ベシャン概説:有機物の誤謬

ベシャンと言えばマイクロザイマス microzymas(微小発酵体:以下MZ)の発見や、アニリン合成のベシャンプ還元が有名だ。

だが彼の真骨頂はタンパク質科学の先駆的研究だと認識せねばならない。例えば以下の文献に記載がある。

名古屋市立女子短期大学研究紀要編集委員会. 名古屋市立女子短期大学研究紀要 (12-2). 名古屋市立女子短期大学; 1963. Accessed January 23, 2025. https://dl.ndl.go.jp/pid/1797511/1/54?keyword=Bechamp

卵白の成分組成についてはAlmquist(37)、Benjamin(38)、Kojo(39)、Iljin(40)、Plimmer(41)、Mitchell(42)、Boyce(43)、Hild(44)、徐、劉(45)等の研究があり、特に4層の卵白については多少の化学的組成の相違が認められている(46)。また一方、卵白蛋白の性状、分画、精製などについて多くの研究が古くからおこなわれているが、分析の困難さと、物質の複雑さが原因して未だ完全とは言い難い。初期の研究によれば卵白の蛋白は単一蛋白と考えられていたが、19世紀末、Bechamp(47)により一つの可溶性蛋白と二つの不溶性蛋白の三成分からなることが報告された。その後Gautier(48)、Corin(49)、Hewlett(50)、Eichholz(50)、Osborne(52)、Langstein(53)、Obermayer(54)、Schulz(55)、Wells(56)、Hektoen(57)によって卵白の蛋白成分が検討された。1934年に至り、Sorensen(58)によってオボグロブリン、オボムコイド、オボムチン、オボアルブミン、コンアルブミンの5成分であることが認められた。さらにその後Tiselius(59)の電気泳動法が発表されるに至り、これを用いての新しい研究からLongsworth(60)はオボアルブミン-A1、オボアルブミン-A2、、コンアルブミン、オボムコイド、オボグロブリンG1、オボグロブリンG2、オボグロブリンG3、オボムチンの8成分にわけ、更にコンアルブミンも泳動的に2成分の存在の可能性があることを認め、Frampton(61)は10成分を報告し、従来の分画との比較についても検討が加えられつつある(62)。

※(47)→Béchamp A. Recherches sur l’isomérie dans les matières albuminoïdes. Extrait d’une lettre de M. A. BÉCHAMP à M. Dumas. C R Acad Sci. 1873;77:1525-1529. Accessed January 25, 2025. https://www.digitale-sammlungen.de/en/view/bsb11030476?page=1528,1529
アルブミノイド物質 タンパク質の異性化に関する研究~M. A. BÉCHAMPからM. Dumasへの手紙より抜粋~」

You don't know physics, you don't know chemistry 物理学を知らなければ化学が分からない. If you don't know crystals, you don't know prions 結晶を知らなければプリオンが分からない. If you don't know prions, you don't know proteins プリオンを知らなければタンパク質が分からない. and if you don't know protein, you don't know biology タンパク質を知らなければ生物学が分からない.そうだが、実際、ベシャンの理論を解読する上でも重要となるこのタンパク質の不可思議な性質に科学は長らく翻弄されたようだ。

 天然の化合物中、蛋白質ほど多くの研究者によりて、これほど精細に詮索せられたるものは殆んど類を見ず。然れどもまた、その研究の未だ進捗せず、不完全にして、かつ最も繁雑退屈を極むるもの、これまた同質のほか他になし。
 是れを以て予は、デュマ氏に寄せたる書翰『蛋白物質の異性体に就いて』(Béchamp A, 1873)の中に於いて、敢えて次のごとく断言せり。
〈今日に至るまで、我らの現に考究せしものは、ただこれ混合物の混淆せるに過ぎず。蛋白質の歴史は、全く一より改めて緝ぐべきものなり〉と。

 ここに予が本学会へ呈し、以てその高評を仰がんと欲する論文の出発点は、嘗て1856年、ストラスブルグ医学部に於いて提出せし予が学位論文、即ち『蛋白物質並びにその尿素への変転に関する一試論』(Béchamp A, 1856)にあり。
 この時に当たりて、予の脳裏に一の難題の浮上せるが、その解を求むるの念は、爾来幾度となく予の心を憂悶せしめ、今に及ぶまで止むことなし。
 その問う所は、現に蛋白質の称を以て括らるる諸種の物質が、果たして唯一の基本より成るものなるか、或いは真に多種多様なる独立せる種として存在するを実証し得るか、に在り。
 予はこれを目して、『実体唯一の論』或いは『種属多の論』の難問題と称するものなり。

