漫画「みいちゃんと山田さん」問題に対して支援者、教育者、医師がSNSで当事者や関係者にもたらす危険性の話


漫画『みいちゃんと山田さん』をめぐる議論 SNSでは話題沸騰していますが、あまりいい傾向の沸騰とは言えませんね

私が特に危険視しているのが

「支援者・教育者・医師といった専門職のSNSにおけるこの漫画への肯定的反応」です

個人がその作品を「面白い」「好き」という分には問題は全くないと思いますが、SNSで自分の職業を名乗り、権威付けしているような状態でそれを喧伝することは、多くの問題を引き起こすと考えています

今回はこの件についてまとめていきます


私たちは日常的に支援の現場で知識や経験を踏まえ、利用者さんの行動や課題をアセスメントし、障害や特性を理解しようとします

その目的は、支援計画を立て、目の前にある問題、課題に対して適切に介入し本人の

「主体的な生活を支えるため」

のものです

断じて当事者やご家族からの同意の元、立場上知り得た情報や知識、経験をエンタメ作品を通じて「面白いケース」として消費するためのものではありません

この作品を「興味深い」と発信することは、当事者の背景や人格を無視し無機質な「観察される存在」にする行為と言えます

当事者を「観察される存在」ではなく、「主体として尊重される存在」

として関わることは福祉や医療、教育の基本的な姿勢であるはずです

当事者やそのご家族がSNSで

「自分たちの生きづらさが専門家にまで娯楽として扱われている」と感じ、二次的な傷つき体験を負う可能性

を発信する側は考えたでしょうか

その可能性があるのに「社会的意義」を声高にできるでしょうか

そして、非常に良くないのは、不用意で不躾な専門職の一言で長期的な支援拒否やスティグマの強化につながる危険性のある行為を

「専門職は理解しながら承認欲求に負けて行ってしまっている」

事です

これはある意味、「気づかないで行っている事例」よりも質が悪く、専門職であることを盾にする悪意が見え隠れします

SNSでは専門職としての「専門的な視点」「鋭い分析」が「いいね」や拡散を得やすい構造がありますし、それが様々な思惑で引用、根拠として利用されることがあります。どんな過激で偏った思想の人でもです

作品を「臨床的に、現場的に面白い、わかる」と語ることで、同じ立場の人や、その話を根拠にしたい人から支持されやすく、承認欲求が満たされるのです

一方で、当事者や家族からの批判は「感情的」「過敏」「間違った認識」とラベルを貼られやすくなります。そして矮小化することで、「相手が間違っている」という印象を残そうとします。この漫画の性質上、それが特に顕著です

そして、自分の発信を正当化し続けるエコーチェンバーが形成されやすいのです。このことで指摘を受けて感情的に反応する人がいるのも、この

「自分を承認してくれるの場が脅かされること」

への防衛反応だと考えられます

本来「守らなければならない人」をほっといて「自分を守る」ことに熱心になる

本末転倒ではないでしょうか

当事者やご家族への被害から目を背け、こういった行動をとること自体が倫理に反するものであることは言うまでもありませんよね?

以前にもこの記事で指摘したことです

SNSで行われる「無差別な事例検討」の助長にも繋がる可能性があるのも非常に危険です




上記の記事からの引用ですが、私の言いたいことを過去の自分も言っていますね

”医療・教育・保育・支援といった対人支援の仕事は、どれも「信頼」を土台にして成り立っています

患者さんが医師に体の悩みを打ち明けるのも、子どもが先生を慕うのも、利用者が支援者に弱みを見せられるのも、すべてはそこに「信頼関係」があるからです

職業倫理とはその信頼を守るための「約束事」でもあります

法律とは少し違い、「やってはいけないこと」だけでなく「どうあるべきか」という姿勢や価値観にまで踏み込んでいるのです

SNSで専門性を発信する以上、少しははみ出してしまうこともあるのは分かります

しかし 自分達の分析が、経験が、知りえた情報が… 立場上知り得たものを「専門性という権威」をまとわせて発信することの危険性は大いに把握しなくてはなりません

ネット、SNSは情報を正しく使用する人間ばかりではありません。むしろ、自分の都合の良いように情報を解釈、曲解して間違った情報に作り替えて再発信する人間の方が極めて多いのです

専門職が言ったのであればその言葉に乗った「重み」「箔」までも利用されかねません

専門性は知識や経験は「包丁」みたいなものです 
料理人を志す人に健全に譲渡されるならいいんですよ

使い方が分からない赤ちゃんや、誰かを傷つけたいと思っている人間に渡すならどうでしょう…

何が起こるか容易に想像がつくのではないでしょうか?

「これを投稿したとき関わっている人が見たらどう感じるか」

という視点は常に大事にしなければなりません SNSというのはそういう場所です”

ということです


私は

「自分の立場や権威性を利用し当事者やご家族に不利益を及ぼす人間」に対しては厳しく当たる

ということをSNSで大事にしています

「この人は教員だ、支援者だ、医者だ、そしてフォロワー数が多いから黙ってやり過ごそう」とパターナリズムの関係である人が黙殺される雰囲気を嫌うからです。それなら指摘するファーストペンギンになり、声をあげるきっかけになればと考えます

全部自分のエゴです。綺麗事でもなく、不合理です。清廉潔白でもなく、適当でもありません。それでもいいかなと考えます

自分の大事にしなければならない事がぶれなければ

…と言っても多大な影響を及ぼすそういった事象がそんなに多くあるわけではありません

大抵はコミュニケーションを間違ったクソリプラーで、影響を及ぼさずにフェードアウトしてしまうことが多いからです

しかし、今回のこの問題ではうんざりするくらい目の前に現れました

いや…いいんですけど…これも「表現の自由」ですからね

皆さん各々満足のいく「表現の自由、発信」をしていきましょう

ただ、

実際の「支援」や「医療」、「教育」現場で、当事者や家族が「不誠実だ」と感じ、相談を躊躇う、繋がりを断ってしまうようなケースは少なくありません。それは相手の捉え方などもありますが、専門職の落ち度であることも珍しくありません

支援者、教育者、医療者は簡単に当事者やご家族に影響を与えられます。しかし、相手は受けた影響から抜けられなくなることもあります

様々な人との信頼関係の崩壊をわざわざ招き、支援や医療、教育の継続を困難にするのも「自由」の中にあるんですよ

その責任は絶対にとらないといけませんし、逃げられないものです

今逃げたと思っても「過去」は必ず追ってきますし、逃げ切ったと思っても必ず負い目になります

それを「専門職」は忘れてはいけませんね

もちろん、この作品が「好きである」「救われた」という発信は否定されるべきでものでありません

しかし現状、社会的距離も取れず、作者や出版社の悪意が見え隠れし、SNSを混乱に陥れる様子を垣間見ると、専門職ほどより評価を慎重にならなければならないのではないか

という話です


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