連載小説「オボステルラ」 【第五章 巨きなものの声】 1話「“大丈夫”」(5)
1話「“大丈夫”」(5)
ミリア・エレーネの個室。
リカルドが死の淵にいると思っているミリアとエレーネ、ディルムッドが、無言のまま待機している。涙をこぼし続けるミリアに、エレーネが声をかける。
「…ミリア…、泣かないで。まだリカルドは頑張っているわ」
「エレーネ…。ごめんなさい…。でも、あんなにひどい傷なのに、先生方はお医者様も呼ばないのよ。わたくしのときは、すぐにお医者様と看護師さんを呼んでくださったのに。それって、つまり、もう、手の施しようが…」
「……」
エレーネもディルムッドも、何の慰めの言葉も掛けられない。そうして無言でいると、コンコン、とドアをノックしてナイフが入ってきた。いよいよ、リカルドの最期が告げられるのだと覚悟する3人。
「……ナイフ…」
ディルムッドが、搾り出すように声をかける。戦場ではもう何度も目の当たりにしてきた場面だが、このような平和な地で、少なからず深く交流した仲間の死を聞くのは、やはりつらい。
ナイフはふう、と息をつく。リカルドの血で汚れていた服は着替えてきているようだ。
「ディル。私は今から自警団の屯所に行ってくるわね。さっきの場所に放置してきた男達を回収してもらわなきゃ。もう、野垂れ死ぬまで放っておきたい気持ちだけど、流石にそうはいかないから」
「……ん? ああ、そうだな…」
「この街には大した牢もなさそうだから、ツマルタの軍に伝書鳩を飛ばして来てもらおうと思うんだけど、それでいいかしら」
「…あ、ああ。それがいいだろう。ゲオルクも去ってしまっているし」
「それにしても、お腹空いたわね。申し訳ないけど、エレーネ、ご飯の準備をお願いして良いかしら。晩御飯を食べましょ」
「…ええ。それは構わないけど…」
「あ、でも、今からご飯を作るのはきついわね。自警団に行くついでにマーケットでお総菜でも買ってきましょうか。それか、宿へ寄ってご主人になにか持ち帰りのご飯を作ってもらうか…。この前食べたクックー肉のステーキ、あれは絶品だったわね。メニューに入れてもらいましょう。付け合わせに、ホクリの実のソテーも…。味付けは塩とスパイスでいい? ああ、でも、特製ソースも捨てがたい…」
「……ナイフ!」
どうにも呑気に夕食の心配ばかりをするナイフに、たまらずディルムッドが声をかける。

「…え? 何?」
「…ナイフ…。その、例えあなたでも辛い事実を言いづらいのは理解するが…。しかし…、いずれは分かることだ。私たちは覚悟はできている。リカルドは…」
「えっ?」
深刻な表情でナイフに訴えてくるディルムッド。ミリアの涙と、目を伏せるエレーネの様子を見てナイフはハッとする。ナイフはリカルドが「大丈夫」だと分かっているが、そういえば、この3人はそうではなかった。ミリアもディルムッドも、リカルドの血で汚れた服のままだ。慌てて3人に報告する。
「…あっ。リカルドは大丈夫、一命は取り留めたわ。当分は絶対安静だと思うけど」
「えっ…!」
驚きの声を上げる3人。ディルムッドはナイフに詰めよる。
「…しかし、あの剣の位置。確実に心臓が貫かれていた。それで、今の段階ですでに一命を取り留めたと判断できるとは…。正直、あり得ないように思うが…」
「そ、そうね…。あの、リカルドは、心臓が逆に、右側に、ついている…、ようなことを言ってた気がする、の…。だから、傷は急所を外れていたのよ。それでもひどいケガだけど」
取り繕うナイフ。もちろん嘘である。後でリカルドと口裏合わせをしておかないと、と思いつつ、ミリアの頬に手をやり、涙を拭いた。
「ね、しぶといのよ、あの人は。ただ、特殊な体質で薬の効きにくさなんかがあるから、お医者さんを呼ばずにマリアーナ先生が看てくれているの。彼のことをよく知っているから。多少は医術の心得があるんですって。縫ったり、切ったり、貼ったり、とか?」
これも嘘である。マリアーナとも口裏を合わせないと、と脳内であれこれ策謀を巡らせるナイフ。
「本当に? 大丈夫なのね? 本当に?」
「ええ、大丈夫よ。死なないわ、リカルドは」
「……よかった…。また、わたくしの『不運の星』が、人の命を奪ってしまったのかと…」
ミリアはそこまで口にして、フッと意識を失う。慌ててナイフが体を支えた。安堵のあまり、気が緩んだ様子だ。
「…ナイフ…、本当なんだな…?」
「何? 疑い深いわね…。今はまだ立て込んでいるけど、後で様子を見に行くといいわよ。苦しそうにはしているけど、ちゃんと息はしてるし心臓も動いてるから」
「…そうか…」
ディルムッドもふう、と安堵の息を漏らす。
「…リカルドの命があったことはもちろんだが、ミリア様をまた、お辛い目に遭わせずに済んで、よかった…」
「……そうね…。でも、例えリカルドが死んだとしても、絶対にミリアのせいではないのだけどね……」
ナイフも、腕の中で気を失うミリアを見る。いつも小さな体をピンと伸ばして、凛とした佇まいを崩さないこの少女、胸の内には多くのことを抱えているのだ。
「…エレーネ…。ミリアの着替えをさせてくれる? お洋服がリカルドの血で汚れちゃってるから、血抜きをしてあげないと」
「…ええ、わかったわ…」
「…自警団への連絡は私も行こう…。場合によっては、現場まで案内してくる」
ナイフの表情からリカルドの無事を確信して、ディルムッドはそう提案した。
↓次の話↓
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