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その調査、事実を知るためですか?――組織を守ろうとすると、なぜ事実確認を間違えるのか

あなたが会社員なら、この話は他人事ではありません。

役所の不祥事だからでも、政治の話だからでもありません。

職場で何か問題が起きたとき、

「本人には確認しました」

「関係部署にもヒアリングしました」

「社内で調査した結果、問題は確認できませんでした」

そんな説明を聞いたことはないでしょうか。

でも、本当に大切なのは、

「調査したかどうか」ではありません。

何を明らかにするために、調査したのか。

ここを間違えると、会社も役所も学校も、調査をすればするほど事実から遠ざかることがあります。

今回考えたいのは、

その調査、事実を知るためですか?
それとも、組織を守るためですか?

という問いです。


バスローブが問題だったのか?

YouTuberの「ヘライザー総統」が、最近起きた複数のニュースを取り上げていました。

その一つが、秋田県職員をめぐる問題です。

オンラインで報道対応した職員が、バスローブのような姿で喫煙していた。

これだけ聞くと、

「公務中に、その格好はどうなの?」

という話に見えます。

しかし、その後の展開を見ると、問題の焦点はそこではありませんでした。

当初、「自宅にいた」「体調が優れず寝巻き姿だった」と説明されていたものが、追加調査によって、実際には別の場所にいたことが判明したとされています。

つまり、大きな問題になったのは、

バスローブではなく、事実と違う説明をしたこと。

そして、もう一つ重要なのは、

なぜ、その説明が一度は組織の公式説明になったのか?

