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「ユダヤ人問題の最終解決(Endlösung der Judenfrage)」に関するナチス政策について(9)

前回:

「ナチス政策」に関するシリーズの翻訳は今回で終われる……かな?と思っていたら、全然そんなことなくて、今回訳すことにしたリストの親項目である「戦争犯罪裁判」にある記事が、どうも一つ目と二つ目がそこそこ長いようで、二つに分けることにしました。だから、次回の10回目で完了ですね。

一つ目の記事は、翻訳開始直後のところで示してあるように、過去にも翻訳紹介した記事ではあるのですが、翻訳をやり直したい記事の一つではあったので、今回新たに再翻訳してこの記事にて紹介してあります。

さて今回のニュルンベルク裁判に関する記事ですが、4点ほど論点が挙げられていますが、この論点はここで登場するベルクマンなる修正主義者だけが言っているのではなく、修正主義者なんて多くの人が同じことばっかり言ってます。

例えば、一つ目の「ニュルンベルクにおけるドイツ主要戦犯国際軍事裁判所(IMT)は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で400万人のユダヤ人が殺害されたという事実を宣言した」ですけど、これは連合国の一員であるソ連側から主張されたものなのに、判決には入ってないのです。ではソ連からどのように述べられたのでしょか? ニュルンベルク裁判でアウシュヴィッツの400万人の犠牲者数が述べられたのは、調べた範囲では2回ですが、もしかしたら他にもあるかもしれません。一つ目は、ニュルンベルク裁判の最初の日である1945年11月20日の午前中のセッションにおいて、です。

裁判長:ここでソ連の首席検察官を招集する。

ソ連副検察官 J. A. オゾル中佐:第3訴因―戦争犯罪。

すべての被告人は、1939年9月1日から1945年5月8日にかけて、ドイツ国内および1939年9月1日以降ドイツ軍が占領したすべての国と地域、ならびにオーストリア、チェコスロヴァキア、イタリア、そして公海上において、戦争犯罪を犯した。

すべての被告人は、他の者らと共謀して、憲章第6条(b)項で定義される戦争犯罪を犯すための共通の計画または陰謀を策定し、これを実行した。この計画には、「総力戦」の実施を含み、それは戦闘および軍事占領の方法において、戦争法規および慣習に直接反するものであり、戦場での敵軍との交戦中に犯された犯罪、捕虜に対する犯罪、そして占領地における民間人に対する犯罪を伴っていた。

<中略>

これらの殺害および虐待には以下が含まれる:

(a) ドイツが東方諸国および東ドイツに設けた強制収容所および類似施設、特にマイダネクおよびアウシュヴィッツでの殺害および虐待。

これらの殺害および虐待は、前述のあらゆる手段を含む多様な方法で行われた。

マイダネクでは約150万人、アウシュヴィッツでは約400万人が殺害された。その中にはポーランド、ソ連、アメリカ合衆国、イギリス、チェコスロヴァキア、フランスおよび他の国々の市民が含まれていた。

https://avalon.law.yale.edu/imt/11-20-45.asp

続いて、それからおよそ二ヶ月半後の1946年2月19日の午前中です。

スミルノフ検察官:諸閣下、マイダネクの調査においても、殺害された人々の組織的略奪という同様の状況が委員会によって確認された。私はポーランド=ソ連特別委員会の公報のこの部分すべてを引用することはせず、その中に含まれる親衛隊経済管理本部の一節のみを引用する。これは公判書類集の66ページ裏面、第1欄、第3段落に記載されている。引用を開始する。

「すべての強制収容所司令官に通達する。

『国家保安本部からの報告によれば、強制収容所からの衣類の包みは主としてブルンのゲシュタポ本部に送付されたが、その中には銃弾の穴や血痕がついた品物があった。いくつかの包みは破損しており、外部の者が内部を見られる状態であった。

国家保安本部は近く、死亡した収容者の所有物の利用に関する規定を発布する予定であるため、処刑された収容者の財産の処理に関する明確な規定が出るまで、これらの物品の送付は直ちに中止されたい。

署名:グリュックス、親衛隊少将(SS BrigadeführerおよびSS少将)』」

ここで、犯罪の規模を示す証拠の提示に移る。

わずか二つの絶滅収容所において、犯罪者たちは550万人を殺害した。このことを裏付ける証拠として、アウシュヴィッツに関する特別国家委員会の結論を引用する。短い抜粋のみを示す。これに先立ち、詳細な計算が行われている。参照箇所は文書集の356ページ、第2欄、第4段落にある。引用を開始する。

