連載小説「オボステルラ」 【第三章】16話「彼方に誓う」(6)
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16話 「彼方に誓う」(6)
さて、宿屋。
ナイフは宿の自室のソファに座り、ゆったりお茶を飲んでくつろいでいた。宿屋の1階にある食堂謹製のケーキがお供だ。行き当たりばったりで選んだ宿屋だったが、食堂のスイーツがなかなかのおいしさで、ナイフのお気に入りになっている。この無骨な街にあって、図らずも大当たりの宿屋だった。
「…ちょっと作り方を聞きたいわね……。このフランケーキ、本当に見事だわ。うちのお店でも出せないかしら…」
そんなことを呟きながら、ケーキをパクリと食べ、またお茶を口にする。モフ草の発酵茶。これも美味しい。
と、そこに、
「ナイフちゃん!」
と、リカルドが叫びながら、ノックもせずに飛び込んできた。ナイフは、驚きの余りお茶をこぼしてしまう。
「…ちょ…。どうしたの? リカルド、突然。皆も……」
「ナイフちゃん! どうして荷物をまとめているのさ!」
リカルドがものすごい勢いでナイフに迫る。ナイフはすでに荷物をバッグにまとめて、ストネへの帰り支度を済ませていたのだ。
「どうして、って…。だって、ディルが護衛に付くのだから、私はお役御免でしょ? やっぱりお店も気になるし、私はディルと交代でストネに帰るわよ」
「お役御免って…。でも…」
「もと王国騎士で、しかも王太子の護衛を務めていた程の人物が守ってくれるのよ。私がいては、逆に護衛の邪魔になりかねないわ」
「いや、でも…」
「もともと私は、巨大鳥にも卵にも興味はないのだから、ね」
「でも、そうだけど、でも……」
リカルドは目で訴え、「でも」を繰り返す。そしてその横で、ゴナンも寂しそうな琥珀の瞳で見上げてくる。
「ナイフちゃん。…帰っちゃうの…? でも、お店もあるから、仕方ないかな…」
「……」
リカルドはともかく、ゴナンにそんな顔をされてしまうと、ナイフは少し困ってしまう。しかし、エメラルド色の瞳をゴナンの目に合わせて、言い聞かせるように語りかけた。
「ゴナン。ディルが剣の鍛錬も教えてくれるのでしょう? 私はもともと武器が扱えないし、彼はとーっても強いのだから、あなたも強くなれるわよ」
「鍛錬は…、そうだけど…」
「ナイフちゃん。護衛や鍛錬の件はそうでも、僕のもう一つのお願い事は…」
リカルドもさらに食らいつく。「自分が動けなくなったとき、ゴナンを任せたい」との依頼の件のことだろう。ナイフはふう、と息をつく。
「……それだって、このメンツがいれば大丈夫でしょ? 別に私でなくても…」
「……」
リカルドは不満げにナイフをじっと見るが、ナイフはその視線に気付かないふりをする。と、今度はミリアがボフっと、ナイフの胴に抱きついてきた。
「こら、ミリア。淑女が異性に対してこんな振る舞いは、はしたないわよ」
「ナイフちゃんは素敵な女性だから問題ないわ。それより、帰っちゃうなんて、ひどいわ」
「ひどいって…。私にだって都合というものがあるのよ…」

ミリアはギュッとナイフに抱きついて離さない。ナイフは困り果ててしまい、エレーネを見遣って肩をすくめた。エレーネも苦笑いする。
と、そこにもう1人、訪問者が現れた。
「…ん? 随分、大人数だな。皆、集まっているのか? ミリア様、何を……!」
ディルムッドである。ちょうど牢を引き上げてやって来たようだ。ナイフのアドバイス通り、顎の髭を少し伸ばしている。
「ディル! あなたからも何とか言って。ナイフちゃんが、あなたが護衛に付くなら自分はお役御免だから、もといた街に帰るというのよ」
「……」
少し驚いた様子でナイフを見るディルムッド。そして腕を組み、一同を眺めて、少しだけ考え事をした。そしてエレーネに話しかける。
「……私はまだ、そんなに長い時間、貴殿等を見ているわけではないが、ナイフがいないと護衛面で薄くなってしまうことも気がかりだが、その、それ以上に、何というか、いろいろなことが、うまく行かないような気がするのだが…」
「そうね…」
エレーネはふふっ、と笑う。
「今回も、なんだかいろいろと荒れてしまったリカルドをうまく扱えるのもナイフくらいだったし…。正直、ナイフがいないとどうなるのか呆然としてしまうわね」
「……」
リカルドは少し複雑な表情になる。ナイフもそう言われて眉をひそめた。
「……でも、それは、あなた達が努力すべきところではないのかしら…」
「ナイフちゃん…」
ゴナンが、またじっとナイフを見つめる。相変わらず無表情ではあるが、必死な訴えが琥珀の瞳から溢れ出ている。ナイフはその視線にたじろぎ、そしてはあ、と息をついた。
「……わかったわよ…。仕方が無いわね…」
「ナイフちゃん!」
ミリアがまたギュッとナイフの胴に抱きつく。ゴナンもホッとして、笑顔を見せた。彼の心からの笑顔を見てしまうと、ナイフはもう引き下がれない気持ちになってしまう。
「よかった、嬉しいよ、ナイフちゃん」
「…本当に、嫌な笑顔ね」
一方で、リカルドのいつもの微笑みは小憎たらしい。ジロリと睨むナイフ。そしてミリアを剥がすと、腕を組んで宣言した。
「その代わり! 今日は飲みに行っていいかしら。私、ストネから今日まで、なんだかんだあって、本当に、とてもとても疲れているの!」
そう言うナイフに、誰も反論できない。あれこれと心労をかけている自覚が、ここにいるほとんどの者にあるからだ。
「1日だけ、じっくり息抜きさせてちょうだい。朝帰りするから、帰って来ないからといって心配したり探しに来ないでね! ああ、もう、今から行ってくるから」
「え、まだ午前だよ」
「大丈夫、知り合いのお店をこじ開けるから。今日だけはあなた達のお守りから解放させて、お酒に溺れさせてちょうだい。ディル、あなたはこの部屋を使って。相部屋で申し訳ないけど。後はよろしく。じゃあね!」
そう言ってふん、と息を吐き、リカルドを大仰に押しのけて部屋を出て行ったナイフ。ともかく、彼女を引き留めることができたようで、一同はほっと安堵の息をついた。
「でも、朝帰りって…。一晩中、お酒を飲むのかしら?」
ミリアが首を傾げた。リカルドは、ポールと遭遇した後に彼女にお酒を飲まされた日のことを思い出す。あのバーの、妙に色気のある初老のマスター、彼は確か…。
「……ああ…。確か、ナイフちゃんの元カレがやってるお店がある。彼のところでお世話になるんじゃないかな?」
「……!」
一同はリカルドのその言葉にハッとした。そして何となく気まずくなり、「まあ、そういうことなら、いいか…」と、この話題を終わらせることにした。その中で一人、エレーネはふふ、と笑う。
「…ミリア。ナイフの様子を覗きに行こうなんて思っているのなら、流石に控えた方がいいわよ。はしたないわ」
「……」
ワクワク顔から、少し残念そうな表情になるミリア。とにかく、ゴシップが好物のお姫様のようだ。
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