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ホロコースト否定派の代表サイトの一つ、「逆転ニュルンベルク裁判」をやっつけよう!――どこまで出来るかわからんけど。(1)


はじめに

最初に「逃げ」ておきますが。

実はこれ、やろうとは思っていたこともあるのですけど、前に西岡本の徹底反論やった時や、

あるいは、ネットにある『ホロコースト論争』をやった時もそうなのですけど、

どうもその……、自分がめんどくさがりなのはしょうがないこととして、途中でどんどんやる気がなくなっていくという感覚がありまして、面倒な割に「報われないなぁ」という気持ちになってしまい、「こんなことやっててもあまり意味ないんじゃないか」とモチベーションが保てなくなってしまうんですよね。

その理由は割とはっきりしていて、あくまでも私から見て、ってことですけど「こいつらはあまりにも○○すぎる」と何だか情けなくなってしまうからだったりします。「○○」には色々な言葉が入ると思います。「○○」を相手にしていると、私自身も相当「○○」なので、イライラしてきたりガッカリの溜め息ばっかりになって、かなりストレスが溜まってくるのです。

従って、全部どころか半分も反論せずに終わってしまう可能性は大であることをお断りしておきます。とにかく、調べるのも面倒な割に報われない感も大なのです。それに、無駄に話が長くて読みづらいことこの上ないので、本当にあまり読みたくないのです。でも、誰もやってないのでやってみるかな、と。

あと、このシリーズは連載企画ではありますが、しばしばそうであるように、不定期連載です。繰り返しますが馬鹿馬鹿しくなって継続を放棄する可能性も大いにあります。


「ソフィア先生の逆転裁判」のサイトについて

今はもうほとんど見かけることはありませんが、かつて、2000年台くらいまでは、日本でもホロコースト否定をめぐるネットでの議論はある程度は賑やかだったようです。私自身は2020年頃からホロコーストに興味を持ち始めたので、その賑やかだった頃を体験していないので、検索して出てくる過去ログなどで斜め読みする程度にしか知りませんが、2ちゃんねるを筆頭に、色々なところで議論されていたようです。

その頃には、代表的には二つのホロコースト否定派用の資料倉庫とも言うべき日本語のサイトが二つほどありました。一つは、2025年現在でも閲覧可能な、文教大学教育学部教授だった故・加藤一郎が運営していたと思われる

と、どこかの有志が作っていたらしい、

がありました。今回対象とするこのソフィア先生の逆転裁判は、2022年にサイトが削除されており、今はリンクをクリックしてURLを見ればわかるようにインターネットアーカイブを通じて見ることしかできません。また、リンクを開くと表示される画面には「逆転ニュルンベルグ裁判! ~ユダヤの嘘を暴いてナチスの無罪を勝ち取れ!~」とタイトルされており、HTMLソースで定義されているtitleの名前と異なっているのですが、こちらではHTMLの方の名前を採用し、「ソフィア先生の逆転裁判」または「逆転裁判」、あるいは「ソフィアのページ」のように呼びたいと思います。

ちなみにご存知ない方向けに、『逆転裁判』とは、カプコンが2001年から販売しているゲームシリーズのことで、大ヒットしたのでゲームは元より、漫画や映画、アニメなどが作成された一大コンテンツになっています。私自身も確か、ガラケー時代にアプリで少しだけ楽しんでいた記憶もあります。

さて、「ソフィア先生の逆転裁判」の作者(以降「ソフィア」と呼ぶ)は、どうやら「世界史コンテンツ」なるタイトルでさまざまな歴史関係のホームページを作る仲間と一緒にやっていたようで、その世界史コンテンツのトップページには

世界史コンテンツ(せかいし-)とは日本の自虐史観を憂う人たちが作った。歴史サイトを指す。ネットで歴史を開設しているサイトは多数存在しているが、これらのサイトで特筆すべき点は、アニメ、またはゲームのキャラクターのアイコンが対話形式で歴史を授業形式で解説している点にある。

とあります。したがって、どのような思想を持つ人たちの集まりだったかは大体は想像できると思います。これ系の人たちに割と特徴的なのは、上の引用にもあるように、ちょっとしたところでしばしば間違ってるってところだったりします。どうして「世界史」だけが「(せかいし-)」とふりがなみたいなのがあるのか、なぜ「作った歴史サイトを指す。」ではなく「作った。歴史サイトを指す。」と句点を打ってあるのか、「歴史を開設」は明らかに誤変換そのままだし……そーゆーところだと思うんですけどね。

