【第14講】ギリシャ語の「h」はラテン語の「s」!? 発生学から『羊たちの沈黙』まで繋がる究極の文字遊び
こんにちは!ただの医学生です。
【初めての方へ】
このブログでは、医学生の暗記術を応用した「英単語を”暗記”から”教養”に変える語源学習法」をベースに、様々な言葉のルーツを解説しています。当ブログのコンセプトである学習法について、まだ読んでいない方はぜひこちらの記事からご覧ください!
今回は、趣向を少し変えて、今まで何度か登場してきた「ギリシャ語の『h』とラテン語の『s』の入れ替わり」についてお話ししようと思います!
実は、ヨーロッパの言語のルーツである「インド・ヨーロッパ祖語(印欧祖語)」にあった「s」の音は、ラテン語ではそのまま「s」として残りましたが、ギリシャ語では「h」に変化してしまったという有名な法則があります(例外はあります)。
例えば、次のようなペアがあります。
September と heptagon
supermarket と hypermarket
supposition と hypothesis
similar と homosexual
solar と helium
salt と halogen
どれも非常に興味深いので、医学・生物学の知識と絡めながら一つずつ見ていきましょう!
第1部:数字の「7」と、ヒラメに潜む寄生虫
まずは、September と heptagon(七角形)のペアです。
ラテン語の sept は「7」を意味し、ギリシア語の hept も「7」を表します。ギリシア語の hept は、化学選択の人なら錯イオンの名称決定(ヘプタ〜)などで学んでいるはずです。
しかし、September は「9月」です。なのに「7」が使われている理由はなぜか?
それは、古代ローマでの1年の考え方に起因します。古代ローマでは、1年間は10カ月と考えられており、カレンダーのスタートは今の「3月」でした(※第6講で扱いましたね!)。そこから指折り数えてみると、9月は「7番目」の月になります。
この sept は生物の世界にもよく現れます。日本でよく見られる「ナナホシテントウ」の学名は Coccinella septempunctata といい、septem(7)+ punctata(斑点)というように、その特徴がそのまま名前になっています。英語名でも、「seven-spot ladybird」と言われるので「7つの点をもつlady(=聖母マリア)のような鳥」が直訳です。聖母マリアのたとえをしているのは、その外見(聖母マリアは赤いコートを着ているとされる)に由来します。

( Dominik Stodulski, via Wikimedia commons)
テントウムシなら可愛いものですが、医学部に入ると、この septempunctata で全く別の生物を思い浮かべることになります。 それが Kudoa septempunctata(ナナホシクドア) です。
これはヒラメの筋肉に寄生する粘液胞子虫(寄生虫の一種)です。顕微鏡で見ると、花びらのような7つの極嚢(斑点のように見える)を持っているためこの名が付きました。 2010年頃から愛媛県などで集団食中毒を引き起こしたことで有名になり、ヒラメの生食後、数時間で激しい吐き気や嘔吐、下痢などを引き起こす、公衆衛生上も重要な寄生虫です。

(Meejung Ahn, Hochoon Woo, Bongjo Kang, Yeounghwan Jang and Taekyun Shin, via Wikimedia commons)
第2部:上と下、そして「発生学」の神秘
次は supermarket と hypermarket のペアです。意味はどちらも「超大型スーパー」ですが、前者はアメリカ英語(ラテン語由来の super)、後者はイギリスやフランスでよく使われる表現(ギリシア語由来の hyper)です。
super(上:ラテン語) ↔ 対義語は sub(下)
hyper(上:ギリシア語) ↔ 対義語は hypo(下)
supposition と hypothesis に関しても、ともに「仮説」という意味ですが、前者はラテン語由来(sub "下に" + pose "置く")、後者はギリシア語由来(hypo "下に" + thesis "置く")という完璧な対応関係になっています。
医療の世界では、甲状腺機能亢進症は hyperthyroidism、低下症は hypothyroidism と、ギリシャ語のセットがよく使われますね。
【医療者向けの寄り道①:発生学と幹細胞】
さて、「上(epi/hyper)」と「下(hypo)」に関して、医学生が苦しめられるのが「発生学」です。
医学部ではひとつの科目として成立する分野ですし、発生学の教科書と格闘することとなる分野です。それをザックリ解説しますが、少しマニアックなので、わかんね~!って思ったらすっ飛ばしてください(笑)
それでは、人体の神秘に触れてみましょう。
人の受精卵は、胚盤胞の状態で子宮内膜に着床した後、2週目頃に細胞の塊が二層に分かれます。
上層:胚盤葉上層(epiblast) ➡ ここから羊膜腔ができる。
下層:胚盤葉下層(hypoblast) ➡ ここから卵黄嚢ができる。

