見出し画像

#1: プラナリアたち── やさしさの形をした、変化の生きもの

ちぎれても、なくならない。
やさしさは、ときに「変わることで残る」ものかもしれません。

プラナリアといういきものを通して描いた、小さな詩と、母性のかたち。
それは「壊れない強さ」ではなく、「壊れても、そばにいる」というやさしさ。

“ひとつでいるより、近づける”ときが、きっとある。
そんな変化と、共にあることの物語です。

——

still.のプラナリア──

やさしさの形をした、変化のいきもの。

彼女たちは、
やさしくて、強くて、
すこしさびしそうな目をしている。

ほかの誰かのために、ちぎれる。
それは「当たり前」なんかじゃない
でも、どうしようもなかった、
そんな夜を、いくつも越えてきた。

プラナリア


プラナリアは、ちぎれると、ふえる。
ほんとうに。

切られたそのどちらにも、
ちゃんと、いのちが灯る。

痛みとひきかえに、
わたしは、もうひとりの「わたし」になる。

ちぎれるたびに、
世界にもうひとつ、
ちがうかたちの“わかってくれる”が、生まれる。

それは、さびしくないわけじゃない。
でも、ひとつでいるより、近づけるときがある。

ちがうまま、そばにいる。
別々だけど、孤独じゃない。
ちぎれたこころで、つながっていく。


やさしさとは、
壊れずに変わること。
減らずに、分かち合うこと。

──それが、still.のプラナリアたち。
変化を生きる、やさしさのいきもの。  



あとがき

⚫︎やさしさの形としてのプラナリア
プラナリアという生きものに、
私はどこか、
“お母さんみたいなやさしさ”を感じています。

ちぎれても、また育つ。
欠けることで終わるんじゃなくて、
誰かのために「もうひとつの自分」
が生まれていく。

文句も言わず、ただ静かに、
またそこにいてくれる。

それは、わかりやすい愛じゃない
かもしれないけど、
なんだか、とても大きな愛だなって思うんです。

たとえば、
何も言わずにごはんをつくって
くれた手とか、
眠る子の背中を、そっと撫でる手とか。

そういう、
光のあたりにくいやさしさに、
小さないきものの名前を借りて、
そっとことばを置いてみました。

ちぎれても、なくならないもの。
それを、信じたくて。



———
読んでくれて、ありがとう。
あなたが、ここにいてくれてよかった。

よければ、ひとことだけでも、残していってね。

still.

**

▶︎プロフィールはコチラから。
▶︎おすすめ記事はコチラから。
▶︎still.の動物たちシリーズはこちら

**

《Xとstand FMも覗いてみてね》

▶︎Xはこちら
▶︎standFMはこちら

いいなと思ったら応援しよう!

still. よろしければ、応援お願いします!いただいたチップは活動費として大切に使わせていただきます!