第12回「週刊ことさきく」:英文法は「こころ」で理解せよ!
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0:40 高橋
本日のテーマは「英文法は「こころ」で理解せよ」です。
成瀬先生の「こころの英文法」のルーツに当たる部分のお話です。ではよろしくお願いします。
1:00 成瀬
「こころの英文法」は普通の英文法とは違う観点から私がつくった英文法です。なぜそういう文法をつくったのかについてお話します。
ところで高橋さん、「文法」とはどのようなものだと思いますか。
1:50 高橋
「文法」は、言葉を意味のあるものにするための枠組みというようなものではないですか。そのためのルールというか。そういうイメージです。
2:05 成瀬
私は、それがひっかかっていたんです。たしかに一般的な考え方では、文法というのは言葉を分析するものというイメージですね。
英文法ができたのは、近代に入ってからです。近代とは何か言うと、科学主義がやってきたということです。文法についても、言葉を科学的な、客観的な観点から、理性的な観点から分析しようという動きから生まれました。言い換えると、人間から離れたところ(しかしそれは神ではない)観点から言葉をみようということです。
これは多くの人が気づいていないけれども非常に大事なことで、法律にしてもそういう観点からできているわけです。こうした近代の観点からつくられたもののひとつが文法なんです。言葉を客観的にみて分析していこうというわけです。英語でそういう機運が高まったのは400年ぐらい前からです。そのお手本になったのはラテン語文法です。
最終的にできたのはOnionsがつくった英文法、いまの日本の学校英文法のもとになっているものです。今から200年ぐらい前にできました。その原点はそれより以前に始まった近代という時代の時代哲学と思想、つまり客観主義、科学主義です。
7:30
では、なぜこうした考え方に私がひっかかったのか。主観的というのを悪者にしている、と思ったんです。
科学主義では客観的に正しいものを基準にするわけですが、それは物理学や化学などではいいでしょうが、しかし言葉を発する、言葉を読むというのは、もっと主観的なものではないのか、と思ったんです。科学的な観点からだけみてそれですむのか、と思ったんです。いろいろ勉強して結論として、それではだめだと思ったんです。
では、ほかに何かないかと思って、他の分野も含めて勉強してみると、いくつも参考となるものが見つかりました。
ひとつはフッサールの「現象学」でした。ここでは「客観」というのは、誰もが客観だと「主観的に」考えているものであるので、これは「客観的客観」ではなく「主観的客観」であるという立場をとっていました。
たとえば「空に太陽がある」というのはおそらく誰もが認める「客観」ですが、では「正義や知性や愛というものが存在する」となると、これは全員が全員認めるかどうかはわからない。
つまり「主観的客観」はあっても「絶対的客観」というのは、神を規定しないかぎり、それはないのではないか、ということです。
そのほかにも、フロイトやソシュールなど西洋の本をいろいろ読んでいると、同じような考え方が見え隠れして、そうか、西洋も一枚岩ではないんだと感じました。
ひるがえって日本のほうをみると、西洋からの輸入学問には失望しましたが、丸山圭三郎、時枝誠記、山田孝雄などは主観から考察をスタートするという点で、とても納得しました。そして決定的だったのが、木村敏の「間主観性」と廣松渉の「共同主観」との出会いです。
18:00
言語の根っこにあるものは「共同主観」である。
やっと見つけた、という感じでした。それが文法ではないか、「共同主観」こそが文法ではないか。こんなふうに世界を見る、こんなふうに時間をとらえる、こんなふうに思考をまとめる、それらをある文化のなかの人々が共同主観的に納得しているのが「文法」ではないか、「音韻論」ではないか、ということです。しかし、それはその共同文化のなかの話であって、絶対的客観ではない。ゆえにその外に出てしまうと通用しなくなる。
そしてこれからの私の仕事は、日本語文化や英語文化のなかで共同主観として育てられてきた何かとはどういうものなのか、それらのどこが同じで、どこが違っているのか、どうすればそのギャップを埋めて相互往来できるようになるのか、そうしたことを研究して明らかにし、それを私たちの子供たちに伝えていくことではないか、と思ったわけです。
これが35歳ぐらいのときでした。そこから35年以上、こんなことをずっと考えてきているわけです。そしてそれを実践に落とし込もうとしたのは「心の翻訳」です。
長い話になりました。ここまで聞いてみて高橋さん、どうですか。難しいですか。
21:00 高橋
(即答、断言)難しいです。
21:00 成瀬
やっぱり、だめかあ。この回、ボツにしようかなあ。
21:40 高橋
でも、最後の「共同主観」というところにきて、かなりわかったような気がしました。
私のなかでは、英文法というのは「客観」的に存在していると思っていました。でもいまの先生のお話を伺うと、そうではないですよね。
22:00 成瀬
はい。
