【小説・ヴィーナス症候群】[661]第二ボタンたい焼き駐輪場
神田の雑居ビルの三階。
古びたソファーとローテーブルのある応接スペースが、「コルチカムの会」の本部だった。
生まれつき両腕のないヴィーナス児の当事者団体。
そしてその事務局で働いているのが、金属製の肩義手をつけた事務局員・階上つばさだった。
ローテーブルの上には、紙箱に入ったたい焼き。
「西土浦の駅前のかちどき屋が潰れて駐輪場になっちゃったんだよ」
そう言ったのは、スーツ姿の男――
西土浦の国立先端医工学研究センターに所属する研究者、高梨義三だった。
「そこでたい焼きのワゴンが出てるんだけどさ。センターじゃ結構評判がいいんだ」
守実が眼鏡を直しながら、箱の中をのぞく。
「ほう、これはうまそうだ」
つばさが苦笑する。
「ああ、かちどき屋って、あの店長がブチ切れた所…」(第639話)
高梨が肩をすくめた。
「なんか評判悪かったみたいだね」
守実はたい焼きを一つ取り、紙をめくりながら言った。
「まあ商売はいろいろあるからな」

高梨はふっと笑い、少し声を落とした。
「まあそのかちどき屋どころじゃない強烈なおばさんがセンターに来てさ…」
守実が顔を上げる。
「クレーマー?」
「いや」
高梨はたい焼きを指でつまみながら言った。
「国会議員だよ。視察」
つばさが思わず声を上げた。
「えええ…」
「改革系の新党の人。河田祥子って人」(第644話)
守実の眉が少し動く。
高梨は続けた。
「『サイボーグ技術は軍事的に応用しろ!』とか言い出してさ」
「……」
「『障害者を役立たずから人材資源にしろ!』とかね」
つばさは思わず義手の指をぱたぱたさせた。
「ええええ…」
高梨は苦笑した。
「あげく『敷地の隅にある傷痍軍人記念館は暗すぎる!若者が戦争を嫌がる!もっと国防意識を持たせる内容にしろ!』とか言い出すわけ」
守実が静かに言った。
「いや、元々あのセンターは土浦の傷痍軍人療養所からスタートしてて、日本の義肢の発達の歴史にも寄与してきてるはずなんだ」
少し間。
「その人は軍国主義の人?」
高梨はたい焼きをかじった。
「そう思うでしょ?」
そして笑いながら言った。
「所長が『いくらなんでもそれは…』って言ったらさ」
つばさと守実が顔を上げる。
高梨は、議員の真似をするように言った。
「『卒業式で第二ボタンが欲しいって言う女子もいなかったような非モテ君だったんでしょ!』だってさ」
一瞬、部屋が静まり返った。
つばさが吹き出す。
「それ国会議員が言うんですか…」
守実はため息をついた。
「まあここまで来ると国会の中でも相当キワモノ扱いされてるんだろうな」
高梨は肩をすくめた。
「で、さすがに秘書も問題発言だと思ったんだろうね」
たい焼きの箱を閉じながら言う。
「『内緒だからな』とか言ってきたんだけどさ」
つばさが呆れ顔で言った。
「それはそれで言論弾圧か何かでしょ」
守実は静かにたい焼きを食べ終えると、ゆっくり言った。
「河田祥子か…」
そして眼鏡を押し上げる。
「覚えておくことにしよう」
古い事務所の窓の外で、神田の雑居ビル街の自転車の列が、夕方の光の中で静かに並んでいた。
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