「しかし、クレマトリウム炉の稼働時間の部分的使用および空炉期間に関する補正係数を適用した結果、技術専門委員会は、アウシュヴィッツ収容所が存在した期間中、この収容所においてドイツ人の殺戮者たちが、ソ連、ポーランド、フランス、ユーゴスラヴィア、チェコスロヴァキア、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、オランダ、ベルギーおよびその他の国々の市民、少なくとも400万人を絶滅させたことを確認した。」

https://avalon.law.yale.edu/imt/02-19-46.asp

このアウシュヴィッツの400万人犠牲者数説は、ニュルンベルク裁判において検討された形跡はありません。ですが、よく知られている通り、RSHAのカルテンブルンナー被告の弁護側証人として出廷した、アウシュヴィッツ司令官ルドルフ・ヘスの証言で250万人(病死・餓死を含めて300万人)と述べられているので、明らかに数字が合っていません。さらにこれもよく知られているように、親衛隊員だったヴィルヘルム・ヘットル博士の証言で「アイヒマンが強制収容所で400万人、それ以外で200万人と言っていた」と述べられた事実にも合っていません。ソ連はマイダネクを150万人として、合計550万人と主張していますから、アウシュヴィッツとマイダネクを合わせただけでヘットルの証言にある数字を超えてしまいます。

単なる想像ですが、判決文にアウシュヴィッツの犠牲者数を記述するにあたって、ヘスの述べた数字しか記載しなかった(しかもヘスの推測とも書いてあります)のは、ニュルンベルク裁判内の証拠だけに頼ると、司令官の証言であるということで、最も正しそうな数字を記載するにとどめたのではないかと思われます。流石に、ソ連の矛盾した数字を記載するわけにはいかなかったからなのではないでしょうか。

ところが、修正主義者はそんな簡単な分析すらせずに、ニュルンベルク裁判でアウシュヴィッツの犠牲者が400万人と決定された!などと今でも主張します。せいぜい、ソ連が言っていたじゃないか!と宣う程度です。もちろん、ヘスが裁判で述べた数字の詳細を修正主義者が主張するのが困難であることは理解できます。実態はアイヒマンがそう言っていた、とするものだからであり、ヘス自身の推測では113万人かあるいは最大でも150万人だからです。それではその差を強調できなくなってしまい、現在の広く認められている110万人−150万人説に一致してしまいますからね。

二番目の「同じ裁判においてIMTは、トレブリンカで90万人のユダヤ人が蒸し殺されたという事実を宣言した」については、これはもうニュルンベルク裁判で主張されたという点よりも、「蒸気で蒸し殺すだなんて馬鹿馬鹿しく、捏造に決まってる証拠だ!」というような見方で修正主義者は攻撃し続けています。

こちらのシリーズも翻訳やり直したい案件ではあるのですが、正直な感想としては、否定派は斯くも幼稚な主張を続けてよくも平気だな、といったところですかね。なぜ否定派は、単にそれは目撃者が誤った推測をしたに過ぎない、とは考えようとしないのか? 私にはよくわかりません。それが、ニュルンベルク裁判に証拠採用されたポーランドの報告書に書いてあったからってなんなのでしょうか?

トレブリンカ絶滅収容所はナチスドイツによって解体撤去されてしまっており、ガス室や毒ガス発生源に使ったエンジンなどはもちろん何も残っていませんでしたから、元囚人らの証言資料を使うしかなかったため、誤認されていた蒸気説が書かれたに過ぎないのです。しかし裁判では元囚人の証言により、殺害方法の事実認定がガス室に訂正されたのです。それを、西岡昌紀は、自著で「しかし、その「トレブリンカの水蒸気室」は、その後、いつの間にか語られなくなり、「水蒸気室」は「ガス室」に変わっているのです。」(『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』)などと、あたかも「ガス室なんて捏造だから話が合理的になるように作り変えたんだろう」とでも言いたげに疑惑を匂わせるのは悪意があるようにさえ思えてきます。

三番目「IMTは、証拠に関する技術的な法的規則に拘束されなかったために、これらの事実認定に至った」と、四番目「IMTは、アウシュヴィッツでの400万人殺害およびトレブリンカでの90万人蒸殺を、証拠の提示や審査を求めることなく、「周知の事実」として司法上認定しただけであった。」は、ニュルンベルク裁判憲章の話ですが、これはもう紹介する翻訳記事に詳細に書いてありますが、ものすごくそもそもな話をすると、ホロコーストの史実は別にニュルンベルク裁判で決定されたわけでもなんでもないし、今やその史実はニュルンベルク裁判とはほぼ関係なく、研究者の調査やあるいは生存者の回想録や証言など、本当に無数の根拠があるのであって、ニュルンベルク裁判憲章などどうでも良い話ですらあるのです。

否定派のこうした一連の難癖は本当にくっだらないと思います。


▼翻訳開始▼

翻訳者註:この記事は以前に既に訳出済みですが、

翻訳の出来が良くないので、改めてここに再訳します。


ニュルンベルク裁判に関するいくつかの誤解……

……「修正主義」の狂信者との議論で繰り返し出てくる。

例えば、RODOHフォーラムの#463(註:リンク先の記事はありません)番の投稿で「ベルグマン」氏が主張している内容は以下の通りだ:

ミューレンカンプ氏

引用
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もしあなたが、「アウシュヴィッツで400万人のユダヤ人が殺害され、トレブリンカでは90万人のユダヤ人が蒸し殺された」ということを、IMT(国際軍事裁判所)がどこで結論づけたのか、そして判決におけるどの事実認定が、裁判で評価された文書証拠や証人証言ではなく「周知の事実」に基づいていたのかを示すことができるなら、それはたいしたことだ。そうでないなら、黙っていた方がいい。
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黙っているべきなのは、啓発された聖ロベルト様の方だ。

ところで、君はどうやってホロコースト神話に関するその啓発的知識を得たんだ? 禅の修行で公案でも解いたのか?

