黒船の軍楽隊 番外編 ドラムスティック
函館図書館が所蔵する「異国人之絵」には1804年9月29日(文化元年9月7日)に長崎を訪れたロシア使節ニコライ・レザノフを含む6人・鑓・5つの旗が描かれています。描かれた人物の1人は鼓手です。
異国人之絵

魯西亜帝国(Россійская Имперія1721-1917年)は、1792年にアダム・ラクスマン(Адам Кириллович Лаксман1766-1806以降に死去)を使節として派遣しましたが松前藩との交渉で、長崎への入港許可証(信牌)を交付されましたが長崎へは向かわずに帰国しました。その「信牌(1)」を手にニコライ・レザノフ(Никола́й Петро́вич Реза́нов1764-1807)は、1804年(文化元年)9月に長崎の出島に来航しました。
黒船の軍楽隊 その13 より
描かれた鼓手部分図を見てこれまで見逃してきた気づきがありました。


この持ち方は・・・
打面の傾きから言えば、このスティックの持ち方は左右逆手で、且つ若干異なる持ち方ではありますがこれは、トラディショナル・グリップが描かれているのに違いありません。

ドラム・スティックの握り方にはTraditional Grip(トラディショナル・グリップ)とMatch Grip(マッチ・グリップ)があります。トラディショナル・グリップは軍楽隊が行進するときの打楽器の傾きに対応するために考え出された持ち方で、弱い方の手 (右利きプレーヤーの場合は左手) の中指と薬指の間に置いたスティックを親指で挟みます。このことにより左手も右手も、傾いた楽器の打面中央を容易に叩くことができるようになります。
マッチ・グリップは、左右どちらの手も親指と人差し指でスティックを持ち、中指、薬指、小指を添えます。なお、マッチ・グリップにはジャーマン・グリップ、フレンチ・グリップ、アメリカン・グリップがあります。
ちなみに、トラディショナル・グリップ(Traditional grip)をレギュラーグリップ(regular grip)と記されているのを目にしますが、これは英語圏では通じません。
オランダ王国軍解説
「和蘭官軍之服色及軍装略図」の原図「オランダ王国軍解説」のドラム・スティックの握り方は、トラディショナル・グリップであることがわかります。

1856年(安政5)発行の「和蘭官軍之服色及軍装略図」では、ドラム・スティックの握り方は全く描かれていません。

尾形探香
福岡藩御用絵師 尾形探香が1853年(嘉永6年)に長崎に来航したロシア使節団を描いたスケッチ(ロシア使節団図)には、スティックの握り方を判別できる図が描かれています。

左手スティックの持ち方が少し異なるようですが、トラディショナル・グリップのようです。
尾形探香のスケッチには他にも打楽器奏者が描かれる図が複数ありますが、その姿はどれも極小さく、スティックの持ち方は判別できません。

新板画阿蘭陀人舩中之圖
川原 盧谷の「新板画阿蘭陀人舩中之圖」は、1844年(天保15年)に来航したオランダ軍艦パレンバン号の甲板の様子を描いたと思われます。2枚の図版の1枚にトラディショナル・グリップの打楽器奏者が描かれています。
ただし、ここには箸のように極細なスティックが描かれていて、これでは強度が十分ではないと思われます。

それっぽく見えなくもない図
1854年3月の日米和親条約締結後に箱館に来航したペリー艦隊の葬儀の様子を描いた図表に描かれた太鼓はトラディショナル・グリップと見えなくもありません。

昭和6年発行の樋畑翁輔 遺稿「米国使節彼理提督来朝図絵」の「上陸兵の操練と樂器の寫生」図の打楽器奏者は、トラディショナル・グリップと見えなくもありません。

なお、ほぼ同じ図柄の大英博物館所蔵のペリー絵巻「應接場調練乃図」の右図ではスティックの持ち方は判別できません。

オランダ海洋博物館 所蔵の1840年制作・作者不明の「紅毛人巡見之圖」に描かれたスティックは、トラディショナル・グリップと見えなくもありません。

黒船の軍楽隊その12 参照
ペリー艦隊ミシシッピー号の24歳の水兵が3 月6日に死去し、横浜に埋葬されることになり、その墓所に向かう様子を描いた「異人葬式ノ図」の太鼓奏者

黒船の軍楽隊 その8 参照
1853年8月(嘉永6年7月)に長崎に来航したプチャーチンの軍楽隊の打楽器奏者 (図14)(図15)


黒船の軍楽隊 その14 参照
伝達ゲームの結果でしょうか、想像力豊かで自由です
江戸末期の幕臣宮崎成身の視聴草が1804年(文化元年)9月に長崎港に来航したニコライ・レザノフ来航について記録した太鼓奏者図版は、打面の傾きそしてスティックの持ち方が混乱しているように見えます。どの図版を視聴して描いたのかが不明です。

黒船の軍楽隊 その13 参照
「レザノフ来航絵巻」に描かれた打楽器奏者のスティックの持ち方は独特です。

函館市博物館所蔵の|夷人調練等之図《いじん ちょうれんとう のず》に描かれた太鼓奏者が使用する楽器は小太鼓を誤認してマーチング・バスドラムのように描かれたと推察します。

黒船の軍楽隊 その19 参照
早稲田大学所蔵「魯西亜人上陸行列音楽之図」 1858年7月(安政6年)にロシア使節ムラヴィヨフの横浜来航の図

1844年(天保15年)にオランダ国王ウィリアム 2 世からの書簡を日本当局に届けたコープスを描いたオランダ国立民族館所蔵版画の鼓手のスティックはマルチマレットを突き刺しているように描かれています。