Béchamp A.
Mémoire sur les matières albuminoïdes.(アルブミノイド物質に関する回顧録) Vol 3.
A L’ACAÉMIE DES SCIENCES; 1884.; p.1-2

Geminiに明治時代風に翻訳させた

この「実体唯一 substantial unity」の論とは、1842年にアポリネール・ブシャルダ(1809–1886)が提唱したタンパク質理論である。この理論こそタンパク質科学が混迷を極める最大の理由となったのだが、文中でいう「唯一の基本より成るもの」即ち「全てのタンパク質には根底に共通の物質が存在し、結合する塩基や脂肪分、ミネラル成分によって多様化して見えるだけ」とする理論である。

要するに「タンパク質に種類など存在しない」…これが当時の支配的観念だった。その"根底にある共通の物質"にブシャルダは"アルブミノース albuminose"と命名した

※正確にはアルブミノースの名前自体は1820年代に植物学の文献で登場。ブシャルダはそれを動物に転用した。

ベシャンからすればこの理論は、ブシャルダが単に分析に使用する塩酸濃度を誤っただけの誤解の産物に過ぎない ひたすら塩酸化合物を見ていただけのだが、当時の科学者は挙ってこれに殺到してしまった。上の記事にはその軽率さに嘆くベシャンの記述があるが、1895年の文献↓にアルブミノースの名が登場する以上、最低でも20世紀に差し掛かる迄の50年以上は科学界に支配的な構想だったと分かる。

冒頭の文献でも、卵白に5種類の成分が特定されたのが1934年とある以上、実際には20世紀初頭にも暫く波及していたことだろう。

では何故タンパク質はこれほど科学者の注目を集めるのか?私は「有機物の言葉が生まれた理由だからだと考える。

有機化学の歴史的起源は、錬金術師が生物由来の化合物鉱物由来の化合物の間に説明しがたい差異を認めた1700年代半ばまで遡ることができる。植物や動物から得られる化合物は単離や精製が困難なことが多かった。たとえ精製できたとしても、鉱物から得られる化合物より扱いにくく、分解しやすいものであった。1770年にスウェーデンの化学者、Torben Bergmanが"有機物"と"無機物"の間のこの違いを初めて明らかにした。それ以来、有機化学という言葉は生体から得られる化合物の化学を意味するようになった。 

当時の多くの化学者にとって、有機化合物と無機化合物の挙動の差に対する唯一の説明は、有機化合物が生体から得られることによる、説明できない一種の"生命力"なるものをもっているというものであった。しかしながら、研究が進むにつれ、有機化合物は無機化合物と同様に実験室で取り扱うことができることがわかってきた。例えば、Friedrich Wohlerは1828年に"無機"塩のシアン酸アンモニウムを尿から単離された"有機"物である尿素に変換できることを見出した。 

1800年代の半ばまでに得られた証拠は生命力説に否定的なものが多く、基本的な科学の原理はあらゆる化合物に適用できることが明らかとなってきた。有機化合物が他と異なる唯一の特徴は、すべてが炭素を含んでいるということである。 

…(中略)もちろん、必ずしも全ての有機化合物が生体から得られているわけではない。現代の科学者は新しい有機化合物を実験室で合成する能力にたけている。医薬品、染料、高分子、プラスチック、殺虫剤やその他の多くの物質が実験室でつくられている。有機化学は我々の生活にかかわる研究分野であり、その研究は魅力ある仕事である。有機化学を理解することは、細胞、ウイルス、細菌、および我々自身を含む、より大きくてより複雑な有機分子の集合体について考える方法に影響を与えるであろう。

マクマリー有機化学概説第6版(2015)

