『私という病』 第43話|生命の「第一段階」
2025.11.30
世界は、なんとまあ豊かなものだ、と
私は時おり呟く。
それは独り言のようでいて、
胸の奥で、静かに反響している。
奪い合う必要など、
本当はないのである。
パンが一切れしかなければ、
譲れぬ争いも起こるだろう。
だが私たちの前に広がる世界は、
どうやら、もう少し多くのパンを持っている。
それでも人は、
互いの皿の上を覗きこむ癖を、
なかなか捨てられずにいる。
富をどう作るか。
どう独占するか。
そんな議論を、
人々は真剣に続けている。
私はそれを、
嫌いではない。
嫌いではないが、
少しばかり、時代遅れではないかとも思う。
富とは、作るものでも、
握りしめるものでもない。
気づけばそこかしこに転がっている、
石ころのようなものではないか。
拾うか、拾わぬか。
ただ、それだけの違いにすぎない。
私たちは、
もっと手を取りあえばいい。
分野が違うからといって、
隣人でなくなる理由にはならない。
資源という名の札束を
囲い込もうとするから、
世界は急に、息苦しくなる。
便利に暮らす。
生産性を高める。
そう聞くと、
どこか事務的で味気ない。
だが要するに、
互いの不器用さを補い合って
生きてゆこうというだけの話だ。
そうして生まれた富を、
できる限り公平に分け合う。
それが、
本来の姿なのだろう。
そして私は、
また考えてしまう。
なぜ人は、生きるのか、と。
そんな問いを抱えて歩く私は、
少し面倒くさい人物に見えるかもしれない。
けれど、
人が生きる理由は、
きっとひとりひとり違っている。
その違いこそが、
世界を、豊かにしているのだ。
価値観という
小さな灯火を。
風に吹き消されぬよう、
そっと手で囲みながら
育てていく。
そんな社会を、
私たちは
いつか築かねばならない。
世界は、豊かである。
ただ、
豊かさに気づく心が、
まだ少し
貧しいだけである。
