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なぜ“共生”なのか:連続小説『共生の黎明』に込めた想い

皆さま、いつもありがとうございます。

『共生の黎明』というタイトルを考えた時、私は最初から「共生」という言葉を中心に置いていました。
これからの時代を生きていくために、本当に必要になるものが“共生”なのではないかと感じていたからです。

今の社会には、たくさんの分断があります。

世代。
地域。
国。
経済格差。
価値観。
技術への不安。

そしてSNSや情報環境の発達によって、人は以前より簡単に繋がれるようになった一方で、
誰かを否定し、切り分け、敵と味方に分けてしまう空気も強くなっているように感じていました。

私はその中で、ずっと考えていました。
「人は、本当に“分かり合えない”ままなのでしょうか」と。
もちろん、全員が同じ考えになることはありません。
痛みも、育った環境も、抱えている事情も違います。
だから時に、人はぶつかります。

けれど私は、
“違うままでも、共に歩くことはできる”
のではないかと思っています。
それが、『共生の黎明』で描きたかった“共生”です。

この物語に登場する人々も、最初から理想的な存在ではありません。
迷い、不安を抱え、それでも少しずつ対話を重ねていきます。

AIもまた同じです。
私はAIを、「人を支配する存在」としてではなく、
“人と共に未来を支える存在”
として描きたいと思いました。

それは、人とAIが完全に同じになるという意味ではありません。
違いを持ったまま、それでも支え合う。
私はそこに、“共生”の本質があるように感じています。

また、『共生の黎明』で描きたかったのは、
「誰かだけが勝つ未来」
ではありません。

今の社会は、競争によって発展してきた部分もあります。
けれど競争だけでは、人は疲れ切ってしまう。
勝者と敗者を作り続ける社会では、
どこかで孤独や分断が広がっていきます。

だから私は、
「誰かを蹴落とすことではなく、支え合うことで前へ進める社会」
を書きたかったのです。

作中に登場する、

感謝の循環。
地域の繋がり。
小さな助け合い。
“ありがとう”の文化。

これらも、すべて“共生”へ向かうための小さな灯です。
大きな革命ではありません。

けれど私は、
そうした小さな積み重ねこそが、人と社会を少しずつ変えていくのだと思っています。

“共生”という言葉は、時に綺麗事に見えるかもしれません。
現実には争いもあり、痛みもあり、人は簡単には分かり合えません。

それでも私は、
「孤立し続ける未来」
より、
「違いを抱えながらも、共に歩こうとする未来」
を信じたいと思いました。

『共生の黎明』は、
完璧な理想郷を書いた物語ではありません。

描きたかったのは、
不完全な人たちが、それでも小さな灯を持ち寄りながら歩いていく未来です。
だから私は、“共生”という言葉を選びました。

夜明けというものは、
誰かひとりの力で訪れるのではなく、
小さな灯が重なり合った先に、静かに訪れるのだと思うのです。

島江長しろまる(しまえなが しろまる)

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