マクマリーはこの開始1ページ目の時点で嘘を吐いているのだが、先ずは「有機」という言葉が本来的には「生きている」を意味する通り、元々「生命力が宿るように振る舞う」物質に「有機物」と命名された歴史的経緯に注目したい。実際、「鉱物から得られる化合物より扱いにくく、分解しやすい」筈の"有機物"のカテゴリに「常温で結晶構造の安定物質」である尿素を分類することは直観的に定義に反している。逆に「炭素を含む」のみを条件に常温で固体の安定物質までも分類を許すなら、錬金術師は一体何に苦労したのか?この違和感を解消するには、当時多用されたProximate Principle 近成分という概念を知らねばならない。

(生化学,古風な用語)動物組織や植物組織に予め形成された状態で存在し、化学分析で分離できる物質群の総称。アルブミン、糖、コラーゲン、脂肪など。

「動物組織や植物組織」とある通り、「近成分」には「生体由来」が定義に含まれる。糖や脂肪酸が化学式で表現可能な通り、近成分とは「生体由来の純粋化合物」(或いはその混合物)を指す。ここで最重要となる3つの要素を改めて強調しておきたい。①生体由来 ②化学式で表現可能 ③純粋化合物 である。

ここで別の第4の要素が加わる。この3条件を満たしたものは④「有機的 organic」か否か?である。これは生物学や錬金術で歴史的に「物質の組織化 organize」というテーマで数百年にわたって生命自然発生説と共に激論が交わされた核心部分だ。「組織化」とは即ち「秩序化」であり、何らかの法則に従って自発的かつ自律的に変化を遂げる性質である。昨今の科学が注目する「自己組織化 self-organization」がまさにその例だが、重要なのは、近成分は常温放置で不変である点で組織化されていないということだ。つまり近成分は④を満たさず、「有機的」ではない

ではマクマリーに戻って尿素で考えよう。Friedrich フリードリッヒ Wohler ヴェーラー(1800-1882)は1828年に尿素を人工合成した。尿素は確かに①生体由来である。②化学式(示性式)で表現可能(CO(NH₂)₂)な③純粋化合物だ。だが尿素は常温で白色固体である以上は④「有機的」ではなく、つまり組織化されていない。従って本来的な意味での「有機」物ではなく、上記3条件を満たす尿素は「近成分」である

Wikipedia-尿素

近成分の定義が示す通り、「生体からは純粋化合物が抽出可能」である。近成分の別の例に、サトウキビから粉末の精製糖が得られる例が挙げられる。

では改めて問いたい。①生体由来 のものが全て②と③を満たすのか?いわば生物は近成分だけで構築されているのか?もしそうならとうの昔に人類は人体錬成に成功して町中をホムンクルスが闊歩していなければならない。細胞は合成可能か?化学反応のみで臓器を0から生み出せるか?それが現代でも不可能だという現実から、①「生体由来」で④「有機的なもの」が存在する=「生体由来」で「近成分ではないもの」があることが更に補強される。

例えば細胞は明らかにこの分類に属すものである。確かに細胞は…特に17世紀の技術ならば…「単離や精製が困難」だろうし、「たとえ精製できたとしても、鉱物から得られる化合物より扱いにくく、分解しやすい」ものだっただろう。細胞は完全にこの特徴を満たしており、錬金術師達の観察とも整合性がとれる。それはベシャンの以下の格言の通りである。

有機物は化学合成で生成可能だが、組織化は不可能である。畢竟、細胞の創造は不可能である。

繰り返す通り、当初の有機物の「有機」に込められた真意は「組織化の有無」である。近成分である尿素や精製糖は組織化していない。従って物質であり、実質的に鉱物である。だが細胞は組織化している。従って近成分ではなく、本来的な「有機」物だ。

つまり17世紀に錬金術師が「有機物」(以降「旧有機物」)と呼んだものと、現代的な「有機物」(以降「新有機物」)は同じものを指していない。マクマリーの嘘とは、「組織化」を考慮しないまま「生体由来」の共通点のみで両者を「有機化合物」で括ったことである。尿素合成のたった一例の成功例のみで、まるで全ての生体内物質が人工的な化学合成が可能かのような…厳密に言えば、人為的に物質の組織化に成功したかのような…ミスリードである。具体的に言えば、

