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「表現の自由」は「特定の対象を守るためだけの都合の良い使い捨ての道具」にしてはいけない話

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「表現の自由」

本来なら誰にとっても同じ基準で機能する原則です

しかし実際にSNS上で使われる場面を見ていると、その運用はかなり

「恣意的」

と感じることが多くあります

自分が好きなもの、共感できるものを守るときは絶対的な盾として振りかざされ、

逆に自分が不快に感じるもの、距離のあるものに対しては、同じ理屈が一瞬で引っ込められてしまう

そんな場面を、皆さんも一度は見たことがあるのではないでしょうか

私はつい最近それをSNSで

「某漫画のアニメ化の炎上」

「某ネットフリックスの番組の炎上」

から感じている所でした


「フィクションだから嫌なら見なければいい」

「作者や出演者の思想・経歴は作品と関係ない」

「不快だからといって表現を止める権利はない」

これらは「表現を擁護する側」が繰り返し使う定番のフレーズです

ところがSNS上の論理が、別の表現に対しては「まったく逆の理屈」を持ち出すことがあります

「被害者の気持ちを考えるべきだ」

「公的な立場にある存在が関わるのはおかしい」

「実害が出ている以上、放置できない」

どちらも一見もっともらしい主張ですが、それらを状況に合わせて使い分けているとしたら、そこにあるのは一貫した原則ではなく、

「単なる好みの表明にすぎないのではないか」

と、考えるしかないのです

原則を語っているようで、実は「自分の好きなものを守りたいだけ」になります

それ自体は人間として自然な感情だと思うのですが、それを「表現の自由」という大きな言葉で「正当化」してしまうところに「違和感」を覚えるのです

事はそう複雑ではありません

表現の自由という言葉が、「特定の価値観や感情を正当化するための道具」として使われている、ということです

自分が支持する作品や、共感できる立場の人間が批判されたときは「自由」を掲げて守る

逆に、自分が不快に感じる対象や、政治的・社会的にセンシティブな文脈になった途端、「配慮」や「実害」を理由に規制を求める側に回る

つまり判断基準は「表現の自由を守るべきか」ではなく、

「自分がその表現を許容できるかどうか」

でしかありません

原則は後付けの正当化として呼び出されているだけで、実際に議論を動かしているのは「感情と好み」なのです

自分自身にも当てはまる部分があるので、あまり偉そうなことは言えないなと思っています

誰しも

「これは好きだから守りたい」

「これは嫌いだから規制されてほしい」

という感情はあって当然です

ただ、それを自覚しないまま「原則」の顔をして語ってしまうと、後から見たときに矛盾だらけになってしいます


この使い分けが特に露骨に表れるのは、表現が「公共性を帯びる場面」です

純粋に個人の創作物として消費されている間は「自由」の論理が強く働きますが、行政機関や企業が関与したり、実在の被害者・当事者が絡んだりした瞬間に、同じ表現に対する評価は一変します

これは、表現そのものの内容が変わったからではありません

表現が置かれる文脈

誰が関与し、誰が傷つき、どこまで社会的な影響力を持つか

それが変わったことで、都合よく基準がスライドしているだけなのです

福祉や教育の現場にいると、この「公共性が絡んだ途端に評価が変わる」感覚は、わりと身近なものに感じます

個人の家庭内でのやり取りなら見過ごされることも、公的な支援の場になった瞬間に厳しい目が向けられる

よくあることです

それ自体は必要なことも多いのですが、基準がその場の空気で決まっているだけだと、支援する側も混乱してしまうんですよね


憲法が保障する「表現の自由」は、本来、

「国家による検閲からの自由を第一義」

とするものです

そして、市民が特定の表現を批判し、企業や行政に再考を求めること自体もまた、「表現の自由の一部」だといえます

だとすれば、一貫した立場とは次のようなものになるはずです

「描く自由もあるし、批判する自由もある。ただし、実害や公共性については好き嫌いとは別に考える」

これができて初めて、表現の自由は原則として機能するのだと思います

しかし現実には、多くの人がこの一貫性を持てていません

好きなものは「自由」で守り、嫌いなものは「配慮」で切り捨てる

そのたびに、表現の自由という言葉そのものの重みは、少しずつ失われていくように感じます


表現の自由を掲げること自体は、何も間違っていません

問題はそれが

「特定の対象を守るためだけの都合の良い使い捨ての道具」

になってしまっていることです

・自分がどちらの立場に立っているときも同じ基準を適用できているか

・都合のいいときだけ原則を持ち出していないか

表現の自由を語る前に、まずは自分自身に問い直してみる必要があるのかもしれません


様々な質問などはこちらから…できるだけ記事にしてまとめてお答えしますね(´・ω・`)👍

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