お花畑さん、その“みんな”って誰ですか?
会議で、こんな言葉を聞いたことはありませんか。
「若い人は、みんなそう考えています」
「女性は、こういう制度を求めています」
「SNSでは、これが常識です」
「海外では、もう当たり前です」
「今は、多様性を重視する時代です」
「環境に配慮しない企業は選ばれません」
どれも、それらしい。
だから、意外とそのまま会議を通ってしまいます。
でも私は、そこで一度聞きたくなります。
その“みんな”って、誰ですか?
何人に聞いたのでしょう。
どんな人たちに聞いたのでしょう。
反対する人はいなかったのでしょうか。
その人たちは、本当に自分たちのお客様を代表しているのでしょうか。
そして何より、
その発言を根拠に会社が何かを決めたとき、本当にお客様のお困り事は解決するのでしょうか。
この記事を読んでほしい理由は、ここにあります。
これは活動家だけの話ではありません。
あなたの会社の会議でも、同じことが起きているからです。
もっともらしい言葉。
強い感情。
権威ある人の発言。
SNSのトレンド。
一部のアンケート。
海外事例。
そうした「発言」が、いつの間にか「意思決定の根拠」へ変わっていく。
その途中を疑わないまま仕事をすると、
“誰かが言っていたこと”を、自分たちの正解として採用する会社
になってしまいます。
「私はこう思う」は、大切です
社会問題について、強い言葉で主張する人たちはたくさんいます。
環境問題。
ジェンダー。
多様性。
働き方。
人権。
家族制度。
安全保障。
もちろん、自分の意見を持つことは大切です。
社会には、声を上げる人が必要です。
少数者の意見だから無視していい、という話でもありません。
しかし、
声を聞くことと、その声を“社会の総意”として扱うことは違います。
ここを混ぜてしまうと、議論がおかしくなります。
「私はこう感じる」
これは、その人の意見です。
しかし、それがいつの間にか、
「私の周りもそう言っている」
になり、
「SNSでもそう言われている」
になり、
「世の中はそう考えている」
になり、
最後には、
「だから会社もそうするべきだ」
へ変わっていく。
でも、その間には大きな飛躍があります。

問題は「発言」ではなく、その後です
ここで大切なのは、
その人が好きか、嫌いか。
保守か、リベラルか。
男性か、女性か。
若者か、高齢者か。
ではありません。
仕事として重要なのは、
その発言を「意思決定の根拠」に変換してよいのか。
ということです。
たとえば、多様性について、
「多様性のある組織ほど、創造性やイノベーションが高まるというデータがあります」
と言われたとします。
それ自体は、検討材料になります。
しかし、
だから、
「すべての会社が、この制度を導入するべきだ」
まで一気に進めていいのでしょうか。
企業ごとの事業環境は違います。
人材構成も違います。
お客様も違います。
抱えている課題も違います。
添付した議論でも、「多様性が創造性やイノベーションにつながるというデータがある」という主張と、企業経営や利益との関係をどう考えるのかという主張がぶつかっています。
つまり、
データがあることと、自分たちの会社で同じ結論になることは別問題です。
「数字」が出てくると、もっと危ない
数字が出てくると、一気に「事実っぽく」なります。
たとえば、
「52%の女性が支持しています」
と言われたら、
「じゃあ過半数ですね」
となる。
でも、本当に確認すべきことは、その先です。
誰に聞いたのでしょう。
母集団は何でしょう。
質問文は何でしょう。
「賛成」と「強く制度変更を求めている」は同じでしょうか。
その数字から、どこまで言えるのでしょう。
添付した選択的夫婦別姓をめぐる議論でも、既婚女性の52%という数字が紹介される一方、制度への関心度やコストなど、別の論点も提示されています。
つまり、
数字が出てきたから議論が終わるのではありません。
むしろ、
数字が出てきたところから、
仕事としての確認が始まります。
「メンタルが持たない」と言われたら、そこで議論は終わりですか?
