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天動説と地動説(物理学誕生②高校基礎)

これの続きです。

(1)天動説とは宇宙が地球を中心に回転しているという考え方である。
(2)地動説とは宇宙が太陽を中心に回転しているという考え方である。

  §1 その起源と継承者  さもありなん、というべきか、どちらの考え方も古代ギリシア文明に起源を持つ。  天動説の方は、少なくとも紀元前4世紀のアリストテレスが、すでにはっきりとその考えを持っていたことが知られている。アリストテレスの宇宙観を大枠として引き継ぎ、精密な天体観測を行なって、天動説を強力な予測能力を持つ理論に発展させたのは紀元後2世紀のプトレマイオスである。  
一方、地動説の方は、紀元前3世紀のアリスタルコスが初期の提唱者として有名である。この説を復活させたのがコペルニクス(1473-1543)。コペルニクスの研究の集大成である『天球の回転について』は後の天文学者を大きな影響を与えた。彼の説は世界の見方をひっくり返すほど衝撃的なもので、現代の日本ですらも斬新な発想を形容する「コペルニクス的転回」という言葉が残っている。  ティコ・ブラーエ(1546-1601)は地動説には反対し、独自のモデルを提唱したが、彼の残した精密な観測データが、皮肉にも弟子のヨハネス・ケプラー(1571-1630)によって地動説の正しさを証明することになった。そしてガリレオ・ガリレイ(1564-1642)はコペルニクスの賛同者として、地動説をより強力なものにしていった。

  §2 キリスト教vs地動説  
コロンブスがインドの一部と間違えつつ最終的にはアメリカ大陸を発見(笑)することにつながった有名な航海に出発したのは1492年である。このとき「世界の端の大きな滝から落下することを恐れて」船員がなかなか集まらなかったという話を聞いたことがある人もいるだろう。実はこれ、後世の創作で、当時の船乗りも地球が丸いことは常識として知っていたという説が濃厚だ。彼らが本当に恐れたのは、地球はもっとデカくて、インドに着く前に水も食料も尽きて干からびるという、コロンブスよりも正確な見積もりだったのだが、それはさておき。  以前にも書いたが、アリストテレスは地球が球体であることを理解していたし、エラトステネスは紀元前200年くらいに、地球のおよその大きさを計算することに成功した。そしてエラトステネスより少し前に、地球と月の大きさの比率などを求め、地球の大きささえわかれば、地球と太陽までの距離が計算できることを示していた人間こそ地動説のアリスタルコスなのである。  古代の天才たちが到達していた地点から考えると、コロンブスの時代の人々のバカさ加減を理解することは難しい。まず、ヨーロッパから偉大な知識が失われたのは、ざっくり言えばキリスト教のせいである。また、文明が後退してしまうことが奇異に思えるのは、我々が、文明が猛烈に発展し続ける時代に生まれたからであるが、この点に関しては、我々が生きている時代の方が、数百万年に及ぶ人類の歴史の中でも極めて異常な時代だということは認識しておくべきであろう。  キリスト教の影響については、高校の世界史で学ぶことであるから、そこで理解すれば良いだろう。そしてヨーロッパで古代の知識が甦っていく過程として、十字軍、ビザンツ帝国の崩壊、大航海時代、ルネッサンスなども世界史の授業がカバーする内容である。これらの事項の全体像を説明することは、少々おれの手に余る。  代わりに天動説と地動説にまつわるエピソードとして印象深いものをあげておこう。本職の天文学者ではなかったが、かなり早い時期にコペルニクスの説に賛同した人間としてジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)がいる。天動説が広く信じられていた中で地動説を唱え、教会から求められた自説撤回を断固拒否したため、案の定、火炙りの刑に処された。ガリレオ・ガリレイが命の危険を感じ、表面上だけでも地動説を撤回した(1633)のは無理もないことだったのだ。ガリレオ・ガリレイはその際、「それでも地球は回っている」と呟いたという伝説があるが、ジョルダーノ・ブルーノはもっと凄いことを言っている。曰く、「刑に処される私よりも、私に刑を宣告したあなた方が、真実を前にして恐怖に震えているのではないか」。いいこと言うじゃん。確かにこれはシビれるではないか。死んじゃったけど。