「アウシュヴィッツで400万人のユダヤ人」、「トレブリンカで90万人のユダヤ人が蒸し殺された」という話は、いわゆるカンガルー裁判におけるソ連とポーランドの訴追文書の一部であり、私の知る限り、誰からも異議が出されなかった。そうではないのか?

したがって、それらはIMTおよびNMT(ニュルンベルク継続裁判)における「人道に対する罪」の一部を構成しており、その内容は、君の「精神的啓発」のために en.wikipedia.org/wiki/Crimes_against_humanity にも明記されている。

君はかつて裁判の全記録(バカでなければ10万ページものテキストを読むようなことはしないだろう)を読んだと言っていたから、自分で詳細を確認して、今後はそんな愚かな質問を避けるといい。

以下の者たちは、「アウシュヴィッツで400万人のユダヤ人をガス殺し、トレブリンカで90万人のユダヤ人を蒸し殺した」という人道に対する罪を含む犯罪について有罪とされ、死刑または長期の禁錮刑を宣告された:

ハンス・フランク、ヴィルヘルム・フリック、ヴァルター・フンク、ヘルマン・ゲーリング、アルフレート・ヨードル、エルンスト・カルテンブルンナー、ヴィルヘルム・カイテル、コンスタンティン・フォン・ノイラート、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ、アルフレート・ローゼンベルク、フリッツ・ザウケル、バルトゥル・フォン・シーラッハ、アルベルト・シュペーア、ユリウス・シュトライヒャー、オズヴァルト・ポール。

もちろん「アウシュヴィッツで400万人のユダヤ人がガス殺され、トレブリンカで90万人のユダヤ人が蒸し殺された」という犯罪は、この美しい規定のおかげで一切調査されなかった:

「裁判所は技術的な証拠法則に拘束されない。
裁判所は周知の事実について証拠を要求しないが、それを司法上認定することができる。」

ここで「ベルクマン」なる人物は、次のような主張をしている。しかも、(私がニュルンベルク裁判の全議事録を読んだなどと主張したことは一度もないにもかかわらず)妄想あるいは虚偽に彩られ、さらに侮辱や老害じみた戯言まで加えられている。

  1. ニュルンベルクにおけるドイツ主要戦犯国際軍事裁判所(IMT)は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で400万人のユダヤ人が殺害されたという事実を宣言した。

  2. 同じ裁判においてIMTは、トレブリンカで90万人のユダヤ人が蒸し殺されたという事実を宣言した。

  3. IMTは、証拠に関する技術的な法的規則に拘束されなかったために、これらの事実認定に至った。

  4. IMTは、アウシュヴィッツでの400万人殺害およびトレブリンカでの90万人蒸殺を、証拠の提示や審査を求めることなく、「周知の事実」として司法上認定しただけであった。

「ベルクマン」への私のRODOH投稿第6996号(註:このリンク先は既にありません)での返答を発展させて、これらの主張を一つずつ検討していくことにする。

1 . ニュルンベルクにおける主要戦犯国際軍事裁判所(IMT)は、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で400万人のユダヤ人が殺害されたという事実を宣言した。

刑事裁判において、裁判所が検察側と弁護側の提示した証拠、あるいは自ら入手した証拠を検討したうえで最終的に到達した結論を示す文書は判決文である。判決文を見れば、裁判所が検察側の主張のうちどれを合理的疑いを超えて立証されたと認めたかがわかる。

したがって、ベルクマン氏の主張するように、IMTがアウシュヴィッツ=ビルケナウで400万人のユダヤ人殺害を事実として宣言したかどうかを確かめるには、『ドイツ主要戦犯裁判に関する国際軍事裁判所の判決(註:移動先はこちら)』を確認すべきである。

IMTの判決のうち、ナチスによるユダヤ人迫害に関する部分はここに示されている。いわゆる「修正主義者」のでっち上げに慣れている者にとっては驚くにあたらないが、該当箇所にはアウシュヴィッツ=ビルケナウで400万人のユダヤ人が死亡したという記述はまったくない。IMTが実際に書いているのは次のとおりである。

ロヴノおよびドゥブノでの虐殺、ドイツ人技師グレーベが語ったそれらの事件は一つの方法の例であり、ユダヤ人を強制収容所で体系的に絶滅させるというのは別の方法であった。「最終的解決」の一部として、ドイツ占領下の全ヨーロッパからユダヤ人が強制収容所に集められた。彼らの身体的状態が生死を分ける試験であった。労働可能な者は収容所で奴隷労働に使役され、労働不可能な者はガス室で殺され、その遺体は焼却された。トレブリンカやアウシュヴィッツのような特定の収容所はこの主目的のために設けられていた。アウシュヴィッツについては、1940年5月1日から1943年12月1日まで同収容所の指揮官であったヘスの証言が裁判所に提出された。彼はアウシュヴィッツ収容所でこの期間に250万人が殺害され、さらに50万人が疾病と飢餓で死亡したと推定している、と述べた。

