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『私という病』第38話|うつけ教育

2025.11.10

※本章は、学ぶことや知性を否定するものではない。
※問い直しているのは、「人間が人間であるために、何を学ぶのか」である。


AI時代の教育の意味とは、いったい何なのだろう。

カメラを向ければ、草の名も樹の名も、こちらが考える間もなく画面が答えを示す。
アプリを開けば、異国の言葉も、まるで旧知の友人のような顔をして翻訳される。
AIに問いを投げれば、数式も論文も、数秒の沈黙ののち、ほとんど正解に近いものが返ってくる。

しかも、それらの多くは無料だ。

……では、人間は、何を学べばよいのだろう。

これまでの教育は、いよいよ根本から考え直さねばならぬ地点に来ている。
いや、「考え直す」というより、もう一度、問いを立て直す必要がある。

――人間とは、何なのか。

人間は進化した。
道具も、確かに進化した。

だが、道具というものは不思議な性質を持つ。
それは、使う者を選ぶ。
そして時に、使う者を育てる。

しかし――
道具を愛することを忘れた人間は、やがて道具に使われるだけの存在になる。

では、教育とは何なのだ。

十六年もの歳月を費やし、
私たちは教室という小箱の中で、何を学ばされてきたのか。

「社会で生き残るため」?

……冗談ではない。

人間の価値は、生き残ることなどではない。

人は、愚かに笑い、
失敗し、
泣き、
それでも他人を赦そうとする。

その不格好さの中にこそ、人間である意味がある。

私は思う。

バカであること。
うつけであること。

それこそが、人間の証ではないか、と。

うつけとは、損得よりも人を選ぶ者のことだ。
合理性よりも関係性を信じる者のことだ。

真のうつけ者は、実は世の中の仕組みをよく見ている。
だからこそ、要領よく振る舞えず、
だからこそ、愛してしまう。

笑われ、
叱られ、
損をし、
それでもなお、人を信じる。

教育とは、そういう「うつけ」を育てる営みではないのか。

友を大切にすること。
仲間を守ること。
家族を思いやること。
失敗を恥とせず、そこから何かを掬い取ること。

知識ではなく、知恵を。
優秀さではなく、人間らしさを。

私は、そういう教育を信じたい。

たとえそれを、世間が「うつけ教育」と嘲ろうとも構わない。

笑いたければ、笑えばいい。

もしあなたが、
これまで少しでも損をしてきたのなら。
誰かを信じて傷ついたことがあるのなら。

それは、誇っていい。

私は、
うつけの味方でありたいのだ。


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