  §3 天動説はバカじゃない!  
しかし、天動説が発生し、長い間生き延びた理由を、全てキリスト教のせいにしてしまうのは単なる誤解だ。地球が宇宙の中心でないことは、キリスト教にとっても都合が悪かったことは確かだが、そもそもアリストテレスが天動説を唱えたときには、イエス・キリストは生まれてすらいなかった。天動説は目に映る天体の動きを地球から観察していれば、しぜんと生まれてくる素朴な解釈なのだ。だから地球が球体であることを理解していたアリストテレスですら間違えた。  迷信的な側面を指摘するなら、天動説論者も、地動説論者も、神々が造った完璧な世界である天界では、惑星の軌道は円から成り、惑星は完全な球体であるという、現在から見れば根拠のない思い込みに囚われていた。この迷信も、キリスト教より遥かに昔から存在したものであり、やはり、太陽や月を地球から観察したときに、しぜんと生じる素朴な解釈というべきものだろう。  地動説が天動説を打ち破ったということの意味を理解するには、こういったことをあらかじめ知っておく必要がある。  そして何より重要なのは、コペルニクスの時代になってもなお、地動説は天体の位置を説明する精度において、天動説に負けていた。というのも天動説は長い歴史を持ち、様々な誤差を修正する体系を発達させていた。天動説は、単に地球を中心に置き、天体の軌道を円軌道で説明する理論ではなかった。確かに円軌道で説明するのだが、周転円、導円などと呼ばれる円を組み合わせ、さらに回転の速度を変えることも許すという複雑な理論だったのだ。一方のコペルニクスが考えた宇宙は、太陽を中心にして惑星が円軌道を描くという、遥かにシンプルで美しいもの。しかし、実際の観測と照らし合わせると、天動説の方が精密な結果を導くという状況だったのである。

 §4 理論と観察の歯車、そして老人達の死  この状況を変えたのは、ケプラーによる、楕円軌道の発見(1609)である。円軌道を楕円軌道に修正することで、地動説は天動説の精度を、ついに上回った。公平に言えばこの時点で、天動説を信じる理由は無くなったのだ。  更に決定的だったのは、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡で金星の満ち欠けを確認した(1611)ことであった。

内惑星と外惑星の満ち欠けの違い


それはみんなが中学校で勉強したように、まさに、金星が内惑星であることを示すものだった。天動説が正しければ、金星の満ち欠けは、例えば月と同じパターンだと予想することはできるが、どうやっても内惑星の満ち欠けは説明できない。これによって天動説はもはや息の根を止められたに等しいはずだった。  しかし、現実には、地動説が学者の間で当たり前になり、さらに民衆にまで浸透していくには相当な年月を要した。その理由のひとつには、もし地球が動いているならば、なぜ我々は地球から振り落とされないのか? それどころか地球の動きを体感することさえできないのは何故なのか? 夜空の恒星が全く動いて見えないのは何故なのか? というような至極もっともな疑問に対して答えるのに、多少の時間がかかったからである。もちろん、それらの疑問は完全に解明されている。  それよりも何よりも、地動説がなかなか広まらなかった最大の理由は、たとえ科学者といえども、己の信じたいものを信じるという人間の本性に打ち勝つことは容易ではなかったということだ。科学の歴史の中で、その後も繰り返された現象だが、新しく正しい理論が大勢を占める過程というのは、学者達の考えが変わることによって進むというよりはむしろ、古い考えをもった学者達が老いて死に絶え、初めから正しい考えを学んだ若い学者達と世代交代することによって進むのである。

【参考文献・インスパイア元】 本記事を書くにあたり、以下の書籍を参考にしつつ、私の独自解釈と妄想を加えています。どちらも物理好きなら痺れる名著なので、ぜひ読んでみてください。

●サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』(新潮文庫)
●山本義隆『磁力と重力の発見』(日本評論社)

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