で、その「憂う人」たちの中にソフィアがいたという図式らしいのですけど、ソフィアは世界史コンテンツに関係のある他の掲示板でも自分のページを持っていたりしていたようで……ともかく、ドイツの近現代史に詳しい歴オタらしいです。なお、「ソフィア」というのは、このキャラのことらしいのですが、詳しくは調べていません。

そもそもこの辺の界隈についてよく知りませんし、深掘りする気はありませんので、色々認識を間違ってるかもしれませんが、特に興味もない界隈なので、詳しく知りたい方はご自身でお調べください。


今回「ソフィア先生の逆転裁判」を相手にしようと思った理由

きっかけは最近アップした独自記事のこれです。

この記事では、西岡昌紀の記述が起点となってネット上に流布していたデマの一つについて、それがデマ・出鱈目であることを解説しましたが、西岡が書いた内容がどんな内容だったかは今回は重要なので、以下に再掲します。

さらには、次の事実に注目して頂きたいと思います。戦争中、収容所でユダヤ人に対する虐待が少なからずあったことは事実です(39)。しかし、それと同時に、そうした虐待を理由に、多くのドイツ人が、ドイツ当局によって処罰されているのです(40)。ユダヤ人を虐待した、という理由によってです。しかも、その中には何と、死刑に処せられたドイツ人すらいたことが、報告されているのです(41)。例えば、ブーヒェンウァルト収容所の司令官だったコッホというドイツ人は、そうしたユダヤ人への虐待を理由に、当時のドイツ当局によって死刑に処せられています。ドイツのユダヤ人政策の目標が「ユダヤ人絶減」であったとしたら、一体なぜ、「ユダヤ人虐待」を理由に、ドイツ人が、それも収容所の司令官が、死刑に処せられなければならなかったというのでしょうか? これは、不条理としかいいようのないことです。

第2章「ユダヤ人絶滅計画」は実在したか?:「ユダヤ人虐待を理由に処刑されたドイツ人がいた」/西岡昌紀、『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』より

上の記事内では書きませんでしたが、ここであえて付け加えておくと、もし仮に西岡の書いた事実が正しいとしても、別に「不条理」でも何でもありません。例えば、現代社会でも死刑囚をその執行日までの間に拘置所の中で、看守が虐待したとしたらその看守は何らかの処分を受けるに違いありません。

実は、コッホではなく、ナチス親衛隊の中で不法にユダヤ人を処刑した例で処罰されている例は存在したようです。ただ、今回はその事例をどこで読んだか探し出すことはできませんでした(しかしその事例を修正主義者が引用することはできないでしょう。「ユダヤ人絶滅」のことがはっきり書いてあるからです)。自分で翻訳してきた記事の中にあるはずなので、思い出したらここに追記する予定です。

で、ふと思い出したのです、確かソフィアのページにもコッホの件についてはなんか書いてあったはずだな、と。

https://web.archive.org/web/20190401190527/http://iroiro.alualu.jp/sekaisi/sofia/sofia_s13-3.html

どういうことかについては、当該リンクの当該箇所を読んでいただくとして、「ソフィア」は、極めて馬鹿馬鹿しい論理のすり替え(ストローマン)を行なっています。ソフィアが批判対象としている山崎氏は、「許可なしの囚人虐待は犯罪ではない」などとは一言も言っていませんし、そんなこと主張しようともしていません。あくまでも西岡の主張に対する反論・論駁です。

元々の西岡の主張は簡単で、

  • ナチスドイツが「ユダヤ人絶滅」をしていたのなら、ブーヘンヴァルト収容所の所長だったコッホがユダヤ人虐待で死刑になっているのはおかしいではないか?

と言っているだけです。西岡がそのコッホの処罰のソースとしたのは、ラウル・ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の初版でした。しかし、ヒルバーグの当該箇所での著述の中には、「ユダヤ人虐待」など一言も書かれていませんでした。西岡はもしかしたら本当にわかってないのかもしれません(知る気がないのだと思います)が、ソフィアは明らかに意図的に「ユダヤ人」を省略して言及しています