ということです。

動画でも、本人の説明を十分に裏取りしないまま発表したことで、結果的に県自身が誤った情報の発信元になった、という問題が指摘されています。

ここで、私は少し立ち止まりました。

これは、本当に「変わった公務員のニュース」なのでしょうか。


会社でも、同じことをしていないでしょうか

たとえば、部下からハラスメントの申告があったとします。

会社は上司に確認します。

「そんなつもりはありませんでした」

と言われる。

そこで、

「本人に確認したところ、ハラスメントの意図はなかったとのことです」

と回答する。

でも、それは調査でしょうか。

あるいは、顧客からクレームが来た。

担当者に確認すると、

「私はちゃんと説明しました」

と言う。

そこで、

「担当者に確認しましたが、適切に説明していたとのことです」

と回答する。

これも、本当に事実確認でしょうか。

製品事故でも、

情報漏洩でも、

経費の不正でも、

勤務上のトラブルでも同じです。

問題を起こした可能性がある人に、

「問題を起こしましたか?」

と尋ねて、

「起こしていません」

と言われた。

それだけでは、事実確認になりません。

ところが、組織では意外なほど、これが起こります。


なぜなら、途中で「問い」が変わるからです

問題が発生した直後、本来の問いはシンプルです。

「何が起きたのか?」

ところが、問題が大きくなりそうになると、別の問いが入り込んできます。

「会社に責任はあるのか?」

「誰かを処分しなければならないのか?」

「マスコミに知られたらどうなる?」

「裁判になったら?」

「取引先に説明しなければならないのでは?」

「経営陣まで責任を問われないか?」

いつの間にか、

「何が起きたのか?」

ではなく、

「どうすれば会社へのダメージを小さくできるか?」

を考え始める。

ここが危ない。

問いが変われば、集める情報も変わります。


「事実を探す調査」と「安全な結論を探す調査」

たとえば、

「何が起きたのか?」

という問いなら、

本人の説明だけでは足りません。

メールはどうなっているのか。

チャットは残っていないか。

周囲にいた人は何を見たのか。

時系列はどうなっているのか。

本人の説明と客観的な記録は一致しているのか。

反対の証拠はないのか。

そうやって情報を集めます。

一方、

「会社に問題がなかったと言える材料はないか?」

という問いを持った瞬間、見えるものが変わります。

本人が否定している。

明文化された禁止規定はない。

証拠が十分ではない。

認識に違いがある。

意図までは確認できない。

そうした情報ばかりが集まり始めます。

同じ「調査」という名前でも、

最初の問いが違えば、たどり着く答えまで変わってしまう。



組織を守ろうとして、組織を危険にする

ここが、この話から仕事に持ち帰りたいポイントです。

組織を守ろうとすること自体が、悪いわけではありません。

会社なら、社員や顧客、取引先、株主を守る必要があります。

役所なら、住民への責任があります。

学校なら、生徒を守らなければなりません。

問題は、

「組織を守る」と「組織に不利な事実を避ける」を同じ意味にしてしまうことです。

短期的には、

不都合な事実を小さく見せる

問題が大きくならない

組織を守れた

ように見えます。

しかし、その後に別の事実が出てきたらどうでしょう。

「なぜ最初に調べなかったのか?」

という新しい問題が生まれます。

すると、

最初の問題だけではなく、

「隠そうとしたのではないか」

「都合の悪い情報を出さなかったのではないか」

という、組織そのものへの不信に変わります。

だから、

問題そのものより、「問題への対応」が会社を傷つけることがある。

のです。


調査する人は、本当に調査できる立場なのか

ヘライザー総統が紹介した別の事例では、辺野古で起きた事故をめぐり、ご遺族側が、中立性のある検証体制、関係者への直接聴取、根拠を示した事実認定などを求めていると紹介されています。

ここにも、仕事に使える重要な視点があります。

誰が調べるのか。

です。

自分たちの判断が正しかったかを、

自分たちだけで調べる。

自分の部下への対応が適切だったかを、

その上司自身が判断する。

ある部署のミスを、

その部署だけで検証する。

もちろん、それだけで調査が間違いになるわけではありません。

ただし、

調査結果によって自分が不利益を受ける人が、調査の主導権を持っている。

その構造自体は、一度疑ってみる必要があります。



これは管理職だけの話ではありません

ここまで読むと、

「コンプライアンス部門の話でしょう」

と思うかもしれません。

違います。

もっと日常的な仕事にもあります。

部下から、

「この企画、うまくいっていません」

と言われたとき。

「いや、計画どおり進んでいるよね?」

と確認するのか。

それとも、

「何が起きている?」

と聞くのか。

自分の企画が失敗しそうなとき。

「失敗ではないと説明できる数字」

を探すのか。

「何が想定と違ったのか」

を探すのか。

クライアントから厳しい指摘を受けたとき。

「こちらに落ち度がなかった証拠」

を集めるのか。

「相手がなぜそう感じたのか」

を調べるのか。

全部、同じです。

私たちは無意識のうちに、

自分にとって安全な答えから逆算して情報を集めることがあります。

だからこそ、調査するときには、

答えより前に、

自分がどんな問いを立てているのか

を確認したほうがいい。



組織を守る、一番確実な方法

問題が起きたとき、

人は守りたくなります。

自分を。

部下を。

部署を。

会社を。

それ自体は自然なことです。

でも、そこで私はこう考えます。

組織を守るとは、不都合な事実から組織を守ることではない。

不都合な事実を明らかにして、同じことが起きない組織に変えることではないか。

事実は、ときに痛い。

責任が発生することもある。

間違いを認めなければならないこともある。

それでも、

最初に事実を明らかにしておけば、

直すことができます。

事実を避けてしまえば、

直すことさえできません。


今日の問い

職場で何か問題が起きたとき、少しだけ考えてみてください。

その調査、事実を知るためですか?

それとも、

自分たちにとって安全な答えを出すためですか?

この二つは、似ているようでまったく違います。

そして、

その違いに気づけるかどうかが、

組織の問題解決力を大きく左右するのだと思います。


ニュースを見ていると、

「ひどい会社だ」

「変な役所だ」

「また不祥事か」

で終わってしまいがちです。

でも私は、そこで終わらせるのは、少しもったいないと思っています。

ニュースには、

自分の仕事を見直す材料

がたくさんあります。

このnoteでは、ニュースや身近な出来事から、

「自分の仕事なら、どう考えるか?」

まで一段深く掘り下げています。

会議、企画、文章、プレゼン、マネジメント、組織の問題。

ニュースから拾った気づきを、仕事で使える形に変えていきます。

「ニュースを見て終わり」ではなく、

明日の仕事に一つ持ち帰りたい。

そんな方は、フォローしてもらえるとうれしいです。

次のニュースも、一緒に仕事の学びへ変えていきましょう。


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