世界心霊用語史・比較補論objectは、なぜ「客観・客体・対象・目的語」に分かれたのか――「もの」の名前ではなく、「何かが向けられる先」という関係の再配置として
世界心霊用語史・比較補論
objectは、なぜ「客観・客体・対象・目的語」に分かれたのか
――「もの」の名前ではなく、「何かが向けられる先」という関係の再配置として

前稿では、subject が日本語で、
主語
主観
主体
へ分かれていった歴史を見た。
ただし、それは、
subject
↓
主語 / 主観 / 主体
と一度に三分割された歴史ではなかった。
1881年の『哲学字彙』では、
Subject 心、主観、題目、主位(論)
と複数の訳語が競合していた。
そこから学校文法、哲学、社会思想など別々の制度の中で語が選別され、現在の「主語・主観・主体」という分業が徐々に形成された。
では、その反対側に見える object はどうだったのか。
現在の辞書だけを見ると、
object
├─ 客観
├─ 客体
├─ 対象
└─ 目的語
と整理できそうに見える。
しかし1881年『哲学字彙』で Object を引くと、そこにあるのは、
物、志向、正鵠、客観
である。
客体も、対象も、目的語もない。
さらに同じ辞書には、
Intention 志向
Outness 客観、外物
という項目まである。
つまり、
Object → 志向
Intention → 志向
Object → 客観
Outness → 客観 / 外物
と、訳語同士がすでに重なっている。
ここから今回の問いが始まる。
objectは、なぜ四語に分かれたのか。
いや、これもまだ少し違う。
問うべきなのは、
「物」「認識されるもの」「行為が向かうもの」「欲望されるもの」「目標」「文法項」など、objectという一語の周囲で重なっていた複数の関係上の役割が、近代日本語でどのように別々の語へ再配置されたのか。
である。
今回の結論を先に言えば、
翻訳されたのは単語だけではなかった。
「何が、何に、どのように向かうのか」という関係の型そのものが再配置された。
1 最初のガードレール――objectは「物」ではない
現代英語で、
an object on the table
と言えば、机の上の「物」を指せる。
だからobjectを、
物体
だと思いたくなる。
しかし同じ英語で、
object of study
object of desire
object of worship
とも言う。
研究の対象。
欲望の対象。
崇拝の対象。
これらは物体である必要がない。
さらに、
the object of the exercise
なら「目的」。
文法なら、
grammatical object
で「目的語」。
つまり現代英語の時点ですでに、
object
├─ thing
├─ target
├─ aim / purpose
├─ object of cognition or desire
└─ grammatical object
と複数の役割を担っている。
したがって、
object=物
ではない。
2 しかし「object=向けられる先」も、本質として固定してはいけない
では、
objectとは「何かが向けられる先」である
と言えばよいのか。
これも一歩注意が必要である。
objectは「関係そのもの」ではない。
たとえば、
AがBを研究する。
なら、
A ──研究する──→ B
である。
ここで、
Aは行為者
「研究する」は作用・関係
Bは、その関係の中で対象という地位を占める項
である。
したがって、
objectとは関係そのものではなく、ある型の関係において「向けられる側」に割り当てられる relational role である。
とした方が正確である。
これは今回の論全体で重要な区別になる。
3 語源では「前に投げられたもの」
Latin obiectum は obicere――「前へ投げる」「向かいに置く」に関係する。
字面だけなら、
sub-iectum
= 下に置かれたもの
ob-iectum
= 前に置かれたもの
となる。
しかし、ここからすぐに、
subject = 認識する私
object = 外界の物
と現代語義へ飛んではいけない。
古代・中世の語義配置はかなり違っていた。
4 13世紀のobiectumは、単なる「外界の物体」ではない
13世紀のAristotelian scholasticismでは、obiectum はしばしば心理的能力との関係で理解される。
たとえば、
感覚されるもの
想像されるもの
認識されるもの
欲求されるもの
意志されるもの
である。
重要なのは、
石だからobjectなのではない
ということだ。
石が、
見られる
なら視覚のobjectになる。
考えられる
なら知性のobjectになる。
欲せられる
なら欲求のobjectになる。
つまり、
faculty / operation ──→ object-role