実は、ブーヘンヴァルト強制収容所のユダヤ人の死亡者数は、米国ホロコースト記念博物館のサイト(ホロコースト百科事典)の記述によると、

親衛隊は少なくとも5万6,000人の男性囚人をブーヘンバルト収容所システムで殺害し、そのうち1万1,000人がユダヤ人でした。

https://encyclopedia.ushmm.org/content/ja/article/buchenwald-abridged-article

つまり、ブーヘンヴァルト強制収容所で死亡した囚人の大半はユダヤ人ではなかったのです。で、コッホの件、調べた範囲では、コッホらが殺した囚人がユダヤ人だったかどうかを記述していたものは見つかりませんでした。もちろんですが、西岡がそのソースとしたヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の初版にも、ユダヤ人囚人を殺した(り虐待した)とは書かれていません。そもそもヒルバーグの本では、コッホの死刑の理由は明確には書かれていませんが、明らかに汚職(腐敗)に対する処罰に関連した記述になっており、一方で親衛隊のサディズムについてはほとんど処罰されなかったとしか読めない記述になっているのです。

西岡はヒルバーグが当該箇所で「最終手段として、行き過ぎた行為を行う要員を排除する可能性はあったが、その措置が適用された例は極めて稀だった」を強引に読み替えて、稀だったということは処罰されることがあったということだ→「多くのドイツ人が、ドイツ当局によって処罰されている」としたのです。ここまで来るともう捏造と言って良いでしょう。

ともかく、西岡は、コッホの件が、ユダヤ人虐待で裁かれて死刑になっていたことから、ユダヤ人絶滅に矛盾している、と述べたのです。しかし、そんなことはヒルバーグの著書にも書いてないし、コッホの件を調べても囚人がユダヤ人であったかどうかわからないのです。

ややこしいのは、山崎カヲル氏と西岡がやり合ってた時には、西岡はソースを開示しなかったことです。ヒルバーグの当該著書の初版(英語版)は、ネットで調べた限りでは、国会図書館にしかありませんでした。これでは、国会図書館からその当該箇所の複写を取り寄せた私のような物好きでもない限り、山崎氏は西岡が捏造していることまでは断定できなかったのだ(調べればわかりますが1961年の初版と改訂版から訳出された日本語版の記述はほとんど違いません。ただし、日本語版はその元になっている英語がわからないので、残念ながら断定とまではいきません)と思います。それで仕方なく、山崎氏はニュルンベルク裁判の記録などに頼ったのです。

さらに、ソフィアは悪質にも、山崎氏が西岡が述べたコッホの件について書かれたもう一つの記事を無視しています。ソフィアが引用したのは

ですが、その前にもう一つ、

という記事があるのです。そこでははっきり、私も前述したように、

ついで、コッホのことです。
 コッホの処刑の典拠として挙げられているのは、ホロコースト研究者のラウル・ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』です。幸い翻訳があります(上下二巻、柏書房、1997年)。そこにはコッホによる「ユダヤ人虐待」のことなど、ひとことも書かれていません

と書いてあるのです。ヒルバーグ本以外の出典を調べて初めて、コッホによる囚人の殺害について書かれたソースがある程度の話で、何度も言いますがそこでも「ユダヤ人」の囚人とは書かれていません。西岡は「ユダヤ人絶滅」を疑問視するためにコッホの件を持ち出しているのですから、ユダヤ人囚人でなければならないのに、そんな事実はどこにも書いてないのです。そもそもコッホの死刑理由は囚人の処刑や虐待ではありません。セットにはなってはいるようではあるものの大きな理由はあくまでも「汚職」です。ヒムラーが汚職には極めて厳しい姿勢を示していたことは、ナチスドイツがユダヤ人絶滅をやっていたことの明確な証拠の一つである、ヒムラーのポーゼン演説にもはっきり述べられています。

彼らが持っていた富を、我々は彼らから奪い取り、 その上で私は厳命した、ポール親衛隊大将が実行したことではあるが、我々はこれらの富を完全に帝国、 つまり国家のものにしたのである。我々親衛隊のメンバーははそこから何一つ得ていないのである。しかしこれに背いたメンバーは、私が最初に与えた命令に従って裁かれるだけである。有罪をひとつでも受けた者は死ぬ運命にある。実際に、親衛隊の何人かはしくじった。その数はそれほど多くないが、彼らは容赦無く死刑になるだろう! 我々には道徳的権利がある、我々を殺そうとした連中を殺す、国民に対する義務として行ったのである。しかし、毛皮、印、タバコ、時計、その他何であろうと、自分自身を豊かにする権利はないのだ。我々にはそれはあってはならない。なぜなら、病原菌を絶滅するために、病原菌に感染して死んでしまうという結末は避けたいからだ。 腐敗したものが少しでも我々に接触したり、我々の中に根を下ろしたりするのを、私は決して見ることはあってはならない。逆に、それが根を下ろそうとするところでは、一緒に焼き尽くそうではないか。

