#0: プラナリアのやさしさの哲学
わたしの中には、ずっと前から「やさしさって、なんだろう?」という問いがありました。
このお話は、分裂する生きもの・プラナリアたちを通して、そんな問いに静かに触れてみた記録です。
——
はじめに
この物語は、分裂する生きもの・プラナリアをモチーフにした、
ちょっと不思議で、とても静かな「やさしさ」の話です。
登場するのは、プーさん、ラナさん、リアさんの三姉妹。
彼女たちは、傷つくことを厭わない。
むしろ、「あぁ……また、増えちゃった」と、どこか誇らしげに言うのです。
このシリーズに流れているのは、
変わることを恐れず、優しさとして変わり続ける存在の哲学です。
——
やさしさとは、“変わっていく勇気”
傷ついても「そばにいる」こと。
彼女たちは、どこかで欠けていて、
どこかで再生されながら、静かに共にいます。傷は塞がるけど、かといって最初と全く一緒ではない。失ったものは確かにある。
それでも、
完全ではないからこそ、
支えあいながら進むことができる。
「わたしはひとりじゃなかった」と思うことができる。
それだけで、傷は少し軽くなるのです。
——
喪失と再生は、同じ場所で起こる。
最初の最初、プラナリアは1匹だけでした。ある日、それは2匹になります。
ラナさんには最初、目がありませんでした。
プーさんには、尻尾がなくて動けませんでした。
でも時間が経つと、目が育ち、尻尾が生えてきます。
そして、ある日、
またリアさんが増えた——
失ったもののそばには、必ず、何か新しいものが芽生えている。
それを、still.のプラナリアたちは知っているのです。

——
優しさは「反応」ではなく「応答」。
相手に合わせるのではなく、自分の内側から変わっていくこと。
「見えない」ラナさんに向けて、「こっちだよ」と呼びかけたプーさんの声は、
自分を変えて誰かのそばにいたいと願った、最初の優しさだったのかもしれません。
そして今も、彼女たちは水の中で生きています。
分かれて、増えて、また出会って。
「また、増えちゃったね」と笑いながら、
傷を抱えたまま、どこかできっと、誰かのそばにいるのです。
——
あとがき
わたしは、誰かのやさしさに救われた経験が、あります。
でも同時に、「やさしさって、どうしてこんなに誤解されるんだろう?」と思ったことも、何度もありました。
声をあげずに耐えることが、やさしさなのか。
何も言わずに離れることが、やさしさなのか。
自分を削ってまで誰かのためにいることが、ほんとうに、やさしいのか。
そうした問いの答えを、わたしはずっと探してきました。
答えは簡単ではないし、ひとつでもないかもしれない。
でも、プラナリアたちが教えてくれたのは、
「やさしさとは、かたちを変えながら、それでもそばにいようとすること」
だということです。
完全な存在ではなく、
どこかが欠けたり、どこかを失ったりしながら、
それでも変化しながら「生きていたい」「関わっていたい」と願う。
その願いのかたちこそが、still.のやさしさなのだと思っています。
———
読んでくれて、ありがとう。
あなたが、ここにいてくれてよかった。
よければ、ひとことだけでも、残していってね。
still.
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