第3章 電気の衝撃: 都市、小編成、歌声が再編した大衆音楽
1940年代のアメリカでは、大衆音楽を取り巻く環境が大きく変化していた。
第二次世界大戦によって人々の移動が加速し、都市には新たな人口が流れ込んだ。ラジオとレコードは音楽を広い地域へ届け、マイクや電気楽器は、歌声や楽器の聞こえ方そのものを変えていった。一方で、戦争は大人数の楽団の維持を難しくし、音楽家やレコード産業にもさまざまな制約をもたらした。
そうした変化に対して、音楽は一つの方向へ進んだわけではない。
ビッグバンドを小編成へ凝縮する。歌手が楽団から独立する。数人の声を中心に新しいサウンドを作る。ブルースを電化する。ジャズの即興や和声をさらに発展させる。
1940年代には、それまでに育ってきた音楽が、都市とメディアと技術の変化の中で、それぞれ異なる形へと組み替えられていった。

さらにこの時代には、「誰が録音できるのか」という条件までが音楽のあり方に影響した。
1942年から44年にかけて、アメリカ音楽家連盟(AFM)はレコード会社との対立から、組合に所属する器楽奏者による商業録音を停止した。一方、AFMに所属しない歌手は録音禁止の対象ではなかったため、ヴォーカル・コーラスなどを伴奏に録音を続けることができた。
この録音禁止だけで歌手中心の時代が生まれたわけではない。しかし、ビッグバンドを取り巻く環境が変化し、ラジオやレコードを通じて歌手個人の名前が大きくなっていた時期に起きたこの出来事は、楽団と歌手の関係が変わっていく一つの条件となった。
都市の夜が欲した即効性
⸻ ルイ・ジョーダンとジャンプブルース
都市のダンスホールやクラブでは、大人数のビッグバンドだけでなく、より小さな編成で強いリズムを生み出す音楽も存在感を高めていった。
ルイ・ジョーダンのジャンプブルースは、ビッグバンドのサウンドを小編成へ凝縮しながら、強いビート、反復、ユーモアによって大きな人気を獲得した。少人数でも人々を踊らせることのできるその音は、戦後のR&Bへつながる重要な流れとなった。
1949年、Billboardは黒人向けレコード市場のカテゴリー名として「Rhythm & Blues」を使い始める。ジャンプブルースは、ヴォーカル・グループやブルースなどとともに、この広いカテゴリーを構成する重要な音楽の一つとなった。
楽団の前から歩き出す歌手
⸻ フランク・シナトラ
小編成化とは別の方向でも、ビッグバンドを中心としていた大衆音楽の構図は変わり始めていた。
クルーナーの歌唱はすでに1930年代から人気を得ていたが、フランク・シナトラ の登場によって、歌手個人に向けられる熱狂は1940年代にさらに大きなものとなる。
マイクを通した親密な歌声はラジオやレコードを通じて聴衆へ届き、やがて歌手自身の名前と人物像が、それまで以上に大きな意味を持つようになっていく。
大衆音楽の中心に立つ存在は、楽団から歌手へも広がり始めていた。
個性的なリードを囲む声
⸻ レイヴンズとオリオールズ
歌声を中心とする変化は、一人のスター歌手だけに起きていたわけではない。
1940年代後半、黒人向け大衆音楽では、レイヴンズとオリオールズ に代表される小編成のヴォーカル・グループが存在感を強めていった。
特徴的なリード・ヴォーカルを数人のハーモニーが取り囲む。少ない楽器でも、声質の違いと組み合わせそのものがグループ独自のサウンドになる。
戦後の黒人向けレコード市場の広がりとともに、この形を受け継ぐヴォーカル・グループが次々と登場し、のちにドゥーワップと呼ばれる1950年代のヴォーカル・グループ・サウンドへとつながっていく。
騒音への対抗
⸻ マディ・ウォーターズと電化ブルースの音量
ブルースでも、都市の環境と電気技術が新しいサウンドを生み出していた。
シカゴへ移った マディ・ウォーターズに象徴される電化ブルース では、ギターやハーモニカ、ヴォーカルが増幅され、少人数の編成から力強いサウンドが生み出された。
南部から持ち込まれたブルースの語法は失われたのではない。電気によって増幅されることで、都市のクラブでも存在感を失わない、より強烈なサウンドへと組み替えられていった。
その音量感覚と電気楽器の使い方は、のちのブルースだけでなく、ロックにも大きな影響を与えることになる。