https://note.com/ms2400/n/nab96e71d65f1より

まだソフィアのページの全てをちゃんと読んでないので、このポーゼン演説をソフィアが捏造と考えているかどうかまではわかってませんけど、仮に捏造だとしても、コッホの件の調査をしていたモルゲンが親衛隊の中で腐敗に関する調査をしていたのは事実です。ちなみに、このソフィアのページでコッホの件に関する記事について、ソフィアが調べていたページのリンクが出てきますが、私が知っている内容と多少異なっているため、コッホ事件そのものをいずれもっと詳しく調べたいと思っています。

ともあれ、ソフィアがコッホの件について西岡を擁護しようとしたページを完成できなかったのは、憶測ですが自分の言ってることが、山崎氏への反論になってない、あるいはなかなかうまく反論を構築できないことを薄々自覚していたから、のように思われます。


逆転裁判の目次

さて、反論は基本的には逆転裁判が示している目次ページの順に実施するつもりです。その目次リンクは以下の通りとなります。項目ごとに再度、対象ページのリンクは示すつもりです。なお、目次ページの最初にある、第二次ソフィア先生の補習授業ソフィア先生の逆転裁判は無関係と判断し、反論の対象外とします。また、私自身の極めて恣意的な判断で、ページごと無視したり、ページ内の内容の一部を無視することがあることもここで断っておきます。もちろん最初に述べた通り、途中で馬鹿馬鹿しくなって辞めてしまう可能性も大です。

Subject

0:年表
1:ニュルンベルグ裁判は魔女狩りか?
2:ホロコーストとは何か?
3:ナチスがジェノサイドを実行した、または故意に600万人のユダヤ人を殺したという、いかなる証拠が存在するのか?
4:絶滅計画で死んだユダヤ人は何人か?
5:ナチスが絶滅計画を実行していた現場を直接見た証人はいるのか?(クルト・ゲルシュタインの証言)
6:アウシュヴィッツ収容所のガス殺について クレーマー日記
7:アウシュヴィッツⅠのガス殺について ルドルフ・ホェッス(アウシュヴィッツ所長)の証言
8 アウシュヴィッツⅡ「ビルケナウ」のガス室(クレマⅡ、Ⅲ)について
9: アウシュヴィッツⅡ「ビルケナウ」のガス室(クレマⅣ、Ⅴ、ブンカー)について
9-1 アウシュヴィッツ収容所のガス殺証人その1 ソフィア・リトヴィンスカ(ユダヤ人女囚) 
9-3 アウシュヴィッツ収容所のガス殺証人その3 ダヴィド・オレール(ユダヤ人画家)
10: ロイヒタ―レポートについて
11: 東京裁判は魔女狩りか?
12: ユダヤがドイツに宣戦布告した日とは?
13:アウシュヴィッツの食事、生活、規則は? エッチな絶滅収容所はいけないと思います!
13-2 アウシュヴィッツ絶滅収容所内の生活写真
14:アウシュヴィッツの死亡者数
15:大戦末期のユダヤ人の大量死について
16:「シンドラーのリスト」「灰の記憶」「ライフ・イズ・ビューティフル」などのホロコースト映画に原作はあるのか?
ドイツ国防軍に所属した15万人のユダヤ人?

17:番外編 ドイツは欧州最大のオタク王国?
18:ナチスは欧州を徹底的に略奪したか?
19:「600万人は本当に死んだか?」のアンネの日記に関する間違った記述
  オーストラリアのイタリア兵は勇敢だったか?