という関係がある。
この意味でobjectは、単なるthinghoodとは違う。
5 objecthoodとthinghoodを分ける
ここは今回の中心的な切断である。
thinghood
それがどんな種類の存在者・単位なのか。
objecthood
何らかの関係において「向けられる側」にあるのか。
この二つは同じ軸ではない。
たとえば、
石
→ physical thing
→ 研究対象にもなれる
ユニコーン
→ physical thing かは別問題
→ 想像対象にはなれる
数
→ physical thingではない
→ 数学的対象にはなれる
つまり、
thingであること ≠ objectであること。
そして、
objectであること ≠ 外界に独立して存在すること。
である。
6 だから中世のsubjectとobjectは、まだ左右対称ではない
現代では、
subject ↔ object
主観 ↔ 客観
主体 ↔ 客体
と書く。
しかし13世紀の語義をそのままこの図へ入れると時代錯誤になる。
当時の subiectum は、
属性・述語・学問内容などを担う基底
を意味しうる。
一方 obiectum は、
心的能力・作用が向かうもの
を意味する。
したがって、
subiectum
= bearing / underlying role
obiectum
= directed-at role
であって、まだ一つの軸上の左右ではない。
つまり、
subject-object二元論そのものにも歴史がある。
7 しかもobjectiveの歴史も現在と逆方向に見える
ここでも現代語を過去へ投影してはいけない。
現在、
objective
と言えば、
客観的
個人の心から独立している
偏っていない
という意味が強い。
しかしDescartesの realitas objectiva は、そういう意味ではない。
より正確には、
観念が何かを表象する限りで、その観念に帰属する、表象されたものの実在性ないし実在性の度合い
に関係する。
したがって、
objective reality
= mind-independent reality
という現代英語的理解をそのまま当てると逆になる。
これは中世・近世の esse obiectivum / realitas objectiva の語彙史を引き継いでいる。
8 subject / objectはヨーロッパ内部ですでに再配置された
したがって、
中世から
subject = 認識者
object = 外界
ではない。
大まかには、
古代・中世
subiectum
= 基体・主辞
obiectum
= 能力・作用が向かうもの
↓
近世
自己・表象・認識論との再接続
↓
近代
subject
= 認識する側
object
= 認識される側
という重心移動がある。
ただしこれも一点で反転したのではない。
古い語義と新しい語義が重なりながら、徐々に配置が変化した。
つまり日本語が受け取った時点で、objectはすでに長い再編成を経験していた。
9 GermanにはObjektだけでなくGegenstandがある
さらにEnglish object とGerman Objekt を一対一対応させることもできない。
Germanには、
Gegenstand
がある。
字面では、
gegen + stehen
向かいに立つもの
に近い。
German philosophyでは、
Objekt
Gegenstand
が同じではない技術的役割を担うことがある。
したがってJapanese 対象 の歴史を考えるとき、
object → 対象
だけでなく、
Gegenstand → 対象
という別経路も考えなければならない。
とくに19世紀末から20世紀のGerman philosophy、Neo-Kantianism、phenomenologyを経由する経路は無視できない。
10 ただし「Gegenstand=対象が定着原因」とはまだ言わない
ここも因果を急がない。
現在確認できる早い哲学用例として、「対象」は1905年『普通術語辞彙』に現れる。
しかし、
この語が広まったのはRickertやHusserlのGegenstandを訳したからだ
とまでは、まだ証拠を出していない。
したがって現段階では、二波モデルとしておく。
第1波
1900年代初頭
object周辺の訳語として「対象」が出現
↓
第2波
大正期以後
Gegenstand
intentionaler Gegenstand
などの受容
↓
「対象」「志向対象」が再技術化・再強化
という可能性である。
これは今後、翻訳書・哲学雑誌を調べれば検証できる。
11 1881年――Objectはまだ四つの候補を持っていた
ここで『哲学字彙』へ戻る。
1881年:
Object 物、志向、正鵠、客観
である。
この四つを現在の意味から直ちに解釈してはいけない。
まず確認できるのは、
