診察室で見える「職場が知らない本人」、職場で見える「主治医が知らない本人」
今日は、いつもと少し違う話を書きます。
これまでこのnoteでは、診断書の読み方、休職・復職の進め方、ストレスチェックの使い方など、「実務」の話を中心に取り上げてきました。
今回は、その背景にある、主治医と産業医の「情報の違い」についてです。
私は、精神科クリニックの院長として患者さんを診る一方、産業医として企業のメンタルヘルスや休復職支援にも関わっています。
主治医として診察室にいるときと、産業医として職場に関わるときでは、同じ人でも見えてくる姿がかなり違います。
両方の立場を経験していると、よく感じることがあります。
主治医と産業医は、同じ人の、違う半分を見ている。
この構造を知っていると、診断書の読み方も、主治医への照会も、復職判定の考え方も変わってきます。
診察室で見える「職場が知らない本人」
診察室では、職場では分からない本人の状態を聞くことがあります。
たとえば、
「会社では普通にしています。でも、家に帰るとソファから動けません。週末はほとんど寝ています」
という話です。
職場では「元気そうに見える」人でも、出勤して普通に振る舞うだけでエネルギーを使い切り、帰宅後や休日の生活がかなり崩れていることがあります。
精神科の診察では、決して珍しいことではありません。
また、
「本当のきっかけは、上司のあの一言なんです。会社では誰にも言っていません」
と、不調の背景が診察室で初めて語られることもあります。
ハラスメント、評価への不満、人間関係、介護や夫婦関係など、会社には伝えていない事情もあります。
そして、
「診断書には、詳しいことは書かないでほしいんです」
と言われることもあります。
病名や詳しい経過を会社に知られたくないと考える方は少なくありません。
主治医は、原則として本人の意思を尊重します。
診断書が、
「抑うつ状態のため、自宅療養を要する」
という短い記載になりやすい背景には、こうした事情もあります。
▶ 「復職可能」とだけ書かれた診断書で、人事が困る理由
つまり、職場で見えている状態だけでは、本人の生活全体や症状の程度までは分からないことがあります。
本人が不誠実なのではありません。
働き続けるために、評価への影響を避けるために、職場では不調を見せないようにしている人もいます。
そのため、「会社では普通に見えている」ということだけで回復の程度を判断すると、実際の状態を見誤ることがあります。
職場で見える「主治医が知らない本人」
一方、産業医として企業に関わると、今度は診察室には届いていない情報が見えてきます。
たとえば、
「診察では『調子いいです』と話しているようですが、勤怠を見ると当日欠勤が月4回あります」
というケースです。
主治医が本人を診るのは、多くの場合、月に1〜2回です。
その日の診察では比較的調子が良かったとしても、それだけで日常生活や勤務状況全体を把握することはできません。
一方、会社には毎日の勤怠記録があります。
遅刻、欠勤、早退が継続しているのであれば、それは主治医が知らない重要な情報です。
また、
「本人は『仕事は普通です』と話しているようですが、実際にはクレーム対応の最前線にいます」
ということもあります。
主治医が知っている仕事内容や職場環境は、多くの場合、本人から聞いた情報が中心です。
本人が「それほど大変ではありません」と説明していれば、実際の業務負荷が十分に伝わっていない可能性があります。
逆に、本人の受け止め方によって、実際より負担が大きく伝わっていることもあります。
さらに、
「本人がかなり復職を焦っています。傷病手当金の期限や住宅ローンも気にしているようです」
ということもあります。
主治医が本人の焦りを把握していても、会社にどのような勤務制度があり、どこまで業務調整が可能なのかまでは分からない場合があります。
一方、会社側もその背景を知らず、
「本人が『もう大丈夫です』と言っているのだから、復職させてもよいのだろう」
と判断してしまうことがあります。
つまり、主治医が把握している情報も、本人から聞いた内容が中心であり、職場の実態をすべて含んでいるわけではありません。
どちらかが間違っているわけではない
ここは重要です。
診察室で職場のことをすべて話さないことも、
診察で「調子いいです」と話すことも、
職場では元気そうに振る舞うこともあります。
だからといって、本人が嘘をついているとは限りません。
診察室だから話せることがあります。
反対に、職場では言いにくいこともあります。
また、診察日の状態と普段の状態が違うこともあります。
主治医が騙されているわけでも、会社が欺かれているわけでもありません。
それぞれが持っている情報が違うのです。
復職判断に必要な情報は、最初から二つに分かれている
整理すると、主治医と会社は、それぞれ次のような情報を持っています。
主治医が持っている情報
・病状の経過と治療内容
・睡眠や活動量など、家庭での生活状況
・診察室で本人から聞いた事情
・症状がどの程度改善しているか