20:連合軍はホロコーストの実態を知っていたのか?
21:本物のアンネ・フランクの筆跡はどれか?
22:英軍の偵察写真にホロコーストの証拠能力はあるか?
23:「ラインハルト作戦」を決定したヴァンゼー会議
24:ディーゼルエンジンを使った一酸化炭素ガス室
25:【とりあえず】 ソフィア先生の逆転裁判 完結編 【最終回】
26:番外編 神々の黄昏 第三帝国敗北の謎
27:日本のホロコースト産業 図書館編
28:マルコポーロ、ポケモン、少林寺、文春・・・次はなんだろうね
29:超教えてソフィア先生 VSニッコー編
30:アウシュヴィッツの焼却炉の性能
31:コード言語その1 Vernichtung(根絶)、Ausrottung(絶滅)
32:コード言語その2 Sonderbehandlung(特別措置)
33:コード言語その3 Sonderaktion( 特別行動)
34:コード限語その4 Umsiedlungs-Aktion der Juden(ユダヤ人再定住行動)
35:コード言語その5 Endlosung der Judenfrage(ユダヤ人問題の最終解決)
36:特別行動部隊アインザッツグルッペン
36-1:アインザッツグルッペンの虐殺 ~バビー・ヤール~
37:ナチス・ドイツが虐殺した50万人のジプシー
38:ナチスの「ガス室」神話の起源 前編
39:ナチスの「ガス室」神話の起源 後編
40:【広義の】ホロコーストとはなんぞや?【ホロコースト】
41:【ドイツ軍の】修正される独ソ戦【予防戦争】
42:【自虐史観】ドイツ国家の去勢【WGIP】


0:年表

年表のページは1914年から1945年 5月7日のドイツ敗戦までの事柄が羅列されているだけですが、ここでは2点ほど指摘しておきたいと思います。

ユダヤがドイツに宣戦布告

ルーズベルト大統領が、ユダヤ資本の後ろ盾で大統領になっただとか、思いっきりあからさまな「印象操作」をしてあるわけですが、ここではいちいちそれが本当かどうかを調べたりはしません。ルーズベルトは第二次世界大戦当時、アメリカの大統領だったというだけで、陰謀の主犯の一人のように言われることは、日本の真珠湾攻撃についてなどにも見られます。漫画の神様である手塚治虫でさえも『アドルフに告ぐ』でルーズベルト陰謀説を書いていたので、ちょっとガッカリしたものです。まあ、あの漫画はめちゃくちゃ面白い反面で史実的な誤りが散見される作品ですけれど、史実を誤って記述している作品など掃いて捨てても次から次へと出てくるので、フィクションであることははっきりわかっているので、面白ければそれでいいと思います。

で、上の引用で使用されている新聞記事については以下の通り既に記事を作成済みです。ですので、こちらの件についてはこれ以上述べることはほぼありません。

この記事を書いたときには、当該の新聞記事について、画像検索からしか探そうとしなかったのですけれど、新聞記事そのものがアップされていたページを見つけてくれた人がいて(上の記事投稿後のようです)、紹介されていました

また、以下の英国の主要な新聞をアーカイブしているサイトから検索して閲覧することも可能です(無料ですが記事の閲覧は登録が必要)。

ちなみに、なぜか修正主義者のサイトでは悉く、上のソフィアのページからスクショした画像内のある、その誌面の上部分しか紹介されていないページばかりで、記事全体を紹介しているページを見かけたことはありません。

戦後、収容所で死亡したドイツ兵の数は、戦死者数を上回っていた?

さて、ずらずら書かれている年表の内容を事細かにいちいち指摘していたらキリがありません。例えばホロコースト関連では、

「1942年1月20日 ドイツ・ベルリン郊外にてヴァンゼー会談。現在はイスラエルでさえ「ヴァンゼー会談で絶滅計画が決まったというのは馬鹿げた噂話」としている。したがってこの会談で決定・実行された「ラインハルト作戦」も創作に過ぎないこととなる。」

などとしれっと書かれていますが、何が「したがって」なのか全然わかりません。ヴァンゼー会議以前から、ユダヤ人の大量虐殺があったことは今ではこの分野の知識があるのなら誰でも知ってますから、ヴァンゼー会議でユダヤ人絶滅が決まったのではないことは明白なだけです。すでに始まっていたユダヤ人絶滅の一つの方策としてラインハルト作戦も実施されていたのです。確かにヴァンゼー会議でラインハルト作戦が決定されたのではありませんが、作戦自体はベウジェツ収容所の建設など、ヴァンゼー会議よりも前から始まっていました。ヘウムノではすでにヴァンゼー会議の前年末からガス車によるユダヤ人絶滅を始めています。

こんな風に、年表をいちいち事細かに指摘していたら終わらないので、ともかく2点目。

「戦後、収容所で死亡したドイツ兵の数は、戦死者数を上回っていた」なる説は聞いたこともない説でした。これは、ジェームズ・バクー(James Bacque )というカナダ人の作家が書いた『消えた百万人 ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道』という著書に書かれている説なのだそうです。ソフィアもそこでそう紹介していますね。