22:00 高橋
とすると、文法が客観的だと思って英語を読むのと、「共同主観」の産物だと思って読むのとでは、読めてくるものが違ってくると思うんです。それは前回の『木を見る西洋人、森を見る東洋人』の話ともつながるものですね。
22:50 成瀬
そのとおりです。
たとえば、名詞、「もの」の捉え方です。これは、英語という共同主観を持つ人たちと、日本語という共同主観を持つ私たちとは、全く違います。しかしそれは、いずれにしても「主観」なんです。
たとえば「パン」は英語の共同主観では数えられないものです。なぜならいくらでもちぎれるから。でもちぎって数が増えるのなら「数えられる」じゃないか、と中学生の私は思いましたが、そんな物理的なことはどうでもよくて、英語人の「共同主観」としては数えられないのです。それでいいのです。meatやwoodやpaperなんかも同じですね。「共同主観」なんです。
34:25
その英語の「共同主観」の一番簡便な方法として私が考案したのが「名詞の三層構造」です。これが英語の「共同主観」のなかでやるべきことであって、それ以上のことはやめよう。そしてグローバル英語にはグローバル英語としての「共同主観」をつくっていこう、というのが私の主張です。
40:00
英語の動詞認識の場合の共同主観を考えると、複雑ではあるけれど、ほとんどが任意なんですね。トッピングです。進行相や完了相は、たんなるトッピングです。
本当に義務的であるほどの強い共同主観を持っているのは、時制の「過去・非過去」の区別だけです。
41:40 高橋
じゃあ、「緩い」んですね。進行相や完了相の使い方は。
41:50 成瀬
はい、とても緩いです。
42:00 高橋
私たちが学校文法で習うほどの縛りや正確さを必ずしも持っているわけではない。
42:00 成瀬
持っていません。
42:20
それは私にとっては、たいへんなことです。いま私のなかで、英文法に対する考え方が、ガラガラと崩れてしまいました。
私は学校文法を頼りに英文を読んでいるほうだったので、たとえば、完了形が使われていれば、それは必ず「完了」か「継続」か「経験」かのどれかに振り分けないといけないと思っていました。
そうではない、ということですね。
43:20 成瀬
いま高橋さんは読むこと、インプットについて話しましたが、私はそれをひっくり返していて、私が最初に考えるのはインプットではなく、アウトプットなんです。つまり、どうやってアウトプットするのかをベースに文法を考えるんです。
自分がどのようにして英語をアウトプットしているのかがきちんと理解できたら、他人のアウトプットについてもきちんと理解できるだろう、と考えています。自分がどのようにアウトプットしているのかもわからないのに、相手のことはわかりませんよね。
英語での「こと」の表現の話をすれば、自分はどういうときに進行相を使っているのか、どういうときに完了相を使おうとするのか、どういうときに受動態を使いたがるのか、でも過去時制だけは自分がどういうふうに使うのかも何もない、強い縛りがある、そういうことを理解することが最初のステップですね。
あくまで自分のものなんです、英語は。
49:00 高橋
でも、英語の共同主観を自分のなかに創り出していくには、やはりたくさんのインプットが必要なのではないですか。
49:20 成瀬
その通りですね。そのためにはインプットが大事ですね。
ただ、大事なのはインプットかアウトプットか、という考え方は間違いです。インプットもアウトプットもどちらも重要に決まっています。相互作用なんです。だから両方をバランスよくトレーニングしていくことが必要です。
ところが、これまでの日本の英語教育ではアウトプットの量が少なすぎます。リーディングとリスニングというインプットばかりに偏ったトレーニングをしています。インプットの100分の1もアウトプットをさせていないんじゃないでしょうか。
52:00
そろそろ、まとめないといけません。
タイトルの「英文法は「こころ」で理解せよ」というのは、「共同主観」で理解せよ、ということであり、文法が科学的で正しい(客観)という思い込みを捨てよ、ということです。
今日は最初にとてつもなく難しい話が続いたので、カットしてもらったほうがいいかも知れない(苦笑)。
なお主観を考える際に気を付けないといけないのは、唯我論に陥らないことです。唯我論は何も生み出しません。
純主観諭はダメです。といって科学万能論もダメです。人間研究にとって科学的アプローチはあくまでサポートでしかありません。
ではどうすればよいかというと、最近数百年で先達たちがつくってくれた「共同主観」という考え方があるので、それを利用させてもらえばよいと、私は思います。
56:00 高橋
言葉を仕事にしようとする人は、やはり言葉の成り立ちにまで戻って理解しておくべきだと思いますし、言葉の背後にあるものにまで目を向けないと、ちゃんとした仕事ができないんだなと思いました。
成瀬先生、今日もありがとうございました。
56:10 成瀬
いつもいつも、難しい話ばかりで、すみません。
(つづきは↓)
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