この図を見ただけで嫌になる医学部生も多いと思います・・・
(Panzer VI-II, via Wikimedia commons)
第3週に入ると、epiblastの細胞が一部落ち込んでいき、hypoblastの細胞を置き換えていきます。これにより、私たちの体のすべてのパーツの元となる「三層性胚盤」が形成されます。
外胚葉(Ectoderm): 皮膚(表皮)、水晶体、角膜。そして神経管(脳・脊髄・網膜)や神経堤細胞(メラノサイト、交感神経節、顔面の骨)など、体の「外側」や「情報伝達」を担う器官に。
中胚葉(Mesoderm): 真皮、骨格筋、骨、心臓、血管、血液、腎臓、生殖器など、体を「支える・動かす・巡る」器官に。
内胚葉(Endoderm): 消化管(胃や腸)、肺、肝臓、膵臓など、体の「内側の管」とそこから派生した臓器に。

ここから先は、発生学の成書にお任せします。
たった一つの受精卵から、体中の全ての細胞が出来上がる過程は、ここではとても書ききれません。
しかし、この性質を持っているES細胞(Embryonic Stem cell:胚性幹細胞)は、重要かつ入試頻出のテーマですので、触れておきましょう。ES細胞は受精卵の一部から取り出すことのできる細胞で、体中の全ての細胞に分化する能力を有した状態の細胞です。 この性質により、半永久的に再生医療が可能になる!と期待が高まりましたが、受精卵を破壊しなければならないという倫理的問題や、ドナーのES細胞はレシピエントにとっては「他者の細胞」になるので拒絶反応が起こるという壁がありました。
それを打ち破ったのが、2006年に京都大学の山中伸弥教授らが作り出した iPS細胞(人工多能性幹細胞) です! 患者自身の皮膚や血液の細胞に「山中四因子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)」という遺伝子を導入し、細胞の時間を巻き戻して(リプログラミング)、再びどんな細胞にもなれる状態にしたのです。
2014年には世界で初めて、加齢黄斑変性という眼の病気の患者さんにiPS細胞から作った網膜細胞が移植されました。当初は「ガン化するのでは?」と懸念されていましたが、2023年の日本再生医療学会では、移植から7年経っても腫瘍化は確認されず、視力も維持できているという素晴らしい報告がなされています。
第3部:言語学の魔法「母音交替(Ablaut)」
発生学から言語学へ戻りましょう。 similar(同様の)と homosexual(同性愛の)に関しても、ラテン語の simi とギリシャ語の homo は両方とも「同じ」という意味の同語源です。
いやいや、テキトーなこと言うなよ、と。
たまたま似ている意味の、simi-とhomo-がsとhが同じだっただけじゃない??
そんな声が聞こえてきそうですね。
理由は分かります。
「sとhが入れ替わるのは分かったけど、なんで "imi" が "omo" になってるの?」
の部分ですよね。
実はこれ、テキトーじゃないんです。言語学で「母音交替(Ablaut)」と呼ばれる現象が起きています。
印欧祖語の時代、「同じ・一つ」を表すベースの音は sem- でした。
英語の不規則動詞で「sing(現在) ➡ sang(過去) ➡ sung(過去分詞)」と母音がクルクル変わるように、昔の言葉は役割に応じて母音を「e」にしたり「o」にしたり、あるいは消したりしていました。
ラテン語へ行くとき:母音の「e」が「i」に変化し、simi(似ている:similar の語源)へ。
ギリシャ語へ行くとき:頭の「s」が「h」になり、さらに母音が「e」から「o」に交替した結果、homo(同じ:homosexual の語源)になったのです!
第4部:太陽の「方向転換」と熱力学
solar(ラテン語由来)と helium(ギリシャ語の helios 由来)も、「太陽」を表す s と h のペアです(※ヘリウムは太陽の観測で発見された元素でしたね。第13講で触れました!)。
sola-とheli-。sがhになっているだけではなく、oがeになり、aがiになっています。ぱっと見では、同じ語源だとは気づけないくらい、恐るべき母音交替の威力ですね(笑)
この helios(太陽)に、ギリシャ語の trepein(向きを変える)が合体してできたのが、heliotropeでした。ヒマワリのように太陽の方向を向く「向日性植物」のことであり、そこから派生して皮膚筋炎の「ヘリオトロープ疹」の名前にもなりました。
この trepein(向きを変える)というパーツは、実はとんでもない広がりを見せます。
Trophy(トロフィー): 敵軍を「方向転換(敗走)」させた場所に飾った戦利品が語源です。
Entropy(エントロピー): en-(内部で)+ tropy(変化・方向転換)=「内部の乱雑さの変化の度合い」を示す熱力学の用語ですね。今では高校化学でも扱われる概念です!(ちなみに、自分が受験した際には学習指導要領外だったので、バイトで化学を教える際は苦労した経験があります。実はほかにもいくつか同様の現象が起こる科目(数学における「統計」や「整数」の扱いなど)があって、日本の学習指導要領コロコロ変わりすぎだろ…と愚痴りたくなります(笑)。)
紛らわしい Enthalpy(エンタルピー)は、en- + thalpein(温める)=「内部に持つ熱エネルギー」のことです!語源から考えれば、紛らわしい語も区別できるので、おすすめですよ!
Tropical(熱帯の): もともとの tropic は「回帰線」という意味です。
tropic の成り立ちを理解するには、小学校理科で習う「地軸の傾き(約23.4度)」がカギです。地球から見ると、太陽は季節によって空の高いところと低いところを行ったり来たりし、夏至の日に最北端(北緯23.4度)、当時の日に最南端(南緯23.4度)に達します。冬には自分の影が長く伸びるのはこのためです。
この「太陽が最北端でUターン(方向転換=trope)」するのが、真上で起きる(つまり、夏至の日の南中高度が90度)地球上の地点が「北回帰線」です。同様に、太陽の最南端でのUターンが真上で起こる地球上の地点を結んだのが「南回帰線」となります。
図を見るとわかりやすいと思います。

