働くのが好きすぎた。〜セミリタイアしたはずが、また全力で走り出した理由。〜|リタイアと仕事の話⑤|私自身の部屋
正直に言います。
セミリタイアしたはずなのに、気づいたらまた全力で走っていました。
しかも、前より楽しそうに。
むしろ、働くということに飢えていた感覚がありました。
「あれ、私、やっぱり失敗した?」
自分にそうツッコみながら、でも止まれなかった。
今日は、その理由を書きます。
私にとって、5社は「普通」だった。
復帰した時、実は一気に5社の業務委託を始めました。
海外進出のコンサルタントとして、プロジェクトマネージャーとして、
オペレーションの設計として、採用や人材育成として。
バラバラのポジションで、同時並行。
子どもを産んだばかりなんだから、少しペースを落としたら?と夫に心配されながらのスタートでした。
だけど私の感覚では、特別なことでもなかった。
20代の頃から、複数の仕事を掛け持ちするのが当たり前でした。
本業の傍ら、週末は添乗員やティッシュ配り、夜は成果報酬のテレアポ。
30代になってからも会社を経営しながら、いくつかの会社で同時に働き、
その傍らでアドバイザー業務や執筆業務を受けながら、大学やMBAを卒業。
2足どころか、3足・4足のわらじが当たり前だった。
なぜかというと、年代ごとに武器が違うからです。
20代の武器は、体力と量。
まず回数をこなす。量が質に変わる。
経験も技術もない分、時間とエネルギーで埋める時期。
30代の武器は、技術と質。
20代に積んだ経験が、技術に変わる。
周りより一歩先に抜け出せる時期。
40代の武器は、人脈と売り方。ネットワーク。
これまでの信用と縁が、最大の資産になる。
だから20代も30代も、
リタイアする為の原資を貯めるため、労働単価を上げるために、
量をこなすことが必要だった。
複数の仕事を受けることも、いろんなポジションで動くことも、
その時期の私には、正しいやり方でした。
でも。
今年40歳になる39歳の私が、、
30代と同じスタートの仕方をしたのが、
そもそも入り口が間違っていた。
40代を迎える前にセミリタイアした私は、
今までのビジネスのネットワークを30代半ばで全部捨ててしまっていた。
だから、30代後半。
家の中でどんどん自分自身を失っていく中で、
社会との関わりや仕事に飢えて、仕事を始めた時に、
20代や30代と同じ働き方でスタートしようとした。
去年の9月、ダナンに引っ越して1ヶ月も経たないうちに、一度崩壊しました。
そこからのらりくらり、どうしても続けたかったものだけ続けてきました。
でも今年になって、急な引っ越しと、育児と、夫の転職、そんな中、5社の業務をバラバラのポジションで。
育児にも新生活にもなれていない、
産後ボロボロの自分に20代・30代のやり方を叩き込んだ。
そりゃ崩壊する。
▼ 36歳でスイッチを切った経緯はこちら 36歳でスイッチを切るまで。
産後うつが、問いを変えた。
なぜそんな状態になったのか。
答えが見つかったのは、皮肉なことに、
産後うつで底に着いた時期でした。
全部を手放して、自分と向き合わざるを得なくなった。
「何のために働いてきたのか」
「何のために、また働こうとしているのか」
その原点に正直に向き合った時、やっと見えてきたものがありました。
私は、働くのが好きなんです。
それは仕事中毒とか、お金のためとか、そういう話じゃなくて。
やりたいことがある。
意義に向かって動くことが、自分の中心にある。
仕事はその手段や過程の一つでしかなく、
セミリタイアした時に、仕事と一緒に、人生の意義まで手放してしまっていました。
それをずっと、うまく言語化できていなかった。
なぜ「外貨」なのか。その先にあるもの。
「外貨を稼げる人と会社を増やしたい」
これが私のテーマだと、仕事の部屋に書いてきました。
でも、なぜ外貨なのか。
その先にあるものを、ちゃんと言葉にしたことがなかった。
人も、会社も、社会も。
余裕のある資金がないと、
本当にやりたいことを自信を持って大きな声で言い切って、
やりきる土台なんて作れない。
つまり私が息子に渡したい社会作りは、
そのスタート地点にも立てない。
マズローの階段のような話で、
土台が整って初めて、その先のことを考えられる。
外貨の話は、その土台の話だと考えています。
ビジネスの話ではなく、息子が生きていく未来という社会の話でした。
セミリタイアの「失敗」は、失敗じゃなかった。
また走り出したことを、しばらく「失敗」だと思っていました。
でも違った。