上記引用中の強調は筆者によるものである。

見てのとおり、IMTはアウシュヴィッツ=ビルケナウで殺害された人数について自らの判断を示しておらず、1940年5月から1943年12月まで同収容所を指揮した元指揮官ルドルフ・ヘスの推定、すなわち「250万人が絶滅され、さらに50万人が疾病と飢餓で死亡した」という数値を引用するにとどまっている。また、アウシュヴィッツ=ビルケナウの犠牲者がすべて、または主としてユダヤ人であったとする記述も存在しない。実際にはこの収容所の犠牲者の大半がユダヤ人であったが、これは「400万人のユダヤ人」という主張の「ユダヤ人」という部分を否定するものである。

IMTがヘスの数字を確定的事実として宣言しなかったのは賢明であった。というのも、その数値は大幅に誇張されていたからである。ヘス自身、後のポーランドでの予審尋問において、IMTでの証言で述べた300万人という数字をより現実的な100万人前後の規模に修正しており、この修正値は歴史研究によっても確認されている。だが、ここでの論点はその数値の正確性ではない。この論点の核心は、ベルクマン氏が自身の主張を述べる前に少なくともIMTの判決文を一度でも読んでいれば、このように容易に反駁できる愚論を述べずに済んだはずだということである。

ちなみに、ニュルンベルク裁判の起訴状にもアウシュヴィッツ=ビルケナウで「400万人のユダヤ人」が殺害されたとは書かれていない。起訴状の第3訴因「戦争犯罪」に関連する記述は次のとおりである。

マイダネクでは約150万人が絶滅され、アウシュヴィッツでは約400万人が絶滅された。その中にはポーランド、ソ連、アメリカ合衆国、イギリス、チェコスロヴァキア、フランスおよびその他の国々の市民が含まれていた。

ここには犠牲者の民族的あるいは宗教的背景に関する記述はまったくなく、単にポーランド、ソ連、アメリカ、イギリス、チェコスロヴァキア、フランスなど各国の市民であったと述べられているにすぎない。

2 . 国際軍事裁判所(IMT)が同裁判で「トレブリンカで90万人のユダヤ人が蒸殺された」と事実認定したという主張について。

アウシュヴィッツやマイダネクとは異なり、トレブリンカは起訴状の第3訴因「戦争犯罪」の項にすら登場しない。判決文では、トレブリンカはアウシュヴィッツと並んで「労働不能なユダヤ人をガス室で殺害するという主要な目的のために設けられた収容所」として言及されているにすぎず、トレブリンカで殺害された人数についての記述は一切存在しない。

ベルクマン氏は、ニュルンベルクの主要戦犯裁判と、トレブリンカ司令官フランツ・シュタングルが西ドイツ・デュッセルドルフの裁判所で裁かれた事件を混同している可能性がある。この裁判(デュッセルドルフ地方裁判所、1970年12月22日判決、8 Ks 1/69、その抜粋の一部はこちらに書き写されている)では、歴史家ヴォルフガング・シェフラーの専門的意見に基づき、トレブリンカで少なくとも90万人、主としてユダヤ人が殺害されたと認定されている。

ところが「修正主義者」たちがIMTのトレブリンカに関する判断をめぐって最も騒ぎ立てているのは、犠牲者が「蒸し殺された(steaming to death)」と宣言されたという主張である。

この殺害方法は、確かにニュルンベルク裁判で証拠として提出された文書のひとつ(文書番号3311-PS)に登場する。この文書は1945年12月14日の午前審理で証拠として提出されたもので、ポーランド政府のドイツ犯罪調査委員会による報告書であり、概ね正確な内容を持ちながらも、次のような記述が含まれていた。

1942年4月下旬、この大量虐殺を蒸気によって実施するための最初の室の建設が完了した。
[…]
室が満杯になると、気密に閉鎖され、蒸気が送り込まれた。

この殺害方法の誤った記述――すなわち、犠牲者は「蒸気によって」ではなく、実際にはエンジンの排気ガスによって中毒・窒息死させられた――は、おそらく報告書が収容所の外部観察者の証言に基づいていたことに起因すると思われる。この観察者は、寒い日にガス室が開かれた際に室内から立ち上る霧状の物質を目にし、それが何であるかを知らなかったため(それはエンジンの排気ガス、あるいは冷たい外気とガス室内の体温の差によって生じた蒸気であった可能性がある)、犠牲者が熱い蒸気で蒸し殺されたのだと推測したのだろう。

しかしここで重要なのは、この誤りがどのように生じたかではなく、この誤りがIMTの判決文に反映されたかどうかである。なぜなら、もしそうであれば、ニュルンベルクの主要戦犯裁判の結果自体に不正確さが含まれることになるからである。刑事裁判の基本的な手続を少しでも理解していれば、ある証拠書類が裁判で提出されたからといって、その内容全て、あるいは一部が裁判所において信頼できるものとして認定され、事実認定の根拠とされたとは限らないことは明らかである。

IMTの判決文を改めて確認すると、トレブリンカを含め、どこにおいても「蒸し殺し」に関する記述は一切存在しないことがわかる。判決文におけるトレブリンカへの唯一の言及は、以下の引用に含まれる部分である。

