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『私という病』 第42話|無垢 ― 鎖は、案外、自分で巻いている

心の清い者は幸いである。
その人たちは神を見る。

― マタイによる福音書 5:8

人は、いつからだろう。
無垢であることを、
愚かさだと思うようになったのは。

※これは教訓ではない。
うまく生きられなかった者の、ひとつの独白である。


2025.11.19

楽に生きる方法があるのなら、
私はぜひとも教えてほしい側の人間である。

だが、あえて言うなら、
「楽をする方法を考え続けること」
それくらいしか思い当たらない。

人はどういうわけか、
苦労が好きだ。
いや、好きなふりをするのが上手い、と言った方が正しい。

苦しんでいれば、
生きている理由を説明しやすいからだ。

私も、ずいぶんと苦しんだ。
いや、苦しんでいるような顔をしていただけかもしれない。

本当は、ただ怖かっただけなのだ。
楽になってしまったら、
自分が空っぽだと露呈してしまう気がして。

生きるという行為は、
もっと無様で、
もっと気楽で、
笑っていいものだったのではないか。

最近になって、そんな気がしている。

では、この世界そのものと、
どう折り合いをつければいいのか。

それは今も、よくわからない。

ただ私は、
世界を完全に敵だと思い込むのを、
少しだけやめてみた。

それだけだ。

人生を、
ひとつの物語だと思ってみる。

そんな逃げ道を、
私は選んだ。

宇宙には、
冷酷で、しかしどこか几帳面な法則があるらしい。

主人公はその法則に翻弄されながら、
転び、泣き、時々調子に乗り、
そのたびに、少しずつ擦り減っていく。

魂を削る、という言葉があるが、
実際は削られるというより、
剥がされていく感じに近い。

見栄とか、虚勢とか、
そういうものが。

不思議なことに、
削られたあと、
世界はほんのわずか、
優しく見える瞬間がある。

それが救いなのかどうかは、
まだ判断できないでいる。


11月18日
青森県、初雪。

寒さが、いかにも当然という顔で降ってきた。

この土地で
人の温もりを学んだ、
などと言えば、少し格好をつけすぎだろう。

正確には、
冷たさの中でしか、
温もりに気づけなかった。

正しいとか、
間違っているとか、
右だ、左だ、
善だ、悪だ。

そういう言葉は便利だが、
どうにも疲れる。

すべてを肯定する人間は信用ならないし、
すべてを否定する人間も、
やはり信用ならない。

頑張る日があってもいい。
何もしない日があってもいい。

私はそう自分に言い聞かせている。
たいていは、聞いてもらえないが。

「昨日はありがとうございました。
今日も、どうぞよろしく」

誰に向けた言葉なのか、
自分でもよくわからない。

それでも、
この一言で
なんとか立ち上がれる朝がある。

祈りというのは、
弱者の逃げ場だと思われがちだが、
実際は
自分の無力さを認める行為だ。

それは、
なかなか骨の折れることでもある。

文明は、
目に見えるものだけを信じろと迫ってくる。

数字。
肩書き。
結果。

だが私は、
見えないものに助けられた記憶を
どうしても捨てきれない。

それを迷信と呼ぶなら、
それでも構わない。


鎖は、
案外、自分で巻いている。

経済。
宗教。
常識。
家族。
自尊心。
分離という考え方。

どれも、
守ってくれる顔をして、
実は少し息苦しい。

鍵は
外に探すものではなかった。

それだけは、
最近はっきりしてきた。

目を閉じて
何も考えないふりをしていると、
たまに、
細い光の筋のようなものが
見える気がする。

気のせいだろう。

だが、
気のせいで救われることも
人生には、確かにある。

嘘は、
もう長くはもたない。

そのかわり、
真実も
それほど格好いいものではない。

世界は
不条理で、
それでもどこか愛おしい。

おもしろき
事もなき世を
おもしろく

昔、
この言葉にすがったことがある。

今も
完全には手放せずにいる。

苦しみは消えない。
だが、
光る瞬間があるなら、
それで十分なのかもしれない。

どの道を選んでも、
たぶん後悔する。

それなら、
自分で選んだと
言える方がいい。

楽に生きていい。

そう自分に許すまで、
ずいぶん時間がかかった。

それでも、
生まれてきた以上、
それくらいの権利は
あってもいいはずだ。


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