一訳語では処理されていない
という事実である。
そしてさらに重要なのは、同じ辞書に、
Intention 志向
Outness 客観、外物
があることだ。
つまり、
Object → 志向
Intention → 志向
かつ、
Object → 客観
Outness → 客観 / 外物
である。
一語一訳どころか、多対多写像になっている。
12 「客観」は最初から現在の認識論用語だけではなかった
このOutness項は重要である。
現在なら、
主観 ↔ 客観
という認識論的対立が先に浮かぶ。
しかし1881年には、
Outness = 客観、外物
でもある。
つまり「客観」は、
subjectに対する哲学的object側
外にあるもの・外界性
の両方を担いうる語だった。
したがって、
客観は最初から現在の意味に安定していた
とは言えない。
むしろ、
客観
├─ 認識論上のobject側
└─ 外界性 / 外物
という負荷を一時的に抱えていた。
その後、
外界
外物
物体
客体
対象
などが別々の役割を担うようになる。
これも分化の一例である。
13 Objectの「志向」も、現代語から逆算しない
同様に、
Object=志向
を、
objectとは何かが向かう先だから志向と訳した
と単純に説明するのも危険である。
同じ1881年辞書に、
Intention=志向
が存在するからだ。
ここには、
intentio
intentional relation
obiectum
周辺の古い哲学語彙との接続がある可能性がある。
しかし、この点を確定するには、1881年『哲学字彙』の底本であるFlemingの Object 項との対校が必要である。
したがって現段階では、
Object=志向という対応は、objectの関係性を示唆する重要な史料だが、その成立機構は未確定。
とする。
Uを残す。
14 Flemingとの対校が次の決定的検証になる
『哲学字彙』は、William Flemingの Vocabulary of Philosophy を主要な土台として編纂された。
したがって、
Fleming
Object
↓
『哲学字彙』
物 / 志向 / 正鵠 / 客観
を並べなければならない。
ここを調べれば、
Fleming自身がobjectを複数義に分けていたのか
「正鵠」がgoal / aim意味を受けたのか
「志向」がintentio系の意味を受けたのか
日本側で意味の切り直しが行われたのか
をかなり絞れる。
したがって、
「編者がobjectの四つの本質を見抜いて四訳した」
とは現段階では書かない。
むしろ、
複数の訳語候補が並んでいる事実は確認できる。その配分理由は底本との対校が必要である。
とする。
15 「正鵠」もgoalだと断定しない
正鵠は、
的
狙い
目標
を意味する。
現代English object にも、
aim / purpose
の意味がある。
だから、
Object → 正鵠
がこの語義を受けた可能性は高い。
しかし、これもFlemingを確認するまでは、
goal意味を受けた可能性
とする。
現代Englishから1881年へ逆算して確定しない。
16 対象――関係における汎用的な「向けられる側」
現在Japaneseの 対象 は非常に広い。
研究対象
調査対象
恋愛対象
攻撃対象
支援対象
観察対象
思考対象
と言える。
ここで対象は、
relationそのもの
ではない。
たとえば、
研究者 ──研究する──→ 江戸文学
なら「江戸文学」が対象である。
つまり、
対象は、認識・感情・欲望・行為などの関係において「向けられる側」に立つ汎用的なrelational roleである。
これは客観・客体と少し違う。
17 対象には一対一の反対語がない
ここが本稿で最も重要な非対称性である。
主観 ↔ 客観
主体 ↔ 客体
主語 ↔ 目的語
には、比較的明瞭な対がある。
しかし、
対象
には一個の決まった反対語がない。
なぜなら、
認識する → 対象
欲望する → 対象
愛する → 対象
攻撃する → 対象
研究する → 対象
支援する → 対象
と、異なるoperationから同じ語へ入れるからである。
したがって「対象」は、
subject-object二元論の片側
というより、
多種の作用に対する汎用object-role
として使える。
18 しかしこの汎用性が日本語だけの発明とは限らない
ここも留保する。
German Gegenstand にも、
思考のGegenstand
研究のGegenstand
感情のGegenstand
のような広い用法がある。
さらにphenomenologyでは、
intentionaler Gegenstand
という技術的使用がある。
したがって、
「対象」が汎用object-roleになったのは日本語独自の発明だ
とはまだ言えない。
むしろ、