労働に適する者はすべて強制労働者として収容所で使役された。労働に適さない者はすべてガス室で殺害され、その遺体は焼却された。トレブリンカやアウシュヴィッツのような特定の収容所は、この主要な目的のために設けられていた。

したがって、トレブリンカは、IMTの判決文において、労働に適さないユダヤ人がガス室で殺害された場所、すなわち「蒸し殺し」ではなく「ガスによる殺害」が行われた場所として正確に記されていたことになる。IMTは、おそらくサミュエル・ラジズマンの証言に基づき、この殺害方法に関して結論を導き出し、前述のポーランド政府報告書に記載された方法の記述を退けたものと考えられる。ラジズマンは明確に、殺害はガス室で行われたと述べている。

また、ベルクマン氏がニュルンベルク軍事裁判(NMT)およびそのオズワルド・ポール裁判にも言及していることから、同裁判記録中の次の記述にも触れておくべきである。

1942年春、トレブリンカに絶滅収容所が設立された。そこには10の殺害室があり、1943年初秋に操業を開始した。ここでは、ガスおよび蒸気、さらに電流によって死がもたらされた。

この記述は、アメリカ合衆国軍事法廷第II部によるポールらに対する判決および意見の本文には含まれていない。それは判事マイケル・A・ムスマンノによる補足意見に記載されている。この補足意見の目的についてムスマンノ自身は次のように述べている。「法曹界および一般市民が、今後いつでも強制収容所について権威ある記録を参照できるよう、包括的な一つの文書を提供すること」であり、将来の読者が「この時代を超えた人道に対する至上の罪の全体像を得るために、何千ページもの記録や膨大な文書を精査する必要がないようにする」ためであった。したがって、この補足意見はポールらに対する法廷判決の事実認定の一部ではなく、将来の読者の便宜を図るために作成された、いわば「善意の補足資料」であった。

ムスマンノの記録は、感情的な筆致ではあるものの(彼は例えば「ヘスと比べれば、チンギス・ハーンは日曜学校の生徒、トルクマーダは愉快なミコーバー、イワン雷帝は無害で慈悲深い老人である(註:このリンク先は既に存在しません)」と記している)、後の研究の光のもとで見ても、ナチ体制とその犯罪の多くの側面については確かに権威あるものとみなすことができる。しかしながら、トレブリンカでの殺害方法に関する部分は明らかに不正確であり、他にもムスマンノがクルト・ゲルシュタインのベウジェツでのガス殺記述をアウシュヴィッツに置き換えてしまうなどの誤りが見られる。このような不正確さは、彼の記録の権威性を損なうものである。

とはいえ、前述のようにIMTがすでに評価していた証拠、すなわちライツマンの証言やIMT判決の事実認定に照らせば、ムスマンノがトレブリンカでの死因として「ガスのほかに蒸気や電流による死」を言及したことは理解しがたいものの、ムスマンノの意見はポールらに対する法廷判決とは別個の文書であり、法廷が認定した事実の一部ではない。法廷は、ユダヤ人迫害に関してIMTの事実認定に同意していた

したがって、ベルクマン氏の主張とは異なり、「トレブリンカで人々が蒸し殺しにされた」という内容は、ポール裁判の判決の一部でもなければ、IMTにおいて戦争犯罪および人道に対する罪で有罪となった被告人たちの判決の一部でもなかったのである。

3 . 国際軍事裁判所(IMT)は、証拠に関する技術的規則に拘束されなかったために、このような事実認定に至ったという主張について。

この主張は、国際軍事裁判所憲章の以下の条項に関係している。

第19条
裁判所は証拠に関する技術的規則に拘束されない。裁判所は、できる限り迅速かつ非技術的な手続を採用・適用し、証明力があると認めるいかなる証拠も受け入れるものとする。

この条文の含意として、「証拠に関する技術的規則が存在しなかったために、被告人に有利または不利な証拠の適切な評価が行われなかった」という解釈が示唆されている。

しかし、この含意が妥当であるかどうかを判断するには、まず「証拠に関する技術的規則」とは何であり、それがどのような効果を持つのかを理解しなければならない。

ウェブ上では、以下のような定義が見られる。

民事または刑事事件において、証拠が法廷で受け入れられるかどうかを定める基準。

法廷審理または宣誓証言における口頭および書面による証拠の提示と受理の方法を規律する規則。

どの証言、文書等を裁判官または陪審が考慮すべきか、そして事実認定においてその証拠にどの程度の重みを与えるべきかを定める法規。

証拠法の規則とは、ある事件の立証に関する証拠を「いつ、どのように、どの目的で」事実審理者の前に提示できるかを定めるものである。

これらの定義によれば、証拠法の規則とは、裁判所に対して以下のことを定めるものである。

a) どの証拠を、裁判所が判断の根拠となる事実の証明として考慮することが許されるか、
b) 証拠として用いられる可能性のある資料をどのように取り扱うべきか、
c) その証拠にどの程度の重みを与えるべきか、あるいは与えることができるか。