しかしながら、研究が進むにつれ、有機化合物は無機化合物と同様に実験室で取り扱うことができることがわかってきた。

この部分で旧有機物と新有機物のすり替えが起こったのだ。19世紀以前の有機化学は「生体由来の旧有機物」が対象であり、純粋化学発展期の19世紀には、有機化学と言いつつ実際には「近成分=新有機物」の分析が主役になり始めた学問上の過渡期の記述が抜けているのだ。尤も、19世紀はこの思想が行き過ぎた結果、生命現象の全てを化学反応のみで捉える唯物論の道を突き進むことになる。現代がこの負の遺産を受け継いでいることは明白だ

また、マクマリーは「必ずしも全ての有機化合物が生体から得られているわけではない」と意味不明なことを言っている。これは「有機」の定義が最終的に「炭素含有」にまで拡張した結果、もはや生物が無関係となったことになる。どこが「有機」なのか意味不明だが、とにかく「有機物」は以下の通りに3段階を経て概念が拡張されたことになる。

1.錬金術師の言う有機的なもの
 ⇒「組織化」が基準
 …生体物質の中でも「自律性を持つもの」に限定
2.尿素の合成
 ⇒「生体由来」が基準
 …近成分がカテゴリに追加
3.すべて炭素が含まれると発見
 ⇒「炭素の存在」が基準
 …人工物がカテゴリに追加(=生物が無関係となる)

③のように炭素の存在だけを基準にするなら全て同一カテゴリとして扱うことになるが、この3種類は本来明確に異なるものとして区別すべきなのは明白であり、まさにベシャンの研究は、動物や植物から抽出されるものを「近成分か否かを基準に仕分けることに始まる。1840年代、精製糖の溶液は水・空気・熱の3条件が揃えば勝手に転化糖に変性…スクロース➡グルコース+フルクトースへの加水分解…するというアニミズムが公認になったが、そんな当時の科学に不信感を抱いた彼が1854年から着手した有名な一連の実験(Beacon実験)がその起点である。

転化糖(inverted sugar)を実験的に調製するには加熱と酸性環境が必要だが、当時の科学の合意形成内容は要するに、自然界では「精製糖をただ水中に放置すればいい」と言っていることになり、如何にアホかが分かる。ベシャンに同情もしよう。

ともかくこの問題解決の為に彼が発表したのが1858年の論文「純水や諸種の塩添加水が甘蔗糖に及ぼす影響 De l’influence que l’eau pure, ou chargee de divers sels, exerce, a froid, sur le sucre de canne.」である。

余談だが、この論文でアリストテレス以来の生命自然発生説…親の存在なしに生物が突発的に誕生するか?という問い…が否定される形で決着がついた馬鹿パスツールの白鳥の首フラスコ Swan neck flask実験(1861)…未だに中学理科の教科書に載る(※P.J風に言えば"pulled out of his ass"(ケツ穴から引っこ抜いたデマカセ)詐欺実験…はこの論文の盗作であり、実験設計を見れば盗作元の論文の意味を全く理解できてないことが明らかだ。

甘蔗糖(精製糖)実験に戻る。先述の通り甘蔗糖は近成分である。未開封の精製糖が永久保存される現実の観察の通り、近成分は空気接触を断てば常温不変である。逆に言えば、近成分も空気と接触すれば変性する。では何故空気接触で変性が生じるのか?

私の証明は端的に以下の通りである。

1.甘蔗糖溶液は、以下二条件いずれかの下、常温で不変である
 
-1.空気との接触の完全な遮断
 -2.接触空気量の制限下、特定の塩、或いは適量(少量)のクレオソートを点滴(例:1~2滴/100cc)
2. 純粋溶液ないし特定の塩を添加した同溶液に同量の空気を接触させると、隠花植物や黴等が出現し、同時に糖の転化が生じる
3. 黴は実際上の転化の発酵体であり、必要なザイマス(可溶性発酵素)を分泌する
4. クレオソートは黴の発生を阻害するが、発生した黴の転化は抑制しない

即ち、防腐剤で変性が防げる以上、空気中から降臨したカビの繁殖が原因である(※酸素で酸化する物質がある場合にはその酸化が起こるとも言っている)。だが防腐剤は繁殖後のカビが起こす変化に抑制効果はない。即ち、防腐剤はカビの「発生」は防ぐが、繁殖後の「作用」、つまりカビが媒介する「酵素反応」は抑制しない。この後者の事実が極めて重要である。要点は