既存日本語で形成されつつあった「対象」という語が、German Gegenstandやintentional object系の翻訳を受けることでさらに汎用化・技術化された可能性
を検証すべきである。
19 対象であることと、実在することは別である
ここで+Oとの境界が重要になる。
たとえば、
ユニコーンを想像する。
このときユニコーンは、
想像の対象
になっている。
しかし、
想像の対象である
↓
外界に実在する
とはならない。
逆も同じである。
心的対象である
↓
外界には存在しない
ともならない。
つまり、
objecthoodは関係上の地位。
existenceは存在論上の問い。
である。
両者は別々に検証しなければならない。
20 thinghoodと+Oも区別する
さらに、
thingである
ことと、
mind-independent existenceを持つ
ことも単純に同一ではない。
今回の整理では、
語・概念上の分類
thinghood / objecthood
と、
+O
その指示対象がどのような存在者として実在するか
を別にする。
だから、
幽霊
神
魂
fiction
数学的対象
AIの内部表象対象
なども、
「対象になりうるか」
と、
「何として実在するか」
を別問題として扱える。
21 客観――認識論の極として安定していく
1881年にはOutnessまで担っていた「客観」は、その後とくに、
主観 ↔ 客観
という認識論的対概念の中で強く使われるようになる。
現在なら、
認識される側
主観から独立するとされる側
複数人に共通可能な側
などを「客観」の周辺問題として扱える。
しかし、
客観=物体
ではない。
さらに、
客観=真理
でもない。
「客観性」という語そのものにも、
mind-independence
intersubjective reproducibility
observer-independence
procedural neutrality
など異なる問題が混ざる。
22 「客観的」はさらに規範語へ成長した
現在、
客観的に考えてください。
と言えば、
個人的感情を抑えて
公平に
第三者的に
という意味になることが多い。
つまり、
Object
↓
客観
↓
客観的
↓
公平・冷静・信頼できる
という意味成長が起きた。
これは原語objectの単なる再現ではない。
ただし、
ここでPが成立した
とまではまだ言わない。
現時点で確認できるのはまず、
H₁上の語義・規範化
である。
このラベルが実際の審査・科学・行政実務を変更したことまで示せればPへ進める。
23 客体――哲学だけでなく法学でも固定された可能性
次に 客体。
現在なら、
主体の認識・意志・行為などが向けられるもの
と説明されることが多い。
Japaneseでは、
主観 ↔ 客観
が認識論寄り、
主体 ↔ 客体
が行為・実践・法・存在論寄りに使われる傾向がある。
ただしこれは普遍規則ではない。
学派・時代・ジャンルによって混用もある。
24 客体を固定したのは哲学だけではない
ここで法学が重要になる。
近代法学には、
権利主体
と、
権利客体
という反復的な概念対がある。
つまり客体は、哲学書で一度定義されただけではなく、
法学教科書
法律実務
大学教育
でも制度的に反復された。
これは、
客体が「認識されるもの」よりも、権利・意思・行為が及ぶ側
へ重心を持つようになった理由の一つである可能性がある。
ここは Inst として重要な検証候補である。
25 1912年の「客体」には、まだ「物体」が残っている
1912年の辞書では客体について、
「主位に対してその客位に在る物体」
のような説明も見える。
これは、
客体概念がすでに完全に安定した
証拠ではない。
むしろ、
客体
├─ 主体に対する作用対象
└─ 客の位置にある「物体」
という古いthinghoodのイメージがまだ重なっていた証拠として読める。
1881年の、
Object=物
という系統が消滅したわけではない。
意味の一部が別の語へ残存していた可能性がある。
26 三木清は「分業完成の証人」ではなく「区別を理論化した例」
20世紀日本哲学では、
主観―客観
と、
主体―客体
の差自体が問題になる。
三木清は少なくとも、
従来の主観・客観は主として知識の立場で形成された概念であり、行為について考える場合には「主体」を考えなければならない
という方向を明確に示している。
また、その主体は単なる意識ではなく、身体を持った行為的存在として論じられる。
したがって、
主観 ↔ 客観 = 認識
主体 ↔ 客体 = 行為
という完成した日本語一般規則を三木が作った、とまでは言わない。
より正確には、
主観/客観と主体/客体を別の問題系として扱うことのできる日本語上の区別を、三木が理論的に利用した一例
とする。
27 目的語――objectが文法上の地位になる
哲学とは別に、English object はgrammarでも使われる。
John loves Mary.