原点に戻る途中だったんだと、今は思っています。
セミリタイア①で書いた失敗の5つの理由。
あれは全部、本当のことです。
でも今振り返ると、もう一つ、根っこにあったことがありました。
セミリタイアが、目的になっていた。
その先に続いた生き方と、自分の信念がずれていた。
コンプレックスをたくさん抱えて生きてきたから、
前を向いて努力を重ねる形で走り続けてきた。
弱みを強みに変えようと、ずっと無理をしてきた。
でも本当に好きなことは、やりたいことは。
意義に向かって走ること、でした。
それをやっと、自分の言葉で言えるようになった。
▼ セミリタイア失敗の話はこちら 私がセミリタイアに失敗した理由。
関わり方を、集約した。
だから今回、バラバラのポジションで受けていた仕事を、
本業=戦略設計のコンサルタント・顧問・経営アドバイザーに絞ることにしました。
複数の支援先に「この関わり方に切り替えたい」と提案して、
合うところだけキープした。
合わないところには、Noと言った。
今も調整中ですが、今後はやりたくないことはまっすぐお断りする方針です。
それだけのことですが、これが思ったより大きな変化でした。
やることの輪郭が、くっきりした。
自分が何者で、何をする人なのかが、
自分の中でやっとはっきりした。
働く理由が、変わった。
儲けるためではない。
評価されるためでもない。
コンプレックスをエネルギーに、「やらなきゃ」で走り続けてきた時間が長かった。
でも今は違う。
意義に向かって走っている。
仕事を人生から切り離さない。
信念を持って続けられるものにする。
自分と事業と家族が、一緒に成長していけるものにする。
人も会社も社会も、強みで生きて、
お互いの違いで補い合える場所にしていきたい。
その一歩として、今できることをやっている。
それが今回、もう一度走り出すと決めた理由です。
「また走り出した」の、その先へ。
また走り出しました。
でも前と、一つだけ違うことがあります。
「何のために働くか」が、自分の言葉で言えるようになった。
そして、どんな形で関わるかも、自分で選べるようになった。
「選べる」ということ。
その話を、次に書きます。
▼ 次の記事 [NOと言える選択肢を持つこと。〜私のセミリタイアの本当の定義〜](投稿後に追加)
📚 セミリタイアシリーズを最初から
▼ ① 私がセミリタイアに失敗した理由。
https://note.com/manalabo/n/n3aad8352a7ff
▼ ② 私が「労働単価×時間」の外に出たかった理由。
https://note.com/manalabo/n/n8e2e52512dbf
▼ ③ 弱者だったから、投資家になれた。
https://note.com/manalabo/n/n7c7ed02a65d7
▼ ④ 36歳でスイッチを切るまで。
https://note.com/manalabo/n/nf144d4cd129e
▼ ⑤ 働くのが好きすぎた。
読む(この記事です)
▼ ⑥ NOと言える選択肢を持つこと。
https://note.com/manalabo/n/n81704f348c56
▼ ⑦ 今、また走り出している。
https://note.com/manalabo/n/nc089c281a388
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【この記事を書いた人】まなラボの紹介
ベトナム在住10年・ダナン在住。
4言語(日英仏西)、5カ国居住、約40カ国経験。
音大中退後、学位も貯金もゼロからパスポート一枚で海外へ。
物流・金融・コンサルとキャリアを積み、2016年にベトナムでコンサル会社を立ち上げ・売却。
ジェトロや中小企業基盤機構、公的機関の現地アドバイザーや、日系企業2,000社超の相談・支援に関与。証券外務員/米国MBA保有。
ベトナムで息子を出産したことをきっかけに、日本経済の将来を人任せにするのをやめようと決めた。
次の世代に「まだ挑戦できる」という背中を見せるために、今、外貨を稼げる人と会社を増やすことを、自分のテーマにしています。
※このシリーズに出てくるお金の話は、私自身の経験と考え方をもとにした記録です。投資・資産運用には必ずリスクが伴います。特定の金融商品の購入や投資行動を推奨するものではありません。判断はご自身の責任でお願いします。
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