そこではまず、米軍の元大佐の序文という形で

一九四五年末、西ヨーロッパ戦線は投降した何百万のドイツ兵で溢れ、東部戦線ではソ連軍との最後の戦いがつづいていた。 <中略>一九四五年四月以降、仏軍の手にあったものも含めて、約一〇〇万人の捕虜が次々に命を落とした

と書いてあります。しかし私の知っている連合国の西側勢力(主に英米仏)に捕えられたドイツ兵捕虜の死者はもっとずっと低いものであったはずで、100万人もの捕虜が死んだなどとは聞いたこともなかったのです。ソ連に捕らえられたドイツ軍捕虜の死亡者数が膨大な数に登るという話とは別です。

例えば今時はこの程度の話は、生成AIに聞けば、割とまともな回答が返ってきます。ChatGPTだと以下の通りです。


第二次世界大戦で連合国に捕らえられたドイツ軍捕虜(Wehrmachtおよび武装SSなど)の死亡者数については、捕虜となった国(アメリカ、イギリス、フランス、ソ連など)によって大きく異なります。以下に主な数字を示します。


総捕虜数の概要(推定):

  • 合計捕虜数:約1,100万人(戦争末期を中心に降伏した兵士を含む)


各国別のドイツ軍捕虜の死亡者数(主に研究者推定):

1. ソ連

  • 捕虜数:約300万~350万人

  • 死亡者数:約90万~110万人(死亡率:約30%前後)

  • 理由:極寒・飢餓・病気・強制労働など

2. アメリカ

  • 捕虜数:約370万人(西ヨーロッパ・北アフリカ戦線など)

  • 死亡者数:約5,000~10,000人未満(死亡率:0.3%未満)

3. イギリス

  • 捕虜数:約300万人

  • 死亡者数:1万~1万5,000人程度と推定されるが、正確な統計は不明

4. フランス

  • 捕虜数:約70万人(アメリカやイギリスから移送された者も含む)

  • 死亡者数:推定2万~4万人

  • フランスでは復興のための強制労働に使用された

5. ユーゴスラビア・ポーランド・チェコスロバキアなど東欧諸国

  • 捕虜数と死亡者数:正確な統計は不明だが、非常に高い死亡率と報告されており、数万人以上が死亡した可能性がある。


概算まとめ(研究者による推計):

  • 全体の死亡者数:約100万~120万人

    • このうち、ソ連での死亡が最も多く、全体の8割以上を占める


出典の一例:

  • Rüdiger Overmans(ドイツ連邦軍歴史研究所所属の歴史家)の研究など

  • 米英仏ソ各国の公文書記録や戦後の戦争捕虜に関する報告書

  • 「United States Strategic Bombing Survey」などの戦後調査


必要であれば、出典付きの詳しいデータや一次資料に近い数字も提示可能です。


……とのことで、ソ連を除くと、ドイツ軍捕虜の死亡者数は数万人〜数十万人規模程度にとどまるというのが定説です。では、このジェームズ・バクーなるカナダ人作家の評価はどうなのでしょう? 例えば、日本版Amazonのレビューの中にはこんなのが見つかります。

まず、この本の著者James Bacqueはカナダの作家で歴史学者とかではありません。ジェームズ バグーと表記されていますが、ジェイムズ バクーの方がまだ正しい気がします。実際、ジェームズ バグーだと検索にかかりません。

100万人という数字は、Army medical report内で報告された一部の捕虜収容所内の死者数の割合を計算して全体数を推定するという、かなり雑な物です。

しかもこのArmy medical reportの捕虜収容数は7万では無く70万の間違いであった事が分かっています。意図的なものかミスかは不明ですがこれだけで全体の9割にあたる90万人の死者が消えて無くなります。

このことが指摘されてJames Bacqueは更に行方不明のドイツ人は170万人おり、70万人が生存していたとしても100万が消えた事に変わりは無いとトンでもな事を言い始めます。1950年の国連調査で米軍管理下での捕虜収容所の死者を見積もっても5万6千人にしかなりません。最も疑わしいのはソビエト連邦による捕虜虐待で、ロディガー・オバーマン博士は100万人が死亡した可能性があると発表しています。

歴史学者が著者に矛盾を指摘すると「歴史修正主義者」「米国に洗脳された犬」と罵倒し激高するなど話にもならない人物だったようで、圧倒的多数の専門家から相手にもされなくなったようです。

アイゼンハワーの伝記作家スティーブン'アンブローズも本書を明確に否定しています。アイゼンハワーは高潔な人格者でしたが調整型の人物でマッカーサーの優秀な副官(但し散々な目にあわされた)だったのに、大統領としては回りを気にして優柔不断でした。独裁者、虐殺者には全く向かない人物です。