①近成分の変性は空気接触が必要
②防腐剤はカビの酵素反応は抑制しない

である。

ここまでは現代的な腐敗の説明に見えるが重要なのはここからである。この事実を元に彼が次に着手したのが牛乳の自然変性…常温放置で酸敗・凝固…の原因究明である。そもそも1840年代の甘蔗糖に関する合意形成は、18世紀に「水・空気・熱の3条件で物質は自然変性」すると暗にアニミズムを認めた化学者の構想を全ての物質に般化させてのことだ。この構想の根拠となった材料がまさに牛乳であり、これが近成分で否定された以上は改めて牛乳で検証する必要があったのだ。

では試しに現代の説明を見てみよう。どれも代わり映えしないので適当に引用する。

なぜ賞味期限内の牛乳が腐るの?その原因とは?

期限内の牛乳が腐る理由として、考えられることを挙げていきますね。

-細菌が入り込む
一度開封した牛乳には、空気中の細菌などが入りやすい状態になります。また、直接パックに口をつけて飲むと、雑菌が混入してしまうこともありますよ。

馬鹿パスツールの影響はこういう所に出るのだ。牛乳の腐敗の原因が空気中に存在するならば「未開封の牛乳は常温で永久保存される」筈である。是非タイムカプセルで100年前の牛乳を"新鮮なまま"飲ませて頂きたいものだ。だがいつでも逃げられるドア Ever Open Doorが満載の$cienceは「製造工程で侵入」すると言い訳するだろう。「企業努力で真空作業」している筈の乳製品にそれでも「侵入」するらしい。だったら搾乳しないまま牝牛の乳房内で放置すれば「製造工程」で「侵入」せず永久保存されるのでは?そうなると牝牛は飲ませもしない牛乳を乳房内に永久に貯蓄可能ということになるが、新生児に授乳させないまま母乳を放置すれば乳房内部で自然凝固して炎症反応が起こることは世の母親なら誰もが知っている筈だ。だから事情があって新生児がすぐに飲めない場合に泣く泣く母乳を捨てる羽目になる母親が世に存在するわけだが、ではその凝固の原因は?母親の乳房内に細菌が既に「体外から侵入」しているからか?「母乳IgAどこいった?」「じゃあ母乳を放置した母親は"感染症に罹り易い"だけか?」「じゃあ母乳凝固は免疫で対抗できるのか?」母乳凝固の二度無し免疫があるのか?」とツッコミが止まらないが(※カルト医学なら「母乳凝固予防用」ワクチンを開発しそうなものだ)、なにより1863年のパスツールは「生物体内は外来の細菌に対して閉鎖的な無菌環境なので腐敗しない」と言ったわけだがどうする?あれ?じゃあ何故こいつはパスツーリゼーション(低温殺菌)を開発したんだろうか

…という具合に、牛乳の腐敗に関しては定説に全く根拠がない。少なくとも目先の名声の維持しか興味がないパスツールの主張が行き当たりばったりなことは分かるだろう。全ての原因はただ一つ、「牛乳はカゼイン+乳糖+乳脂肪の近成分」という19世紀から続く誤った認識にある。

近成分の変性の原因は空気接触が原因だと前述した。従って現代の説明が暗示する牛乳近成分説が正しければ条件は甘蔗糖と同じ、完全真空保存か防腐剤処理で永久保存される筈である。これが現実の観察に反することは自明であり、従って問題はマクマリーへと回帰する。つまり、牛乳は近成分ではなく組織化した旧有機物」だ。実際、「賞味期限」という概念がそれ…組織化の定義である自発性と自律性…を証明している。

 マッケルが実験対象とした動物質は動物の乳汁 milkであった。彼はこれを動物性乳剤 animal emulsionと分類し、自然変質する物質だと言った。長年月を経て、(顕微鏡の専門家)ドネ Donneや多くの化学者は、乳汁が乳糖、カゼイン、ミネラル塩の溶液であり、溶液中にバターの乳化剤を保持するものと認識していた。即ち、誰もが乳汁は近成分の純粋混合物だと想像していた。混合物ならば、適切なクレオソート処理の後に接触空気量を制限すれば永久不変のまま維持される筈である。だが予想外の事態が判明した。搾乳後の牛乳を十分にクレオソート処理し、空気との接触を遮断ないし制限すれば、本来ならば酸敗も凝固も発生しない。しかしクレオソートは酸敗と、付随する凝固を遅延させるのみである。更に、乳汁が凝固する瞬間、これが空気に完全に晒して発生させた場合でも、そしてクレオソートの有無を問わず、シュワンの実験結果から期待される隠花植物が一切出現しなかった。
 だが酸敗凝固は変質現象の第一段階に過ぎない。第二段階は、クレオソート処理をしようと毎常のビブリオやバクテリアの出現を特徴とする。故に、乳汁は近成分の単純な混合物の如き振る舞いをしない

