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温故知新(133)神功皇后(穴門武媛命) 五香宮 安倉八幡神社 両児神社 三石明神社 モン・サン・ミシェル 作山古墳 スカラ・ブレイ 富雄丸山古墳 穴門山神社 鬼ノ城跡 クサール・ヌアイラ

築山古墳 スケリッグ・マイケル 沖田神社(道通宮) 西大寺観音院 難波八坂神社 木野山神社奥宮 高蔵神社(里宮) フェロー諸島

神功皇后と五香宮、安倉八幡神社、両児神社、三石明神社
 下記のブログに、岡山県内に伝承が残る神功皇后ゆかりの歴史スポットとして、五香宮(瀬戸内市)、安倉八幡神社(浅口市)、両児神社(倉敷市)、三石明神社(孕石神社)(備前市)などが挙げられています。

 三石明神社(孕石神社)と両児神社を結ぶラインは、五香宮とクサール・ヌアイラなどとつながるスケリッグ・マイケルを結ぶラインとほぼ直角に交差し、後者のラインの近くには、第13代成務天皇(倭建命と推定)の陵墓と推定される築山古墳(瀬戸内市長船町)があります(図1)。また、三石明神社(孕石神社)と安倉八幡神社を結ぶラインは、五香宮とクサール・ヌアイラや南極ピラミッドとつながるモン・サン・ミシェルを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図1)。

図1 五香宮、三石明神社、両児神社を結ぶ三角形のライン、五香宮とスケリッグ・マイケルを結ぶラインと築山古墳、モン・サン・ミシェルと五香宮、安倉八幡神社、三石明神社を結ぶライン

 三石明神社と神功皇后の夫と推定される品陀真若王(出雲建、倭建命と推定)の陵墓と推定される作山古墳(岡山県総社市)を結ぶラインは、五香宮とスカラ・ブレイを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図2)。作山古墳と五香宮を結ぶラインの近くには沖田神社・道通宮(岡山市中区)があります(図2)。これらのレイラインは、神功皇后と品陀真若王の関係を示していると推定されます。

図2 五香宮、三石明神社、作山古墳を結ぶ三角形のラインと沖田神社・道通宮、五香宮とスカラ・ブレイを結ぶライン

神功皇后と穴戸山神社
 岡山県倉敷市真備町にある穴門山神社には、日本武尊の妃とされる穴門武媛命が祀られ、穴戸の神(品陀真若王と推定)平定伝説が残っています。

 穴門山神社(倉敷市)と神功皇后の墓と推定される富雄丸山古墳を結ぶラインの近くには、豊玉姫命(倭迹迹日百襲姫命と推定)と関係があると推定される西大寺観音院(岡山市東区西大寺中)や素盞嗚尊を祀る難波八坂神社(大阪市浪速区元町)があります(図3)。このラインは、穴門武媛命と神功皇后や倭迹迹日百襲姫命を関係付けていると推定されます。

図3 穴門山神社(倉敷市)と富雄丸山古墳を結ぶラインと西大寺観音院、難波八坂神社

 鬼ノ城跡と穴門山神社(倉敷市)を結ぶラインは、鬼ノ城西門(写真トップ)の近くを通り、品陀真若王の陵墓と推定される作山古墳(総社市)とクサール・ヌアイラを結ぶラインとほぼ直角に交差します(図4)。後者のラインの近くには木野山神社里宮(高梁市)があり、穴戸山神社と作山古墳を結ぶラインの近くには、穴戸山神社奥宮があります(図4)。これらのラインは、穴門武媛命と品陀真若王を関係付けていると推定され、穴門武媛命は、品陀真若王(出雲建、倭建命と推定)の后の神功皇后と推定されます。

図4 作山古墳、鬼ノ城跡、穴門山神社(倉敷市)を結ぶ三角形のラインと鬼ノ城西門、穴戸山神社奥宮、作山古墳とクサール・ヌアイラを結ぶラインと木野山神社奥宮

 三石明神社と穴門武媛命(神功皇后と推定)を祀る穴門山神社(倉敷市)を結ぶラインは、五香宮とフェロー諸島を結ぶラインとほぼ直角に交差し、岡山市北区牟佐にある高蔵神社(里宮)の近くを通ります(図5)。これらのラインは、穴門武媛命が神功皇后と推定されることと整合します。

図5 五香宮、三石明神社、穴門山神社(倉敷市)を結ぶ三角形のラインと高蔵神社(里宮)、五香宮とフェロー諸島を結ぶライン

 神功皇后を仲哀天皇の后としたのは、おそらく、岡山県瀬戸内市邑久町山手にあった下稲戸明神の記録が抹消され、古来の由緒が書き改められた永保4年(1084年)ころで、第72代白河天皇(在位:1073年-1087年)の時代と思われます。白河天皇は、藤原師実(北家・御堂流)の養女である賢子を中宮とし、彼女との間に後の堀河天皇をもうけ、1086年に、幼い堀河天皇に譲位して上皇となり院政を行いました。