた日からなら、少し変えられます。
写真フォルダには、これからも写真が増えていくと思います。
そして何年か後、また今日の写真を見て「こんなに小さかったっけ」と思うのでしょう。
そのとき、全部を覚えている必要はありません。
でも、一つくらい思い出せたらいい。
あの日、一緒に笑ったな。くだらないことで盛り上がったな。もう一回やろうって言われたな。
そんな記憶が、写真の向こう側に残っていたらいい。
写真フォルダを閉じて顔を上げれば、今の息子がいます。
小さかった頃とは違う。できることも増えた。友達のほうが楽しい日もある。
それでも、まだ「パパ」と呼んでくれます。
だから今日、「パパ、遊ぼう」と言われたら、できる日は「いいよ」と言おうと思います。
できない日は、「あとでね」で終わらせずに、ちゃんと戻ろうと思います。
過去には戻れない。
でも、今日には、まだ間に合うから。
普通の家庭の、普通のパパの話です。
次回予告
第10話|10年後、子どもたちにどんな父親だったと思い出してほしい?
このシリーズの、第1シーズン最終話です。
仕事も、副業も、家事も、子育ても。毎日を回すことに必死で、「良い父親って何だろう」なんて考える余裕はありませんでした。
でも10年後、子どもたちが今よりずっと大きくなったとき、僕はどんな父親として記憶に残っていたいのか。
第1話から第9話までの失敗と気づきを振り返りながら、今の僕なりの答えを考えます。
「パパになって初めてわかったこと。」
30代会社員・2児の父が綴る、仕事と家族のリアル。
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