なら、Maryがobject。
Japaneseでは現在、
目的語
と呼ぶ。
しかし、この訳語も最初から固定していない。
28 1897年には「客語」
大槻文彦『広日本文典』では、
Object=客語
という用語が使われた。
つまり、
Subject → 主語
Object → 客語
という対も存在した。
これは非常に分かりやすい。
主 ↔ 客
という漢字対を、そのままgrammarへ利用したからである。
しかし最終的には「客語」は中心語として残らず、「目的語」が強くなる。
ここにも選別がある。
29 賓語・目的語など、文法側にも競合があった
objectの文法訳には、
客語
賓語
目的語
など複数の候補があった。
したがって、
object
↓
目的語
も直訳一回で成立したわけではない。
文法教育・国文法・英文法教育などの制度の中で競合した結果である。
山田孝雄『日本文法論』は1908年刊であり、辞書資料では1902–08という資料年代で参照されることがある。
「目的語」の厳密な初出年代については、資料ごとに確認する必要がある。
したがってここでも、
現在確認できる早い用例
と書き、絶対初出とはしない。
30 なぜ「目的語」が勝ったのかは別問題
ここはまだ確定していない。
候補の一つは、英語教育で、
objective case
が「目的格」と訳されていたこととの制度的連結である。
もし、
Objective Case → 目的格
Object → 目的語
という教育上の整合性が強く働いたなら、
別のtechnical terminology体系との整合性が訳語選択を押した
ことになる。
これは非常に面白い。
ただし、文部省教科書や英文法書の実証が必要。
現段階ではU。
31 1881年の「正鵠」と後の「目的語」は同じなのか
これもすぐに直系系譜にしない。
1881年:
Object → 正鵠
後世:
grammatical object → 目的語
を見ると、
「狙い・目標」という同じ意味面が、別制度へ分かれた
ように見える。
しかし、その系譜を証明するにはFlemingと文法教科書をつなぐ必要がある。
したがって、
objectが持つaim / target的意味資源が、哲学辞書では「正鵠」、文法制度では「目的語」のような異なる語形成へ関与した可能性
として残す。
32 現代日本語での分業を、本質表ではなく「傾向表」として見る
現在は大まかに、
語比較的強く担う問題客観主観に対する認識論的極、objectivity客体主体・権利・行為が及ぶ側対象多様な作用が向けられる側の汎用的地位目的語文法上のobjectという構文的地位
と整理できる。
しかしこれは、
objectの四つの本質
ではない。
現代日本語で比較的生じやすい機能分化を示すだけである。
A――規約・学派・ジャンル依存性――を残す。
33 さらに「物・物体」系統も生き残った
哲学語だけを見ると忘れやすいが、English objectには現在も、
physical object
という普通の意味がある。
Japaneseでは、
物
物体
対象物
などになる。
したがってobject史全体は、
object
├─ 物 / 物体
├─ 客観
├─ 客体
├─ 対象
├─ 目的 / 目標
├─ 目的語
└─ オブジェクト
くらいまで広がる。
「四語」は哲学・文法だけを切った略図にすぎない。
34 そして「オブジェクト」が再流入する
現代Japaneseでは、objectを訳さず、
オブジェクト
と使う。
art object
3D object
programming object
などである。
しかし、ここで重要なのは、
同じ語形が戻ったから同じ意味が戻った
わけではないことである。
35 OOPのobjectは、むしろ古いsubiectumに近い仕事をする
Object-Oriented Programmingのobjectは、
state / dataを持つ
propertiesを持つ
methods / behaviorを持つ
単位である。
これは単なる、
何かの作用が向けられる受動的なobject
ではない。
むしろ、
属性や振る舞いを担う基体
という意味では、中世的な subiectum に近い仕事をしている。
つまり、
語形:object
機能:subiectum 的
という逆転すら起こる。
これは、
概念史では語形だけ追ってはいけない
という今回の論を非常に分かりやすく示す。
同じobjectという語が、歴史の別地点で別のrelational roleを担いうる。
36 ここまで来ると、単語対応表では足りない
従来型の翻訳図なら、
object → 対象
で終わる。
しかし実際には、原語側にすでに複数のtyped relationsがある。
knower ──cognition──→ object
desirer ──desire─────→ object
agent ──action─────→ object
verb ──syntax─────→ object
act ──goal───────→ object
それがJapaneseでは、
主観 ──認識──→ 客観
主体 ──行為──→ 客体
作用 ──志向──→ 対象
動詞 ──統語──→ 目的語
行為 ──目的──→ 目的 / 目標
のように別々の語彙ネットワークへ再写像される。
つまり翻訳対象は、
nodeひとつ
ではない。