Tropic of Cancer(北回帰線)上では夏至の日に太陽からの光が垂直に当たる(=南中高度が90度。自分の影は消失する)。
Tropic of Capricorn(南回帰線)上では冬至の日に太陽からの光が垂直に当たる。
英語の Cancer(かに座)や Capricorn(やぎ座)が使われているのは、約2000年前に天球上の星座を名付けた際の名残です。現在では地球の自転軸の歳差運動によって実際の星座の位置はずれていますが、歴史的な名称がそのまま使われ続けています。
第5部:給料(Salary)とハロゲン(Halogen)の塩辛い関係
さて、「s」と「h」の入れ替わり法則の最後を飾るのは、salt(塩)と halogen(ハロゲン) のペアです!
英語の salt(塩)は、ラテン語の sal に由来します。この「s」が、ギリシャ語では「h」に変化して hals(ハルス:塩) となりました。
化学で習う原子番号17の ハロゲン(Halogen) は、このギリシャ語の halo-(塩)+ -gen(生み出すもの)が合体した言葉です。ナトリウムなどの金属と結びついて「塩(えん:NaClなど)」を生み出す性質があるため、このように名付けられました。
【日常に潜む「塩(sal)」の語源】
ラテン語の sal からは、私たちの日常に欠かせない言葉がたくさん生まれています。
代表的なのが Salary(給料) です!
この言葉に関する都市伝説を聞いたことがあるかもしれません。
salaryはラテン語で「給与・手当」を意味する salarium に由来し、さらに遡ると sal(塩)に行き着きます。ここまでは、言語学的な事実です。正確な関連性はよくわかっていませんが、最も有力なのは、「塩の購入代」としての特別手当をsalariumと呼ばれていたという説です。
よく「古代ローマの兵士は給料として塩をもらっていたからだ」という有名なトリビアが語られますが、実はこれは歴史的な証拠が一切ない都市伝説(フェイク)だと言われています。実際には普通に硬貨で支払われていました。
英語版のwikipediaにはこの都市伝説があたかも事実化のように書かれているので、AIにsalaryの語源について尋ねると平然と嘘をついてきます。AIの言うことは必ずしも正しくはないという典型例ですね(とはいいつつ、このブログの見出し画像を作ってもらったり何かとお世話にはなっていますが(汗))。
salを使った単語には、生野菜に塩を振って食べたことから Salad(サラダ)、塩漬けにした肉から Sausage(ソーセージ) など、食卓に出るものが多くあります!
【医療者向けの寄り道②:医療に欠かせないハロゲンたち】
一方、ギリシャ語由来の「ハロゲン(フッ素、塩素、臭素、ヨウ素、アスタチン)」は、医療の世界でめちゃくちゃ大活躍しています。医学生・医療従事者なら絶対に知っておくべき知識を整理しておきましょう!
ヨウ素(Iodine): 人体の「甲状腺ホルモン」の主成分です。サイロキシン(T4)には4つ、トリヨードサイロニン(T3)には3つのヨウ素がくっついています。また、手術室でお馴染みの茶色い消毒薬「イソジン(ポビドンヨード)」もヨウ素の強力な殺菌力を利用しています。
塩素(Chlorine): 胃の壁細胞から分泌される胃酸(HCl:塩酸)として、食べ物の消化と殺菌を担います。また、血液中の主要な陰イオン(Cl-)として、酸塩基平衡に不可欠です。
フッ素(Fluorine): 歯の表面のエナメル質(ハイドロキシアパタイト)を、酸に溶けにくい「フルオロアパタイト」に変え、虫歯を予防します。歯医者さんで塗られたことのある人もいるでしょう。さらに、ガン検診で使われるPET検査では、目印として放射性フッ素をくっつけたブドウ糖(FDG)を体内に注射します。
食卓のソーセージから最先端のガン検診(PET)まで、ここでも言葉が見事に繋がりましたね!
第6部:不可避の死、梅毒、そして『羊たちの沈黙』
最後に、第4部で紹介したtrepein(向きを変える)から生まれた、医療や生物にまつわる恐ろしい名前を3つ紹介します。
① Treponema pallidum(梅毒トレポネーマ)
近年日本で急増している性感染症の原因菌です。顕微鏡で見ると、クルクルと「回転する(trepo-)」、「糸(nema)」のような形をしていることから名付けられました。

