【差取りセレクション】満たされない理由は、「外の正解」を追いかけていたから。
こんにちは。ピアノ講師・メンタルコーチの One Heart です。
まずはじめに。少しだけお知らせさせてください。
差取りマガジンご購読のみなさんへ。
来月以降、ときどき過去記事をあらためて取り上げるアーカイブ回も入れていけたらと思っています。
(今回のような、セレクション記事とは異なり、途中から有料となり、差取りマガジンにおさめる記事となります)
先日、取り上げてほしい記事があれば「高評価」でそっと知らせていただけたらうれしいです、と書いたところ、何人かの方が反応してくださいました。
ありがとうございます。とてもうれしかったです🥺
そうした反応を参考にしながら、来月以降、少しずつアーカイブ記事も書いていけたらと思っています。
また、これから読んでみて「この記事も取り上げてほしいな」と思うものがありましたら、引き続き高評価でそっと知らせていただけたらうれしいです。
もちろん、コメントでもうれしいです。
今後の参考にさせていただきますね。
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さて今回は、差取りマガジンの過去記事をあらためてひらく【差取りセレクション】として、【分離の苦しみ#65】「満たされない理由は、『外の正解』を追いかけていたから。」を取り上げてみようと思います。
今回は、全文無料記事でお届けします。
いま、差取りマガジンでは「手放すこと」というテーマを書いています。
けっこうこれって、言葉で思ってる以上に大事なテーマかな、と思います。
その流れの中で過去の記事を読み返していたときに、
「ああ、このころからもう同じことを見ていたんだな」と思ったのがこの記事だったんです。
「これさえあれば、きっと満たされる」
「ここまで来たら、やっと安心できる」
そんなふうに、何かを目指したり、手に入れたり、がんばったりすることってありますよね。
わたしも、もちろんありました。
…というより、たぶん多くの人が、そういう感覚を一度は通っているんじゃないかなと思うんです。
何かを目指すこと自体は、悪いことじゃない。
差取りって、目標がなくなるということじゃない。
よりよくなりたいと思うことも、自然なこと。
うれしいことを感じたいし、安心したいし、報われたい。
それってすごく人間らしいことだと思います。
でも、あらためてこの記事を読み返してみて、
やっぱりそうなんだな・・・と思ったんです。
外にあるものを求めることが苦しさなんじゃなくて、
そこに“安心そのもの”を預けてしまうと、しんどくなっていく、ということに。
そしてその感覚って、
いま書いている「手放すこと」にも、つながっていると感じたので、今回はこれを取り上げてみたいと思いました。
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あのころのわたしは、「外にある答え」を追いかけていた
その記事で書いていたのは、
「外にある何か」で満たされようとする心の話でした。
昇進、収入、住む場所とか。
誰かからの反応、評価、安心材料みたいなものとか。
お金のこと、恋愛のこと、結婚のことも、きっと同じなんですよね。
“これが手に入れば、きっと大丈夫”
そう思えるものって、人生の中にいろいろありますよね。
しかも、手に入った瞬間はうれしいんです。
満たされたような気もするし、少しほっとしたりもする。
これでよかった、とも思える。
でも、その“うれしい”って、思ったより長く続かないことがありませんか?