typed edgeを含むsubgraph
なのである。
37 前稿subjectと合わせるとさらに分かる
前稿と今回を合わせる。
1881年では、
Subject
心 / 主観 / 題目 / 主位(論)
Object
物 / 志向 / 正鵠 / 客観
だった。
さらに、
Intention → 志向
Outness → 客観 / 外物
まである。
つまり19世紀末の辞書は、
Western concept → Japanese equivalent
という対訳表ではない。
むしろ、
複数の原語と複数の訳語が重なり合うネットワーク
である。
そこから専門制度が分化し、
主語 ↔ 目的語
主観 ↔ 客観
主体 ↔ 客体
作用 → 対象
という別々の関係型が徐々に安定していった。
38 しかし、この左右対称図も「完成図」ではない
特に、
主語 ↔ 目的語
主観 ↔ 客観
主体 ↔ 客体
が美しすぎることに注意したい。
これは後から安定した規約を並べた図である。
実際には、
主観と主体は混用された
客観と客体も混用された
Gegenstandが対象へ入る
objectは目的にもなる
法律では主体/客体が別の意味で反復される
など、境界はもっと複雑である。
そして「対象」はそもそも左右対称表からはみ出している。
したがって、この対称図は、
説明の出発点ではなく、後から形成された複数制度の暫定的な重ね合わせ
として使う。
39 分化によって何を得て、何が見えにくくなったのか
分化の利点は大きい。
「客観」と言えば認識論。
「客体」なら行為・法・存在論。
「対象」なら広いrelation-role。
「目的語」なら文法。
操作しやすい。
しかし同じ語 object に残っていた、
物
狙い
欲望対象
認識対象
文法項
という歴史的連関は、日本語では別語に散る。
ただし、
その連関が完全に失われた
とは言わない。
English話者自身も、objectを使うたびに全語義を意識しているわけではないからだ。
より正確には、
同じ語形によって潜在的に保たれていた歴史的連関への再訪可能性が、日本語では低くなる。
とする。
したがって、
意味分化
=
操作上の明瞭化
+
歴史的連関の不可視化
+
新しい意味成長
である。
40 5+Oで整理する
この連載で使っている5+Oとは、
語形
語義
概念・説明モデル
実践・制度
経験・生成現象
+O=指示対象そのものの存在論仮説
を分ける方法である。
今回なら、
1 語形
object
Objekt
Gegenstand
客観
客体
対象
目的語
オブジェクト
2 語義
物。
狙い。
目的。
認識されるもの。
欲望されるもの。
作用されるもの。
文法項。
3 概念・関係モデル
subject-object relation。
intentional object。
Gegenstand。
grammatical object。
objectification。
4 制度
哲学辞書。
大学教育。
法学。
学校文法。
心理学。
phenomenology。
情報技術。
5 経験
見る。
考える。
欲する。
恐れる。
愛する。
行為を向ける。
+O
その対象が、認識・想像・言語活動から独立した存在者として、どのように実在するのか。
ここを別にする。
41 A / B / E / P / Uで診断する
A――強い
Object / Objekt / Gegenstandのどの意味を、
客観
客体
対象
目的語
へ割り当てるかは、時代・学問分野・翻訳慣行に依存する。
1881年の多重対応が、別の切断が可能だった直接的証拠である。
B
定理的不能は示されていない。
English自身がobject一語で多義性を維持しているため、
一語保持が論理的に不可能
ではない。
E₁
過去の読者が「客観」「対象」「客体」の差をどのように経験・理解していたかは、辞書だけから直接復元できない。
E₃
そもそも何をobjectとして数えるかが、哲学・心理学・文法・計算機科学で異なる。
P¹
候補。
訳語の分化によって、異なる問題設定を明示的・反復的に運用しやすくなった可能性は高い。
しかし、それが実際の制度・行動・対象状態を変えたことまで実証してはいない。
P²
さらに未実証。
行政の「対象者」、法学の「権利客体」、「客観的評価」などが、分類対象や実践を変え、その結果が後続概念へ戻る循環を確認できれば上げられる。
U
Fleming底本の寄与
German Gegenstand受容
phenomenology
法学
英文法教育
漢語形態
それぞれの相対寄与は未確定。
42 第4項――ここから何を検証するか
最優先はFlemingである。
① Flemingとの対校
Fleming
Object
↓
1881『哲学字彙』
物 / 志向 / 正鵠 / 客観
を並べる。
これによって1881年訳語の出自を確認する。
② 『哲学字彙』三版を比較する
1881、1884、1912年について、
Object
Objective
Objectivity
Subject
Subjective
Intention
Outness
Thing
Matter
を比較する。
単語単体ではなく共訳語ネットワークを見る。
③ 哲学系列
1905年以降、
客観
客体
対象
の頻度と共起を追う。
さらに、
Objekt → ?
Gegenstand → ?
intentionaler Gegenstand → ?