会社が持っている情報
・勤怠の記録
・実際の業務内容と業務負荷
・職場での様子や周囲との関係
・復職後に利用できる配慮や制度
・実際に求められる勤務時間や働き方
見比べると分かるように、復職判断に必要な情報は、主治医と会社の双方に分かれて存在しています。
そのため、どちらか一方の情報だけで判断すると、ずれが生じることがあります。
主治医の「復職可」だけを根拠に復職させ、短期間で再休職する。
▶ 「復職可」の診断書が出たとき——復職を急ぐ社員に、会社はどう向き合うか
主治医と産業医の意見が食い違い、人事が対応に困る。
▶ 主治医と産業医で意見が割れたとき、人事は誰を信じればいいのか
こうした問題の背景には、双方が持っている情報を十分に共有しないまま判断していることがあります。
情報を共有すると、判断が変わることがある
たとえば、主治医から「復職可」の診断書が出ており、本人も、
「もう大丈夫です」
と話していた方がいました。
しかし、産業医面談で生活状況を具体的に確認すると、
「朝は起きられるけれど、午後になると横にならないともたない」
「外出は週2回くらいで、近所までです」
という状態でした。
症状は改善しています。
ただ、毎日通勤してフルタイムで勤務するには、まだ負荷が高いと考えられました。
そこで会社から主治医に、
・想定している勤務時間
・具体的な業務内容
・利用できる短時間勤務制度
などを伝えたうえで、改めて意見を確認しました。
すると、
「その勤務内容であれば、段階的な復職が望ましい」
という回答が返ってきました。
これは、主治医が最初の判断を撤回したということではありません。
具体的な勤務条件が伝わったことで、主治医がより現実的な就業条件を検討できるようになったということです。
本人も面談では、
「実はまだ不安でした。でも、期限のことがあって、早く戻らないといけないと思っていました」
と話していました。
主治医、本人、会社のそれぞれが持っている情報を共有することで、より現実的な復職方法を考えられることがあります。
人事にできるのは、「不足している情報を確認する」こと
では、会社はどうすればよいのでしょうか。
方法は特別なものではありません。
主治医への情報提供や照会、産業医面談、本人を交えた復職面談など、通常の手続きの中で情報を補っていくことができます。
人事の方にできることを三つ挙げます。
1.主治医に聞くときは、職場の情報を添える
「復職は可能でしょうか」
とだけ聞いても、主治医は、主に本人から得た情報をもとに回答することになります。
一方、
・勤務時間
・通勤の有無
・具体的な業務内容
・残業の可能性
・会社で可能な配慮
などを伝えたうえで質問すれば、
「その条件で勤務できるか」
について、より具体的な意見を得やすくなります。
2.職場での印象だけで判断せず、産業医面談を活用する
「まだ顔色が悪い」
「思ったより元気そうだ」
こうした職場での印象も情報の一つです。
ただし、それだけで就業可否を決めるのは適切ではありません。
職場での状況と医学的な評価を整理するために、産業医面談を活用してください。
3.本人に、主治医へ勤務状況が伝わっているか確認する
「先生には、今の仕事内容や勤務時間のことまで伝わっていますか?」
この確認だけでも役立ちます。
主治医がどこまで職場の実情を把握しているのかが分かれば、必要に応じて追加の情報提供を検討できます。
特別な制度が必要なのではありません。
自分たちが持っていない情報があるかもしれない、と考えて確認することが大切です。
人事の方にお願いしたいこと
主治医の意見を、
「現場を知らない医師の意見だから」
と切り捨てないでください。
一方で、職場で実際に起きていることも、
「医学の専門家ではないから」
と軽く扱う必要はありません。
どちらも重要な情報です。
ただし、どちらか一方だけでは十分でないことがあります。
私自身、主治医として診療を続けながら産業医として企業にも関わってきたことで、この違いを何度も実感してきました。
診察室だけでは、実際の勤怠や業務負荷までは分かりません。
職場だけでは、帰宅後や休日の状態、本人が会社には話していない不安までは分かりません。
同じ人について見ていても、主治医と会社では持っている情報が違います。
だからこそ、どちらか一方の情報だけで結論を出さず、必要に応じて両方の情報を確認することが大切です。
これからしばらく、このnoteでは、こうした「主治医と産業医の両方をしているから分かること」を書いていこうと思います。
主治医として診察していると、会社への不満や不安がどのように語られるのか。
主治医は、診断書を書くときに何を考えているのか。
産業医として企業に入ると、診察室では分からなかった何が見えるのか。
制度の解説だけでは伝わりにくい、診療と職場の間にある問題について、順番に取り上げていきます。
※本記事中の事例は、個人が特定されないよう内容を一般化しています。
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