ここで思い出す必要があるのが甘蔗糖実験での原理、「防腐剤は…カビの繁殖後に添加しても…酵素反応は抑制しない」である。酵素の分泌者は甘蔗糖の場合は空気中に由来するカビであり、繁殖の後にその酵素分泌が起こり、酵素反応で近成分は変性する。だが牛乳は何かしらの微生物の繁殖の前に酸敗・凝固が発生する。ならばその論理的帰結は「牛乳には最初から…空気に由来しない…腐敗の原因…酵素分泌者…が内在する」しかあり得ない。

※似非エリートなら「酸敗」から乳酸菌の「混入」を連想するだろうが、搾乳前の牛乳に乳酸と乳酸菌は存在せず、菌の「侵入」を防ぐ筈の防腐剤の添加に関係なく酸敗は生じると彼は証明している。乳酸菌は搾乳後に内部で「構築」されるのだ。

以上の研究の結果、先程から私が新旧に区別するように、彼もまた「有機物」を二種類に区別することを提案する。

この新たな実験法により、近成分のみを構成成分とする「有機物」と天然の動植物質たる「有機物」(正確には"有機体”)の区別が可能となったことを肝に銘じたい。畢竟、化学的有機物と、乳汁を例とする解剖学的・生理学的有機物の区別である。化学的有機物、即ち近成分である前者を変質させる発酵体はその起源を空気中に有し、後者の有機物、即ち天然の動植物質を変質させる発酵体はそれ自身に存在するMZであり、これは解剖学元素として予存するのである。

要点を抽出すると以下の通りである。

1.新有機物=近成分=化学的有機物
 …炭素を含むだけの純粋化合物で、事実上の鉱物(例:甘蔗糖)
 
→マクマリー的に「無機化合物と同様に実験室で取り扱うことができる」物
2.旧有機物=有機的な(組織化した)物質=解剖学・生理学的有機物
 …MZがあらかじめ存在するもの(例:牛乳)
 
→マクマリーは有機化合物に括ったが実際は異なるもの

この定義から察しの通り、組織化の根源=旧有機物が有機的である理由は、そこにMZが存在する為、これが彼の結論である。彼の格言

物質の組織化能力は予存生命体に原初的に宿る

からも裏付けが取れる。この結論を血液に応用したのが書籍「血液とその第三の解剖学元素」(1899(仏原著) /1912(英訳版))のメインテーマである血液凝固現象の研究であり、その主役であるフィブリンは近成分か否か?がその第一章の内容だ。結論を言えば、フィブリンは近成分ではなく、牛乳と同じ真に有機的な旧有機物である。即ち、フィブリンにはMZが存在する。そして何より重要なのは、フィブリンが…本稿のテーマである…タンパク質だということだ。

血液凝固という、条件が揃えば機械的に進行する現象の主役であるフィブリンはまさに組織化している。このフィブリンを例に、生命現象の大半が酵素反応やタンパク質の作用であるという現代の知見を合わせると、タンパク質の大半は旧有機物であり、組織化していると般化され、それは同時に、組織化した全てのタンパク質にはMZが存在することを意味する。

この研究により、アルブミンやアルブミノイド全般の化学構造を化学式に表すことに成功し、その分子は既知の物質の中で最も複雑な分子だと示した。多数の脂肪族および芳香族の非錯体分子から形成され、その中にはアミド誘導体、アミド、硫化物、そして尿素が必ず存在し、従って(エドゥアルド・)グリモー Grimauxウレイド ureidesが当時発見済みであれば、私はアルブミンを「極めて複雑なウレイド」と言うべきであっただろう。この研究で私は将来の研究の基礎を構築したのだ。即ち、アルブミノイド物質とは卵白アルブメンの如き混合物か、フィブリンや卵黄の如き組織的物質か、その何れかに分類されるという発見に至る研究である。