② Atropos(アトロポス)と Atropine(アトロピン)
ギリシャ神話には運命を司る「モイライ(三女神)」がいます。長女クロトが生命の糸を紡ぎ、次女ラケシスが長さを測り、三女のアトロポスがその糸を断ち切って「死」をもたらします。 彼女の名前は a-(否定)+ trepein(向きを変える)=「向きを変えられないもの=不可避の死」という意味です。

アトロポスだけ老婆に見えるのは置いておきましょう(笑)
このアトロポスの名前は、ベラドンナ(Atropa belladonna)という猛毒のナス科植物の学名に採用されました。誤食すると死に至る毒性を、不可避の死の女神になぞらえたのです。そして1833年、この植物から分離された有効成分こそが、現在でも抗コリン薬(副交感神経遮断薬)として救急現場などで使われている「アトロピン」です!
1995年の地下鉄サリン事件は有名ですね。サリンは有機リン酸系の化合部で、アセチルコリンエステラーゼ(AChE)に結合します。アセチルコリンは副交感神経の神経伝達物質であり、AChEによって分解されるので、サリンによってAChEが本来の機能を果たせなくなると、どんどん副交感神経が亢進していきます。そのため、地下鉄サリン事件の患者は、呼吸困難や縮瞳をきたしました。有機リン酸の中毒にはPAMという解毒剤がありますが、当時はこれが不足したため、アトロピンも解毒薬として使われました。
他にも、自殺を図って農薬を飲んで救急に運ばれてくる人は、縮瞳していることが多いです。これも有機リン酸中毒の症状なので、アトロピンを使うことがあります。
ちなみに、 Belladonna は「美しい淑女」という意味です。中世ヨーロッパの女性たちが、この植物の汁を目に入れて瞳孔を開かせ(散瞳)、目を美しく見せるための目薬として使っていた歴史に由来します。
今も昔も「おめめぱっちり」は可愛かったんですね(笑)
③ 映画『羊たちの沈黙』と死の蛾
この死の女神アトロポスの名前は、ある不気味な昆虫にも付けられました。 ヨーロッパメンガタスズメという巨大な蛾で、学名を Acherontia atropos と言います。
前半の Acherontia は、ギリシャ神話の冥界を流れる「嘆きの川(アケローン川)」に由来します。そして後半が「死の女神アトロポス」。
この蛾は、背中に人間の「頭蓋骨」のような模様があり、触ると「キーッ」という不吉な鳴き声を発するため、死と不吉の象徴とされてきました。
名作サスペンス映画『羊たちの沈黙』のポスターで、主人公の口元に止まっているあの恐ろしい蛾こそが、この Acherontia atropos なのです。この蛾は映画の中で非常に重要な役割をしています・・・気になりましたか?ここから先は映画を見てください(笑)

背中から見た写真です。ど真ん中にドクロ(頭蓋骨)が見えませんか?
(Muséum de Toulouse, via Wikimedia Commons)

(Muséum de Toulouse, via Wikimedia Commons)
さて、今回は勉強回になりましたね!
語源の学習は、分野横断的に広がると、初回に述べました。まさに、今回のように発生学から始まり、言語の法則、熱力学、天文学、猛毒の植物やサスペンス映画まで。言葉のルーツをたどるだけで、これほどまでに豊かな世界を旅することができます。ぜひ気になった部分は自分でより詳しく調べてみてください!
関連付けながら知識を広げていくのに「語源」は最高の教材だと思いますよ!
いかがだったでしょうか?
もし「へぇー!」と思うポイントがあれば、ぜひ「スキ」を押していただけると、毎日の実習とブログの励みになります!
それでは、また次回の講義でお会いしましょう!
いいなと思ったら応援しよう!
毎回の記事の励みになるので、よろしければ応援お願いします!
いただいたチップは記事を書くための活動費に充てようと思っています!