こうした議論で、よく聞く言葉があります。
「精神的に耐えられません」
「自分のアイデンティティーが崩壊します」
「当事者にしか、この苦しさはわかりません」
私は、こうした言葉を笑うつもりはありません。
本当に苦しんでいる人がいるのなら、その声は聞くべきです。
少数者だから無視していい、とも思いません。
しかし、
その人が苦しいことと、社会や会社が特定の制度を採用すべきことは、同じ話ではありません。
ここは分ける必要があります。
「私は苦しい」
これは、その人自身についての重要な事実です。
しかし、
「だから、この制度に変えるべきだ」
となった瞬間、
そこから先は意思決定の話になります。
では、確認しなければいけません。
どれくらいの人が同じ問題を抱えているのでしょう。
どの程度の深刻さなのでしょう。
現在の仕組みでは解決できないのでしょうか。
制度を変えれば、本当に改善するのでしょうか。
別の人に新しい不利益は生じないのでしょうか。
費用や運用上の問題はないのでしょうか。
他の選択肢はないのでしょうか。
感情を聞いたところで、
検証は終わりません。
むしろ、そこから始まります。
「少数意見を潰すんですか?」と言われても、問いは消えません
では、
「その意見は、どれくらいの人を代表しているんですか?」
と尋ねたとします。
すると、
「少数意見だから無視するんですか?」
と言われることがあります。
でも、それは問いへの答えにはなっていません。
私は、
少数意見だから無視しよう
と言っているのではありません。
聞いているのは、
「その意見を、どこまで意思決定の根拠として扱えるのですか?」
です。
たった一人の困り事でも、深刻なら対応すべきことがあります。
逆に、多数派が望んでいても、実行すべきではないこともあります。
だから重要なのは、
多数か少数かだけではありません。
困り事の深刻さ。
原因。
対象範囲。
解決方法。
副作用。
費用。
代替案。
そこまで見て、初めて仕事として判断できます。
「女性蔑視ですね」と言われても、確認すべきことは変わりません
さらに、
意見の根拠を尋ねただけなのに、
「女性の声を軽視している」
「女性蔑視ではないですか」
と、発言者の属性の話へ移ることもあります。
しかし、
ここでも分けなければいけません。
誰が発言したかと、
その発言を意思決定の根拠にできるかは、
別の問題です。
女性が言ったから間違いなのでもありません。
男性が言ったから正しいのでもありません。
若者が言ったから正しいのでも、
専門家が言ったから自動的に正しいのでもありません。
仕事で確認すべきなのは、
「誰が言ったか」より、「何を根拠に、どこまで言えるのか」
です。
発言者の属性を尊重することと、
発言内容を無条件に採用することは違います。
「聞くこと」と「従うこと」を混ぜない
ここは、とても大切だと思います。
社会には、声を上げる人が必要です。
少数者の意見だから無視していい、という話でもありません。
しかし、
声を聞くことと、その声を“社会の総意”として扱うことは違います。
さらに言えば、
声を聞くことと、その要求に従うことも違います。
話を聞く。
困り事を理解する。
必要なら調査する。
データを集める。
反対意見も確認する。
代替案も検討する。
そのうえで決める。
これが意思決定です。
ところが、
「私は傷ついています」
↓
「だから反対してはいけません」
↓
「だから制度を変えるべきです」
となってしまえば、
そこで議論そのものが止まります。
それでは、より良い制度をつくることもできません。
感情は「入口」にはなる。でも「結論」ではない
私は、
「メンタルが持たない」
という言葉を否定したいわけではありません。
むしろ、
「なぜ、そこまで苦しいのだろう?」
というWhyの入口になると思っています。
そこから、
何が起きている?
なぜ困っている?
誰が困っている?
どれくらい困っている?
何を変えれば改善する?
他に方法はない?
と進んでいけばいい。
つまり、
感情は、調査を始める理由にはなる。
しかし、調査を終わらせる理由にはならない。
これが仕事だと思います。

「環境に良い」も、そこで思考を止めない
環境問題も同じです。
「環境配慮商品です」
「国際認証を取得しています」
「サステナブルです」
そう聞くと、
なんとなく良いことのように感じます。
でも仕事なら、
その言葉の先まで見なければなりません。
原材料は?
製造工程は?
輸送は?
廃棄は?
本当に従来商品より環境負荷は低いのか?
添付した議論でも、輸送や製造まで含めて考えれば、「環境に良さそう」という印象だけでは十分ではない、という問題提起がされています。
ここでも同じです。
「環境に良いと言われている」ことと、「本当に環境負荷が小さい」ことは同じではありません。
会社でも毎日起きています
ここまで読むと、
「社会運動や政治の話でしょう?」
と思うかもしれません。
違います。
あなたの会社でも、おそらく起きています。
「若手社員は研修を求めています」
「社員はもっとコミュニケーションを求めています」
「お客様はSDGsを重視しています」
「Z世代はこういう会社を選びます」
「女性社員はこういう制度を求めています」
「他社もやっています」
「海外では普通です」
会議で、こうした言葉が出た瞬間、
それがそのまま企画の根拠になる。
でも、本当はそこで一度止まらなければいけません。
誰が言っているんですか?
そして、
その人たちは、誰を代表しているんですか?