を翻訳本文で直接調べる。
④ 法学系列
権利主体 ↔ 権利客体
がいつ教科書・法令・法律論文で安定したかを見る。
客体の制度化を哲学だけで説明しない。
⑤ 文法系列
Object
↓
客語
賓語
目的語
の競合を、
英文法書
国文法書
文部省教材
で追う。
Objective Case → 目的格との連結も検証する。
⑥ 行政・日常語系列
対象者
支援対象
調査対象
対象化
客観的評価
が行政・教育・報道でどう制度語化したかを追う。
ここまで行けばP判定を上げられる。
結び――objectは四語になったのではない
最初の問いへ戻る。
objectは、なぜ客観・客体・対象・目的語になったのか。
答えは、
objectには本来四つの意味があり、それを四つに正しく訳したから
ではない。
1881年には、
物、志向、正鵠、客観
だった。
しかも、
Intention=志向
Outness=客観、外物
まで同じ辞書の中にある。
つまり当時すでに、
原語A → 訳語X
原語B → 訳語X
原語A → 訳語Y
原語C → 訳語Y
という多対多のネットワークだった。
そこから、
認識論
German philosophy
phenomenology
法学
文法教育
心理学
行政
情報技術
がそれぞれ別の語を反復し、技術化した。
その結果、
主観 ──認識──→ 客観
主体 ──行為──→ 客体
作用 ──志向──→ 対象
動詞 ──統語──→ 目的語
のような複数の関係型が形成された。
ここで初めて分かる。
翻訳されたのはobjectというnodeだけではなかった。
原言語側には、
actor ─relation-type→ object
という複数のtyped edgesがある。
翻訳先では、それらが別々の語彙ノードへ再配分される。
したがって今回の結論は、
翻訳とは、語を別の語へ置き換えることではなく、型付き関係グラフの一部を別の言語上へ再写像することである。
となる。
その再写像は完全ではない。
ある区別は明瞭になる。
ある歴史的つながりは見えにくくなる。
そして翻訳先で、原語になかった新しい用法まで生まれる。
だから、
意味分化=操作上の明瞭化+歴史的連関の不可視化+新しい意味成長
なのである。
前稿では、subjectが「主語・主観・主体」という別の道を歩き始めた。
今回はobjectが、「客観・客体・対象・目的語」という別の道を歩いた。
しかしsubjectとobjectを別々に追った最後に見えてきたのは、もっと大きなことだった。
本当の歴史単位は、単語ではない。
誰が認識するのか。
何が認識されるのか。
誰が行為するのか。
何に行為が向かうのか。
何が欲望されるのか。
何が文の項になるのか。
その関係の型と、その中で各項が占める地位こそが、翻訳によって組み替えられてきた。
世界心霊用語史が追うべきものも、最後にはそこへ戻る。
語ではない。
存在者ですらない。
人間が世界と自分との関係を、どんな切断線で記述してきたか。
その再配置の歴史なのである。
今回のガードレール
object ≠ thing。
object ≠ relation。objectはrelation内のroleになりうる。
objecthood ≠ thinghood。
objecthood ≠ external existence。
中世obiectum ≠ 現代的な外部客体。
subject / objectは古代から一組の対概念だったわけではない。
Object ≠ Objekt ≠ Gegenstand の語義ネットワーク完全一致。
客観 ≠ 客体 ≠ 対象 ≠ 目的語。
客観=外界性、という古い負荷も無視しない。
対象の汎用化 ≠ 日本語独自発明と確定。
目的語の定着 ≠ 文法的objectの普遍性。
語義分化 ≠ P成立。
意味分化 ≠ 情報の純増。
出典
。
1. 『哲学字彙』1881――最重要一次資料
今回の基点です。本文全文で Object=物、志向、正鵠、客観、Subject=心、主観、題目、主位(論)、さらに Intention=志向、Outness=客観、外物 を直接確認できます。
今回の
Object → 物 / 志向 / 正鵠 / 客観
Intention → 志向
Outness → 客観 / 外物という多対多対応の一次根拠です。
2. William Fleming, The Vocabulary of Philosophy
『哲学字彙』が主要底本としたFlemingの原著。次に行うべき検証は、ここの Object / Subject / Intention 項と1881年版との直接対校です。PDF全文を閲覧できます。
Fleming, The Vocabulary of Philosophy 全文PDF
別版:
Fleming, The Vocabulary of Philosophy 別版PDF
この資料を確認するまでは、「正鵠=goalの意味を日本側が独自に切り出した」「志向=objectの関係性を直接訳した」などは仮説としておくのが安全です。
3. 中世 obiectum / subiectum――Wöller 2026
Florian Wöller, “The subject is the object: On the emergence of subjective science in thirteenth-century theology”, Science in Context, 2026。
