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書くより、「描く」が思いつく

「ただ、書く」をやってみて、気づいたことがあります。

私は、どうやら「書く」よりも「描く」ほうが、書くことを考えやすい。

……なんだか、ややこしいですね。

普段は、こちら。考える→書く。
動作としては、とてもシンプルです。そのままです。
頭では、わかっています。わかってるんですけどね。
つまずいてしまいます。

先に何かをつくったほうが、考えやすい。

私の場合は、

考える → 書く
より、
描く(つくる) → 眺める → 気づく → 言葉にする

この流れのほうが、自然に言葉が浮かびやすい。

「書こう」とすると、考えようとしてしまう。けど、何かを描いたり、つくったりしてしまえば、「あれ?なんで自分、こんなの描いたんだ?」と、あとから考えられる。

いきなり、自分について考えるより、
自分がつくったものについて考えるほうが楽なのです。
遠回りしたほうが、素直に考えられるということです。

そこで、ふと思いました。もしかすると、

「書くことで自分を知る人」と、
「つくったものを眺めることで自分を知る人」

がいるのではないか。
どちらが優れている、という話ではありません。

ただ、入り口が違う。

それって、私だけじゃないのでは?
noteで「自分の考えを言葉にする」のに困ったら、
間に「描く(つくる)」をはさむ方法も、書くのに使えるのではないかと。



書くからスタートすると、少し飾ってしまう

「あなたは何を大切にしていますか?」
そう聞かれたら、私は、こう答えます。

「創造性を大切にしています」
「人が自分らしくいられることを大切にしています」

嘘じゃないです。

でも、書いたあとに、「…ほんと?できてるかな?」と考えちゃう。

それ、ちゃんとできています?
本当に大切にできています?

言葉だと、一旦、断言しやすい。
そして、きれいに整えられる。
場合によっては、自分に都合のいい自分を、つくれてしまう。
自分の「書く」をまだ、信用できていないのかもしれません。


描いた(つくった)モノからは逃げられない

モノは、すでにそこに、出来ちゃっているモノなので、今更飾ろうとか、できません。そのまま純度100%。逃げられません

「いや、本当の私はこうじゃなくて……」と言っても、
いや、描いてありますけど。となる。

小学校の夏休みの宿題で、「こんな街に住みたいなコンクール」がありました。毎年恒例の宿題で、見返すといつも同じような内容を描いていました。

大きなレンガでできたお城を中心に空中を走る車。地上はセミ、カブトムシが捕れる木が生い茂り、昆虫採集にいそしむ子供たち。お城と同じぐらい、背が高いひまわりもある。そんな、近未来乗り物と原始的な遊びが混在した街を、お城の上で望遠鏡をのぞいてニヤニヤしている僕。

……今見ると、なかなかクセが強い。
地面は、夏休みあるある、セミやカブトムシ。そこに唐突に表れる巨大な城。上空には、セミに混じって、空飛ぶ車。うん。ただやりたいことを積み込んだ感じ。ピュアです。

その世界で、僕は、望遠鏡を覗いていました。せめてカブトムシを捕っている子供が「僕」であってほしかった。

でも、描いてしまったものは仕方ありません。自分では、当時考えていた内容なんて、これっぽちも覚えていませんが、絵には残っている。

そうすると、

「あ、自分はこういうものが好きなんだ」

つづけて、「そして、自分が想像した世界の中に入りながら、少し離れたところから世界を見るのが好きだったのかもしれない。」

と気づく。自己分析というより、自己発見なんだと思います。
普段noteで書いている空想建築と近いことしてます。


自分を直接見るのは、難しい

「自分」を直接見るのが、あまり得意ではないのかもしれません。でも、離れて観察するのは好きです。

だから、

「自分がつくったものには、何が繰り返し現れている?」

なら、見られる。しかも、この方法は、面白い点は、

自分が思っていた自分と、実際につくったものに現れている自分が違うこともあったり、ちょっと遅れて発見されるなんてことも。あります。

「自分はこういう人間だ」と決めるのではなく、
「もしかして、こういうところがあるのかな?」と、
少し距離を置いて眺められる。

そのほうが、私には素直なアプローチのようです。


そういえば、絵だけじゃない

ここまで書いて、ひとつ思いつきました。

ただ、集める。です

なにも考えず、好きなもの・なんとなく気になるものを並べてみたら、自分のことがわかるんじゃないか。書くことに困らないのではないか。

そう、noteのマガジンです。

情報を整理するためでなく、ただただ、自分の気になった記事を、ひとつのマガジンに集めてみる。

10本でも、20本でもいい。
ジャンルなんて揃っていなくていい。むしろ、雑多なほうがいい。


マガジンを、自己発見ツールとして眺める。

すると、
「なんで私は、この記事が気になったのだろう?」と考える
一見するとバラバラなのに、

「人の考え方に興味があるのかもしれない」
「完成したものより、つくっている途中が好きなのかもしれない」
「ちょっと変わった視点の記事に惹かれているのかもしれない」
そんなものが浮かんでくるかもしれない。

もちろん、何も見つからないかもしれない。ときもあるかもしれませんが、考えていると、時間がたってから気づくこともあるかも。

自分の「好き」を、一度モノとして外に出してみる。

考える→書く
に加えて
集める→眺める→気づく→言葉にする
というアプローチが増えて、より書けるのではないかと思います。

「よくわからなさ」の中に、自分でもまだ言葉にできていない「好き」に出会えそう。


やってみませんか。

私も、これから自分の「好き」を集めたマガジンをつくってみようと思います。(全然つくってませんでした。記事の整理ばかり。。。)

眺めながら、なぜ選んだのか考えてみたい

自分を知る方法は、自分について書くことだけじゃない。

自分が選んだものを、眺めてみる。

そこから、自分でも知らなかった「好き」に出会いましょう。

※どや顔で思いついたんですが、もうそうやって、マガジン活用している先人もいるのかも。自分は、マガジンの有用性に、はじめて気が付きました。


とりあえず、表紙だけつくってみました。

コメントにマガジンはってもらえたら、覗きにいきます。
少し離れて。望遠鏡で。
※あなたの標本の隅にでも、この記事いれてくれると嬉しいです。


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