絵を見に行ったのに、見つめられて帰ってきた|高島野十郎展レポ
渋谷にスンスンのポップアップショップがあったので、ついでに気になっていた松濤美術館にも寄ってきた。
「ついで」と言ってしまって、あとから申し訳なくなり土下座したいくらいには、良かった。
まず正直に言っておく。
高島野十郎のことを、私はまったく知らなかった。
一ミリも。
知っていたのは、「松濤美術館でやっている展示」ということと、「桃の絵がキービジュアルになっていて、なんとなくセザンヌとか印象派の絵っぽいな」という、それだけだった。
なのに、図録とポストカードを背負って帰ってきた。
それどころか、「こんなふうに生きたい」とまで思ってしまった。
これが今日の結論である。
「これになりたい」と思った一文
展示室に入ってすぐ、こんな一文が目に飛び込んできた。
「結婚もせず、アトリエに一人住み、晴れれば畑で働き、降れば絵を描くという日々であった。」
……ええやん。
充実した人生やん。
これになりたいやん、みんな。
(もふおみ調べ)
独身だからではない
晴れたら畑、雨なら絵。
そのブレなさ。
好きなものに邁進するその姿勢が、あまりにも格好よかった。
しかも彼は、ほぼ美術団体に属することなく、自分の表現だけを追い続けた。
今でこそ「一人で生きる」という選択肢は珍しくない。
でも当時は違う。
周囲から向けられる目や偏見も、今よりずっと強かったはずだ。
それでも、自分の信じる道を曲げなかった。
私は昔から鈴木亮平さんのようなストイックな人に弱い。
なので、この時点ですでにかなり好きになっていた。
草野マサムネに似た画家
展示を見ながら、ずっと思っていたことがある。
高島野十郎って、なんだか草野マサムネみたいだ。
だからきっと、スピッツの世界観が好きな人は、高島野十郎も好きになる。
彼はゴッホへ強い敬意を抱いていた。
展示には、ゴッホの《ひまわり》に呼応するような作品や、波打つような筆致を取り入れた作品も並んでいた。
ストイックに芸術へ人生を捧げた野十郎が、同じく芸術に殉じたゴッホへ惹かれた。
そう考えると、とても腑に落ちた。
一方で彼は、青年時代から仏教にも深く傾倒していた。
展示には、
「精緻で端正な写実によって描くという行為そのものが、仏の教えに近づく慈悲の実践だった」
という説明があった。
その言葉を知ってから作品を見ると、見え方が変わる。
命の盛りではなく、その先を描く人だった
彼は、さくらんぼを何枚も描いている。

でも、主役は一番みずみずしい実ではない。
一番手前に置かれているのは、黒く変色した実だった。
ひまわりも同じだ。
満開ではなく、枯れ始めた姿を描く。
命の一番美しい瞬間ではなく、その先を見つめ続ける。
その眼差しは、とても仏教的で、とても静かだった。
だから私は勝手に思った。
これ、スピッツじゃん。
「わかってくれるかな、君なら。」
あの、生と死を静かに抱きしめるような世界観。
私は勝手に、
「画家界の草野マサムネ」
と呼ぶことにした。
異論は受け付けます。
蝋燭の話で、泣きそうになった
展示の中で一番心に残ったのは、蝋燭の絵だった。
彼は生涯にわたって、何枚も何枚も蝋燭を描き続けた。

でも、それを展示会へ出すことも、売ることもしなかった。
すべて、大切な人へ贈るためだけに描いていた。
展示には、こう書かれていた。
「小さな画面に永遠に果てることのない光を刻み、感謝と信頼の気持ちを凝縮していたのかもしれない。」
私はこの一文が忘れられない。
孤高の画家ではあった。
でも、孤独の人ではなかった。
彼の絵を受け取った人たちは、世代が変わっても、その温かな記憶と一緒に作品を大切に受け継いでいるという。
好きな人へ、永遠に果てることのない光を贈り続ける人生。
私は本気で、「こんな生き方ができたらいいな」と思った。
ちなみに松濤美術館も本当に素敵だった。
吹き抜けから光が差し込み、ソファはふかふか。

図録を買ったあと、展示室内でゆっくり読み耽っている人もいて、とても豊かな時間が流れていた。
アーティゾン美術館に続き、
私はどうやら吹き抜けのある美術館に弱いらしい。
余談:マーケターとして考えたこと
展示を見ながら、職業病で少しだけ考えてしまったことがある。
私は普段、マーケティングの仕事をしている。
だからつい、
「どうすれば人に届くのか」
を考えてしまう。
高島野十郎は、生前から一部では高く評価されていた。
でも、決して多くの人に知られた画家ではなかった。
団体にも属さず、
蝋燭の絵は売らず、
ただ描き続けた。
それでも今、こうして展示が開かれ、図録が売れ、私のような「まったく知らなかった人」が心を動かされて帰っていく。
バズることと、残ることは、きっと同じではない。
そんな当たり前のことを、改めて教えられた気がした。
私がこうしてnoteを書いているのも、バズるためだけではない。
少なくとも、そうありたいと思う。
私は絵を見に行った。
でも帰る頃には、
「どう生きるか」
を考えていた。
絵を見に行ったのに、
慈愛の目で見つめられて帰ってきた。
そんな展示だった。
もふおみ
🐶白黒つけようとしすぎた、私の恋について
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