『光の感染者』第35話|世界は「嘘」でできている
きみのやりたいことは、全部やればいい。
失敗など、本当は存在しない。
今日、逆上がりができなかったことも、失敗ではない。
それはただ、まだ起きていないだけの出来事にすぎない。
その経験は、確かに、きみの心を静かに強くしている。
それが明日なのか、三年後なのかはわからない。
あるいは、その日は来ないのかもしれない。
だが、もし来たときには、
きみは、確かな達成感と、言葉にならない静かな満足を知るだろう。
そもそも、世界の頂点など、決める必要はない。
毎年、世界中から足の速い人間を集めて競わせたところで、
太陽が逆から昇ることは、決してないのだから。
きみは、誰かに勝つために生きているわけではない。
もしかすると、自分を証明するために、
この現実世界で何かと戦っているのかもしれない。
自分は何者なのかを知るために、生きているのだ。
その経験から、何を受け取ったのか。
なぜ、自分が生きているのかを知る。
あるいは、何をするためにここにいるのかを知る者もいる。
たとえば、きみが「かめはめ波」を使えるとしよう。
それがこの現実で実際に放てるなら、それはもはや妄想ではない。
空を飛べたら、どうだろう。
人間は空を飛べないと言われてきたが、
私たちはすでに、空を飛ぶ術を手にしている。
かめはめ波よりも、はるかに強力な破壊の技術すら、
人間は生み出してしまった。
道具は、心を持たない。
包丁で愛する家族のために料理を作ることも、
それを誰かに向けることも、
道具は、ただ道具のままである。
人の心だけが、
平穏を凶器へと変えてしまう。
それは慢心かもしれないし、
あるいは、恐怖から生まれるものなのかもしれない。
それこそが、人生において最も重要な問いなのだ。
私は、ときどき思考実験をする。
ここでは書けないような、少しばかり危険なものだ。
理不尽な出来事が起きたとき、
私はどう振る舞うのか。
そして、相手はどう動くのか。
ただ、静かに観察する。
多くの場合、人は自ら崩れていく。
光の前では、悪意は長くその形を保てない。
悪意ある存在の肩を、そっと叩き、
あとは社会に委ねる。
それが、私なりの許し方なのだ。
それは信念というより、
むしろ現象に近い。
人は言う。
人間は平等だと。
だが私には、少し違って見える。
光るものは、やはり光っている。
見えないだけで、そこには確かな差がある。
日本という国にも、
語られない真実が、あまりにも多く存在している。
だがそれもまた、時代の一つの断面にすぎない。
この世界は、いまだ変化の途中にある。
私たちが「時間」と呼んでいるものさえ、
ただの感覚にすぎないのかもしれない。
世界には、スターシードと呼ばれる人々がいる。
それを妄想だと笑う者もいるだろう。
だが、どちらが現実で、どちらが幻想なのか、
それを決めているのは、いったい誰なのだろう。
私はときどき思う。
むしろ現代社会のほうが、
よほど精巧にできた妄想の中にあるのではないかと。
テンプレートのように生きる人々。
個性を削ぎ落とし、
誰かの物語の中で、脇役として生きる人々。
水槽の中にいることに気づかない魚のように。
人々よ、想像してほしい。
この世界に、本当の「正しさ」は存在するのか。
若い世代は、すでにそれを見抜き始めている。
世界は、嘘でできている、と。
だから彼らは言う。
嘘の中で生きるには、嘘が必要なのだと。
正直者が損をする。
そんな言葉は、昔から変わらず存在している。
だが、バカと呼ばれることは、本当に不幸なのだろうか。
私は父の死をきっかけに、
バカになる努力をしてきた。
効率よく、賢く生きることを、やめた。
遠回りを選び、
不器用に生きることを選んだ。
すると、不思議なことに気づく。
バカには、ある種の特権がある。
どこかで、見えない何かに守られているような感覚だ。
人間は、おそらく器に過ぎない。
完全な自由など、存在しないのかもしれない。
だが、その中で、
確かに感情は与えられている。
喜び、悲しみ、怒り、誇り、屈辱。
それらはすべて、
進むべき方向を示す羅針盤なのだ。
詐欺師は、平然と嘘をつく。
それを悪だとも思っていない。
だが私は、それを排除しようとは思わない。
ただ、観察する。
まるで、檻の中の動物を見るように。
その思考、その習性、その世界の見え方を。
彼らは気づくまでに、長い時間がかかるだろう。
あるいは、最後まで気づかないのかもしれない。
だがそれもまた、一つの生である。
私たちがやっていることは、
いわば、土壌を変えることだ。
世界という畑の、土を整えること。
人間は、器であり、同時に種でもある。
どんな土に落ちるかで、
その後のすべてが変わる。
私たちは、土であり、
同時に、芽吹く種でもある。
どちらを選ぶかは、
すべて、あなたに委ねられている。
人は、種を蒔く。
その種が何であるかは、やがて必ず現れる。
良い種は、豊かに実り、
悪い種もまた、静かに育つ。
そしてそのすべてを、
最後に受け取るのは、
他でもない、自分自身なのである。