アメリカ連邦証拠規則Federal Rules of Evidence)のような証拠法には、一般的または特定の事実を立証するために使用できる証拠の種類に関する厳格な規定が設けられている。たとえば、規則602は「証人は、自らが個人的に知っている事項についてでなければ証言してはならない」と定めている。規則608によれば、「証人の信頼性(真実を語る性格)は、意見または評判の形による証拠によって攻撃または支持することができる」が、一定の制限がある。同規則では、犯罪による有罪判決を除き、証人の真実性の性格を攻撃または支持する目的で、証人の特定の行為を外部証拠によって立証することはできないとされている。また、規則609は、「証人の真実性に関する信頼性を攻撃する目的で」過去の犯罪有罪判決を証拠として認めるか否かを定めている。さらに、規則802は、例外的な場合を除き、伝聞証拠は証拠として認められないと規定している。その例外は、連邦証拠規則自体、または連邦最高裁が法的権限に基づいて定める他の規則、あるいは連邦議会の制定法に含まれる。文書、録音、写真などの内容を立証する場合には、原本の提出が原則的に求められる(規則1002)。ただし、規則1003から1007に定められたものなど、いくつかの例外が存在する。

しかし、裁判所が特定の事実を立証するために使用できる証拠の種類や、その証拠が満たすべき条件について厳密に拘束することは、すべての法制度において採用されているわけではない。フランスやドイツなどの大陸法系諸国では、裁判官は特定の証拠形式に拘束されることなく、どの証拠を事実の確実な証明とみなすかについて、より大きな裁量を有している。たとえば、ドイツ刑事訴訟法(Strafprozessordnung)第261条は、次のように規定している(筆者訳)。

証拠の審理の結果については、裁判所は審理全体から得られた自由な確信に基づいて決定する。

これはつまり、裁判所は一方で、(もちろんその証拠が適法に取得され、かつ関連性を有する限りにおいて)提出されたすべての証拠を判断の際に考慮する義務を負うということである。他方で、どの証拠要素によってどの事実が立証されたとみなすか、ある証人を信用に値すると判断するか否か、その理由をどのように評価するかについては、裁判所の自由裁量に委ねられており、「合理的な疑いの不存在」という要件以外には拘束されない。

フランスやドイツが、被疑者や被告人に公正な審理を保障する立憲国家であることに異議を唱える者はいないだろう。したがって、上で挙げたような「技術的証拠法規則」は、公正な裁判を行うための不可欠な条件ではなく、また国際軍事裁判所憲章にそれが存在しなかったことも、「修正主義者」たちが主張するような不当なものではなかったということになる。

ドイツおよびフランスの法制度に詳しいある元米国弁護士によれば、証拠法上の「技術的規則」は、事実認定者が陪審(法的訓練や経験を持たない素人)ではなく、職業裁判官である場合には、米国においてすら省略される傾向があるという。この人物――ウォルター・カシュナー(Walter Kaschner)――は、Axis History Forum とは別の掲示板において、次のように述べている(HCフォーラムの該当スレッドに転写されたものであり、リンクは2012年3月3日に修正済み)。

あなたの言う、「国際軍事裁判所の手続きは、技術的証拠法規則に拘束されず、政府文書を司法認知できたために欠陥があった」という考えについてだが、私はこう述べるしかない――米国では自国の証拠規則を非常に重視しているとはいえ、その考え方は大陸法系の国々(少なくとも私がよく知るフランスや、ある程度知識のあるドイツ)では一般的ではなく、それらの国々では規則なしでも十分に裁判が行われている。裁判所の半数のメンバーは大陸法系の法曹であり、弁護側の弁護士も米国の高度に技術的な証拠規則には精通していなかったと理解している。さらに、米国でも、陪審ではなく裁判官が事実認定者となる場合、証拠規則はしばしば無視され、裁判官が証拠に相応しい重みを自由に与えることが認められている。また、私たちの慣行でも、政府文書が通常の業務過程で作成されたものである場合、あるいは公式の行為や決定を反映しているとされる場合には、司法認知されることが慣例となっている。

上記の引用部分は強調表示したのは私によるもの。

ウォルター・カシュナー氏の評価を裏付ける例として、米国やカナダの司法・行政上の判決や審理において、技術的な証拠規則が適用されなかった事例をいくつか挙げる。

このように、裁判手続きにおいて技術的な証拠規則が欠如していることに何ら不穏な点はないことが示されたところで、残る問題は、なぜ国際軍事裁判所憲章の作成に際して技術的な証拠規則が除外されたのか、ということである。

この問いに対する答えは、前述のカシュナー氏の「裁判官の半数は大陸法系の法律家であり、私の知る限り、弁護側の弁護士は誰も我々の高度に技術的な証拠規則に精通していなかった」という発言の方向性に沿うものである。元ニュルンベルク検察官ロバート・H・ジャクソンは、自身の報告書『Nuremberg in Retrospect』の中で次のように述べている。

裁判所を支配すべき証拠規則は、もし我々が自国の規則に固執していたなら、深刻な意見対立を引き起こしたであろう。大陸法系の法律家は、コモン・ローの証拠規則を忌避する傾向がある。これらの規則は陪審裁判の特殊性に対応するために存在するものであり、専門職の裁判官による国際裁判においてそれらの使用を強く求める理由はないと判断した。国際裁判所において、これらの規則が一般的に順守されたことはない。[強調は筆者 – RM] そこで我々は、単純な規則に落ち着いた。それは、裁判所が「証拠能力があると認める証拠はいずれも認める」というものである。この規則は裁判所にかなりの裁量を与えるものであったが、証拠の採否が形式的な規則の遵守ではなく、提示されたものの価値に基づくという利点があった。