13世紀の subiectum と obiectum を、現在の「主観/客観」対立へそのまま投影できないことを確認する重要論文です。
Cambridge Core — The subject is the object
今回の、
中世obiectum ≠ 現代的な外界のobject
というガードレールの主要出典です。
4. Subjekt / Objekt の歴史的意味再編
Historisches Wörterbuch der Philosophie の Subjekt 項。古代・中世の subiectum と、近代の「認識するsubject」の違い、さらにDescartesからLeibniz周辺での意味配置変化を確認できます。
Historisches Wörterbuch der Philosophie — Subjekt
5. Descartesの realitas objectiva
同じく Historisches Wörterbuch der Philosophie の「formale/objektive Realität」。
Descartesの realitas obiectiva が、現代語の「心から独立したobjective reality」とは違い、観念が表象するものに属する実在性を問題にしていることを詳しく確認できます。
HWPh — Realität, formale/objektive
これは改訂稿第7節の主要出典です。
6. German Gegenstand
Gegenstand は16世紀以後現代的意味で使われ、18世紀以後 obiectum の哲学的German訳としても使われるようになったことが確認できます。
Historisches Wörterbuch der Philosophie — Gegenstand
現代Germanでの一般的な用法もDudenで確認できます。「思考・行動・感情が向けられるもの」という意味が明示されています。
7. German Objekt
Dudenでは、Objektを「関心・思考・行為が向けられるGegenstand」とする意味、哲学的object、文法objectなどを確認できます。語源もLatin obiectum / obicere と明記されています。
これが、
Objekt ≠ Gegenstand の語彙ネットワーク完全一致
という留保の基礎資料になります。
8. 日本語「対象」――1905年の早い哲学用例
国立国会図書館系のレファレンス協同データベースによる調査。確認された資料中では、徳谷豊之助・松尾勇四郎『普通術語辞彙』(1905)が最も早い哲学的「対象」用例とされています。また1912年『哲学字彙』第三版への導線もあります。
ここは、
絶対的な初出
ではなく、
現在確認された早い哲学用例
と書くのが安全です。
9. 日本語「客体」
精選版日本国語大辞典系。1907年『辞林』、1908年の法律関係用例、1912年『大辞典』の「客位に在る物体」用例が確認できます。
この一資料だけで、
哲学的・行為的客体
+
法律上の主体/客体
+
「物体」イメージの残存を追えます。
10. 法学の「権利の客体」と「物」
法学では「物」が権利の客体となるという制度的用法が現在も明確です。哲学だけでなく法学が「客体」を反復・固定する装置になった可能性を検討する補助資料です。
11. 「客語」――大槻文彦『広日本文典』1897
Object=客語 系統の根拠。1897年『広日本文典』の実例が確認できます。
「主語―客語」という主/客ペアによる文法分析が実際に存在したことを示す資料です。
12. 「目的語」――山田孝雄
『日本国語大辞典』では、山田孝雄『日本文法論(1902–08)』から「目的語」の早い実例を掲載しています。
『日本文法論』自体は、1902年に一部刊行、1908年に全体刊行です。
したがって本文では、
『日本文法論』(1908年全刊。一部1902年刊)
とすると整理できます。
13. 三木清『哲学入門』
三木は従来の「主観―客観」を主として知識の立場の概念として批判し、主体を身体を持った存在・社会的存在として論じています。今回の「主観/客観」と「主体/客体」を単なる同義ペアにしないための一次資料です。
ただし本文では、
三木が 主観―客観 / 主体―客体 という完成済み二対二体系を定義した
とまでは言わず、
両問題を区別して理論化した一例
として使うのが安全です。
『哲学字彙』1881
Fleming Vocabulary of Philosophy
Wöller 2026
HWPh「Subjekt」
HWPh「Realität, formale/objektive」
HWPh「Gegenstand」
「対象」初期用例調査
「客体」
「客語」「目的語」
特に今回、本文に直接入れたいのはこの三つです。
1881『哲学字彙』
Object = 物 / 志向 / 正鵠 / 客観
Intention = 志向
Outness = 客観 / 外物石部統久・ChatGPT5.6
査読:ChatGPT5.6・Claude Opus5・Grok・Gemini3.7(Parcae Protocol)