さらに、
それを採用すると、誰の何が良くなるんですか?

「YouTubeで見ました」は、入口でしかない
YouTubeを見てもいい。
SNSを見てもいい。
新聞を読んでもいい。
専門家の話を聞いてもいい。
活動家の話を聞いてもいい。
コンサルタントの資料を読んでもいい。
でも、それらは全部、
「考え始める材料」
です。
答えではありません。
ところが会社では、ときどき逆になります。
「有名な先生が言っていました」
「コンサルがそう言っています」
「テレビで特集されていました」
「SNSで話題です」
「YouTubeでも言っていました」
それだけで、
意思決定の根拠になってしまう。
そこで必要なのが、
「で?」
という問いです。
で、誰が困っているのでしょう。
で、どれくらい困っているのでしょう。
で、その方法で本当に解決するのでしょうか。
で、お客様に何が起こるのでしょう。
Whyを飛ばして、Howから始めていませんか?
仕事を考えるとき、
Why → What → How
の順番が重要です。
最初に考えるべきなのは、
「何をやるか」ではありません。
まず、
Why?
なぜ、それをやる必要があるのか。
もっと具体的に言えば、
誰が、何に困っているのか。
です。
その次に、
What?
では、何を変えるのか。
そして最後に、
How?
どうやって変えるのか。
です。
ところが、
「世界ではこうです」
「SNSではこう言っています」
「専門家がこう言っています」
から始めると、
いきなりHowへ飛びます。
「だから、この制度を導入しましょう」
「だから、この研修をしましょう」
「だから、この商品を作りましょう」
「だから、このルールを変えましょう」
でも、
Whyがありません。
会議で使える、6つの質問
誰かが、
「みんなそう言っています」
と言ったら、否定する必要はありません。
こう聞けばいいと思います。
「その“みんな”って、誰ですか?」
そして続けます。
「何人に聞きましたか?」
「反対の意見はありましたか?」
「それは意見ですか、データですか?」
「自分たちのお客様にも当てはまりますか?」
そして最後に、
「それで、お客様の何が良くなるんですか?」
ここまで確認できれば、
単なる発言が、
仕事の材料に変わります。
「声を聞く」と「正解にする」は違う
もう一度言います。
社会には、声を上げる人が必要です。
少数者の意見だから無視していい、という話でもありません。
むしろ、
今まで聞かれてこなかった声を聞くことには、大きな意味があります。
しかし、
声を聞くことと、その声を“社会の総意”として扱うことは違います。
会社も同じです。
社員アンケート。
SNSの評判。
有識者の発言。
活動家の発言。
コンサルタントの資料。
競合企業の事例。
上司の経験談。
全部、判断材料にはなります。
でも、
どれも答えそのものではありません。
仕事とは、
「誰かが言っていたこと」を、そのまま“正解”として採用することではありません。
その発言には、どんな根拠があるのか。
誰の声なのか。
どこまで代表性があるのか。
そして何より、
その発言をもとにした判断が、本当に自分たちのお客様のお困り事を解決するのか。
そこまで確かめて、初めて仕事の判断になるのだと思います。
だから、私は「その“みんな”、誰?」と聞きたい
誰かの意見を否定したいわけではありません。
むしろ、ちゃんと意見として聞きたい。
だからこそ、
勝手に「社会の総意」へ格上げしてはいけないのです。
一人の声なら、一人の声として聞く。
100人の調査なら、100人の調査として読む。
一つの研究なら、一つの研究として検討する。
そして、
自分たちのお客様の現実に戻ってくる。
その繰り返しが、仕事なのだと思います。
だから会議で、
「みんな、そう言っています」
と言われたら、
一度だけ聞いてみてください。
「その“みんな”って、誰ですか?」
たぶん、その問いから、
本当の仕事が始まります。
フォローする意味
ニュースを見れば、毎日のように「正解らしいもの」が流れてきます。
SNSでも、YouTubeでも、会社の会議でも同じです。
もっともらしい数字。
世界の常識。
専門家の意見。
トレンド。
成功事例。
強い感情。
でも、仕事で必要なのは、
それを覚えることではありません。
「で、それは自分の仕事では、どういう意味なんだ?」
と変換する力です。
Mr.Narrativeでは、これからもニュースや社会の出来事を、
「誰が正しいのか」
で終わらせません。
なぜ?
誰が困っている?
何を変える?
どう仕事に使う?
そこまで一緒に考えていきます。
会議で聞いた“もっともらしい正解”に、
「なんか違うんだけど、うまく言葉にできない」
と感じることがあるなら、
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仕事で使える「問い」に変換していきます。
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