電気が生んだ新しいギター表現
⸻ Tボーン・ウォーカー
電気は、音を大きくするためだけの技術ではなかった。
Tボーン・ウォーカー はエレクトリック・ギターを使い、洗練されたフレーズ、揺れる音程、歌と応答するような旋律を作り出した。
ギターは単に伴奏を支えるだけではなく、ヴォーカルと並んで音楽を語る存在になる。
Tボーン・ウォーカーが示したその演奏は、のちのブルース・ギタリストだけでなく、ロックにおけるリード・ギターのあり方にも大きな影響を与えていった。
同じ電気技術から、音圧だけではなく、ギターそのものの新しい表現方法も生まれていたのである。
即興と和声の再編
⸻ ビバップが変えたジャズ
同じ時代、ジャズでは別の変化が進んでいた。
チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらが切り開いたビバップ では、速いテンポ、複雑な和声、細かく変化する旋律、即興演奏そのものが音楽の中心へ置かれた。
スウィング時代のジャズがダンス音楽として巨大な人気を得ていたのに対して、ビバップでは演奏を聴くことの比重が大きくなる。ジャズはここで踊るための音楽という役割だけに収まらず、演奏家の即興と音楽的探究を前面に押し出していった。
この変化によってジャズと大衆的なダンス音楽との距離は次第に広がっていく。一方で、即興、和声、リズムをさらに発展させていくモダン・ジャズへの道が開かれた。
変化の足元で鳴り続けた反復
⸻ ブギウギが生む快楽
こうした変化と並行して、反復のリズムも鳴り続けていた。
ブギウギ では、左手が規則的な低音を刻み続け、その上で右手がリズムと旋律を動かしていく。反復そのものが、身体を動かす力になる。
こうした反復を軸に身体を動かす感覚は、ジャンプブルースや初期のR&B、やがてロックンロールへも受け継がれていく。
もう一つの都市化
⸻ ホンキー・トンクと白人労働者の音楽
黒人音楽とは別の流れでも、都市化と電気技術は音楽を変えていた。
南部や南西部の都市や工業地帯には農村から多くの労働者が移り、その生活の場となった酒場やダンスホールでは、カントリーも新しい環境の中で演奏されるようになる。
ホンキー・トンク では、電気ギターやスティール・ギターなどを用いた明瞭なサウンドとともに、酒、失恋、孤独、家庭の崩壊といった労働者の日常に近い主題が歌われた。
カントリーは農村の過去だけを歌う音楽ではなく、都市や工業地帯へ移った人々の現在を語る音楽にもなっていった。
この流れもまた、1950年代にロックンロールが成立していく背景の一つとなる。
同時多発としての1940年代
⸻ 再編される大衆音楽
重要なのは、これらが順番に起きた出来事ではないことだ。
1940年代のアメリカでは、地域も聴衆も異なるさまざまな音楽が、同じ時代の変化のなかで、それぞれ異なる方向へ動いていた。
ビッグバンドのサウンドは、小編成のジャンプブルースへと凝縮された。その一方では、楽団の前で歌っていた歌手が独立したスターとなり、数人の声を中心とするヴォーカル・グループも新しい存在感を示し始める。
ブルースでは電気による増幅がサウンドを変え、エレクトリック・ギターそのものが新しい表現手段になっていった。ジャズでは即興や和声がさらに発展し、ブギウギの反復は人々の身体を動かし続けた。カントリーもまた、都市や工業地帯へ移った人々の生活のなかで、新しい姿を見せていた。
これらを一つの原因から生まれた変化としてまとめることはできない。戦争と人口移動、都市化、ラジオやレコードの普及、録音をめぐる制約、マイクや電気楽器の発達。それぞれが異なる場所で、異なる音楽に影響を与えていた。
そして変わったのは、音そのものだけではない。
大編成から小編成へ。楽団の前から独立する歌手へ。伴奏から前面へ出るギターへ。数人の声を一つのサウンドとして成立させるヴォーカル・グループへ。音楽を作る編成も、中心に立つ存在も、聴衆へ音を届ける方法も組み替えられていった。
1940年代の大衆音楽を特徴づけるのは、一つの新しい音楽が時代を塗り替えたことではない。
それまでに育ってきた音楽が、都市、メディア、技術、そして人々の移動によって、それぞれ異なる形へと再編されていったことにある。