神戸市立博物館所蔵の「バッテイラニテ異国流音楽之図」の打楽器奏者もマルチマレットを使用しています。これらのスティックの描き方は描かれた打楽器奏者のスティクの両端が膨れていた可能性もあるのかもしれませんがはっきりしません。


アンS.K.ブラウン軍事コレクションの絵巻に描かれた打楽器奏者



黒船の軍楽隊 その9 参照
18 世紀そして19 世紀のドラムスティック
尾形探香の小太鼓演奏スケッチ(図6) に描かれているスティックから推察できるのは、1853年の打楽器奏者が使用しているスティクは現在使用品と大きく異なることはないだろうということです。
Historic Drummingには、ドラムの歴史に関する興味深い記事が公開されています。その中のAuthentic Drum Sticksをご覧いただくと、18 世紀そして19 世紀のドラムスティックについての知識を得ることができます。
肥後相良藩の洋式鼓笛隊
1868年(慶応4年)4月に撮影されたと思われる相良藩(2)鼓笛隊の写真を見ると、小太鼓は和式太鼓に見えますが大太鼓は洋式です。なお、小太鼓奏者はトラディショナル・グリップです。

脚注
(1)信牌は江戸幕府が発行した貿易許可証明書のこと。長崎通商照票とも言い、譲渡有効で原則として一度使用すれば効力を失った。
(2)相良藩(さがらはん 1710-1868)は、遠江国榛原郡相良(現在の静岡県牧之原市相良)周辺に存在した藩
(図1) 異国人之絵「寛政五年五月松前にて与へたる信牌を持参し 文化元年九月長崎に入港したる魯西亜使節 にこらいれさのつと一行之図也」と巻末に記されています。
(図2) 描かれている文字は、「一 武卒八人内 鑓壱人 鉄砲五人 旗壱人 太鼓|壱人」
(図3)トラディショナル・グリップとマッチ・グリップを加工
(図4)Tamboer, Pijper en Hoornblazer, der Nationale Infanterie「オランダ王国軍解説」より
(図5)和蘭官軍之服色及軍装略図」より
(図6)尾形探香の詳細なスケッチはその観察力が優れています。
(図7)極小打楽器奏者です。
(図8)「新板画阿蘭陀人舩中之圖」より
(図9)箱館に来航したペリー艦隊を記録した「亜墨利加一条写」より
(図10)「米国使節彼理提督来朝図絵」より
(図11)大英博物館所蔵 「ペリー絵巻應接場調練乃図」より
(図12)神戸市立博物館所蔵「紅毛人巡見之図」より
(図13)黒船の軍楽隊 その8 参照
(図14)魯西亜使節応接図軍楽隊部分 黒船の軍楽隊 その14 参照
(図15)魯西亜人初テ来朝登城之図 黒船の軍楽隊 その14 参照
(図16)視聴草 黒船の軍楽隊 その13 参照
(図18)「ロシア使節レザノフ来航絵巻」 黒船の軍楽隊 その13 参照
(図19)「夷人調練等之図」より 黒船の軍楽隊 その19 参照
(図20) 早稲田大学所蔵「魯西亜人上陸行列音楽之図」日露修好通商条約
締結
(図21) オランダ国立民族館所蔵版画
(図22) Anne S.K. Brown Military Collection
(図23) 小太鼓と笛は和式のものと推測します。
他の黒船の軍楽隊シリーズ
黒船の軍楽隊 その00ゼロ 【改訂版】
日本の吹奏楽はどこから始まったのか?
黒船の軍楽隊 その1 黒船とペリー来航
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黒船の軍楽隊 その3 半年前倒しで来航
黒船の軍楽隊 その4 歓迎夕食会の開催
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黒船の軍楽隊 その6 下田上陸
黒船の軍楽隊 その7 下田そして那覇での音楽会開催
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黒船の軍楽隊 その12 ペリー以外の記録 – 2 (阿蘭陀の2)
黒船の軍楽隊 その13 ペリー以外の記録 – 3 (魯西亜)
黒船の軍楽隊 その14 ペリー以外の記録 – 4 (魯西亜の2)
黒船の軍楽隊 その15 ペリー以外の記録 – 5 (魯西亜の3)
黒船の軍楽隊 その16 ペリー以外の記録 – 6 (魯西亜の4)
黒船の軍楽隊 番外編 1 ロシアンホルンオーケストラ
黒船の軍楽隊 番外編 2 ヘ ン デ ル の 葬 送 行 進 曲
黒船の軍楽隊 その17 ペリー以外の記録 -7 (英吉利)
黒船の軍楽隊 その18 ペリー以外の記録 -8 (仏蘭西)
黒船の軍楽隊 番外編 3 ドラムスティック
黒船の軍楽隊 その19 黒船絵巻 - 4 夷人調練等之図
ファーイーストの記事
「ザ・ファー・イーストはジョン・レディー・ブラックが明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞です。
この新聞にはイギリス軍人フェントンが薩摩藩軍楽伝習生に吹奏楽を訓練することに関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。日本吹奏楽事始めとされる内容で、必ずや満足いただける読み物になっていると確信いたしております。
是非、お読みください。
・「ザ・ファー・イースト」を読む その1 鐘楼そして薩摩バンド
・「ザ・ファー・イースト」を読む その1-2 鐘楼 (しょうろう)
・「ザ・ファー・イースト」を読む その2 薩摩バンドの初演奏
・「ザ・ファー・イースト」を読む その3 山手公園の野外ステージ
・「ザ・ファー・イースト」を読む その4 ファイフとその価格
・「ザ・ファー・イースト」を読む その5 和暦と西暦、演奏曲
・「ザ・ファー・イースト」を読む その6 バンドスタンド
・「ザ・ファー・イースト」を読む その7 バンドスタンド2 、横浜地図
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writer HIRAIDE HISASHI