即ち、化学的有機物(新有機物)と生理学的有機物(旧有機物)の延長でタンパク質も二分されることになる。タンパク質の中にも

1)窒素化合物の集合で構築される混合物(例:卵白)…窒素化近成分
2)MZが潜む組織化したもの(例:フィブリン/卵黄/牛乳)…窒素を含む旧有機物

があることになる。

似たような微小生命体の存在を報告する科学者は他にも挙げられるが、彼等が独自の高解像度の顕微鏡開発による偶然の発見であるのに対し、ベシャンだけが実験結果から存在を予見し、自然現象の説明に不可欠な因子として発見に至った点で特異性があると言える。彼の主張を否定するならば、彼の実験を一つ一つ反証しなければならない。少なくとも牛乳腐敗を現代理論は説明しない。

これで17世紀当初の「有機」物の概念とタンパク質が繋がった。錬金術師が見た有機物とはMZの存在で組織化したタンパク質であり、一方のマクマリーが「実験室で扱えることが"わかってきた"」という有機物はその実、炭素の有無以外は鉱物由来の化合物と然して変わらない、常温で安定構造の近成分である。現代はどちらも有機物と呼ぶが、両者は決定的に異なる

・本質的に有機的な物質は存在せず、全ての物質は鉱物である。
・有機物とは、組成に炭素を必須とする鉱物に過ぎない。
・化学が定義する有機物は、組織物とは決定的に異なる。

歴史と導入

だから生化学の創始者とも言うべき彼はタンパク質の本質を解明せねばならなかった。生理学的有機物の解明は即ちタンパク質の解明だからだ。それは、彼曰くフィブリンには特殊な発酵機能が備わり、発酵学的な目線でその完全理解という必要性に迫られてのことだったが、とにかくこれが第二、三章の内容である。

ではMZとタンパク質の関係性とは何か?MZにとってタンパク質は何なのか?それは、彼が最終的にフィブリンを血液性微小発酵体分子顆粒 Hematic microzymian molecular granulationと改名したことにヒントがある。

1886年にパスツール氏が微小発酵体の存在を認めるその直前、微小発酵体は”誰もが知る”分子顆粒に過ぎないと断じた。アカデミーの同僚に向けての発言であった。
然り。組織学者や病理解剖学者は分子顆粒の存在を認識しており、ある特定の組織図に"点”で表現されていた。…(中略)しかしながら、微小発酵体発見以前の科学界に、此度のパスツール氏の主張の如く、B.punctumやM.Crepusculumに分子顆粒を関連させる発想をした科学者は皆無であった。
...(中略)
そう。分子顆粒は微小発酵体ではない。エストールと私が初回報告で指摘した通り、微小発酵体は、組織学が分子顆粒と呼ぶ解剖学的対象物の中にのみ存在する。だが微小発酵体は自律的解剖学元素だという我々の信念の通り、緻密な解剖学的分析の果てに二つの存在様式があると証明するに至った。即ち、裸構造の微小発酵体と、私が”微小発酵体分子顆粒”と呼ぶ状態にある微小発酵体である。

原文を確認すると、「存在を認めた」というよりはディベートの場で錯乱して「口を滑らせた」という印象だが、どうせプライドの塊のこの男は冥界でも懺悔はしていないだろうからそれはどうでもいい。とにかくMZには二つの存在様式があるという話だ。

①剥き出し構造
②分子顆粒という解剖学上の単位の中に鎮座

①は文字通り、MZそのものが一糸纏わぬ姿で孤立・独立している状態、②はタンパク質を纏った形態=分子顆粒の状態を指し、どちらも生体内でブラウン運動をしている。後者のタンパク質粒子の殻を彼は「アルブミノイド雰囲気」と表現した。フィブリンの存在様式に関して19世紀には
①血液中にフィブリンは存在しない(凝血塊はアルブミンの変形で生じる)
②血漿に溶解状態
③顆粒状に分散して存在
…の主に3つの見解が存在したが、彼はフィブリンの③の説を証明した。これはフィブリンの前駆体をフィブリノーゲンと呼ぶ現代の見解と一致する。





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