気づくと、また次を探している。
次の目標。次の評価。次の安心。
その繰り返しの中で、
「あれ? わたし、いつになったら落ち着くんだろう」
って、ふと思うことがあるんですよね。
あの記事を書いたころのわたしも、
たぶんその感覚を、うすうす感じていたんだと思います。
外に求めることが悪いわけじゃない。
楽しみがあることも、うれしいことがあることも、大事。
でも、外のものだけで心のいちばん深いところまで満たそうとすると、
やっぱりどこかで苦しくなる、そんな感覚があるんです。
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この記事を読み返していて、やっぱりここは大きいな、と思ったのが、
“快楽”と“平安”は、似ているようで全然ちがうということでした。
何かを手に入れたときの高揚感。
認められたときのうれしさ。
うまくいったときの達成感。
こういうものって、たしかに気分を上げてくれます。
元気にもなるし、前に進む力にもなる。
でも、その感覚って、波があるんですよね。
強くうれしいぶん、過ぎるのも早い。
そしてまた、次がほしくなる。
一方で、平安ってたぶん、そういうドキドキとは少し違う場所にあるものなんだと思います。
何かを達成したからではなくて、
何かを手に入れたからでもなくて、
ただ「今のままのわたしで、ちょっとほっとしてる」みたいな感覚。
すごく地味かもしれないし、
派手さもないし、
人から見たら何も起きていないように見えるかもしれない。
でも、本当にほしかったのって、
もしかしたらこういう静かな安心のほうだったのかもしれないな、と思うんです。
わたしたちはつい、
強く心が動くもののほうを“幸せ”だと思いやすいけれど、
ほんとうに求めているのは、もっと静かなものなのかもしれません。
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いまのわたしが思う「手放すこと」
手放すって、夢を捨てることでもないし、
向上心をなくすことでもないし、
何も求めなくなることでもない、
ということが最近書いていてはっきりとわかってきました。
そしてそれは、外の正解に預けすぎていた心を、少しずつ自分のところに戻していくことなんじゃないかなと思うんです。
「これがないとダメ」
「ここまで行けないと安心できない」
「誰かに認められないと意味がない」
そんなふうに、知らないうちに外側へ渡していた力を、
そっと自分に戻していく。
それが、わたしにとっての“手放すこと”に近い気がしています。
だから、手放すって、
ただやめることじゃないんですよね。
何かそのものを捨てるというより、
そこにくっついていた不安とか、執着とか、
「こうでなきゃ」という思い込みをゆるめていくこと。
そう思うと、この記事で書いていた
「外に求めつづけることで満たされなくなる感じ」って、
まさに今の“手放すこと”につながるきっかけだったんだなと思います。
あのころのわたしは、まだ「手放す」という言葉で整理していなかったかもしれないけれど、もうすでに、その入口には立っていたのかもしれません。
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【分離の苦しみ#65】では、こんなことを書いています
【分離の苦しみ#65】では・・・
外にあるものを手に入れても、どうして“満たされた感じ”が長続きしないのか
トールさんのいう「心の平安」を、脳のしくみの視点も交えながらどう受け取れるか
「快楽」と「平安」のちがいを、わたし自身の感覚としてどう見ているか
外に向かう心をやさしく内側へ戻していくための自己対話のワーク
そんなことを、やさしく、そして深く…綴っています。
今回あらためて読み返してみて思ったのは、
人って、何かを追いかけることで進んでいく時期もあるけれど、
どこかで「もう外ばかり見なくてもいいのかもしれない」と気づく瞬間があるんだな、ということでした。
もし今、がんばっているのに、なぜか満たされない。
何かを手に入れても、また次を探してしまう。
そんな感覚が少しでもあるなら、
この#65の記事も、今のあなたに届くものがあるかもしれません。
【分離の苦しみ#65】はこちらから読めます👇
そして、こうした“差取り”の視点をまとめて読めるのが、有料マガジン『ご自愛の哲学 〜“差取り”のすすめ〜』です。
差取りマガジンは、どこから読んでもいいし、興味のあるテーマだけ拾っていただいても大丈夫です。
ただ、このシリーズは、ひとつの記事だけで終わるというより、いくつかの視点を行き来しながら読むことで、理解や感覚が少しずつ深まっていくものだと感じています。
そんな理由から、単体販売ではなく、マガジンという形でまとめてお届けしています。
責めない。比べない。争わない。
そんな視点を通して、自分の内側を少しずつ整えていきたい方へ向けて、
これまでの記事をまとめています。
差取りマガジンはこちら👇
何かを求めることが悪いわけじゃない。
でも、その先にしか安心がないと思ってしまうと、
心はずっと落ち着けません。
もし今、外にある正解を追いかけて少し疲れている方がいたら、
このセレクション記事や、元の記事【分離の苦しみ#65】が、
ひとつのやさしい立ち止まり場所になればうれしいです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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