義母の一言にイライラ→ウケる〜に変わった訳
10年くらい前かな?
心屋仁之助さんの本に
ギャル語のすすめって載ってて
どんなことでも
「ウケるんですけど〜」って
笑って受け止めれたら最強!
ギャルのメンタルで生きよう、
みたいな事が書いてあった
なるほど、確かに
そんな風に軽く笑って
流せたらいいな、
って
その時は思った
でも
そんなことすっかり忘れていた
それから10年、、、。
昨日
いつもだったら
はらわた煮えくりかえるくらい
イライラする一言を
義母に言われた
いいねぇ
羨ましい〜系のあからさまな嫌味だ
そのとき
以前だったら
私の気持ちも知らないくせにって
反論したくなる
めちゃくちゃ腹立って
旦那さんに後で
チクって
ネチネチと言い
そこで鬱憤を吐き出していた
(旦那からしたら大迷惑)
でね
昨日も同じような事言われた
「いいねぇ〜」
「羨ましい〜」
一瞬は確かにイラッとした
「また出た」
と思った
でも、
旦那さんに話すときには
「まじでウケる」
って
笑いながら話していた
あれ、、、、?
私の受け止め方変わってる。。。?
自分でも驚いた
なぜ?
そもそも
私は昔、なんで
この言葉が嫌いだったか
と言うと、、
色んな思い込みを持っていたから
〇私だけ恵まれていたら妬まれる
〇周りから悪口を言われる
〇嫌われてはいけない
〇周りと一緒でなければいけない
〇みんなから、はみ出してはいけない
〇私もまだまだですと、
相手に同調し謙虚でなければいけない
〇私だけ幸せになってはいけない
みたいな思い込み
(幼少期から無意識に培ってきたもの)
があった
これが刺激されるので
イライラする
さらに
「私は幸せじゃないのに」
ってゆう前提が
激しく刺激されていた
もともとは
ネガティブ全開で
生きづらさの塊みたいな私
私なんて、、が標準装備の
自己肯定感どん底人間だった
だからさ、
いいね〜とか嫌味を言われると
「は?!
こんな生きづらいのに!」
「人の気も知らないで
私だって不幸なんだ!」って
謎の
自分の不幸さをアピールしたくなるくらい
腹立っていた
不幸アピールをして
自分もそちら側の人間だよって
仲間に入れてもらおうとしていたんだと思う
そこにも
無意識の思い込みが働いていた
それが
最近は
ない
「いいねぇ
羨ましい〜」のあからさまな嫌味に
対して
、、、、、、。
「まぁ、そうだよね」
って思える
なぜなら
『私は確かに幸せだし
恵まれてる』
と感じるから
『みんなと一緒でなくていいし
私は私だ』
と感じてるから
だから
同じ言葉を投げかけられても
一瞬はイラっとするけど
話し出したら
「なんかウケる〜」に変わってた、、
自分を満たすこと
これを何年もコツコツ、
コツコツやってきた
私を喜ばせるための
1人時間
日々感じる風
カフェのコーヒー
自然の香り、木々が揺れる風景
仕事帰りのスタバ
お気に入りの洋服
コツコツ、コツコツ
自分を喜ばせ続けてきたことで
幸せだなぁと思う時間が増えてきた
すると不思議と
恵まれてること
有難いと思うことが増えてきた
見える景色って
『色眼鏡』みたいなもので
自分の状態が反映されてる
「あ〜幸せ」って
思う存分
新鮮な空気を吸い込んで
深呼吸していると
自然と目が向くのは
私の大好きな風景や
優しい人
温かいやりとりなど
『恵まれてる現実』ばかりなのだ
逆もまたしかり
「自分なんて」ってイライラして
周りのせいにばかりしてると
どんどん『嫌な現実』ばっかり目に入ってくる
コツコツ、コツコツ
満たし続けてきたこと
あとは何より
『私はここに居る』と
私の身体に
『私という存在』を
戻すことを
してきたからだ
これが大きい
(詳しくは、この辺の記事)
私の中に私がいると
他人の意見に
いちいち影響されにくくなる
『私は私』
を強く感じているから
他人の意見も
『あなたはあなた』
と受け止められる
自分が不在だった時は
自分の中が不在なので
その人の意見が
自分の中まで
入り込んで
暴れまくる
他人の意見を
『あなたはそう思うんだね』って
中には入れず
表面で
ピタッと受け止める強さが
なかったんだと思う
それが
『私という存在』が
自分の中にあることで
相手の意見に飲み込まれずに
表面でピタッと止めれる感じだ
全部ではないけど
こうゆう感覚が
少しずつ根付いてきたことが
嬉しい、、、
めっちゃ微細な変化だけど
忘れたくないから
忘れた時
思い出せるように
ここに書いておく!
(たぶん忘れるしw)
なにはともあれ
ギャルマインドって
本当に強いな
なんでも
笑って流せて
なんでも
もっと楽しんじゃおって思えたら
本当、最強じゃん
そのくらい
軽〜いノリで行きたいな♪
※ちなみに義母は
嫌味のつもりも少しはあるけど
嘘をつけない人間なので
正直者ということでもあり
ある意味、
包み隠さない、いい部分でもあると
最近は捉えれるようになってきています。
(それもまた、私の心を写す鏡、
私の心の状態が良い時は、そう捉えれる)