したがって、ニュルンベルクにおけるドイツ主要戦犯裁判で技術的証拠規則が存在しなかった理由は、彼らの「リビジョニスト」擁護者が信じたいような、被告を不利に扱う意図によるものではなかった。アメリカの法学者たちは米国で適用されるような技術的証拠規則を適用したいと考えていたが、このアプローチは、国際軍事裁判所設立に関与した大陸ヨーロッパ出身の法学者たちには好まれなかった。おそらく単純な理由で、彼らおよび/または国際軍事裁判所のメンバーに指名された大陸ヨーロッパの裁判官たちは、米国型の証拠規則について何も知らず、裁判でそれを扱うことができなかったからである。アメリカ人は妥協を決定した。なぜなら、これらの規則は「陪審裁判の特殊性に対応するために関わっていた」ものであり、「専門職の裁判官による国際裁判においてこれらの規則の使用を強く求める理由はない」と見なされたからである。この妥協は、カシュナー氏が指摘したように、米国で適用される技術的証拠規則に精通していなかったドイツ人弁護人にとって、防御側に利する面もあったと考えられる。

しかし、その後のニュルンベルク軍事裁判所(NMT)における裁判は、純粋にアメリカ主導で行われたものであり、この妥協はもはや必要ではなかった。おそらくこのため、例えばアインザッツグルッペ裁判が、イェール・F・エデイケンの推奨記事『An Introduction to the Einsatzgruppen』(日本語訳)で述べられているように、米国の証拠規則に従って実施されたのであろう。

4 . 国際軍事裁判所が、アウシュヴィッツでのユダヤ人400万人の殺害およびトレブリンカでのユダヤ人90万人の「蒸し殺し」を単なる公知の事実として宣言し、それらの主張を裏付ける証拠を求めて精査することをせずに司法認知した、という主張。

この主張は、国際軍事裁判所憲章の以下の条項に関連している。この記事の19条と同様に、邪悪な、特に「ニュルンベルク的」な内容を持つとされる条項である:

第21条
裁判所は、公知の事実の立証を求めず、これを顕著な事実(judicial notice)と認める。また、国連の公的文書および報告書、戦争犯罪調査のために各連合国に設置された委員会の行為および文書、ならびに国連加盟国の軍事その他の裁判所の記録および判定を司法認知する。

翻訳者註:「顕著な事実」とは法律的な用語で、当該の事実については証明の必要がないということを意味します。

この規定の第二文について、カシュナー氏(上記引用参照)は、米国の司法実務においても「政府文書は、通常業務の過程で作成されたものである場合、あるいは公的行為や決定を反映しているとされる場合、慣例として顕著な事実と認める」と指摘している。

第一文について—これは「ベルグマン」氏の主張の核心—米国連邦証拠規則を見れば、公知または一般的知識と見なされる事実を顕著な事実と認めることが規則上認められていることがわかる。規則201には次のように記されている:

翻訳者註:「顕著な事実と認める」こと自体を表す適当な日本語がないようなので、以下では「司法認知」と呼ぶことにします)

規則201 裁定事実の司法認知

(a) 規則の範囲

この規則は、裁定事実に関する司法認知にのみ適用される。

(b) 事実の種類
司法認知される事実は、合理的に争われる余地がないものでなければならず、それは次のいずれかに該当する:
(1) 裁判所の管轄区域内で一般に知られている事実、または
(2) 正確性が合理的に疑われない情報源によって容易かつ正確に判定できる事実。

(c) 裁量の場合
裁判所は、請求の有無にかかわらず、司法認知を行うことができる。

(d) 義務の場合
裁判所は、当事者の請求があり、必要な情報が提供された場合、司法認知を行わなければならない。

(e) 弁論の機会
当事者は、司法認知の適否および認知される事項の内容について、適時に弁論の機会を与えられる権利を有する。事前通知がない場合でも、司法認知が行われた後に請求することができる。

(f) 認知の時期
司法認知は、訴訟のいかなる段階においても行うことができる。

(g) 陪審員への指示
民事訴訟において、裁判所は司法認知された事実を決定的なものとして受け入れるよう陪審員に指示しなければならない。刑事訴訟においては、裁判所は司法認知された事実を決定的なものとして受け入れることができるが、必ずしもそうする必要はない旨を陪審員に指示しなければならない。

規則201の(b)項における「司法認知された事実」の定義は、規則201の注釈によれば、「共通知識」または「一般化された知識」とされる事実の一般的特徴を示している。それは次のいずれかに該当する事実である:(1) 裁判所の管轄区域内で一般に知られている事実、または(2) 正確性が合理的に疑われない情報源によって容易かつ正確に判定できる事実。カリフォルニア州の裁判官が、メル・マーメルシュタイン氏と「Institute of Historical Review」との訴訟において下した判決によれば、1944年夏にポーランドのアウシュヴィッツ収容所でユダヤ人がガス室で殺害された事実は、「合理的に争われる余地がない」かつ「合理的に疑いようのない情報源により即時かつ正確に判定できる」ことから、司法認知の対象となる事実と見なされるべきであるとされた。