確かにアメリカは多くの戦争犯罪を犯していますが、この本はそれに乗じた偽書というべき本です。反米主義者が喜ぶだけで、レイプ・オブ・ナンキンレベルの本なので星1つの価値もありません。

著書のAmazonレビューより

Amazonのレビューは、リンクを含めることができないため、このレビューのソースが不明なのが難点ですが、ジェームズ・バクーのWikipediaの説明では以下の通りです。

『Other Losses』(1989年)において、バクは、連合軍最高司令官ドワイト・アイゼンハワーの政策によって、1944年から1949年にかけて、病気、飢餓、寒さにより収容所内で79万人のドイツ人捕虜が死亡したと主張した。これに加え、フランスの同様の収容所でもさらに約25万人が死亡したとされる。赤十字国際委員会はこれらの収容所への立ち入りを拒否され、スイスは「保護国」としての地位を剥奪され、捕虜たちはジュネーヴ条約の適用を回避するため「武装解除された敵軍兵士」と再分類された。バクは、このような大量殺害は西側連合国の政策の直接的な結果であり、彼らはソ連とともに、1945年5月から1949年までドイツを分割統治した軍事占領政府として振る舞っていたと主張した。彼は責任をドワイト・D・アイゼンハワー将軍に帰し、1945年から1946年にかけて世界には十分な食料があったにもかかわらず、ドイツ人たちが飢餓に瀕する配給で放置されたと述べた。

学術的批判
学術的な論評者たちは、バクの主張のうち三つの重要な点に疑義を呈している。すなわち、戦後に他のヨーロッパ諸国では食糧不足がなかったという点、ドイツ人の死者数の推定値、そしてアイゼンハワーが意図的に復讐心から行動したという主張である。バクの批判者たちは、多くのドイツ兵が降伏時すでに病気や負傷を負っていたことを指摘し、バクの著作は1945年から1946年における西ヨーロッパの苛酷な状況の中にドイツ人捕虜の苦境を位置付けていないと述べる。

カナダ歴史評論誌でデイヴィッド・スタッフォードはこの書を「有益な調査が論争と誇張によって損なわれた古典的な例」と評した[1]。20世紀の残虐行為の研究者であるR.J.ラメルは「バクは関係文書を読み違え、誤解し、無視しており、彼の死亡統計は単純にして不可能である」と述べた[2]。さらに最近、『捕虜と抑留の百科事典』においてS.P.マッケンジーは「戦後直後数か月にドイツ人捕虜が非常にひどい扱いを受けたことは論争の余地がない。しかしながら、バクの主張と死亡数は正確とは言えない」としている[3]。

アイゼンハワーの伝記作家スティーヴン・アンブローズは、『Other Losses』の編集を手伝った人物であるが、「私はあなたの多くの解釈には異論があるが、あなたの発見の基本的な真実性には異論を唱えない」と述べ、ドイツ人捕虜の連合軍による扱いについてほとんど注目されてこなかった点を指摘し、バクが「重大な歴史的発見」をしたと認めた。ただし彼は後にバクの結論を支持しなくなったが、1990年3月の米軍事学会年次総会では以下のように述べた。

「バクは調査を行い、私や他のアメリカ人歴史家がアイゼンハワーや戦争終結についての研究で完全に見逃していた重要な話を発掘した。戦争の終わりに何百万というドイツ兵が捕虜となったとき、その多くが意図的かつ残酷に虐待された。これは否定できない。ここにいる聴衆の中にもその被害者がいる。この話はずっと沈黙されてきたのだ」[4]。

しかし、1991年の『ニューヨーク・タイムズ』紙書評においてアンブローズは以下のように述べている。

学者たちが必要な調査をすれば、バクの著作は無価値どころか害悪であると判明するだろう。彼の主張は根本的に、いや、驚くほど深刻に誤っている。バクは主要な主張すべてにおいて、そしてほぼすべての副次的な点においても間違っている。アイゼンハワーはヒトラーではなかったし、死の収容所を運営していたわけでもない。ドイツ人捕虜が何十万人も死んだということもない。1945年には深刻な食糧不足があった。「武装解除された敵軍兵士」の呼称にも、「Other Losses」の欄にも陰謀や秘密は存在しなかった。バクの言う『失われた百万人』とは、正式な除隊をされずに釈放された国民突撃隊の老人や少年、あるいは他の連合国の管理区域に移された捕虜たちだったのだ」[5][6]。

