栄光と挫折(物理学誕生④高校基礎)
これの続編です。
§1 科学の父
1564年、イタリアのピサに生まれたガリレオ・ガリレイは、「科学の父」と呼ばれるほどの圧倒的な実績を遺した。何をもって「科学」と「科学以前」を分かつかは微妙な問題だが、(1)物理現象の数学的記述と、(2)理論を実験によって検証すること、この二つが必要条件であることは議論を待たない。そしてガリレオ・ガリレイこそは、自然現象の観察、自然現象の本質を明らかにするための巧みな実験、そのための発明、実験結果を説明できる理論を構成すること、これらすべてに同時に秀でていた最初の人間だった。
科学理論の正しさを実験で確かめるというのは、今では当たり前のことであるが、当時は当たり前ではなかった。ガリレオ・ガリレイと近い時代の偉い人たちが様々な言葉で実験の大切さを訴えているが、本当に実験を実行すること、しかも実験結果を説明する理論を作り上げることは、心構えを説くことよりも遥かに難しい。「重いものほど速く落ちる」というアリストテレス物理学の主張を退けた件では、アリストテレスの主張が論理的に破綻していることを理論の中だけで証明しつつ、自由落下の実験を行って自身の正しさを確かめている。
彼の天才ぶりをよく表しているのが、望遠鏡のエピソードである。望遠鏡を初めてつくったのはオランダの眼鏡職人だとされているが、彼はそのウワサを聞き、わずか数カ月後に本家を遥かに上回る性能の望遠鏡を自作してしまった。これだけも尋常ではない話だが、彼はその望遠鏡を空に向け、かつて誰も見たことが無いほど遠くをはっきりと観察した。そして、金星の満ち欠け、月にそびえる山脈、木星の4つの衛星、土星の輪、そして太陽の黒点を次々に発見した。1610年には『星界の報告』でこれらの観測結果を発表し、イタリアだけでなくヨーロッパ中で大評判となった。
§2 機械論的自然観の功罪
17世紀には、現代から見ると迷信的なアリストテレスの物理学や、魔術思想がまだ残っていたが、それらにとってかわる新しい学問を創り出そうという動きがヨーロッパ全土で沸き上がっていた。
通常は、そこに登場したのが「近代的な意味で最初の科学者」であるイタリアのガリレオ・ガリレイ(1564-1642)と、「最初の近代的で批判的な思想家」と称されるフランスのルネ・デカルト(1596-1650)だということになっている。彼らが提唱した自然観(自然の見方)は、機械論的自然観と呼ばれている。それは、物体の形状と大きさ、配置、個数、運動のみを客観的なものと考え、その他の性質、つまり手触りや、熱い・冷たいという感覚や光沢や臭いといったものは、全て物体の形状や運動が人間の感覚器官に与える刺激の結果に過ぎない、と考えるのである。したがってそれらは、物体の形状や運動から説明されなければいけないということになる。
このような考えは、科学が十分に発達した現代人にとってはもっともらしく見える。現代科学の方向性を予見したものにさえ見えるかもしれない。だが、忘れてはならないのは17世紀にはそういった説明を可能にするための知識が全然足りていなかったという事実である。そのため、機械論は梨とリンゴの味が異なる理由は、その内部にある粒子が「口の中を異なる仕方で突き刺す」からだというような説明しかできなかった。「粒子」も「突き刺す」ことも確認せずにこのようなことを言っても、それは作り話の域を出ない。
機械論の根底にあったのは、物質自体は不活性で受動的であるという物質観である。ここで詳しく述べることはできないが、それはアリストテレス物理学や魔術思想に対する明確なアンチテーゼだった。ざっくり言ってしまえば、機械論者は、物理学から迷信的なものを一掃したかったのである。
ガリレオ・ガリレイは「哲学者の中には、“私にはわからない”という本音を隠すために、共感や反感、隠れた性質、影響力、その他の用語を使う人がいます」と揶揄している。旧来の自然観に対する機械論の立場と優越感情がよく表れていると言えよう。
では「共感や反感」「隠れた性質」などの言葉で説明されていた出来事とは具体的に何だったのだろうか? それは月の重力の影響で起こる潮の満ち引きや、磁石の性質であり、皮肉なことに、それは当時の機械論では決して説明できないものだったのだ。機械論は、遠く離れた物体にはたらく力(=「遠隔力」)を否定したし、ガリレイは惑星の円運動は慣性によるものだという決定的な間違いを犯した。
§3 父のなる者の限界
ガリレオ・ガリレイは1632年に『天文対話』を発表した。これは天動説と地動説の優劣を決するための論争の書であり、宗教裁判にかけられるきっかけにもなった書物である。
まるで科学の殉教者のように語られることも多いガリレオ・ガリレイだが、この『天文対話』のクライマックスにおいては、現代人が首をかしげるような不思議な間違いをしている。潮の満ち引きと月に密接な関係があることはプリニウスの『博物誌』(1世紀ごろ)にも記されており、古代から周知の事実であった。しかしガリレイは、それを地球の自転と公転の重ね合わせから説明しようとする特異な説を展開し、そして失敗に終わった。それは、やはり広く知られていた潮の満ち引きの半日周期を説明できない、致命的な欠陥をもった説だった。

要するに彼は、アリストテレス物理学から迷信を追放した新しい科学を創ろうとして、無くしてはいけないものまで切り捨ててしまったのだ。そして万有引力の発見者になり損ねた、というかそれを拒絶してしまった。
科学の父は地動説を撤回させられ「それでも地球は回っている」と呟いたときに挫折したのではない。万有引力を発見するために必要な全ての資質と能力を兼ね備えていたにもかかわらず、遠隔力を認めない機械論で世界が説明可能だと思い上がり、自ら「数学という言語で書かれた自然という名の書物」と語った、その本を他ならぬ自分自身の手で閉じてしまったのが彼の挫折だったのだ。
1642年の1月、イタリアの巨星、ガリレオ・ガリレイはこの世を去った。世界はこの偉大な頭脳を失った。しかし物理学誕生の物語は終わらなかった。同じ年(旧暦)のクリスマスに、イギリスでアイザック・ニュートンが誕生したのだ。
【参考文献・インスパイア元】 本記事を書くにあたり、以下の書籍を参考にしつつ、私の独自解釈と妄想を加えています。どちらも物理好きなら痺れる名著なので、ぜひ読んでみてください。
●サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』(新潮文庫)
●山本義隆『磁力と重力の発見』(日本評論社)
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