上記により、IMTが共通知識とされる事実を証明することを求める代わりに司法認知できるという規定には、特に邪悪な意図はないことが示される。しかし、これはナチスの絶滅収容所における大量殺害が、1945/46年のドイツ主要戦犯に対するニュルンベルク裁判当時、すでに共通知識の事実として扱えることを意味するものではない。当時、刑事司法当局はこれらの犯罪の捜査を始めたばかりであった。したがって、ベルグマン氏の主張に反して、IMTはこれらの犯罪を共通知識として司法認知したのではなく、これらの犯罪の発生および規模に関する証拠を検討したのである。

IMTに提出され、評価されたアウシュヴィッツ=ビルケナウおよび/またはトレブリンカに関する証拠には、次のものが含まれる。

もしIMTがアウシュヴィッツ=ビルケナウおよびトレブリンカでの大量殺害を「一般的に知られた事実」として裁判上認定していたならば、これらの証拠はいずれも必要なかったであろう。したがって、ここで検討されている「修正主義者」の主張は、これまでのものと同様に虚偽である。

なお、この種の主張は「ベルクマン」氏のような強硬な「修正主義者」だけが述べているわけではない。たとえば、ブーヘンヴァルト強制収容所に関するScrapbookpagesサイトこの箇所には、次のようなナンセンスが記されている。

「1945年のニュルンベルク国際軍事裁判において、ソ連はナチスが強制収容所で人間の脂肪から石鹸を作ったと非難した。人間の脂肪から作られたとされる石鹸が法廷で展示されたが、その石鹸に関する法医学的報告書は提出されなかった。法医学的証拠は要求されなかった。なぜなら、ナチスがユダヤ人から石鹸を作ったことは周知の事実であったからである。」

国際軍事裁判所憲章第23条には次のように記されている。「裁判所は一般に知られた事実について証拠を要求せず、これを裁判上認定するものとする。」

これらの文を書いた著者が「国際軍事裁判所憲章第23条」と呼んでいるものは、実際には「国際軍事裁判所憲章第21条」であるという事実はさておき、この著者は自ら引用した条文をきちんと読んでいなかったようである。もしIMTが「ナチスがユダヤ人から石鹸を作った」ということを「一般に知られた事実」とみなしていたのなら、その「事実」についてはいかなる証拠も必要なかったはずである。

ところが、IMTの審理で人間の石鹸の問題を持ち出したソ連の検察官は、「ダンツィヒの解剖学研究所で、人間の死体から石鹸を製造する準工業的な実験および産業目的のための人間の皮膚のなめし作業が行われた」と主張し(「ナチスがユダヤ人から石鹸を作った」という一般的主張をしたわけではない)、その主張を裏づけるために証拠を提示した。その証拠には、Scrapbookpagesの著者が言及している展示物USSR-393のほか、以下のものが含まれていた。

  • ジグムント・マズールの証言(証拠書類USSR-197)

  • 「処刑された者の死体から作られた石鹸の製造法」の写し(証拠書類USSR-196)

  • イギリス人捕虜ジョン・ヘンリー・ウィットンの宣誓供述書(証拠書類USSR-264)

  • イギリス人捕虜ウィリアム・アンダーソン・ニーリーの宣誓供述書(証拠書類USSR-272)

これらの証拠書類の証拠的価値や、それが人間の死体から石鹸を製造する意図を示す決定的な証拠であるかどうかについては、どのように批判されようとも、ソ連の検察官が「一般に知られた事実」と見なされれば証拠を一切必要としなかった主張に対して、かなりの量の証拠を提出したという事実は否定できない。

もしIMTがスクラップブックページズの著者が主張するように「ナチスがユダヤ人の死体から石鹸を作った」ということを一般に知られた事実と見なしていたのであれば、IMT判決の「ユダヤ人迫害」に関する部分にもそのような記述があるはずである。しかし、そこに記されている内容を見ると、IMTはソ連の検察官が提出した証拠(これはダンツィヒの解剖学研究所での人間の脂肪から石鹸を作ろうとする試みの可能性に関する単一の事例のみを示すものであり、使用された死体がユダヤ人のものであったことを示すものではなかった)に基づいて、証拠の範囲を超えた結論を下してはいるものの、「ナチスがユダヤ人の死体から石鹸を作った」との趣旨の記述はなく、ナチスの迫害の犠牲者(ユダヤ人)の脂肪を石鹸製造に利用しようとした「場合があった」(in some instances)と述べているにすぎない。

「火葬後、遺灰は肥料として利用され、場合によっては犠牲者の体脂肪を商業的な石鹸製造に利用しようとする試みがなされた。」

スクラップブックページズには、今回取り上げたような無知な主張があまり多くないことを願いたい。そうでなければ、その作者は自らの作品名から最初の“S”を削除することを検討すべきである。

この記事に貴重な助言をくれたセルゲイに感謝する。

投稿者 ロベルト・ミューレンカンプ による投稿 2006年9月6日(水曜日)

▲翻訳終了▲


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