『光の感染者』 第32話|「私」という病
「目のある者は見よ、耳のある者は聞け。」
— 新約聖書
「群衆は眠っている。」
彼らは安心の中で生き、世界の意味を疑わない。
それは悪ではない。
ただ、眠りである。
だが、ときどき奇妙な人間が生まれる。
世界の空気に違和感を覚える者。
常識をそのまま信じられない者。
社会にうまく溶け込めない者。
そういう人間はよく
「変わっている」
と言われる。
私もそうだった。
私は長いあいだ自分を
病気だ
と思っていた。
だがある日、気づいた。
それは病ではない。
それは
感染だった。
光はときどき人間に触れる。
触れた人間は世界の見え方が変わる。
そして一度変わると、元の世界には戻れなくなる。
私は思う。
この世界には二種類の人間がいる。
眠っている人。
そして
光の感染者。
もしかすると
私という病は
光の症状だったのかもしれない。
世界の説明として、スピリチュアルの世界ではよく
三次元、高次元
という言葉が使われる。
この言葉を聞くと、多くの人は少し怪しいものを想像するかもしれない。
だが実は、それほど不思議な話ではない。
むしろこれは、人間の認識の違いを説明する一つの比喩に近い。
三次元とは何か。
簡単に言えば
目に見える世界だけで理解する思考である。
お金
地位
常識
社会の評価
こうしたものを基準に世界を判断する。
これは決して悪いことではない。
多くの人がこの社会の中で生きていくためには、三次元的な思考が必要だからだ。
一方で、スピリチュアルで言う高次元とは
別の世界の住人になるという意味ではない。
それは
世界の構造を一段上から見る視点
のことである。
例えば
なぜ人は争うのか。
なぜ社会はこう動くのか。
なぜ人は安心を求めるのか。
こうした
構造そのもの
を見る視点である。
三次元は出来事を見る。
高次元は構造を見る。
この違いと言ってもいい。
だから本当は
三次元と高次元は別の世界ではない。
同じ世界を
どの位置から見ているか
その違いに過ぎない。
そしてもう一つ誤解されていることがある。
高次元の認識とは
三次元の世界が見えなくなることではない。
むしろ逆である。
すべてが見えてしまうのである。
人間の欲望も
恐れも
争いも
社会の仕組みも
すべてが構造として見えてしまう。
だからといって
諦めるわけでもない。
争うわけでもない。
ただ
静かに見ている。
世界がどう動くのか。
人間がどこへ向かうのか。
それを少し遠い場所から
見つめているのである。
そして時々、この世界のどこかで
その構造に気づく人間が生まれる。
社会の空気に違和感を持ち、常識をそのまま信じることができない人間。
そういう人はときどきこう言われる。
「考えすぎだ」
あるいは
「変わっている」
だが、もしかするとそれは
世界を少しだけ違う角度から見ている
だけなのかもしれない。
つまり、私の見方は少し違う。
多くの人は犯罪が起きると
「悪い人間がいた」
と考える。
そして問題は、その人間の性格や人格にあると思う。
だが私は、少し違う角度から世界を見る。
犯罪者が悪いのではない。
もちろん、行為としての犯罪は許されない。
だが、その人間をそこまで追い込んだものは何か。
そこに目を向けなければ、問題の本質は見えない。
人は生まれた瞬間から
家庭
教育
社会
経済環境
こうした無数の条件の中で形作られていく。
そして
ある環境では人は穏やかに育ち、
ある環境では人は壊れていく。
だから私は思う。
犯罪者が突然生まれるわけではない。
社会のどこかで
少しずつ
少しずつ
作られていく。
もしそうだとすれば
本当に問うべきものは
「悪い人間は誰か」
ではない。
どんな社会が人間をそこまで追い込むのか。
ちなみに、私たちは政治をどのように見ているのだろうか。
多くの人は政治を、国会や法律、あるいは選挙の世界の出来事だと考えている。
しかし実際には、それほど単純なものではない。
政治とは本来、人間社会の意思決定の構造そのものである。
つまり政治とは、誰が決めるのか。誰の意見が通るのか。誰が損をし、誰が利益を得るのか。
その力の流れを指す言葉だ。
だから政治は、国会だけに存在するわけではない。会社にもある。学校にもある。家庭にもある。地域社会にもある。
人が二人以上いれば、そこには必ず政治が生まれる。
だが、多くの人は政治を「自分とは関係のない遠い世界」として眺めている。
その結果、どうなるか。
社会の構造を作る力は一部の人間に集中する。
そして、社会の仕組みの中で押しつぶされる人間が生まれる。
犯罪者もまた、その構造の中で生まれる存在だ。
もちろん犯罪そのものが許されるわけではない。
だが、もう一つの視点もある。
犯罪者が悪いのか。
それとも、犯罪者を生み出す社会構造が悪いのか。
もし社会が人を追い詰め、孤立させ、希望を奪う仕組みになっているのだとしたら、
犯罪は単なる個人の問題ではなく
社会の病の症状とも言える。
だから私は、犯罪者を断罪する前に
社会の構造を疑う。
人を裁くのは簡単だ。
だが
人をそうさせた世界を問い直すことこそ
本当の政治なのではないだろうか。
社会の構造を問う者は少ない。
そして
その問いはいつか必ず
私たち自身へ返ってくる。