バクの著作への反論として、1992年に『アイゼンハワーとドイツ人捕虜』という書籍が刊行され、イギリス、アメリカ、ドイツの歴史家による論考が収められた。

バクの手法に対する批判がある一方で、スティーヴン・アンブローズとブライアン・ローリング・ヴィラは、同書に収録された「ドイツ人捕虜の死」に関する章の中で、連合国による捕虜の扱いがドイツの残虐行為への嫌悪や報復感情に基づいていたことを認めた[7]。しかし彼らは、バクの死亡者数の推計は過大であり、政策はアイゼンハワーではなく連合国の政治家によって決定されたと主張した[8]。

アンブローズはまたこう述べている。「我々アメリカ人は、ひどい出来事があったという事実から逃れることはできない。それらは、我々が良識と自由のために戦った戦争の終わりに起きたことであり、正当化はできない」[9]。

ジョナサン・オズモンドは『王立国際問題研究所ジャーナル』で次のように述べた。

「バクは、第二次世界大戦後の西側連合国が征服されたドイツ人に文明的に接したという印象に対する是正を行った。彼は、支配者側の説明によって覆われてきた重大な問題を再び明るみに出したのは明らかだ。バクが明らかにした統計上の食い違いの3分の2が混乱によるもので説明できたとしても、なお答弁を要する問題は残る」。

同時にオズモンドはこの書を「感情的でジャーナリスティック」と評した[10]。

バクを支持した歴史家の一人に、101空挺師団所属で、1945年にドイツでの米軍の不正行為に関する調査に参加し、その後米陸軍の上級歴史官となったアーネスト・F・フィッシャー大佐がいた[11]。彼は同書の序文において次のように述べている[12]。

「アメリカおよびフランスの支配地域では、500万人以上のドイツ人兵士が有刺鉄線の囲いに詰め込まれ、その多くは文字通り肩を寄せ合っていた。地面はすぐに汚物と病気のぬかるみに変わった。屋根もなく、簡易な衛生設備すらなく、十分な食糧も与えられず、捕虜たちはすぐに飢えと病気で死に始めた。1945年4月から、アメリカ軍とフランス軍は、ほとんど無関心に約100万人の男たちを抹殺した。その大部分はアメリカの収容所での出来事であった」[13]。

https://en.wikipedia.org/wiki/James_Bacque

いずれにせよ、たった一冊の、しかも歴史学者ではない作家の著書の主張にすぎないものを、そのまま何の検証もなく史実として受け入れることはできません。ただ、日本でもそこそこ売れているようで、日本のAmazonでは現在新装版になっていることがそれを示していると思います。

書いてある通り、戦後、ドイツ軍捕虜への待遇が酷かったのは、バクーのあり得ない100万人説を除き、ある程度は事実のようです。例えば、『ヒトラーの忘れもの』というデンマーク映画を見たことがありますが、そこでは10人程度の少年ドイツ兵捕虜の話が描かれているのですけれど、デンマークは戦後、ドイツが「大西洋の壁」と称して、西側連合国の上陸を防ごうとしてその長大な海岸線に設置したもののうち、デンマークの海岸沿いにドイツ軍によって埋められた膨大な数の地雷の撤去を、ドイツ軍捕虜に手作業で実施させたりしていました。こうした扱いは明らかに国際法違反で、デンマークで地雷撤去に当たったドイツ軍捕虜の約2000名のうち、その半数が命を落としたと言われています。映画で描かれた少年兵のうち、数人程度も地雷撤去作業で死んだと描写されていました。この事実は長年にわたってほとんど語られてこなかったようです。

映画『ヒトラーの忘れもの』 © 2015 NORDISK FILM PRODUCTION A/S & AMUSEMENT PARK FILM GMBH & ZDF

ネトウヨ的な歴オタさんに特徴的なのは、自説に都合の良い説はほとんど何の裏付けもなく事実と主張したがるくせに、都合の悪い話については無視するか、あるいはその徹底的な「証拠」の証拠の証拠……を延々と求める傾向があります。ソフィアもその例外ではないと言っていいでしょう。

さて、こんな感じで、たった2点の指摘にすらこれだけの記述を費やす(それでも大して調べていません)ので、もっと簡潔にやらねばいけないと反省しつつ、第一回目はこの程度で。

本論は、二回目以降になります、どこまでできるかまだわかりませんが、期待したい人だけ乞うご期待(笑)

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