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成瀬レクチャーシリーズ「認識・思考・言語」(2)言葉のレンズを通して世界を認識する

(↑のつづき)

ここからは言葉を通して世界を認識するという人間のあり方について考えてみましょう。

私たち人間は、この世界を、じつはふたつの方法で認識しています。

ひとつは「いきもの」としての認識です。「いきもの」としての認識では、たとえば固体は固体として、流体は流体として、温かさは温かさとして認識されます。

この認識のあり方は人間でも犬や猫でも同じことです。

けれども、「いきもの」としての認識では、固体を固体と認識できても、それを「椅子」だとは認識ができません。

流体を流体と認識できても、それを「池」だとは認識できません。

温かさを温かさと認識できても、それを「春」だとは認識ができません。

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こうした認識ができるのは、人間が「言葉」を持っているからです。

いっぽう、犬や猫や鳥は言葉を持っていないので、彼らの世界には「椅子」も「池」も「春」もありません。

言葉があるからこそ、「椅子」も「池」も「春」もこの世界に存在するのです。

しかし、ここに問題が生じます。

言葉によって「椅子」や「池」を認識しているということは、言葉の種類つまり「言語」が違えば認識が変わるということなのです。

すなわち

英語での世界認識と日本語での世界認識とは同じではない

ということです。

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「なまの世界」と「人間の世界」


ここに自然の世界があるとします。

この世界を人間はまず犬や猫や鳥と同じ方法で認識します。

このように認識された世界を「なまの世界」と呼ぶことにしましょう。

つぎに人間は「なまの世界」を言葉という「レンズ」をとおして認識します。

すると、そこに「椅子」や「池」や「春」が生まれます。

この「椅子」や「池」や「春」を含んだ世界こそが、私たちの生きる「人間の世界」です。


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さて、次の段階です。

ここで「英語」という言葉のレンズをとおすと世界は「英語の世界」になります。

いっぽう「日本語」というレンズをとおすと世界は「日本語の世界」になります。

極端な言い方をするとするならば、

日本語ネイティブと英語ネイティブは、それぞれ別の世界に生きている

といってもよいのです。

それにしても本当に不思議ですね。

その不思議さに魅せられて私はずっと言語を勉強しつづけてきたわけです。

(つづきは↓)

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